XYZを受け止めて (1話完結) (お相手 ハクイツ)
種別ごとに分けられたコンビクトの人から寄せられた改善書や始末書に付箋をつけながら縦に積んでいく。積んでいくにつれ増してく書類の高さと比例して、それら全てに判子を押すことになるだろう局長の疲労がどんどん可視化されていく。
あくまで簡単に目を通して判子を押すだけとはいえ、量が量なのだ。そうやすやすとすぐ終われるものではない。毎度のことではあるが、少し同情をしながらこの書類達を抱えて局長の元へ足を運んだ。
私以外にもばたばたと足を早めて事故報告書を書きに行く職員やコンビクトの人達から申請された外出申請書、希望物資書等を補充しに行く人らが廊下内を忙しなく往復する。
「ね、今日ご飯行きましょ!」
突然、廊下を歩く私を誘う声が聞こえた。その声の主は察する間もなく近付いてきて強引に腕を組む。同性といえども、左肩に寄せられた豊満な膨らみにドキリとする。
「ね〜ぇ?いいでしょ?あっ、焼肉!焼肉にしましょうよ!上ハラミとか上カルビとかいっぱい頼んだりして、馬刺しも食べちゃおうかしら〜!」
からからと笑いながら、私に対する食事のお誘いをしているハクイツさん。誘ってくれるのはありがたいが、お金は持っているのだろうかこの人。
確か借金をしているだとか、色んな料金(殆どは酒飲み代)を滞納しているだとか。あとは、白記事務所の経営はいつも赤字だっていうことも局長から耳に挟んだことがある。けれど、数週間くらい前から急に羽振りが良くなったとも聞いたことがあった。
ツケにしていたお金を急に返してくれたり、溜まっていた家賃や請求書を全て支払ったり。
私達MBCC職員も驚いたが、澈さんやK.K.さんなんかはもっと驚いていた。いつもただでさえ事務所の経営が赤字だったのが急に黒字になっていたのだから無理もない。
「無言は同意ととるわよ。じゃあ、この日に予約するから空けておいてね?」
思考に耽っていてろくに注意もいかなかったのもあるが、両手が書類で塞がっていて何も抵抗できないのをいい事に、私が着ているスーツのポケットにしまっていたメモ帳を流れるままに取って、予約日と店の詳細を書いたメモを手のひらに置かれる。
断りの声をかける間もなく、ハクイツさんはどこかへ行った後のようで私はここに忽然と立ち尽くすしかなくなっていた。
渡されたメモを見ていると、店の住所からしてかなり高級な所だと一目で分かる。
本当にお金の心配はしなくていいのだろうか。いや、その前にコンビクトと職員が一緒にご飯なんて行っていいのか?
ただの一般職員に過ぎない私が勝手にコンビクトと外出をするなんてことを決めれるはずがないし決定権すらもない。ならば、局長に相談した方が良い。
ため息を吐きそうになるがぐっと堪え、先程の出来事で少しばかり重くなった頭を引きずって局長室へ進む足取りを再開し始めた。
「ハクイツが君と食事に?」
一通りの経緯を話し終えたら、局長は隈ができ始めた目を大きくしてオウム返しのような言葉を吐いた。
それに無言ながら頷くと眉間をつまむような仕草をした後、母音のうの音をした呻きを長く発した。
局長が天井を見上げると同時に背もたれが後ろに下がった。キィと歪んだ金属音にキャスターが反応して微妙に椅子の位置がズレる。
「食事はいいんだ。だが、ハクイツが本当に支払いできるのかどうにも疑わしくてな」
それはそうだ。いくら滞納していたものを完済してもなお余る金があっても、今までの印象があまりにも強すぎる。結局ツケになってしまうのか、それともMBCCが代わりに払う羽目になるのかと危惧するほどなのだから。
「そうだ!ハクイツの食事に行く体で、何故そんなに金を持っているのか調査してきてくれないか」
