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name change
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“貴女のことを何よりも愛しています。名前さん”
深夜、自宅のドアノブにコンドームがかけられているのを目にした。その先端は白濁色の粘液でたっぷりと満たされていて、中身が精液であるということは疑いようがなかった。
そして、先述した通りに書かれた手紙がドアに張り付けられていて、それには黒いインクが紙に滲んでいた。万年筆か何かで書かれたのであろう、カクカクと角ばった丁寧な筆跡。男性が書いた文字であることがありありと分かった。
私は恐ろしくて、足が生まれたての小鹿のようにわなわなと震えた。けれど、なんとか力を振り絞って、その場から全力で走って逃げた。交番に行って、警察に家まで着いてきてもらった。
一応捜査はするけれど、この辺りには防犯カメラは無いし、あなたのアパート周辺は人通りが少ないから、犯人特定は難しいかもしれない。ストーカーというのは身近な人間がすることが大半だから、それだけ心に留めて、用心しておきなさい。と警察は言った。不愛想なおじさんだった。こちらは被害者だというのに、もう少し思いやりのある言い方は出来ないのだろうか。無性に腹が立った。
これは昨日の晩の出来事である。
それだけ。
*
「名前ちゃん、どうしたの? なんだか今日は元気ないね」
狛枝さんはカウンターを水拭きする手を止め、私の方へと体を向ける。グレーのミステリアスな瞳が、私のことを射抜く。
私も一旦レバーを引いて水道を止め、洗っていたグラスをタオルの上に置き、狛枝さんの方へと体を向ける。
「……狛枝さん、前から思っていたんですけど、観察眼がありますよね」
「はは、相手が名前ちゃんだからだよ。名前ちゃん、結構見ていてわかりやすいよ」
「ふふ、そうですか」
「それで、何があったの? 言いたくなければ、言わなくていいけどさ」
彼はそう言って、今にも吸い込まれてしまいそうになる、深い瞳を細めた。
狛枝さんは、バーを個人経営している店長であり、私の雇い主でもある。驚いたことに、まだ二十六歳、そしてこれまた驚いたことに、希望ヶ峰学園出身者である。
彼は“元・超高校級の幸運”とやらの才能を持つらしい。それは、何故か宝くじがあたったり、欲しいものが手に入ったり——、と誰もが羨むような素晴らしい能力だそうだ。ただしその反面、それは自分でコントロールのできる力ではなく、両親を事故で早くに亡くしたり、強盗に監禁されたり——、と不幸なことが起きるのを前提としているらしい。幸運と不運の比率はほぼぴったり1:1なのだという。
ある時、
「希望ヶ峰学園卒で、どうしてバーなんてやっているんですか? 客足もあまり多くないんだし、せめて元超高校級が店長やってます、って宣伝すればいいのに」
と尋ねれば、
「うーん、趣味でやっているようなものだから、お客さんはそんなに欲しくないんだよね、忙しいのは嫌だし……。ボクなんかが言うのも烏滸がましい話だけれど、ボクは幸運だから、宝くじとか遺産とかのおかげで、お金には困っていないんだ」
と返された。つくづく不思議な人だ、と思う。
そんな彼は、何を考えているか分からない、ミステリアスな第一印象とは裏腹に、意外と面倒見が良くて、物凄く優しい。それこそ、アルバイトなんて必要ない程には客足の少ないバーで、唐突に未成年の女を雇ってくれるくらいには。
今だって、私のことを気にかけてくれている。閉店後とはいえ、仕事の手を休めてまで。
「……それが、最近、怖いことがあって」
思わず声が上ずる。口に出しにくい話題ではあるが、優しい狛枝さんの思いやりを無碍にしたくない。
「怖いこと……?」
狛枝さんは眉を顰め、尋ねる。
「ストーカー、って言えばいいのかな」
「ふむ、例えば?」
……ストーカーについて説明するための適切な言葉が出てこず、口を噤む。その場に沈黙が流れ、のんびりとした英語のジャズだけが場違いに店内に響いている。目線を何も無い場所に惑わせ、沈黙を続ける私を見つめたまま、狛枝さんは返事を催促することもなく、ただ私の返事を待っていた。なんて優しい人なのだろうか、この人は。
「……、それが、なんていえばいいのかな、変な手紙が書かれて、ドアの前に置かれていたり……」
「うんうん」
「あ、とは……。えっと、こういうことを狛枝さんに言うべきでは無いかもしれないけど、……コンドームが、ドアノブに引っ掛けられていたんです」
「そっか、……いや、全然ボクなんかのことは気にしなくていいんだよ。そんな嫌なことを口に出させちゃってごめんね。ボクの配慮が足りなかった。怖かったよね、名前ちゃん……」
狛枝さんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。狛枝さんの左手のタオルは、ぎゅっと握られシワができている。
「でも、一応大丈夫なんです。ごめんなさい、余計な心配させちゃって」
「そんなすぐに謝らないの。ボクはただ、名前ちゃんに嫌な出来事があったら嫌なんだ。……そうだ、ボクの家にでも住む? ボクの家、両親から譲り受けたものでね、部屋数がやたら多いんだ。——ああでも、それはダメだね。名前ちゃんは今まさにストーカーにあってる訳で、男のボクにこんなこと言われても怖いだけだよね。うーんそうだな……、じゃあボクが名前ちゃんのことを毎回家まで送るよ」
「そんな、お手を煩わせちゃう」
「いやいやいいんだよボク暇だし、それにボク、名前ちゃんのこと大切に思ってるから」
だから、……ね?
