隴を得て蜀を望む
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五条さんに連れられてやって来た今日の任務地。
其処は、既に朽ちて誰も通う事のなくなった古びた小学校だった。
周辺にも幾つか人が住まなくなって久しい家が並び、過疎化の煽りを受けて廃校になったのだろう。
踏み入れた木造の校舎は歩くたびに床が軋み、窓ガラスに至っては迂闊に触れれば怪我をしそうな程に砕け、風除けの意味すら成さない。
自然に溶け込むように所々に命が芽吹き、合間に覗く人工物が酷く不自然にも思えた。
こうした場所には特に呪いが吹き溜まる。
人々の思い出の詰まる場所は良くも悪くも人々の好奇の的となり、呪の受け皿となり、やがて呪いを発生させていくのだと言う。
実際、私と恵君がこれまでに訪れた任務地は廃校、病院、墓地。
そう言った場所ばかりだった。
少なからず子供だと言う事を考慮されては居るのだろう。
常に死と隣り合わせだと何度も言い含められながらも私達にあてがわれる任務は比較的危険度が低い。
けれど、その場所はどこもかしこも陰鬱な雰囲気が蔓延る場所となり、記憶の片隅に残る忌まわしい場所によく似て居て。
恵君が居なければ私はきっと来二の足を踏んでいたに違いない。
その臆する想いを五条さんは気付きながらも見て見ぬふりをする。
それが呪術師になる事を選んだ私の責だとでも言いたげに。
「今日の任務地はここね。行方不明の子供が二人。後は、大人が三人。どうせ肝試しにでも来たんだろうね。どっちも生きていたら保護、死んでたら回収だ。ま、危なくなったら手を貸すけど二人で何とかしておいで」
今日の任務が単なる呪霊の祓除だけだったのならどれだけ良かった事だろう。
帳を下ろした結界の中は、まるで闇そのものにも近く。
人命が絡んで居る事を聞かされると、少なからず場数を踏んで来た筈の私の足取りは一層重たいものへと変わる。
それなのに背後から響く雰囲気に似つかわしくない彼の声は、実に朗らかなものだった。
それは、五条さんの生来から来る性格故か。
または、向かう所敵なしと揶揄される才故か。
はたまたこの世界に慣れきった玄人だからかは定かではない。
到底子供に聞かせるべき言葉では無い筈なのに、私達がその意味をすんなり理解し、受け入れてしまうのはこの特殊な環境のせいなのか。
諦めたように隣で小さく溜息が聞こえる。
同じ歳の頃に同じ様にこの世界に片足を突っ込んでしまった恵君は今ではすっかりこの色に染まり、私の様に怯む事は一切なくて。
一体私達の何が違うのかと疑問に思う程には、つい先程まで日下部さんの車の中で浮かれていた気持ちはすっかり形を潜めた。
彼の溜息の原因は、こうなってしまうと自身が先導しなければ、私は一歩前に足を踏み出すことすら難しくなる事を恵君は嫌と言うほど良く知って居るからなのだろう。
そんな彼は五条さんに引き取られて直ぐにあてがわれた任務で、呪霊に育てられた子供を助けた事があるらしい。
厳密に言えば、子供達は呪霊に飼われて居たと言っても過言ではない。
幼子が気に入った人形で遊ぶかの如く、命を弄ぶ呪霊は話に聞いただけでも悍ましくて。
私が身を震わせたのは恵君と出会ってから幾許も無い頃だったと言うのに、今でもその時の感情が心の奥底に蔓延って居る。
人の感情から生まれるそれらは、時に酷く人間らしく此方の予想の斜め上を行く事がしばしばある。
それこそが人の本質だと言わんばかりに。
「玉犬」
私と同じ位の恵君の小さな手が、重なり合う。
静寂に落ちた一雫な音は、彼の影から相棒と呼ぶに相応しい対の大きな獣を呼び出した。
その姿は犬と言うより狼に近く、それで居て恵君の側を離れる事がない。
そして、その内の一匹が甲高く鼻を鳴らしながら私の手に擦り寄ってくる。
まるで、大丈夫だから行こう。
そう促して来るかのように。
「じゃ、頑張ってね。いってらっしゃ〜い」
「行くぞ」
「あ、うん……」
ヒラヒラと蝶の如く手を振った五条さんは、その場に留まり私達を見送った。
恵君の声に慌てて駆け出し、数歩先を行く自分より小さな背中を追いかける。
不意に彼の片手がバトンでも渡すかの様に私に向けて差し出された。
五条さんの前では決してそんな素振りを見せないと言うのに、存外恵君は私に対して過保護で。
怖がりなこの感情を良く汲み取ってくれる。
その手を握り締めながら、私は右に左に視線を泳がせた。
此方の様子を伺う様に、彼方此方から呪霊の気配が漂い、私達はその一体一体を確実に仕留めて行く。
やがて、その気配すら無くなった空間は、私達を取り除けば完全なる無となった。
