たとえ、どんなに
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これが恋だと自覚した瞬間、私の世界がこれまでと一転してしまった気がする。
厳密に言えばそれは私の捉え方の問題であり、恵君の態度も行動もこれまでと差異などない。
けれどその一挙一動はあからさまに私の心を掻き乱し、時に混乱にも似た感情を齎す。
時折り頭を小突く拳も、顔に掛かる髪を避けてくれる指先も。
別れ際に少し名残惜しそうに私の頭を撫でる手のひらも。
今までは普通に受け流せて居た筈の行為が全て触れられていると意識した瞬間にこれまでにない感情を与え、思い返す度に胸の内をジリジリと焦がす様に私の中に新しい未知の感情を植え付けていく。
先日の出来事から早数日。
未だ暇を見つけては繰り返される恵君とのやり取りは数日越しに続いており、私はすっかり任務や授業の合間に携帯を眺める癖がついてしまった。
勿論、学生の本分である勉学を疎かにしているわけでは無いのだけれど、溜息混じりに手元にばかり視線を落とす姿を入学してから一番近くで見ている担任が見逃すはずもなく。
揶揄い半分で私の隣にやって来た五条先生が玩具を見つけた子供の様な笑顔を向けると、私は咄嗟に画面を伏せ、訝しげな視線を向けた。
「なになに?最近溜息ばっかりついちゃってさ。もしかして恋煩い?」
「余計なお世話ですよ。これでも色々悩むお年頃なんです」
「まぁ、君くらいの年頃なら色々あるか。で?やっぱり恋?相手は誰かな〜。もしかして僕とか?」
「……すみません。寝言は寝てから言ってもらえます?」
私の棘のある言葉にも怯む様子はなく、先生は口元に弧を描いたまま誰にも使われることの無い机の上に腰掛ける。
本来ならば教師としては有るまじき行為とも思えるけれど、この人がやるとどんな行為でも絵になるのだから不思議なものだ。
すっかり涼しさを感じさせる様になった風が僅かに開いた窓から入り込み、私達の髪を弄ぶ。
握りしめた携帯が短く震えると画面を見た私はメッセージの相手を確認して表情を緩め、話を逸らそうと思いながらも己の中にずっと渦を巻いている疑問を投げかけた。
「……先生は、自分より年上の女の人から好意を持たれた事ってありますか?それを、迷惑だと思った事はありませんか?」
「ん?そりゃぁ僕ってGLGだしね。上は熟女から下は幼女まで。満遍なく経験はあるよ。まぁ、僕は基本来るもの拒まず去るもの追わずだから、迷惑に感じた事はないかな」
どうやら私は聞く相手を間違えたらしい。
私が悩んでいる相手とは対極に位置するであろう軽薄な大人にはこの心情は理解の及ぶところではないらしく、真面目に相談に乗ってもらおうと一瞬でも考えた私が馬鹿だったと言わざるを得ない。
ケタケタと笑い声を上げはじめた先生はきっとこれまでに幾つもの浮名を流し、泣いた女は星の数ほど居るのだろう。
それだけ数々のものに恵まれているし、手に入らないものはないと思える。
けれどその発言は余りにも私の求める答えとはかけ離れ、いっそ女性関係にだらしない印象さえも与えると意図せず侮蔑にも近い視線を向けていた。
「先生の事、明日から女の敵としてしか見れなくなりそうです。身の危険を感じるので可及的速やかに担任を変えてもらう様、学長に直訴しようかと思います」
「ちょ、待った待った!相変わらず僕に対して当たり強く無い?僕だって生徒に手出したりしないから。そこんとこは信頼してよ」
「信頼という言葉がこんなにも薄っぺらいものだと感じたのは初めてかもしれません。一応お世話になった身としては担任が犯罪者になるのは心が痛みます」
まるで機械の如く淡々と言葉を紡ぐ私の目は冷ややかなものだった。
先生の軽口に反応すればする程面白おかしく揶揄われるのだと学んで早、数年。
今では先生が慌てふためく位には口が達者になった背後には苦渋を舐めさせられた日々の数々があるからに違いない。
態とらしく肩を竦める先生も私の言葉が本気のものとは思っていない様子で。
それが若干悔しくはあったものの、教師としては教え子の悩みには答えようとしてくれているのか、苦笑しながらも少しばかり考える素振りを見せていた。
