君が知らなくとも【隠-かくし-】
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この学園で美術教師として働いている俺は、正直言って、品行方正からは程遠い人間だ。
同時に複数の女と付き合ったこともあれば、不倫したこともある。それでも心のどこかは満たされずにいた。
何が原因なのかは自分でもさっぱり分からなかった。
それでも毎日は過ぎていく。
幸いにも職場の同僚は個性的なやつばっかりで、飽きることはなかった。しかも、俺は生徒からはまあまあの人気があって、女子生徒からは憧れとも恋とも取れる視線を感じることが多い。だから職場生活に関して退屈することはなかった。
品行方正ではない俺とはいえ、今まで数年の職歴の中で、生徒に手を出そうと思ったことは一度たりともなかった。
それは、女子生徒のどんなに熱い視線も想いも一過性のもので、俺に対する恋だと勘違いしているものだからだ。いつかはそれが恋じゃなく、年上の男に対する憧れだと気づく日が来る。だから俺は生徒には手を出す気になんてなれなかった。
それでも一人の男として生徒を見ていて、将来はいい女になるだろうな、と感じるやつがいたのも事実だったが、そんなに惹かれることはなかった。……つい最近までは。
ある日、俺が美術室で作業をしていると、竈門と我妻がやってきて「どうすればモテるのか」と聞いてきた。
「幼稚園から小中高までは足が速けりゃいいんだよ。大学からもう金だよ、金金。高いブランドもんつけとけ。金さえ持ってりゃ女が群がってくるぞ。ハチミツに寄ってくるカブトムシ状態。」
俺の経験から出したモテる方法を適当に伝えると、二人は美術室を去った。我妻がやたらめったら文句を言っていたが、小童の喚き程度にしか感じなかった。
ただそれより何より、そんな二人の後を遠くから気づかれまいと追っている小さい影がずっと気になっていた。
…あいつ何してんだ?竈門と我妻と同じクラスだろ…?普通に話しかけりゃいいのに、何コソコソしてんだ…?
「おい、常野重。お前…何してんだ?地味にコソコソ歩きやがって。」
「な…なんでもありませんよ。」
「気持ち悪ぃぞ、そんな地味な歩き方。もっと派手に歩け、派手に。」
なんでもねえわけねえだろ、そんなに地味にコソコソ歩いてんだから。どうせ竈門か我妻のどっちかに気があるんだろうと思った俺は、鎌をかけつつ目の前の常野重と話してみることにした。
「で、何してんだ?」
「お……お散歩…です。」
「入学して3ヶ月経ってからか?」
「い…いいじゃないですか…3ヶ月経ってからお散歩したって…」
おいおい、どんな嘘のつき方だよ。やたらどもってるし、目も合わねえし、それより何よりいい歳して「お散歩」だぁ…?入学して3ヶ月経ってから校舎探検するやついるか?どういう神経してんだこいつ。
「嘘が下手にも程があんだろ、お前。」
最近の高校生ってのは、もっとスレてるもんじゃねえのか?と思うぐらい、目の前の常野重の反応は純真なものだった。他の生徒と何かが違うと感じてしまった俺は、この時点で少しだけ、常野重が気になった。
鎌をかけるならどっちか…。僅かな時間で検討して、俺の中ではモテそうにない我妻で鎌をかけてみることにした。
「お前、あいつとちゃんと話したことあんのか?」
「え?」
「我妻だよ、我妻。お前、あいつが好きなんだろ?」
「な…なんでそれを…!?」
……竈門じゃねえのかよ!!なんでモテようと必死になってよくわかんねえアドバイス聞きにきた我妻なんだ?
