狩られないように、痕を付けて (1話完結)(お相手 申鶴)


「主は、我がいないと生きていけない。そうだな?」

相も変わらず感情が一切見えぬ顔で、いつもと同じように此方を見詰める申鶴。
この首に掛かっている両手が無ければ笑って流せるというのに、身体が微塵も動かず、ただ申鶴の為す術になるしかなかった。
時刻が丁度、璃月の月がよく映える夜なのもあってか妙に恐ろしげに見えるのもあるのかもしれない。

人々の喧騒が微かに聞こえる路地裏で、壁に潜むようにじわじわと追い詰められて行く。

こんな状況だっていうのに、やはり身体は正直で。恥ずかしさなのか好意なのか分からない火照りが出てきた。

「......ふふ。あぁ、良い気分だ」

珍しく、ほんの少しだけ口角を上げた。本来であれば、見蕩れる程の美貌を持つ申鶴が口角を上げるだけでもそれだけでノックアウトされてしまうのだが、今はそんな気分になれない。

獣に喉仏を牙だけ当てつけられて、何時でもお前は私の腹の中に入れるんだぞと言われている感覚が走るのだ。

本能が逃げろと警笛を鳴らし続けても、それは叶わない。絶対に申鶴から逃れられないし、何より私の方が逃げたくないと思ってしまっている。自分で思うのもなんだが、飼い慣らされた家畜のようだ。

「主、主は可愛いな」

可愛い、と言いながら少しだけ首にかかる手の力を強められた。微妙に苦しい気がするが、それでも痕がつかぬように絶妙な加減をしているようだ。

あぁ、目の前の貴女が、"私"という矮小でつまらなくて、輝かしい才能も特技も実力も、性格すら良くない人間に、ここまで固執するのが可笑しくて。哀れだと気持ちが腹の奥底から湧いてくる。

強く、美しく、英雄の貴女。その貴女が想いを寄せる相手が璃月を救った英雄でもなく、璃月七星の誰でもない。

貴女が凡人であれば、貴女が凡人より少し優れる程度であればまだ分かるのだ。なのに現実はこうも私を責めたてる。

どう足掻こうが割に合わない。釣り合わない。似合わない。見合わない。

心の奥がざわつく。ざわついて、ざわついて、ざわついて。胎動する"何か"が私を誘う。倫理を放り投げた獣欲へと。

いっその事、私と同じ程度に堕ちちゃくれないだろうか。貴女は余りにも眩しすぎる。地の底まで堕ちて、共に濁々とした液に浸かりながらお互いに欲のまま食らって。そんな退廃した日々を浪費するくらいでなきゃ、私と貴女では余りにも合わなさ過ぎて帳尻が合わないと思う。

思考が段々と昏く、そして最低な考えへと寄っていく。こんな考えに陥る時点で人間として欠落していると自覚する。ただ自覚するだけで何も矯正しようとしない。
思考実験をずっと永遠に考え続けるような苦悩に苛まれる。脳にくっ付いた霧が晴れず、底無し沼に沈んでいく。
後悔はするのに、自己嫌悪もするのにどうして私はこうも─

「主、私から目を逸らすな」

オーロラの瞳。息継ぐ音。首から頬に移った二つの手。交わり合う二種の髪。絡めく体。

それらは、思考していた頭を強制的に意識させた。
ゆっくり、静かに申鶴の顔が近付いてくる。更には追い討ちと言わんばかりに思考の再構築さえままならぬまま、突然申鶴からの接吻を受けて脳から身体の末端まで蕩けて痺れて使い物にならなくなる。

まずは舌先。舌先同士が触れて舌がちうちうと吸われる度に細胞が一つ、また一つ溶けて眩むような刺激が襲いかかる。それから慣れる間もなく申鶴の舌が回り込んで、ねちっこく私の舌を締め上げられていく。

ざらざらした舌の感触が何故か心地好く、快感を与えられる。

頬の内肉を一周してゆっくりと舐められたり、私の舌を申鶴の口内へと誘われて優しく舌ごとねぶられた。それで蕩けた声が喉から漏れ出そうになったが、周りに聞こえないように申鶴の舌で私の舌をきゅうっと抱き締められた。

口で声をかき消されながらも、それによって火を分けられた火照りは勢い良く燃え盛るばかりで。一度付いた火は小さくならずに燻り続け、抑えようとしても余計に刺激するだけ。
やがて、理性の蝋が溶け崩れた私の方からおずおずと絡みついてみたり吸い付いてしまう。

口を離す時には、艷めく銀の糸が長くねっとりつくほどになっており、嫌でも私達はこうなるまで舌同士で愛し合ったのだと、まざまざと見せ付けられる。

そして、酸素を肺に取り込む時間も惜しい。とばかりに再び申鶴から口付けが迫られた。鶴も眠る深い深い夜。月が明くるまで、あと──







「.........」

お互いの唾液で塗れた唇を指でなぞる申鶴。目が少し垂れ下がり口をほんの少しあけてまさに恍惚というような表情をし、最初の時と同じような笑みを垣間見せた。

対して私は、涙から唾液から様々な液を身体中から垂れ流していた。口はだらしなく下がって犬のようにはっはっと浅い息切れを繰り返し、声帯から意識の関係無く漏れ出る甘ったるい鳴き声が短く連発している。

色々と限界な中、視界の端で私から離れていく黒く蠢く霧のような"何か"が見えたが、今の私にはそれを一瞬だけ目視することはできても深く考えることは不可能だった。

「去ったか」

もう、申鶴の声が近くで聞こえるだけでとろとろになっていた。思考が粉々になったわたあめみたくちぎれて空へ消え、調教された動物の如く身を震わせるだけしかできなくなった。

「主、安心しろ。主に憑いていたものは我が祓った」

両肩をがしりと掴まれて、我に返った。
と同時に、先程までの私がどんなに痴態を晒していたかを自覚し始め、恥と混乱の上塗りを繰り返す。

確かに、変だとは思った。自分はそこまで卑屈な考えの性格ではないから。でも、だからってあんな、あんな卑猥な妄想するほど──

「主」

どこか催促されているようで、甘えている声色でまた、目の前の申鶴に意識を戻された。
揺れることの無い水面で私を反射している瞳の、氷のような冷たさとは裏腹に私には優しく映って美しい。

「祓った褒美が欲しい」

白く美しい怪物の、腹の中に入らされる。あくまで私自身の意思で、されどこちらへ来いと言われるがままに。

じく、じくと身体と頭が燃えていく。それは、多分申鶴も同じだ。先程から私のどんな些細な一挙一動を見逃すまいと監視している。

私の為を思って、ここまで我慢してくれている。ならば、こちらも身をもって捧げなければ。

申鶴の口にそっと接吻を捧げた。これでもう、後戻りはできない。

おずおずと申鶴の顔を見てみると、一瞬固まっていたものの、目が見開きはじめ、頬に紅が指していった。そして両手で体を手繰り寄せられ、耳元で呟かれた。

「ここでは、楽しめぬ」

湿っていて、微かに震える声でまた脳を甘く痺れさせられる。

「人目が一切つかぬところで、続きをやるぞ」

噛み傷や痣をつけられるくらい愛して欲しいと願ってしまうのは、歪んではいないだろうか。いいや、むしろ正常なはずだ。今までお互い我慢していた分、思いっきり発散させ合わなければ、収まりそうにないのだから。
1/1ページ
    スキ