「好意なんてものは結局は自分の感情の押し付けだからね。受け取る相手との関係や付き合いによって変わるもんじゃない?」
「それは、まぁ。そうですけど……」
「僕的には恵は年上好きだと思ってるけどね。優しいお姉さんに甘やかされたいお年頃ってやつじゃない?」
「誰も恵君の事なんて言ってません」
「でもそうなんだろ?」
その確信めいた物言いに私は言葉を詰まらせた。
隠し立てするつもりもないけれどそんな素振りを見せたつもりもなかった筈なのに、どうやら先生の不思議な瞳は千里眼の役割も果たすらしい。
沈黙は肯定と同義であり、先生は図星だと言わんばかりに肩を揺らす。
手元を見ればまだ返信をしていない恵君からのメッセージが映し出され、どんな返事をしようかと考えを巡らせる。
私自身、恋と言うものをしたのは初めてだった。
自分より遥かに年上の男の人に憧れを抱いた事はあったけれど、身近な人に対してこんな感情を抱いた経験は私の中にこれまでなく、それがより一層私を困惑させ、臆病にさせていく。
中学時代は家庭の環境のせいでそれどころではなかったし、言ってしまえばこれが私にとって初恋と言った所だろう。
時に思考の全てを相手に持っていかれてしまう程の大きな感情。
それをずっと抱き続ける事は容易ではない。
仮に私達の年齢がもう少し上だったのなら。
恵君との差が少なかったのなら、これ程までに悩まなかったのではないだろうかとこの数日の間に何度もそんな思考に囚われてはどうしようもない現実に溜息を零していた。
何か大きな転機でもあれば違うのだろうけれどまだ中学生の彼とこれ以上接点など持ちようがなく、ただ繰り返される取り止めのないやり取りに一喜一憂するばかりだ。
「いい事教えてあげようか?恵って、十二月に誕生日なんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そ。十二月二十二日。知らなかった?恵は自分からそう言う事言うタイプじゃないもんね。誕生日プレゼントとか、用意してやったら喜ぶんじゃない?因みに僕は十二月七日だよ。可愛い生徒からの愛の籠ったプレゼント待ってるね」
「知ってます。大体、毎年何かお菓子強請りに来るじゃないですか。その情報は要りません」
目隠しをしているのにウインクまでしそうな程の笑みを浮かべて先生が此方に視線を向けると、私の顔は心底うんざりしたものへと変わっていった。
しかし、数年に渡る付き合いをしていても知ることのなかった恵君の誕生日を知れた事は私にとって大きな収穫だ。
プレゼントを口実に会える機会を得る事が出来るかも知れないと考えれば、恋とは時に狡猾にすらなるものなのかとその浅ましさに嘲笑さえ浮かぶのに、彼に贈るのならば何がいいかと必死に頭を捻る自分がいる。
「もうすぐ誕生日だったんだ……。ありがとうございます。何か、考えてみます」
「自分にリボン巻いて私をプレゼントとかやってみたら?恵、顔真っ赤にして喜んじゃうかもよ」
「子供相手に何しようとしてるんですか」
「何って、ナニだよね?恵だって男の子なんだからその辺には興味はあるんじゃない?」
「変態教師。私、これから補助監督と打ち合わせなんでもう行きますから。捕まらない様に軽口は謹んでください」
「はいはい。恋してるねぇ。可愛い顔しちゃってさ」
べッと憎まれ口を叩きながら舌を出すと先生は頑張ってと激励の言葉を投げかけながらヒラヒラと手を振った。
けれど先生の軽口は兎も角、プレゼントは何にしようかと考えはじめた私の口角は自然と緩み、これから明日の任務の打ち合わせだと言うのに、きっとこの事は頭から離れそうにはない。
廊下を行く足取りは軽く、誰かの為に贈り物を考える機会など無かった私にとって片想いの相手に何かを贈るなんて事は謂わば一大イベントと言ってもいいだろう。
こう言う時、任務をこなせば学生でも少なからず報酬の出る高専の制度は有難いと実感せざるを得ない。
補助監督を待つ間の僅かな時間であっという間に私の携帯の検索履歴はメンズ、贈り物、貰うと嬉しいなんて言葉が羅列されて居た。