と思いつつ、冷静を装って常野重との会話を続けた。
「俺をなめるなよ、神だぞ。」
「何の神ですか?」
「恋愛の神だ。」
俺がそう言うと、目の前の常野重の眉間にぎゅっと皺が寄った。間違いなく、俺はヤバい奴だと思われている。いや、我妻に好意を持ってるお前もお前だろ?と思った。
だが、誰が誰を好きになろうがそれを止める権利は他人にはない。まさか外れだと思ってかけた鎌が予想以上の効果があって動揺したのは事実だが、気を取り直して話を続けた。
「で、ちゃんと話したことあんのか?」
「あまりありません…。」
ああ、だからコソコソ後つけてたのか。よくわかった。確かに、今のこいつのこの様子じゃ、あいつに話しかけられないのも無理ねえな。
「お前、気をつけねえとただのストーカーだぞ。」
「はっ…!」
「気づいてねえのか、馬鹿だな。派手に馬鹿だ。」
このままこいつを放っておけば、だいぶ奥手のストーカーになりかねないとも感じたから、俺のどこかに僅かに残っている優しさから現状を伝えた。
そして俺にしては珍しく、目の前の常野重にアドバイスをする気になった。
「本当にお前があいつのことが好きなら、ちゃんと行動しねえと、今となんも変わらねえぞ。それにあいつ、女好きだからな。」
そうだ。あいつはこの俺から見ても信じらんねえぐらいの女好きだ。ちょっとでも女の方から話しかけりゃ、すぐ落ちるんじゃねえか?と思うぐらいの女好きだ。
お前、それちゃんと知ってるか?と思って問いかけたが、返事はすぐに返ってきた。
「知ってます…。」
知ってんのかよ!じゃあなんとかしろよ!!
「今は中等部にいる竈門の妹のこと、かなり気に入ってるんじゃねえか?」
我妻は明らかに竈門の妹への好意を人目を気にすることなく全開にしている。どんなに恋愛に鈍感なやつが見ても、我妻は竈門妹に好意があることぐらいわかる。
「…それも知ってます。」
だろうな!だったらお前、尚のこと、竈門妹に勝たなきゃあいつと恋仲になんかなれねえんだぞ?!わかってんのか?!
「だったら尚のこと、アピールしろ、アピール。ド派手にな。」
自分でも驚くほど自然に、常野重の恋を応援する言葉が口をついて出てきた。
目の前のこいつに対してなんとなくどこか危なっかしさも感じもしたし、俺がいつの間にか無くしてしまった純真さが前面に来ているこいつの恋がうまくいって欲しい、とそう思ったのだろうと自分の気持ちを決めつけた。
軽い応援の気持ち込めて、俺は常野重の頭を撫でた。これをやると、他の女子生徒だったら顔を真っ赤にして喜ぶのに、常野重は違った。驚きはしたものの、表情はほとんど変えずにいた。そんな姿を見て、俺は、常野重に興味を持ってしまった。
「バレンタインなんか待たなくても、あと2か月であいつの誕生日だぞ。」
俺は常野重に我妻の誕生日を教えた。
目の前のこいつがどんな反応をするのかと思いつつ、なんとなくの悪戯心もあって、俺は口角を上げた。
すると常野重は何かを決心したような目つきになって、その場を去った。純真で無垢な常野重の恋がうまくいって欲しい、なんて柄にもなく思いながら、俺は常野重の背中を見つめていた。
そんなことがあってしばらく経ってから、職員会議の場に変質者情報が上がってきた。俺は担任を持ってないから、連絡事項としてただ聞いていただけだったが、配布された情報とイラストを見て「こりゃ我妻だな」と感じた。
職員会議が終わってから、もしかしたら俺と同じ経験をしている職員がいるかもと思い、思い当たる人物に声をかけた。
「おい、煉獄。今いいか?」
