隴を得て蜀を望む
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結局の所、あの時はどれだけ知恵を寄せ集めた所で、最適解なんてものは存在しなかったに違いない。
そして、そんな状況下であっても周囲は限りなく私の意思を尊重してくれた。
しかし、日下部さんの提案に両手を挙げられる訳もなく、だからと言って他に手段が無かったと言うのが彼らの正直な胸の内だったのだろう。
今後、呪術師としての力を示す事。
その為の研鑽を怠る事無く、任務に準ずる事。
後に付け加えられた言葉に、私は小さく頷きながら肯定の意を示した。
日下部さんに手を引かれ、見上げた空には寄り添う二つ星が瞬く。
冷えた空気が頬を擽り、吐き出した息は白い靄となって溶けて、身を震わせた私の為に日下部さんは自身のコートの裾を広げてくれた。
その温もりは、これまで感じた事のない暖かなもので。
安堵すると共に、闇の中。
私の中で微睡む一つの存在を確かに感じて居た。
同時に私の中にあった唯一無二の宝物が消えてしまうような喪失感に襲われ、不意に涙が溢れそうになる。
大切な何かを守れなかった。
そんな気がして、不意に繋いだ手に力が篭る。
そして容易く手折れる私の手を、不器用な無骨な手が握り返す。
──悲しいことも、辛いことも。真那が覚えて居る必要はない。
君にとって、この日の事が痛みにしかならないのなら。今は全部、持っていてあげるから。
大切な大切な真那。
いつか真実を知るその日まで、優しい夢の中でおやすみ。
それは、私だけに聞こえたもの。
吹き荒んだ風に掻き消されてしまいそうな程のか細く、優しく。
そして、とても寂しげな声だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
薄らとカーテン越しに朝日が覗く。
すっかり慣れ親しんだベッドの上、お気に入りの毛布を手繰り寄せた私はその眩さに顔を顰めた。
最近になって与えられたばかりの携帯がけたたましく鳴り響く。
その音に、起きなければと言う理性とまだ微睡みの中に居たいと言う反応が葛藤を繰り返して居た。
あの日、何もわからなかった私に与えられたものは数えきれない。
見た目から推測され、年齢を決められた。
そして彼等に出会ったその日を誕生日と定められ、朧げだった私と言う存在の輪郭が明確なものへと変わっていった。
訳もわからぬまま連れて行かれた日下部家では、彼の妹と当時まだ二歳程だった息子のタケルが私を出迎えてくれて。
それも、すっかり懐かしい思い出と変わって居る。
日下部さんの妹は、呪術とは何ら関わりの無い一般人だった。
しかし、肉親である日下部さんの職務にある程度の理解はしてくれていたのか。
邪険にする訳でもなく、複雑な事情があると告げられただけだと言うのに自然と私を受け入れてくれた。
そうして日下部家に転がりこんだ私は、既に五年と言う何月をこの家で過ごし、保護者代理となった日下部さんを篤也さんと呼ぶようになった。
訳あって出戻りした彼の妹を姉と呼び、その息子のタケルを弟の様に可愛がり、少しずつ知った世間の中はあの頃の私にとっては未知のものばかりで。
今となっては当たり前の日常へと変わって行った。
朝起れば自分でその日の服を選び、買い与えられたランドセルを背負って学校に通う。
クラスメイトと会話をして、少し退屈な授業を聞き、学校が終わると一目散に家に帰り家事の手伝いをしながらタケルと遊ぶ。
まるで何事もなかったかのように、普通の生活を謳歌し、過去の悪夢は初めから無かったもののようになった。
それは、当時を知るものが余りにも少なく。
私の為を思ってか、過去を語る事がなかったのも要因なのだろう。
私自身も、無意識の内に忌まわしい記憶を自身の奥底に眠らせてしまったとも言える。
何より今の満ち足りた生活に、態々亀裂を走らせるような真似はしなくて良い。
そう考え、週末にもなれば惰眠を貪りたいと考える位には明確な自我が芽生えた。
ただ、他の子達と差異があるとしたのなら。
私が既に呪術師としての仕事をこなしていると言う事なのだろう。
寝惚けた目を瞬かせ、アラームを止めた携帯を放り投げる。
もう少し。
もう少し寝たら、ちゃんと起きよう。
そう己に言い聞かせ、再び暖かい布団の中に潜り込む私の耳に、短いノックの音が響く。
無遠慮に開かれる扉。
大股で近づいてくる足音に思い当たる人物は一人しか居らず、無意味な抵抗と分かりながらも私は狸寝入りを決め込んだ。
「真那。おい、真那起きろ。高専に行くぞ」
「あと、半日寝かせてぇ……」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。オラ、さっさと起きろ」
肌触りの良い毛布を引っ剥がされ、代わりに肌を撫でたのは少し冷たい空気だった。