けれどどれもまだ学生である恵君が持つには早すぎる物ばかりで今一ピンと来るものがなく、折角時間を作ってくれた補助監督との会話も何処か上の空だった。
「何か悩み事ですか?」
「あ、いえ。ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて」
「大丈夫ですよ。でも、任務の確認だけはしっかりお願いしますね。命にも関わる事ですから」
「……すみません」
待ち合わせた共有スペースの一角。
明日担当の補助監督は自分より少し年上の女性で、これまでに何度か任務に同行してもらった事がある、物腰の柔らかい、大人の女性と呼ぶに相応しい人だ。
けれど折角用意してくれたテーブルに広げられた資料の内容など殆ど頭に入ってくるはずもなく、掛けられた声は優しいではあったものの、その言葉に我に帰ると私は項垂れるしかなかった。
呪術師の任務は学生と言えど時に命を落とすかも知れない危険なものも含まれる場合がある。
当然、同行する補助監督とて絶対の安全が保障される訳ではないし、学生である以上私を守る義務だってあるのだからこの言葉は当然のものだ。
先生の言葉一つで浮かれて現を抜かすなんて事はあってはならない。
それなのに今でさえ頭の片隅に彼の存在がはっきりと感じ取れてしまう程には私の頭は既に恵君に毒されて居るらしい。
いっそ恐ろしくも思える。
これまでの自分を自分自身に全否定されている様な感覚さえ抱き、頭の先から足の先まで洗脳されてしまっている様にすら感じてしまうのだから。
先程とは一転、和かな笑みを浮かべた彼女は席を立つ。
その間に私は気を取り直して資料を眺め、翌日の任務の概要を頭の中に叩き込んでいるとコーヒーを両手に戻ってきた彼女の手首にキラリと光るブレスレットに目を奪われた。
「どうかしました?」
「あ、手首の……綺麗だなって思って」
「あぁ、これですか?御守り代わりに身に付けてるんです」
「御守り、ですか?」
「ええ。石って種類によって意味があるでしょう?立場上、華美な装飾品は出来ないですし。でも、こう言った物なら気兼ねなく身に付けられるから。興味あります?」
僅かに裾を捲ってくれた彼女の細い手首には控えめだけれど同じ系統の色で統一された石が並んでいた。
パワーストーンとでも言うのだろうか。
これまであまり興味は無かった物だけれど不思議と心を揺さぶられる様な気がしてならない。
例えば彼が装飾品を好まないとしても、こう言った物ならば御守りと称して渡せるし、身に付けて貰えなくとも突き返される可能性は低い気もする。
何よりこれから入学に向けてどんどん階級の難易度が上がっていくであろう彼の事を考えると、何があるか分からない世界だ。
気休めでも良いから厄除けの御守り位持っていて欲しいと願うのは、これまで弟の様に接してきたからなのか。
それとも自覚し始めた恋心からなのかは言うまでも無かった。
例えば己の中に芽吹いた好意と言う感情をひた隠しにしたとしても、無事で居て欲しいと言う思い位ならば押し付けても良いのではないかと頭を擡げるのは、呪術師とは常に死の隣人であるからなのだろう。
幾ら頭を悩ませたところで気の利いた贈り物なんて浮かぶ気もせず、陳腐な物よりも独りよがりな願いを込めたとしても。
こう言った物の方が素敵だと思えるのは、きっと私のささやかな願いであってもその想いの欠片を受け取ってもらいたいから。
「……あの、それ買ったお店って教えて貰えますか?」
「喜んで。彼氏への贈り物ですか?」
「ち、違いますよっ。でも、無事でいて欲しい人が居るので……」
「でしたら、任務の内容をもう一度確認したら其方の内緒話でもしましょうか。相談、乗りますよ」
「お願いますっ」
肩を揺らしながらその人は一瞬にして仕事モードへ表情が切り替わっていった。
私も己の頬を叩くと浮かれ切った気持ちに今一度蓋をして資料と向き合う。
ふと外を眺めると紅葉樹の葉は色づき始め、秋の足音を感じさせていた。
後に楽しみがあるとやる気も違う物なのか。
先程はあんなにも上の空だった任務の内容はすんなり己の頭の中に入り込み、その後には詳細など何も告げなかったのに親身になって私の話しを聞いてくれる補助監督と共に恵君への贈り物を選ぶ事だけを考え続けていた。