「宇髄か。どうした?」
「ちょっと前に、お前のところに我妻が来なかったか?」
「ああ、来たな。」
「…そうか。どうすればモテるか聞かれなかったか?」
「うむ、その通りだ。もしや、宇髄もか?」
「おうよ。で、お前、あいつに何教えたんだ?」
「気をつけてることを尋ねられた。俺は腹式呼吸で大きく口を開けて話すようにしている、と伝えたが…。」
「腹式呼吸ねえ…。じゃ、これはお前ってことだな。」
「む?これはさっきの変質者か?」
「ああ。この偽物のブランド類は俺だろ…?で、大声でハキハキ…ってーのは、煉獄、お前からのアドバイスだろ。」
「…つまりこれは我妻ということだな?」
「こんなことすんの、あいつぐらいしかいねえだろ。」
「しかし、なぜこんなことを…。」
煉獄、気付け。あんだけ職員室中に響き渡るような大声で、あいつは突然「モテたい」って叫んでんだぞ。それ以外にこんなことする目的なんかねえだろ…。
「我妻はモテたいと言っていた。」
突然、俺の横からやたらと落ち着いた声がして、驚きと一緒にその方向を見ると、ボソボソと話す冨岡がいた。
「冨岡…。ってことは、お前のところにも我妻が来たってことだな?」
「ああ。」
「で?あいつはお前から何を聞いたんだ?」
「…モテようと思ったことはない。ただ、好きな相手とは会話をしなくても、相手を見つめるだけで気持ちがわかる。通じ合うことが出来る、ということは伝えた。」
「そうか。じゃあ…この項目はお前だな、冨岡。」
“突然黙って見つめてくる”という情報は冨岡から聞いたものに間違いない。…なんでもかんでも取り入れりゃいいってもんでもねえぞ…?律儀に全部取り入れた結果、変質者になってんじゃねえか…。
これ見て常野重はどう思うんだろうな…。って、なんで俺、あいつの心配なんかしてんだ?
ま…俺には関係ねえけど、常野重が我妻に失望さえしなけりゃいいか…と思っていた。
その日のホームルーム終わりに職員室に戻ってきた悲鳴嶼に声をかけた。
「よう。常野重の様子はどうだった?」
「なぜ…お前が常野重を気にかける?」
「あいつに恋のアドバイスしてな。」
「……いらぬことを。」
「ま、いいじゃねえか。で、どんな様子だ?」
「なんら変わりはなかった。」
「そうか。」
常野重がちょっとぐらい、我妻の変質者騒ぎで動揺でもしてんじゃねえかと思ってたが、特に変わりがないと聞いて拍子抜けした。
…ちょっと待てよ。もしそれで常野重が落ち込んでいたり、動揺していたと聞いたとして、俺はどうするつもりだったんだ?俺にしては珍しく、そんなことすら考えないで、常野重の様子を聞いていたことに気づいた。
残念ながら性格的に、その場で適当な返事をすることだけはできてしまうから、悲鳴嶼にはあんな返事をしたものの、一体俺はどうしたかったのか、わからなかった。
我妻変質者事件からまた数日が経ったある日。校内で常野重を見かけて声をかけようとしたが、俺は声をかけるのをやめた。
「なんだ、あいつら。うまくいったのか。」
俺は驚きと喜びと呆れの混じった声を出した。
階段を上がって廊下を歩いていた常野重の少し後を追うように我妻が来て、仲睦まじく横に並んで歩いている姿が目に入った。
…変質者事件のあとに何があったかはわからなかったが、常野重の恋がうまくいったとわかって、どこかホッとしている俺と、まだ心のどこかによくわからない引っ掛かりを感じている俺もいた。
「おーい、常野重。」
自分でも気付かないうちに、俺は常野重に声をかけていた。…俺何してんだ?