大きく見開かれた目には、名案を閃いた!の文字が隠しきれないほど現れていたが、はっと何かに気づいた顔をすると急激に萎んでいく。
何かを反省したような声色で強制では無いから無理にやらなくても良いと言われたものの、確かにハクイツさんのお金の出処は気になったので調査を引き受けることにした。
局長は申し訳なさそうな顔をしてよろしく頼むと言うと、事務机の棚から栄養ドリンクを出して一気に飲み干す。
私の記憶違いでなければ、局長は前にも同じ栄養ドリンクを飲んで仕事をし続け疲労がピークに達したあたりで倒れたことがある上に、回復後に副官のナイチンゲールさんからこっぴどく叱られていた。
これは完全に懲りてないな。と呆れながら副官に怒られたことを忘れたんですか?と言いかけたその時、誰かにとってはとてもタイミング悪く入室者が現れた。
思わずあっと声を漏らしそうになったが、気合いで止めて口を噤んだ。
その入室者は栄養ドリンク片手に物の見事に固まった社畜の方へ顔を向けると、見る見るうちに眉が釣り上がって白い肌を紅く染めていく。いつも柔和なナイチンゲールさんの怒り顔をこんな形で知りたくなかった。
「局長、言いましたよね」
鈍化した空気を更に重々しくさせ、足取りしっかりに事務机の前へと近付いてくる。対象が私ではなく違う人物に向けられているのに、逃げるなという重圧を感じて動きにくい。
しかし、ナイチンゲールさんの進行方向に私が直立しているのはどう考えても邪魔なので移動する。その時の局長の声があんまりにも悲壮感漂う小さな悲鳴だったが、何をどうしたって局長の行いが悪いのだから甘んじて受け入れて欲しい。
淡々と至極真っ当な正論を叩き付けるナイチンゲールさんと、今まで見たことないくらいしおらしくなって返答の声もか細い局長を見ながら私は、静かにその場を後にしてこれからの予定を脳内で考えていった。
服装、どうしようかなぁ。そこそこのお金を下ろさないことには始まらないし、まずは銀行に行ってからその他の衣類品を買いに行こう。
引き受けた日から早1ヶ月が経った予約日当日の夜19時前。食事の時間は20時半だったはずだからまだ時間はある。
それなりの身なりをする必要があったから、普段は触りもしないネックレスを久しぶりに付けてみた。
昔、ジュエリーショップで見かけて値段も手頃だったから買った3連ダイヤネックレス。使う機会なんてないと思っていたけど、やっぱりこうして身に付けた方が気分も良いし何より楽しく感じる。
そんな少し浮き足立った気持ちをポーカーフェイスぶった顔で誤魔化し、待ち合わせ場所と日時が正しいかどうか確認する。メモにはMBCCの駐車場で夜19時頃に待ち合わせと記されていて、場所も時間も間違っていない。
食事に行くのだからと局長からある程度の額を渡されてはいるけれど、ハクイツさんが万が一お金を持っていなかったあるいは足りなかった場合も兼ねて多めにお金を頂いている。
人の金で焼肉を食べる機会なんてあるものなんだなと妙に考え込んでいると、遠くの方からバイクの音が聞こえてくることに気が付いた。
高い位置で結ばれたポニーテールが風に激しくなびく。それに低い振動を響かせるエンジン音に、恐らくふかす。というのだろうか?ブォンブォンという音を合図にしてくれながら目の前まで走ってきてくれる。
片足をついてバイクを一旦止めると、そのまま降りて私のネックレスに触れられる。
「あら、可愛い格好と素敵なネックレスね?私の為に着てくれたのかしら」
隠してある素直な嬉しさを隠しきれず、ほんの少しだけ照れ臭そうにそう言い、ネックレスに添えた手を優しく離して次に触れられたのは私の腰だった。
頬に薄紅。目を細めて綺麗な花を咲かす微笑みは、きっとまともに振舞っていれば周りから言い寄られているはずなのに普段がアレだからガッカリ感が否めない。けど、元から何も手を加えなくても美人なのは誰もが認めざるを得ない。