厳密に言えばそれは私の捉え方の問題であり、恵君の態度も行動もこれまでと差異などない。
けれどその一挙一動はあからさまに私の心を掻き乱し、時に混乱にも似た感情を齎す。
時折り頭を小突く拳も、顔に掛かる髪を避けてくれる指先も。
別れ際に少し名残惜しそうに私の頭を撫でる手のひらも。
今までは普通に受け流せて居た筈の行為が全て触れられていると意識した瞬間にこれまでにない感情を与え、思い返す度に胸の内をジリジリと焦がす様に私の中に新しい未知の感情を植え付けていく。
先日の出来事から早数日。
未だ暇を見つけては繰り返される恵君とのやり取りは数日越しに続いており、私はすっかり任務や授業の合間に携帯を眺める癖がついてしまった。
勿論、学生の本分である勉学を疎かにしているわけでは無いのだけれど、溜息混じりに手元にばかり視線を落とす姿を入学してから一番近くで見ている担任が見逃すはずもなく。
揶揄い半分で私の隣にやって来た五条先生が玩具を見つけた子供の様な笑顔を向けると、私は咄嗟に画面を伏せ、訝しげな視線を向けた。
「なになに?最近溜息ばっかりついちゃってさ。もしかして恋煩い?」
「余計なお世話ですよ。これでも色々悩むお年頃なんです」
「まぁ、君くらいの年頃なら色々あるか。で?やっぱり恋?相手は誰かな〜。もしかして僕とか?」
「……すみません。寝言は寝てから言ってもらえます?」
私の棘のある言葉にも怯む様子はなく、先生は口元に弧を描いたまま誰にも使われることの無い机の上に腰掛ける。
本来ならば教師としては有るまじき行為とも思えるけれど、この人がやるとどんな行為でも絵になるのだから不思議なものだ。
すっかり涼しさを感じさせる様になった風が僅かに開いた窓から入り込み、私達の髪を弄ぶ。
握りしめた携帯が短く震えると画面を見た私はメッセージの相手を確認して表情を緩め、話を逸らそうと思いながらも己の中にずっと渦を巻いている疑問を投げかけた。
「……先生は、自分より年上の女の人から好意を持たれた事ってありますか?それを、迷惑だと思った事はありませんか?」
「ん?そりゃぁ僕ってGLGだしね。上は熟女から下は幼女まで。満遍なく経験はあるよ。まぁ、僕は基本来るもの拒まず去るもの追わずだから、迷惑に感じた事はないかな」
どうやら私は聞く相手を間違えたらしい。
私が悩んでいる相手とは対極に位置するであろう軽薄な大人にはこの心情は理解の及ぶところではないらしく、真面目に相談に乗ってもらおうと一瞬でも考えた私が馬鹿だったと言わざるを得ない。
ケタケタと笑い声を上げはじめた先生はきっとこれまでに幾つもの浮名を流し、泣いた女は星の数ほど居るのだろう。
それだけ数々のものに恵まれているし、手に入らないものはないと思える。
けれどその発言は余りにも私の求める答えとはかけ離れ、いっそ女性関係にだらしない印象さえも与えると意図せず侮蔑にも近い視線を向けていた。
「先生の事、明日から女の敵としてしか見れなくなりそうです。身の危険を感じるので可及的速やかに担任を変えてもらう様、学長に直訴しようかと思います」
「ちょ、待った待った!相変わらず僕に対して当たり強く無い?僕だって生徒に手出したりしないから。そこんとこは信頼してよ」
「信頼という言葉がこんなにも薄っぺらいものだと感じたのは初めてかもしれません。一応お世話になった身としては担任が犯罪者になるのは心が痛みます」
まるで機械の如く淡々と言葉を紡ぐ私の目は冷ややかなものだった。
先生の軽口に反応すればする程面白おかしく揶揄われるのだと学んで早、数年。
今では先生が慌てふためく位には口が達者になった背後には苦渋を舐めさせられた日々の数々があるからに違いない。
態とらしく肩を竦める先生も私の言葉が本気のものとは思っていない様子で。
それが若干悔しくはあったものの、教師としては教え子の悩みには答えようとしてくれているのか、苦笑しながらも少しばかり考える素振りを見せていた。