俺の呼びかけに気づいた常野重は後ろを振り返ると、俺の姿に気がついて、「あ、宇髄先生!」と俺に駆け寄ってきた。
…おいおい、ちょっと可愛いじゃねえかよ。
「先生、どうしたんですか?」
「いや、偶然姿を見かけてな。ところでお前、我妻とうまくいったのか?」
俺がそう言うと、常野重は頬を少し赤らめて、小さい声で「はい。」と言った。
ちゃんと恋した乙女だな、と思っていると、遠くからとんでもなく刺さるような強烈な視線を感じた。
「おい、あいつすげえ俺のこと睨んでんだけど。」
「え?そんなことないと思いますよ。」
…そんなことあんだよ。お前が気づいてねえだけで、我妻からは殺気を感じる視線が送られ続けている。
俺が唖然としていると、さっきの返事よりも更に小さく囁くような声で「先生」と呼ばれた。
あんまり他に聞かれたくない話だろうと察して、俺は体を屈めて常野重の口元に耳を近づけた。
すると常野重は嬉しそうな声色をしながら、小さく囁いた。
「先生のアドバイスのおかげで、善逸くんと恋人になれました。先生、ありがとうございました。」
そう言って俺の耳元から離れて、俺に笑顔を向けた。
……こりゃあ、やべえな。
俺がそう思ったその瞬間、変質者情報に書かれていた通りの俊足で、我妻が俺の元へ走ってきて、「そこ!離れなさい!!」と言いながら突っ込んできた。我妻はサッと常野重の腰に手を回して自分の方に引き寄せながら、俺の脛を目掛けて蹴りを入れてきた。俺はそれに気づいて早めに避けたから、怪我も何もしなかった。
「ちょっと舞智華ちゃん!なんてことしてんの!!おっさんにそんな可愛いことしちゃったら、このおっさん、舞智華ちゃんのこと好きになっちゃうよ!!!」
我妻は常野重の両肩に自分の両手を当てて、正面から真剣に説教し始めた。
「あ、ごめんね善逸くん。でも、宇髄先生はそんな人じゃないから、大丈夫だよ。」
常野重は俺のことを疑うことすらせず、目の前の我妻にそう言い放った。
「ね、先生?先生はそんな人じゃないですよね?」
笑いながら向けられた笑顔に、俺は否定することしかできなかった。当たり前だ、ここは校内の廊下で、数多くの生徒が行き交う場所だ。
「当たり前だろ?俺はガキになんざ興味ねえよ。お前の考えすぎだ、我妻。」
俺はそう言ったが、本心ではなかった。
正直、さっき常野重が耳打ち後に笑顔を見せたとき、今までにあしらってきた女子生徒とは異なる感情を抱いてしまったのは事実だった。
俺はそれを誤魔化そうと、口から出まかせに「ガキには興味ない」と言いながら、頭をガシガシ掻いたが、多分、目の前にいる我妻にはそれが嘘だとバレている。
なんせ、俺がそう言ったにもかかわらず、さっきと幾分変わらない殺気立った視線を俺に向けているからだ。
「本当に常野重ちゃんに興味ないんだな?」
おいおい、我妻。俺は教師だってのに、お前、男の顔してすごい口きいてくるじゃねえか。
「おうよ。俺はもっといい女がいるからな。」
…嘘だ。
そんな女はいない。適当に空いた時間を埋める女はいても、「いい女」なんていない。俺にとって今はガキでも将来「いい女」になるのは多分……常野重だ。それに気づいたが、どうにもできない。目の前の我妻にも宣戦布告なんてことはできない。
「そうかよ。じゃ、せいぜい俺らのこと応援してろよな。」
「もう、善逸くん。先生にそんな言い方しないでよ。」
「…行こう、舞智華ちゃん。」
「うん。先生また!」
そう言って2人は教室へ戻っていった。
俺はあいつらの幸せを邪魔するわけにはいかねえが、我妻が常野重を悲しませるようなことを易々と放っておくわけにもいかない、そんな自分の気持ちに気づいてしまった。
女子生徒が俺に抱く感情は憧れ以外の何でもないと自分で言っておきながら、まさか俺がその生徒に気を惹かれることになるだなんて、思いもしなかった。