五条さんからは、行方不明となった人達がどれだけの日数を此処で過ごして来たかを聞かされては居ない。
僅かな可能性でも残されて居るのならば、今出来る最善を尽くせと暗に訴えて居るのだろう。
しかし、特殊な環境で育ち、人ならざる異形と対峙する。
呪術師として少なからず研鑽を積んできた私は、そう言った本能的な勘が鋭くなり、この場に自分達以外の息吹が感じられない事を既に悟ってしまった。
「……恵、君。もうここ、生きてる人居ない……」
今にもしゃくり上げる声が響きそうになり、咄嗟に唇を噛み締める。
色濃く感じた呪霊の気配に白と黒が威嚇を繰り返し、私の手を取った恵君が強く手を握り返す。
呪霊絡みの事件というのは、死体があれば御の字。
曖昧になった生死に白黒がつけられるだけでも運が良かったと言わざるを得ず。
この日、私達が見つけた骸は五条さんの告げた半分以下となった。
それすらも、五体満足と言うには余りにも程遠い。
彼等を白と黒に託し、来た道を戻る。
沈黙は一層重く私達にのし掛かり、互いの表情を見るわけでも無い。
しかし、存在を感じ合う様に繋いだ手だけは決して離すことをしなかった。
「……ごめん、ね。もっと早く来れなくて」
震えた声が、静寂に波紋を呼ぶ。
されど、死人に口無し。
どんな言葉を並べ立てても、それらが届く事はないし、応えが返って来る事もない。
朝の溌剌としていた自分がまるで別人の様にも思えて。
五条さんの元へ戻り、事後処理を頼み、日下部さんと共に帰路に着く頃には、この陰鬱とした気分が少しはマシになって居る事を願うばかりだった。
今でも時々思う事がある。
特に、同じ境遇に置かれた恵君と居るとその想いは一層強いものへと変わる。
私達は決して、恩を仇で返そうと思っている訳ではない。
己に出来る事があるのなら、迷わず私はこの身を差し出せる。
それだけの恩を、彼等から与えられた筈だ。
それなのに、欲張りになった心が。
あの頃より聡くなった思考が。
私に問いかける時がある。
ただ、地獄だった世界から、別の地獄に来ただけではないのかと。
あの日、自身の未来を担保にして手にした自由は果たして本当の自由だったのだろうかと。
それでも、私達はもう後には引けない。
何故なら、この道は。
私達が自ら選んだものに他ならなくて。
何に変えても守りたいと願う無二の人が、私達の苦悩の裏で平穏を享受して居るのだから。
其処は、既に朽ちて誰も通う事のなくなった古びた小学校だった。
周辺にも幾つか人が住まなくなって久しい家が並び、過疎化の煽りを受けて廃校になったのだろう。
踏み入れた木造の校舎は歩くたびに床が軋み、窓ガラスに至っては迂闊に触れれば怪我をしそうな程に砕け、風除けの意味すら成さない。
自然に溶け込むように所々に命が芽吹き、合間に覗く人工物が酷く不自然にも思えた。
こうした場所には特に呪いが吹き溜まる。
人々の思い出の詰まる場所は良くも悪くも人々の好奇の的となり、呪の受け皿となり、やがて呪いを発生させていくのだと言う。
実際、私と恵君がこれまでに訪れた任務地は廃校、病院、墓地。
そう言った場所ばかりだった。
少なからず子供だと言う事を考慮されては居るのだろう。
常に死と隣り合わせだと何度も言い含められながらも私達にあてがわれる任務は比較的危険度が低い。
けれど、その場所はどこもかしこも陰鬱な雰囲気が蔓延る場所となり、記憶の片隅に残る忌まわしい場所によく似て居て。
恵君が居なければ私はきっと来二の足を踏んでいたに違いない。
その臆する想いを五条さんは気付きながらも見て見ぬふりをする。
それが呪術師になる事を選んだ私の責だとでも言いたげに。
「今日の任務地はここね。行方不明の子供が二人。後は、大人が三人。どうせ肝試しにでも来たんだろうね。どっちも生きていたら保護、死んでたら回収だ。ま、危なくなったら手を貸すけど二人で何とかしておいで」
今日の任務が単なる呪霊の祓除だけだったのならどれだけ良かった事だろう。
帳を下ろした結界の中は、まるで闇そのものにも近く。
人命が絡んで居る事を聞かされると、少なからず場数を踏んで来た筈の私の足取りは一層重たいものへと変わる。
それなのに背後から響く雰囲気に似つかわしくない彼の声は、実に朗らかなものだった。
それは、五条さんの生来から来る性格故か。
または、向かう所敵なしと揶揄される才故か。
はたまたこの世界に慣れきった玄人だからかは定かではない。
到底子供に聞かせるべき言葉では無い筈なのに、私達がその意味をすんなり理解し、受け入れてしまうのはこの特殊な環境のせいなのか。
諦めたように隣で小さく溜息が聞こえる。