「支えてあげるから後ろに乗って?」
まるで彼女をエスコートする彼氏みたいなことをするなと思いながら、ハクイツさんの言うがままにバイクに登る。
初めて乗ったバイクの後部座席。思ったよりもクッションが柔らかくて座り心地は悪くない。
私が完全に座れたことを確認すると、ハクイツさんも運転席へと乗り込んだ。
ハクイツさんが乗った時の衝撃が思いの外強くてバイクが揺れが少し怖かったけれど、目の前で揺れる長髪と上着に隠れた身体を見てどうでも良くなった。それに、目の前の彼女が一切何とでもないように動いていたからきっと大丈夫だと感じたんだと思う。
「しっかり捕まってて」
その言葉に慌ててハクイツさんに抱き着くと、バイクが大きく嘶いて駆け出す。想像よりも速い走り出しにドキドキしたが、そのドキドキはあっという間に未知の世界への好奇心によるものへと変わった。
次々に去っていく景色と、少しずつネオンライトが広がって煌びやかな眩しさが目を照らす。
ヘルメットを被っていないことに今更気が付いたが、もうそんなことより抱き着くことと今体験している初めてのものたちに集中しているだけに努めたかった。
うっすら匂うアルコールと、色んな種類の排気ガスに香水、あと飲食店の香りが鼻をかすめる。ただ、それさえも全て追い越して徐々に静かな喧騒を纏う街へと入っていく。
値段の安さを売りにする看板や気安い店は無くなり、その代わりに1品頼むだけで最低幾らぐらいするのか考える店構えが所狭しと並ぶようになっていった。
目線がきょろきょろと忙しなく動きそうになるが、遠くから胃を刺激する高級そうなお肉の匂いがしてきた。そろそろ目的地に着きそうになってきたので紛らわす為に抱き着く力を強める。
すると不思議な違和感を覚えた。何だか、ハクイツさんの身体が変な緊張をしたみたいに固くなっている。急に身体を密着し始めたのが悪かったのだろうか?
抱きついた体からうっすら聞こえる心音がやたらと細かく刻んでいる。聴き入るうちにこちらまでハクイツさんの鼓動が馴染んでいってしまいそうな。私まで胸の働きが忙しくなりそうな。
ハクイツさんが普段、周りを振り回すタイプの人だから?なんとなく、嬉しさを覚える。自分の動きで相手に変化が出る。しかも、多分悪い方では無い変化。本来なら色んな意味で周囲に影響を与えるのはハクイツさんだ。
でも、今は。今だけは私がハクイツさんを振り回している。
そう考えると、何だか変な優位感を抱いてしまう。笑い声が漏れそうになる喉を固く閉じて、どうせならもう少しと思い更に身体を近付けた。
それから間もなく、ハクイツさんが予約してくれたお店に着いて牛タンやカルビ、馬刺しなどを頼んで食べていった。他にも上カルビやハラミ、シャトーブリアンなども食べたが脂が多くて舌が疲れるし正直好みではなかったのが残念。
食事自体は楽しく進んだ。そう。極めて平和に。それが何よりも不気味だった。いつもならば、こういった食事の場にハクイツさんは必ずと言っていいほどお酒を飲む。そしてその後は飲み過ぎて吐いてしまうという残念っぷりを晒すのだが今日は違った。一滴も飲まず、お酒のメニューにも目を通さなかった。
腹も程よく膨らんで、そろそろ飲みたくなってくる頃合だろうに。ここまで徹底して最初から今に至るまで、烏龍茶しか飲んでいない。
グラスの中の氷が溶けて位置が変わったせいで、グラスとの衝突音が個室に響く。そしてそれを皮切りに、ハクイツさんの口が開いた。
「君に飲んで欲しいカクテルがあるんだけど、いいかしら」
カクテル?しかも飲むのはハクイツさんではなく私?やっぱりおかしい。大好きなはずのお酒を飲まず、他人に飲ませようとするなんて。