常野重の持つ純真さに惹かれているのは間違いなかったが、常野重の恋はすでに成就している。
俺はあいつが卒業するまで、大人しく常野重と我妻の恋の行方を見守るしかない。…これほど教員という立場を損な役回りだと感じたことはなかった。
遠くから常野重を見守って、もし何かあれば少し力添えをしてやろう。俺はそんな役回りをすればいい。心にそう決めた。
同時に複数の女と付き合ったこともあれば、不倫したこともある。それでも心のどこかは満たされずにいた。
何が原因なのかは自分でもさっぱり分からなかった。
それでも毎日は過ぎていく。
幸いにも職場の同僚は個性的なやつばっかりで、飽きることはなかった。しかも、俺は生徒からはまあまあの人気があって、女子生徒からは憧れとも恋とも取れる視線を感じることが多い。だから職場生活に関して退屈することはなかった。
品行方正ではない俺とはいえ、今まで数年の職歴の中で、生徒に手を出そうと思ったことは一度たりともなかった。
それは、女子生徒のどんなに熱い視線も想いも一過性のもので、俺に対する恋だと勘違いしているものだからだ。いつかはそれが恋じゃなく、年上の男に対する憧れだと気づく日が来る。だから俺は生徒には手を出す気になんてなれなかった。
それでも一人の男として生徒を見ていて、将来はいい女になるだろうな、と感じるやつがいたのも事実だったが、そんなに惹かれることはなかった。……つい最近までは。
ある日、俺が美術室で作業をしていると、竈門と我妻がやってきて「どうすればモテるのか」と聞いてきた。
「幼稚園から小中高までは足が速けりゃいいんだよ。大学からもう金だよ、金金。高いブランドもんつけとけ。金さえ持ってりゃ女が群がってくるぞ。ハチミツに寄ってくるカブトムシ状態。」
俺の経験から出したモテる方法を適当に伝えると、二人は美術室を去った。我妻がやたらめったら文句を言っていたが、小童の喚き程度にしか感じなかった。
ただそれより何より、そんな二人の後を遠くから気づかれまいと追っている小さい影がずっと気になっていた。
…あいつ何してんだ?竈門と我妻と同じクラスだろ…?普通に話しかけりゃいいのに、何コソコソしてんだ…?
「おい、常野重。お前…何してんだ?地味にコソコソ歩きやがって。」
「な…なんでもありませんよ。」
「気持ち悪ぃぞ、そんな地味な歩き方。もっと派手に歩け、派手に。」
なんでもねえわけねえだろ、そんなに地味にコソコソ歩いてんだから。どうせ竈門か我妻のどっちかに気があるんだろうと思った俺は、鎌をかけつつ目の前の常野重と話してみることにした。
「で、何してんだ?」
「お……お散歩…です。」
「入学して3ヶ月経ってからか?」
「い…いいじゃないですか…3ヶ月経ってからお散歩したって…」
おいおい、どんな嘘のつき方だよ。やたらどもってるし、目も合わねえし、それより何よりいい歳して「お散歩」だぁ…?入学して3ヶ月経ってから校舎探検するやついるか?どういう神経してんだこいつ。
「嘘が下手にも程があんだろ、お前。」
最近の高校生ってのは、もっとスレてるもんじゃねえのか?と思うぐらい、目の前の常野重の反応は純真なものだった。他の生徒と何かが違うと感じてしまった俺は、この時点で少しだけ、常野重が気になった。
鎌をかけるならどっちか…。僅かな時間で検討して、俺の中ではモテそうにない我妻で鎌をかけてみることにした。
「お前、あいつとちゃんと話したことあんのか?」
「え?」
「我妻だよ、我妻。お前、あいつが好きなんだろ?」
「な…なんでそれを…!?」
……竈門じゃねえのかよ!!なんでモテようと必死になってよくわかんねえアドバイス聞きにきた我妻なんだ?