「好意なんてものは結局は自分の感情の押し付けだからね。受け取る相手との関係や付き合いによって変わるもんじゃない?」
「それは、まぁ。そうですけど……」
「僕的には恵は年上好きだと思ってるけどね。優しいお姉さんに甘やかされたいお年頃ってやつじゃない?」
「誰も恵君の事なんて言ってません」
「でもそうなんだろ?」
その確信めいた物言いに私は言葉を詰まらせた。
隠し立てするつもりもないけれどそんな素振りを見せたつもりもなかった筈なのに、どうやら先生の不思議な瞳は千里眼の役割も果たすらしい。
沈黙は肯定と同義であり、先生は図星だと言わんばかりに肩を揺らす。
手元を見ればまだ返信をしていない恵君からのメッセージが映し出され、どんな返事をしようかと考えを巡らせる。
私自身、恋と言うものをしたのは初めてだった。
自分より遥かに年上の男の人に憧れを抱いた事はあったけれど、身近な人に対してこんな感情を抱いた経験は私の中にこれまでなく、それがより一層私を困惑させ、臆病にさせていく。
中学時代は家庭の環境のせいでそれどころではなかったし、言ってしまえばこれが私にとって初恋と言った所だろう。
時に思考の全てを相手に持っていかれてしまう程の大きな感情。
それをずっと抱き続ける事は容易ではない。
仮に私達の年齢がもう少し上だったのなら。
恵君との差が少なかったのなら、これ程までに悩まなかったのではないだろうかとこの数日の間に何度もそんな思考に囚われてはどうしようもない現実に溜息を零していた。
何か大きな転機でもあれば違うのだろうけれどまだ中学生の彼とこれ以上接点など持ちようがなく、ただ繰り返される取り止めのないやり取りに一喜一憂するばかりだ。
「いい事教えてあげようか?恵って、十二月に誕生日なんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そ。十二月二十二日。知らなかった?恵は自分からそう言う事言うタイプじゃないもんね。誕生日プレゼントとか、用意してやったら喜ぶんじゃない?因みに僕は十二月七日だよ。可愛い生徒からの愛の籠ったプレゼント待ってるね」
「知ってます。大体、毎年何かお菓子強請りに来るじゃないですか。その情報は要りません」
目隠しをしているのにウインクまでしそうな程の笑みを浮かべて先生が此方に視線を向けると、私の顔は心底うんざりしたものへと変わっていった。
しかし、数年に渡る付き合いをしていても知ることのなかった恵君の誕生日を知れた事は私にとって大きな収穫だ。
プレゼントを口実に会える機会を得る事が出来るかも知れないと考えれば、恋とは時に狡猾にすらなるものなのかとその浅ましさに嘲笑さえ浮かぶのに、彼に贈るのならば何がいいかと必死に頭を捻る自分がいる。
「もうすぐ誕生日だったんだ……。ありがとうございます。何か、考えてみます」
「自分にリボン巻いて私をプレゼントとかやってみたら?恵、顔真っ赤にして喜んじゃうかもよ」
「子供相手に何しようとしてるんですか」
「何って、ナニだよね?恵だって男の子なんだからその辺には興味はあるんじゃない?」
「変態教師。私、これから補助監督と打ち合わせなんでもう行きますから。捕まらない様に軽口は謹んでください」
「はいはい。恋してるねぇ。可愛い顔しちゃってさ」
べッと憎まれ口を叩きながら舌を出すと先生は頑張ってと激励の言葉を投げかけながらヒラヒラと手を振った。
けれど先生の軽口は兎も角、プレゼントは何にしようかと考えはじめた私の口角は自然と緩み、これから明日の任務の打ち合わせだと言うのに、きっとこの事は頭から離れそうにはない。
廊下を行く足取りは軽く、誰かの為に贈り物を考える機会など無かった私にとって片想いの相手に何かを贈るなんて事は謂わば一大イベントと言ってもいいだろう。
こう言う時、任務をこなせば学生でも少なからず報酬の出る高専の制度は有難いと実感せざるを得ない。
補助監督を待つ間の僅かな時間であっという間に私の携帯の検索履歴はメンズ、贈り物、貰うと嬉しいなんて言葉が羅列されて居た。
けれどどれもまだ学生である恵君が持つには早すぎる物ばかりで今一ピンと来るものがなく、折角時間を作ってくれた補助監督との会話も何処か上の空だった。