一体何が目的なのか。何を企んでいるのか。私を利用して何がしたいというのだろう。
いざとなれば、局長へ電話すれば助けを求めることができる。でも、私に対する危害は与えないような。そんな気がする。気がするだけで、私の希望的観測かもしれないが。
「なんて、もう頼んであるんだけどね?」
いつの間に──いや、思い出してみれば今までのメニューは全てハクイツさんが頼んでくれていた。そこまでして、私に飲ませたい理由は何故?ハクイツさんにとってメリットは一切無いように感じるが、全くもって見当がつかない。
また、食事に誘われた時のように思考の渦に囚われる。いくら考えてもキリがないのに、どうしても気になってしょうがなく、同じところを堂々巡りする迷路の感覚だ。
頭の中がごちゃごちゃしている間に、ハクイツさんにしたらなんとも都合が良い足音が聞こえてくる。
「失礼いたします。食後のカクテルをお持ちしました。」
結局。私に飲ませて何をしようとするのか。答えはすぐそこにある。私の目の前に置かれたカクテルを飲めば、答えが明らかになるはず。
「このカクテルの名前。XYZっていうの」
XYZ?あれ。どこかで聞いた覚えがあるような。確か、そのカクテルの別名は
「知ってる?XYZって最高のカクテルとも言われているけど、もう1つ意味があるの」
そう、最高のカクテル。これ以上のものはない。作れないからアルファベット最後の3文字が名前の由来となったカクテル。
そして、もう1つの意味。それが私が求めた答えなんだろうか。
「"もう後がない"」
"後がない"?それは、どちらにとって?
思わず質問しようと口を開きかけたら、ハクイツさんが急に席を立って私の隣に移動してきた。そして私の両手を掴み、ハクイツさんの両頬に添えられる。
これは、危害とかその前に、私は何かを強烈に勘違いしていたんじゃないか?
「そう、私、もう後がないの。これ以上飢えちゃったら燃え尽きて死んでしまいそう」
切なそうに潤んで、私だけをまっすぐ見詰める目。今まで見たことがないくらい顔を真っ赤に染め、熱烈に媚びを売っている。
違う。媚びを売っているんじゃない。これは、告白をしている乙女の顔?しかも、告白を受けているのは私?
「お願い。好きなの」
好き。すき。すき。す、き?
噛んだ言葉が正常に消化できなくて、何度も反芻を繰り返してようやく飲み込めた。なんとかして返事の言葉をひねり出そうとしたけど、両手が生暖かい液体が流れる感触で意識をとられる。
ハクイツさんが、泣いている。私が泣かせてしまった。いつまでも返事をしないから。
どうしようと焦ったのもつかの間。突然、右の手のひらに軽く触れるくらいのキスをされて思わず体がビクつく。
「お金、女性向けの夜のお店で稼いでたの」
は、え。待って欲しい。もう、何がなにやら考えられないっていうのに。これ以上新しい情報で私の頭をパンクしないで。
「色んな女の子を抱く代わりにお金を稼いでた。だから色んなツケや家賃も返せれたのよ」
「君が好きだから、欲求不満だった。でも、もうその仕事は辞めたし、縁も切った」
ダメだ。もうハクイツさんの声を聞くだけで精一杯。私もハクイツさんもきっと、お互いに顔が真っ赤っかだろう。理性も理論もなく、感情のみをぶつけてぶつけられてる。唯一分かるのは、ハクイツさんは私に──
「へんじは、ずっとあとでもいいから。わたし、きみのことがだいすきなの」
とびきり重くて、覚悟を決めた好意を抱いている。それを自覚した時、なぜだか私も泣きそうになったけれど、きっと人から好意を向けられたことがなかったから照れているんだ。そうに違いない。と無性に高鳴る胸を押さえつけて、か細い呻き声を出した。
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