縮こまりながら枕に顔を埋め抵抗の意を示すと、頭上からそれは深い溜息が溢れ、これが週末の私達のお決まりのやり取りと言っても良い。
それと言うのも、篤也さんが帰ってくる事自体が珍しいからだ。
この生活を初めてから少しずつ学んできた世界の仕組み。
それは端的に持つもの、持たざる者がはっきりと二分化されたものだった。
その中でも、術式に関して言えば篤也さんはその才にだけは恵まれなかった。
しかし、別の方法で自身の価値を証明したある種私とは真逆の稀有な存在と言っても良い。
当然、常に多忙を極める。
それなのに毎回呆れながらもこうして態々出迎えにやって来て他愛のないやり取りに付き合ってくれるのは、少なからず私の生い立ちを知るからか。
本人は仕事なんぞ真面目にやってられるか。
早く私が一人前になり、自身が楽をしたいのだとと口先だけの悪態を繰り返すけれど、数年を経て理解した彼は心根の優しい、人情に厚い人だ。
無意味な抵抗を続ける私の頭をわしゃわしゃと掻き乱す。
そうして少し目が覚めた頃に私が渋々顔をあげると、案の定。
日下部さん眉根を寄せながらも、私のお気に入りの棒付きキャンディを差し出す。
「今日は伏黒が来る日なんだろ?良いのか。ぼさっとしてると置いてくぞ」
「そうだった。……恵君っ!!!ダメっ!直ぐに支度するから連れてって!!!」
篤也さんの言葉を聞くなり私の眠気は一気に覚め、気持ちが一気に昂って行った。
キャンディを受け取り、ベッドから勢いよく飛び起きるとそのままパジャマを脱ぎ捨て始めた私に、篤也さんが静かに部屋を後にする。
動きやすく、かつお気に入りの服に身を包んだ私が浮かれた足取りでリビングに向かうと、既にお姉ちゃんとタケルは朝食を終えた後だったのか。
私に向けて柔らかな笑みを浮かべ、朝の挨拶を交わし、私は己の為に用意された朝食を頬張った。
タケルが帰って来たら一緒にゲームをしようと私に強請り、私は二つ返事でそれを了承する。
お姉ちゃんが食べ終わった食器を片付けながら私達の微笑ましいやり取りに肩を揺らす。
その姿をコーヒー片手に篤也さんが目を細めて眺める。
しかし、迎えに来た以上あまり猶予はない。
時計を気にした篤也さんに急かされ、慌ただしく玄関へと向かう。
そうして優しい母子に見送られながら、私は声を弾ませて行って来ます。
当たり前のようにその言葉を口にした。
側から見れば絵に描いたような穏やかな光景。
それは蓋を開ければ少し歪でありながらも、私にとって満ち足りるには十分過ぎる程の幸せだった。
そして私は、そんな日々が無条件にこれからもずっと続くのだと……信じていた。
そして、そんな状況下であっても周囲は限りなく私の意思を尊重してくれた。
しかし、日下部さんの提案に両手を挙げられる訳もなく、だからと言って他に手段が無かったと言うのが彼らの正直な胸の内だったのだろう。
今後、呪術師としての力を示す事。
その為の研鑽を怠る事無く、任務に準ずる事。
後に付け加えられた言葉に、私は小さく頷きながら肯定の意を示した。
日下部さんに手を引かれ、見上げた空には寄り添う二つ星が瞬く。
冷えた空気が頬を擽り、吐き出した息は白い靄となって溶けて、身を震わせた私の為に日下部さんは自身のコートの裾を広げてくれた。
その温もりは、これまで感じた事のない暖かなもので。
安堵すると共に、闇の中。
私の中で微睡む一つの存在を確かに感じて居た。
同時に私の中にあった唯一無二の宝物が消えてしまうような喪失感に襲われ、不意に涙が溢れそうになる。
大切な何かを守れなかった。
そんな気がして、不意に繋いだ手に力が篭る。
そして容易く手折れる私の手を、不器用な無骨な手が握り返す。
──悲しいことも、辛いことも。真那が覚えて居る必要はない。
君にとって、この日の事が痛みにしかならないのなら。今は全部、持っていてあげるから。
大切な大切な真那。
いつか真実を知るその日まで、優しい夢の中でおやすみ。
それは、私だけに聞こえたもの。
吹き荒んだ風に掻き消されてしまいそうな程のか細く、優しく。
そして、とても寂しげな声だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
薄らとカーテン越しに朝日が覗く。
すっかり慣れ親しんだベッドの上、お気に入りの毛布を手繰り寄せた私はその眩さに顔を顰めた。
最近になって与えられたばかりの携帯がけたたましく鳴り響く。
その音に、起きなければと言う理性とまだ微睡みの中に居たいと言う反応が葛藤を繰り返して居た。
あの日、何もわからなかった私に与えられたものは数えきれない。
見た目から推測され、年齢を決められた。
そして彼等に出会ったその日を誕生日と定められ、朧げだった私と言う存在の輪郭が明確なものへと変わっていった。
訳もわからぬまま連れて行かれた日下部家では、彼の妹と当時まだ二歳程だった息子のタケルが私を出迎えてくれて。