と思いつつ、冷静を装って常野重との会話を続けた。
「俺をなめるなよ、神だぞ。」
「何の神ですか?」
「恋愛の神だ。」
俺がそう言うと、目の前の常野重の眉間にぎゅっと皺が寄った。間違いなく、俺はヤバい奴だと思われている。いや、我妻に好意を持ってるお前もお前だろ?と思った。
だが、誰が誰を好きになろうがそれを止める権利は他人にはない。まさか外れだと思ってかけた鎌が予想以上の効果があって動揺したのは事実だが、気を取り直して話を続けた。
「で、ちゃんと話したことあんのか?」
「あまりありません…。」
ああ、だからコソコソ後つけてたのか。よくわかった。確かに、今のこいつのこの様子じゃ、あいつに話しかけられないのも無理ねえな。
「お前、気をつけねえとただのストーカーだぞ。」
「はっ…!」
「気づいてねえのか、馬鹿だな。派手に馬鹿だ。」
このままこいつを放っておけば、だいぶ奥手のストーカーになりかねないとも感じたから、俺のどこかに僅かに残っている優しさから現状を伝えた。
そして俺にしては珍しく、目の前の常野重にアドバイスをする気になった。
「本当にお前があいつのことが好きなら、ちゃんと行動しねえと、今となんも変わらねえぞ。それにあいつ、女好きだからな。」
そうだ。あいつはこの俺から見ても信じらんねえぐらいの女好きだ。ちょっとでも女の方から話しかけりゃ、すぐ落ちるんじゃねえか?と思うぐらいの女好きだ。
お前、それちゃんと知ってるか?と思って問いかけたが、返事はすぐに返ってきた。
「知ってます…。」
知ってんのかよ!じゃあなんとかしろよ!!
「今は中等部にいる竈門の妹のこと、かなり気に入ってるんじゃねえか?」
我妻は明らかに竈門の妹への好意を人目を気にすることなく全開にしている。どんなに恋愛に鈍感なやつが見ても、我妻は竈門妹に好意があることぐらいわかる。
「…それも知ってます。」
だろうな!だったらお前、尚のこと、竈門妹に勝たなきゃあいつと恋仲になんかなれねえんだぞ?!わかってんのか?!
「だったら尚のこと、アピールしろ、アピール。ド派手にな。」
自分でも驚くほど自然に、常野重の恋を応援する言葉が口をついて出てきた。
目の前のこいつに対してなんとなくどこか危なっかしさも感じもしたし、俺がいつの間にか無くしてしまった純真さが前面に来ているこいつの恋がうまくいって欲しい、とそう思ったのだろうと自分の気持ちを決めつけた。
軽い応援の気持ち込めて、俺は常野重の頭を撫でた。これをやると、他の女子生徒だったら顔を真っ赤にして喜ぶのに、常野重は違った。驚きはしたものの、表情はほとんど変えずにいた。そんな姿を見て、俺は、常野重に興味を持ってしまった。
「バレンタインなんか待たなくても、あと2か月であいつの誕生日だぞ。」
俺は常野重に我妻の誕生日を教えた。
目の前のこいつがどんな反応をするのかと思いつつ、なんとなくの悪戯心もあって、俺は口角を上げた。
すると常野重は何かを決心したような目つきになって、その場を去った。純真で無垢な常野重の恋がうまくいって欲しい、なんて柄にもなく思いながら、俺は常野重の背中を見つめていた。
そんなことがあってしばらく経ってから、職員会議の場に変質者情報が上がってきた。俺は担任を持ってないから、連絡事項としてただ聞いていただけだったが、配布された情報とイラストを見て「こりゃ我妻だな」と感じた。
職員会議が終わってから、もしかしたら俺と同じ経験をしている職員がいるかもと思い、思い当たる人物に声をかけた。
「おい、煉獄。今いいか?」