同じ歳の頃に同じ様にこの世界に片足を突っ込んでしまった恵君は今ではすっかりこの色に染まり、私の様に怯む事は一切なくて。
一体私達の何が違うのかと疑問に思う程には、つい先程まで日下部さんの車の中で浮かれていた気持ちはすっかり形を潜めた。
彼の溜息の原因は、こうなってしまうと自身が先導しなければ、私は一歩前に足を踏み出すことすら難しくなる事を恵君は嫌と言うほど良く知って居るからなのだろう。
そんな彼は五条さんに引き取られて直ぐにあてがわれた任務で、呪霊に育てられた子供を助けた事があるらしい。
厳密に言えば、子供達は呪霊に飼われて居たと言っても過言ではない。
幼子が気に入った人形で遊ぶかの如く、命を弄ぶ呪霊は話に聞いただけでも悍ましくて。
私が身を震わせたのは恵君と出会ってから幾許も無い頃だったと言うのに、今でもその時の感情が心の奥底に蔓延って居る。
人の感情から生まれるそれらは、時に酷く人間らしく此方の予想の斜め上を行く事がしばしばある。
それこそが人の本質だと言わんばかりに。
「玉犬」
私と同じ位の恵君の小さな手が、重なり合う。
静寂に落ちた一雫な音は、彼の影から相棒と呼ぶに相応しい対の大きな獣を呼び出した。
その姿は犬と言うより狼に近く、それで居て恵君の側を離れる事がない。
そして、その内の一匹が甲高く鼻を鳴らしながら私の手に擦り寄ってくる。
まるで、大丈夫だから行こう。
そう促して来るかのように。
「じゃ、頑張ってね。いってらっしゃ〜い」
「行くぞ」
「あ、うん……」
ヒラヒラと蝶の如く手を振った五条さんは、その場に留まり私達を見送った。
恵君の声に慌てて駆け出し、数歩先を行く自分より小さな背中を追いかける。
不意に彼の片手がバトンでも渡すかの様に私に向けて差し出された。
五条さんの前では決してそんな素振りを見せないと言うのに、存外恵君は私に対して過保護で。
怖がりなこの感情を良く汲み取ってくれる。
その手を握り締めながら、私は右に左に視線を泳がせた。
此方の様子を伺う様に、彼方此方から呪霊の気配が漂い、私達はその一体一体を確実に仕留めて行く。
やがて、その気配すら無くなった空間は、私達を取り除けば完全なる無となった。
五条さんからは、行方不明となった人達がどれだけの日数を此処で過ごして来たかを聞かされては居ない。
僅かな可能性でも残されて居るのならば、今出来る最善を尽くせと暗に訴えて居るのだろう。
しかし、特殊な環境で育ち、人ならざる異形と対峙する。
呪術師として少なからず研鑽を積んできた私は、そう言った本能的な勘が鋭くなり、この場に自分達以外の息吹が感じられない事を既に悟ってしまった。
「……恵、君。もうここ、生きてる人居ない……」
今にもしゃくり上げる声が響きそうになり、咄嗟に唇を噛み締める。
色濃く感じた呪霊の気配に白と黒が威嚇を繰り返し、私の手を取った恵君が強く手を握り返す。
呪霊絡みの事件というのは、死体があれば御の字。
曖昧になった生死に白黒がつけられるだけでも運が良かったと言わざるを得ず。
この日、私達が見つけた骸は五条さんの告げた半分以下となった。
それすらも、五体満足と言うには余りにも程遠い。
彼等を白と黒に託し、来た道を戻る。
沈黙は一層重く私達にのし掛かり、互いの表情を見るわけでも無い。
しかし、存在を感じ合う様に繋いだ手だけは決して離すことをしなかった。
「……ごめん、ね。もっと早く来れなくて」
震えた声が、静寂に波紋を呼ぶ。
されど、死人に口無し。
どんな言葉を並べ立てても、それらが届く事はないし、応えが返って来る事もない。
朝の溌剌としていた自分がまるで別人の様にも思えて。
五条さんの元へ戻り、事後処理を頼み、日下部さんと共に帰路に着く頃には、この陰鬱とした気分が少しはマシになって居る事を願うばかりだった。
今でも時々思う事がある。
特に、同じ境遇に置かれた恵君と居るとその想いは一層強いものへと変わる。
私達は決して、恩を仇で返そうと思っている訳ではない。
己に出来る事があるのなら、迷わず私はこの身を差し出せる。
それだけの恩を、彼等から与えられた筈だ。
それなのに、欲張りになった心が。
あの頃より聡くなった思考が。
私に問いかける時がある。
ただ、地獄だった世界から、別の地獄に来ただけではないのかと。
あの日、自身の未来を担保にして手にした自由は果たして本当の自由だったのだろうかと。
それでも、私達はもう後には引けない。
何故なら、この道は。
私達が自ら選んだものに他ならなくて。
何に変えても守りたいと願う無二の人が、私達の苦悩の裏で平穏を享受して居るのだから。