それも、すっかり懐かしい思い出と変わって居る。
日下部さんの妹は、呪術とは何ら関わりの無い一般人だった。
しかし、肉親である日下部さんの職務にある程度の理解はしてくれていたのか。
邪険にする訳でもなく、複雑な事情があると告げられただけだと言うのに自然と私を受け入れてくれた。
そうして日下部家に転がりこんだ私は、既に五年と言う何月をこの家で過ごし、保護者代理となった日下部さんを篤也さんと呼ぶようになった。
訳あって出戻りした彼の妹を姉と呼び、その息子のタケルを弟の様に可愛がり、少しずつ知った世間の中はあの頃の私にとっては未知のものばかりで。
今となっては当たり前の日常へと変わって行った。
朝起れば自分でその日の服を選び、買い与えられたランドセルを背負って学校に通う。
クラスメイトと会話をして、少し退屈な授業を聞き、学校が終わると一目散に家に帰り家事の手伝いをしながらタケルと遊ぶ。
まるで何事もなかったかのように、普通の生活を謳歌し、過去の悪夢は初めから無かったもののようになった。
それは、当時を知るものが余りにも少なく。
私の為を思ってか、過去を語る事がなかったのも要因なのだろう。
私自身も、無意識の内に忌まわしい記憶を自身の奥底に眠らせてしまったとも言える。
何より今の満ち足りた生活に、態々亀裂を走らせるような真似はしなくて良い。
そう考え、週末にもなれば惰眠を貪りたいと考える位には明確な自我が芽生えた。
ただ、他の子達と差異があるとしたのなら。
私が既に呪術師としての仕事をこなしていると言う事なのだろう。
寝惚けた目を瞬かせ、アラームを止めた携帯を放り投げる。
もう少し。
もう少し寝たら、ちゃんと起きよう。
そう己に言い聞かせ、再び暖かい布団の中に潜り込む私の耳に、短いノックの音が響く。
無遠慮に開かれる扉。
大股で近づいてくる足音に思い当たる人物は一人しか居らず、無意味な抵抗と分かりながらも私は狸寝入りを決め込んだ。
「真那。おい、真那起きろ。高専に行くぞ」
「あと、半日寝かせてぇ……」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。オラ、さっさと起きろ」
肌触りの良い毛布を引っ剥がされ、代わりに肌を撫でたのは少し冷たい空気だった。
縮こまりながら枕に顔を埋め抵抗の意を示すと、頭上からそれは深い溜息が溢れ、これが週末の私達のお決まりのやり取りと言っても良い。
それと言うのも、篤也さんが帰ってくる事自体が珍しいからだ。
この生活を初めてから少しずつ学んできた世界の仕組み。
それは端的に持つもの、持たざる者がはっきりと二分化されたものだった。
その中でも、術式に関して言えば篤也さんはその才にだけは恵まれなかった。
しかし、別の方法で自身の価値を証明したある種私とは真逆の稀有な存在と言っても良い。
当然、常に多忙を極める。
それなのに毎回呆れながらもこうして態々出迎えにやって来て他愛のないやり取りに付き合ってくれるのは、少なからず私の生い立ちを知るからか。
本人は仕事なんぞ真面目にやってられるか。
早く私が一人前になり、自身が楽をしたいのだとと口先だけの悪態を繰り返すけれど、数年を経て理解した彼は心根の優しい、人情に厚い人だ。
無意味な抵抗を続ける私の頭をわしゃわしゃと掻き乱す。
そうして少し目が覚めた頃に私が渋々顔をあげると、案の定。
日下部さん眉根を寄せながらも、私のお気に入りの棒付きキャンディを差し出す。
「今日は伏黒が来る日なんだろ?良いのか。ぼさっとしてると置いてくぞ」
「そうだった。……恵君っ!!!ダメっ!直ぐに支度するから連れてって!!!」
篤也さんの言葉を聞くなり私の眠気は一気に覚め、気持ちが一気に昂って行った。
キャンディを受け取り、ベッドから勢いよく飛び起きるとそのままパジャマを脱ぎ捨て始めた私に、篤也さんが静かに部屋を後にする。
動きやすく、かつお気に入りの服に身を包んだ私が浮かれた足取りでリビングに向かうと、既にお姉ちゃんとタケルは朝食を終えた後だったのか。
私に向けて柔らかな笑みを浮かべ、朝の挨拶を交わし、私は己の為に用意された朝食を頬張った。
タケルが帰って来たら一緒にゲームをしようと私に強請り、私は二つ返事でそれを了承する。
お姉ちゃんが食べ終わった食器を片付けながら私達の微笑ましいやり取りに肩を揺らす。
その姿をコーヒー片手に篤也さんが目を細めて眺める。
しかし、迎えに来た以上あまり猶予はない。
時計を気にした篤也さんに急かされ、慌ただしく玄関へと向かう。
そうして優しい母子に見送られながら、私は声を弾ませて行って来ます。
当たり前のようにその言葉を口にした。
側から見れば絵に描いたような穏やかな光景。
それは蓋を開ければ少し歪でありながらも、私にとって満ち足りるには十分過ぎる程の幸せだった。
そして私は、そんな日々が無条件にこれからもずっと続くのだと……信じていた。