「宇髄か。どうした?」
「ちょっと前に、お前のところに我妻が来なかったか?」
「ああ、来たな。」
「…そうか。どうすればモテるか聞かれなかったか?」
「うむ、その通りだ。もしや、宇髄もか?」
「おうよ。で、お前、あいつに何教えたんだ?」
「気をつけてることを尋ねられた。俺は腹式呼吸で大きく口を開けて話すようにしている、と伝えたが…。」
「腹式呼吸ねえ…。じゃ、これはお前ってことだな。」
「む?これはさっきの変質者か?」
「ああ。この偽物のブランド類は俺だろ…?で、大声でハキハキ…ってーのは、煉獄、お前からのアドバイスだろ。」
「…つまりこれは我妻ということだな?」
「こんなことすんの、あいつぐらいしかいねえだろ。」
「しかし、なぜこんなことを…。」
煉獄、気付け。あんだけ職員室中に響き渡るような大声で、あいつは突然「モテたい」って叫んでんだぞ。それ以外にこんなことする目的なんかねえだろ…。
「我妻はモテたいと言っていた。」
突然、俺の横からやたらと落ち着いた声がして、驚きと一緒にその方向を見ると、ボソボソと話す冨岡がいた。
「冨岡…。ってことは、お前のところにも我妻が来たってことだな?」
「ああ。」
「で?あいつはお前から何を聞いたんだ?」
「…モテようと思ったことはない。ただ、好きな相手とは会話をしなくても、相手を見つめるだけで気持ちがわかる。通じ合うことが出来る、ということは伝えた。」
「そうか。じゃあ…この項目はお前だな、冨岡。」
“突然黙って見つめてくる”という情報は冨岡から聞いたものに間違いない。…なんでもかんでも取り入れりゃいいってもんでもねえぞ…?律儀に全部取り入れた結果、変質者になってんじゃねえか…。
これ見て常野重はどう思うんだろうな…。って、なんで俺、あいつの心配なんかしてんだ?
ま…俺には関係ねえけど、常野重が我妻に失望さえしなけりゃいいか…と思っていた。
その日のホームルーム終わりに職員室に戻ってきた悲鳴嶼に声をかけた。
「よう。常野重の様子はどうだった?」
「なぜ…お前が常野重を気にかける?」
「あいつに恋のアドバイスしてな。」
「……いらぬことを。」
「ま、いいじゃねえか。で、どんな様子だ?」
「なんら変わりはなかった。」
「そうか。」
常野重がちょっとぐらい、我妻の変質者騒ぎで動揺でもしてんじゃねえかと思ってたが、特に変わりがないと聞いて拍子抜けした。
…ちょっと待てよ。もしそれで常野重が落ち込んでいたり、動揺していたと聞いたとして、俺はどうするつもりだったんだ?俺にしては珍しく、そんなことすら考えないで、常野重の様子を聞いていたことに気づいた。
残念ながら性格的に、その場で適当な返事をすることだけはできてしまうから、悲鳴嶼にはあんな返事をしたものの、一体俺はどうしたかったのか、わからなかった。
我妻変質者事件からまた数日が経ったある日。校内で常野重を見かけて声をかけようとしたが、俺は声をかけるのをやめた。
「なんだ、あいつら。うまくいったのか。」
俺は驚きと喜びと呆れの混じった声を出した。
階段を上がって廊下を歩いていた常野重の少し後を追うように我妻が来て、仲睦まじく横に並んで歩いている姿が目に入った。
…変質者事件のあとに何があったかはわからなかったが、常野重の恋がうまくいったとわかって、どこかホッとしている俺と、まだ心のどこかによくわからない引っ掛かりを感じている俺もいた。
「おーい、常野重。」
自分でも気付かないうちに、俺は常野重に声をかけていた。…俺何してんだ?