狛枝さんは私に微笑みかける。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「本当に? 嬉しいな」
狛枝さんはにっこりと三日月の形に唇を曲げた。本当に嬉しそうに見える。
本当にこの人は根っからのお人好しなのだろうと思った。
深夜、自宅のドアノブにコンドームがかけられているのを目にした。その先端は白濁色の粘液でたっぷりと満たされていて、中身が精液であるということは疑いようがなかった。
そして、先述した通りに書かれた手紙がドアに張り付けられていて、それには黒いインクが紙に滲んでいた。万年筆か何かで書かれたのであろう、カクカクと角ばった丁寧な筆跡。男性が書いた文字であることがありありと分かった。
私は恐ろしくて、足が生まれたての小鹿のようにわなわなと震えた。けれど、なんとか力を振り絞って、その場から全力で走って逃げた。交番に行って、警察に家まで着いてきてもらった。
一応捜査はするけれど、この辺りには防犯カメラは無いし、あなたのアパート周辺は人通りが少ないから、犯人特定は難しいかもしれない。ストーカーというのは身近な人間がすることが大半だから、それだけ心に留めて、用心しておきなさい。と警察は言った。不愛想なおじさんだった。こちらは被害者だというのに、もう少し思いやりのある言い方は出来ないのだろうか。無性に腹が立った。
これは昨日の晩の出来事である。
それだけ。
*
「名前ちゃん、どうしたの? なんだか今日は元気ないね」
狛枝さんはカウンターを水拭きする手を止め、私の方へと体を向ける。グレーのミステリアスな瞳が、私のことを射抜く。
私も一旦レバーを引いて水道を止め、洗っていたグラスをタオルの上に置き、狛枝さんの方へと体を向ける。
「……狛枝さん、前から思っていたんですけど、観察眼がありますよね」
「はは、相手が名前ちゃんだからだよ。名前ちゃん、結構見ていてわかりやすいよ」
「ふふ、そうですか」
「それで、何があったの? 言いたくなければ、言わなくていいけどさ」
彼はそう言って、今にも吸い込まれてしまいそうになる、深い瞳を細めた。
狛枝さんは、バーを個人経営している店長であり、私の雇い主でもある。驚いたことに、まだ二十六歳、そしてこれまた驚いたことに、希望ヶ峰学園出身者である。
彼は“元・超高校級の幸運”とやらの才能を持つらしい。それは、何故か宝くじがあたったり、欲しいものが手に入ったり——、と誰もが羨むような素晴らしい能力だそうだ。ただしその反面、それは自分でコントロールのできる力ではなく、両親を事故で早くに亡くしたり、強盗に監禁されたり——、と不幸なことが起きるのを前提としているらしい。幸運と不運の比率はほぼぴったり1:1なのだという。
ある時、
「希望ヶ峰学園卒で、どうしてバーなんてやっているんですか? 客足もあまり多くないんだし、せめて元超高校級が店長やってます、って宣伝すればいいのに」
と尋ねれば、
「うーん、趣味でやっているようなものだから、お客さんはそんなに欲しくないんだよね、忙しいのは嫌だし……。ボクなんかが言うのも烏滸がましい話だけれど、ボクは幸運だから、宝くじとか遺産とかのおかげで、お金には困っていないんだ」
と返された。つくづく不思議な人だ、と思う。
そんな彼は、何を考えているか分からない、ミステリアスな第一印象とは裏腹に、意外と面倒見が良くて、物凄く優しい。それこそ、アルバイトなんて必要ない程には客足の少ないバーで、唐突に未成年の女を雇ってくれるくらいには。
今だって、私のことを気にかけてくれている。閉店後とはいえ、仕事の手を休めてまで。
「……それが、最近、怖いことがあって」
思わず声が上ずる。口に出しにくい話題ではあるが、優しい狛枝さんの思いやりを無碍にしたくない。
「怖いこと……?」
狛枝さんは眉を顰め、尋ねる。
「ストーカー、って言えばいいのかな」
「ふむ、例えば?」
……ストーカーについて説明するための適切な言葉が出てこず、口を噤む。その場に沈黙が流れ、のんびりとした英語のジャズだけが場違いに店内に響いている。目線を何も無い場所に惑わせ、沈黙を続ける私を見つめたまま、狛枝さんは返事を催促することもなく、ただ私の返事を待っていた。なんて優しい人なのだろうか、この人は。
「……、それが、なんていえばいいのかな、変な手紙が書かれて、ドアの前に置かれていたり……」
「うんうん」
「あ、とは……。えっと、こういうことを狛枝さんに言うべきでは無いかもしれないけど、……コンドームが、ドアノブに引っ掛けられていたんです」
「そっか、……いや、全然ボクなんかのことは気にしなくていいんだよ。そんな嫌なことを口に出させちゃってごめんね。ボクの配慮が足りなかった。怖かったよね、名前ちゃん……」
狛枝さんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。狛枝さんの左手のタオルは、ぎゅっと握られシワができている。
「でも、一応大丈夫なんです。ごめんなさい、余計な心配させちゃって」
「そんなすぐに謝らないの。ボクはただ、名前ちゃんに嫌な出来事があったら嫌なんだ。……そうだ、ボクの家にでも住む? ボクの家、両親から譲り受けたものでね、部屋数がやたら多いんだ。——ああでも、それはダメだね。名前ちゃんは今まさにストーカーにあってる訳で、男のボクにこんなこと言われても怖いだけだよね。うーんそうだな……、じゃあボクが名前ちゃんのことを毎回家まで送るよ」
「そんな、お手を煩わせちゃう」
「いやいやいいんだよボク暇だし、それにボク、名前ちゃんのこと大切に思ってるから」
だから、……ね?
狛枝さんは私に微笑みかける。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「本当に? 嬉しいな」
狛枝さんはにっこりと三日月の形に唇を曲げた。本当に嬉しそうに見える。
本当にこの人は根っからのお人好しなのだろうと思った。
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