「何か悩み事ですか?」
「あ、いえ。ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて」
「大丈夫ですよ。でも、任務の確認だけはしっかりお願いしますね。命にも関わる事ですから」
「……すみません」
待ち合わせた共有スペースの一角。
明日担当の補助監督は自分より少し年上の女性で、これまでに何度か任務に同行してもらった事がある、物腰の柔らかい、大人の女性と呼ぶに相応しい人だ。
けれど折角用意してくれたテーブルに広げられた資料の内容など殆ど頭に入ってくるはずもなく、掛けられた声は優しいではあったものの、その言葉に我に帰ると私は項垂れるしかなかった。
呪術師の任務は学生と言えど時に命を落とすかも知れない危険なものも含まれる場合がある。
当然、同行する補助監督とて絶対の安全が保障される訳ではないし、学生である以上私を守る義務だってあるのだからこの言葉は当然のものだ。
先生の言葉一つで浮かれて現を抜かすなんて事はあってはならない。
それなのに今でさえ頭の片隅に彼の存在がはっきりと感じ取れてしまう程には私の頭は既に恵君に毒されて居るらしい。
いっそ恐ろしくも思える。
これまでの自分を自分自身に全否定されている様な感覚さえ抱き、頭の先から足の先まで洗脳されてしまっている様にすら感じてしまうのだから。
先程とは一転、和かな笑みを浮かべた彼女は席を立つ。
その間に私は気を取り直して資料を眺め、翌日の任務の概要を頭の中に叩き込んでいるとコーヒーを両手に戻ってきた彼女の手首にキラリと光るブレスレットに目を奪われた。
「どうかしました?」
「あ、手首の……綺麗だなって思って」
「あぁ、これですか?御守り代わりに身に付けてるんです」
「御守り、ですか?」
「ええ。石って種類によって意味があるでしょう?立場上、華美な装飾品は出来ないですし。でも、こう言った物なら気兼ねなく身に付けられるから。興味あります?」
僅かに裾を捲ってくれた彼女の細い手首には控えめだけれど同じ系統の色で統一された石が並んでいた。
パワーストーンとでも言うのだろうか。
これまであまり興味は無かった物だけれど不思議と心を揺さぶられる様な気がしてならない。
例えば彼が装飾品を好まないとしても、こう言った物ならば御守りと称して渡せるし、身に付けて貰えなくとも突き返される可能性は低い気もする。
何よりこれから入学に向けてどんどん階級の難易度が上がっていくであろう彼の事を考えると、何があるか分からない世界だ。
気休めでも良いから厄除けの御守り位持っていて欲しいと願うのは、これまで弟の様に接してきたからなのか。
それとも自覚し始めた恋心からなのかは言うまでも無かった。
例えば己の中に芽吹いた好意と言う感情をひた隠しにしたとしても、無事で居て欲しいと言う思い位ならば押し付けても良いのではないかと頭を擡げるのは、呪術師とは常に死の隣人であるからなのだろう。
幾ら頭を悩ませたところで気の利いた贈り物なんて浮かぶ気もせず、陳腐な物よりも独りよがりな願いを込めたとしても。
こう言った物の方が素敵だと思えるのは、きっと私のささやかな願いであってもその想いの欠片を受け取ってもらいたいから。
「……あの、それ買ったお店って教えて貰えますか?」
「喜んで。彼氏への贈り物ですか?」
「ち、違いますよっ。でも、無事でいて欲しい人が居るので……」
「でしたら、任務の内容をもう一度確認したら其方の内緒話でもしましょうか。相談、乗りますよ」
「お願いますっ」
肩を揺らしながらその人は一瞬にして仕事モードへ表情が切り替わっていった。
私も己の頬を叩くと浮かれ切った気持ちに今一度蓋をして資料と向き合う。
ふと外を眺めると紅葉樹の葉は色づき始め、秋の足音を感じさせていた。
後に楽しみがあるとやる気も違う物なのか。
先程はあんなにも上の空だった任務の内容はすんなり己の頭の中に入り込み、その後には詳細など何も告げなかったのに親身になって私の話しを聞いてくれる補助監督と共に恵君への贈り物を選ぶ事だけを考え続けていた。