俺の呼びかけに気づいた常野重は後ろを振り返ると、俺の姿に気がついて、「あ、宇髄先生!」と俺に駆け寄ってきた。
…おいおい、ちょっと可愛いじゃねえかよ。
「先生、どうしたんですか?」
「いや、偶然姿を見かけてな。ところでお前、我妻とうまくいったのか?」
俺がそう言うと、常野重は頬を少し赤らめて、小さい声で「はい。」と言った。
ちゃんと恋した乙女だな、と思っていると、遠くからとんでもなく刺さるような強烈な視線を感じた。
「おい、あいつすげえ俺のこと睨んでんだけど。」
「え?そんなことないと思いますよ。」
…そんなことあんだよ。お前が気づいてねえだけで、我妻からは殺気を感じる視線が送られ続けている。
俺が唖然としていると、さっきの返事よりも更に小さく囁くような声で「先生」と呼ばれた。
あんまり他に聞かれたくない話だろうと察して、俺は体を屈めて常野重の口元に耳を近づけた。
すると常野重は嬉しそうな声色をしながら、小さく囁いた。
「先生のアドバイスのおかげで、善逸くんと恋人になれました。先生、ありがとうございました。」
そう言って俺の耳元から離れて、俺に笑顔を向けた。
……こりゃあ、やべえな。
俺がそう思ったその瞬間、変質者情報に書かれていた通りの俊足で、我妻が俺の元へ走ってきて、「そこ!離れなさい!!」と言いながら突っ込んできた。我妻はサッと常野重の腰に手を回して自分の方に引き寄せながら、俺の脛を目掛けて蹴りを入れてきた。俺はそれに気づいて早めに避けたから、怪我も何もしなかった。
「ちょっと舞智華ちゃん!なんてことしてんの!!おっさんにそんな可愛いことしちゃったら、このおっさん、舞智華ちゃんのこと好きになっちゃうよ!!!」
我妻は常野重の両肩に自分の両手を当てて、正面から真剣に説教し始めた。
「あ、ごめんね善逸くん。でも、宇髄先生はそんな人じゃないから、大丈夫だよ。」
常野重は俺のことを疑うことすらせず、目の前の我妻にそう言い放った。
「ね、先生?先生はそんな人じゃないですよね?」
笑いながら向けられた笑顔に、俺は否定することしかできなかった。当たり前だ、ここは校内の廊下で、数多くの生徒が行き交う場所だ。
「当たり前だろ?俺はガキになんざ興味ねえよ。お前の考えすぎだ、我妻。」
俺はそう言ったが、本心ではなかった。
正直、さっき常野重が耳打ち後に笑顔を見せたとき、今までにあしらってきた女子生徒とは異なる感情を抱いてしまったのは事実だった。
俺はそれを誤魔化そうと、口から出まかせに「ガキには興味ない」と言いながら、頭をガシガシ掻いたが、多分、目の前にいる我妻にはそれが嘘だとバレている。
なんせ、俺がそう言ったにもかかわらず、さっきと幾分変わらない殺気立った視線を俺に向けているからだ。
「本当に常野重ちゃんに興味ないんだな?」
おいおい、我妻。俺は教師だってのに、お前、男の顔してすごい口きいてくるじゃねえか。
「おうよ。俺はもっといい女がいるからな。」
…嘘だ。
そんな女はいない。適当に空いた時間を埋める女はいても、「いい女」なんていない。俺にとって今はガキでも将来「いい女」になるのは多分……常野重だ。それに気づいたが、どうにもできない。目の前の我妻にも宣戦布告なんてことはできない。
「そうかよ。じゃ、せいぜい俺らのこと応援してろよな。」
「もう、善逸くん。先生にそんな言い方しないでよ。」
「…行こう、舞智華ちゃん。」
「うん。先生また!」
そう言って2人は教室へ戻っていった。
俺はあいつらの幸せを邪魔するわけにはいかねえが、我妻が常野重を悲しませるようなことを易々と放っておくわけにもいかない、そんな自分の気持ちに気づいてしまった。
女子生徒が俺に抱く感情は憧れ以外の何でもないと自分で言っておきながら、まさか俺がその生徒に気を惹かれることになるだなんて、思いもしなかった。
常野重の持つ純真さに惹かれているのは間違いなかったが、常野重の恋はすでに成就している。
俺はあいつが卒業するまで、大人しく常野重と我妻の恋の行方を見守るしかない。…これほど教員という立場を損な役回りだと感じたことはなかった。
遠くから常野重を見守って、もし何かあれば少し力添えをしてやろう。俺はそんな役回りをすればいい。心にそう決めた。