君が知らなくとも
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みなさんは覚えているだろうか…。
今は私の恋人となっている我妻善逸が、昨年の7月ごろに教室で叫んだあのセリフを…。
「モテたい!来年のバレンタインにはせめて1個!!チョコレートをもらいたい!!!」
そうです。もうすぐそんな時期なんです。
善逸くんが去年から首を長くして楽しみにしていたその日…バレンタインがあと2週間後に近づいてきているのです…!!
不審者善逸君事件が起きたことで、私と善逸くんは付き合うことになり、約半年が過ぎた。
付き合い始めたきっかけが、件の事件だったこともあり、善逸くんは実はものすごくバレンタインを楽しみにしている。
付き合うことになったその日に「来年のバレンタイン、舞智華ちゃんはチョコくれるんだよね?」と言われているぐらい。
1月も下旬になり、そろそろ準備をしようと思い始めた。
というのも、テレビでもバレンタイン特集が始まったり、お店に並ぶチョコレート商品が増えてきたからだ。
善逸くんに何をあげたらいいかわからなくて、自分の机に突っ伏して唸っていると、伊之助くんが「何してんだ、お前?」と話しかけ、私の前の席の椅子を引いて背もたれに腕と顎を載せて、後ろを向いてドカッと座った。
「あ、伊之助くん。」
私は体も起こさず、顔だけを伊之助くんに向けた。
珍しく元気なく悩んでいる私の様子を不思議に思ったようで、意外と真剣に話を聞いてくれた。
「なんかあったのか?」
「もうすぐバレンタインでしょ?」
「あー…そういやそうだな。」
「伊之助くんだったら、女の子からどんなものが欲しい?」
「…あ?」
「だーかーらー。バレンタインに何が欲しい?」
「なんだ、俺にくれんのか?」
伊之助くんにあげるつもりは毛頭なかったけれど、どうも「あげる」と言わなければヒントももらえそうになかったので、致し方なく話を進める。
「………あげるから、教えて。伊之助くんは何がほしい?」
「俺は食えりゃなんでもいいぜ。」
「わー、あてになんない。あげるって言わなきゃよかった。」
「紋逸にやんのか?」
「え、うん。だって彼氏だし…。」
「へえ。」
「興味ないなら無理に聞かなくても…」
「逆だ、逆。」
「え?」
「あいつ、今年何個もらうんだろうなと思ってよ。」
「は?」
伊之助くんが言っていることがよくわからなかった。
昨年は「せめて1個!!」とか言っていたぐらい、チョコレートを貰えるかどうかすらわかっていなかった善逸くんのことなのに、目の前にいる伊之助くんは「あいつ、今年何個もらうんだろうな」と言っている。
「え、ちょっと待って、伊之助くん。それ、どういう意味?」
「まんまだろ。」
「善逸くん、モテないんじゃないの?しかも私の彼氏じゃない…。それで何個って…」
「はあ…?お前、あいつのことちゃんと見てんのか?」
「え?」
「よく見てみろよ。あいつ、女子から人気あんだぞ。」
「うそ…」
「嘘なんかついてもなんの得にもなんねえよ。」
「え…そんな…」
「ま、その日を楽しみにしてるんだな。」
「ちょ…ちょっと…」
「俺にも何かよこせよ。」
「…それは忘れてなかったのね。」
「情報提供してやったからな。」
「いらない情報でしたけど…。」
そんな会話をしていたら、チャイムが鳴って授業が始まった。
今日はテスト前の授業で、珍しく宇髄先生が座学のために教室に来ていた。
相変わらずド派手な雰囲気だけど、ちょっと繊細なアートの話をしていた。
なんとなく宇髄先生の話を聞いていたら、ふと、さっきの休み時間のことを思い出した。
そういえば、教室内に善逸くんの姿が見当たらなかった。どこに行っていたんだろう?そう思って、善逸くんを見る。
すると善逸くんと偶然目があって、善逸くんはにこっと笑って私に手を振ってきた。
私も笑って手を振り返すと、「常野重、話聞いてんのか?」と宇髄先生に注意されてしまった。
…でも本当に善逸くんはさっきの休み時間、どこにいたんだろう?
声が目立つから教室にいれば絶対にわかるし、それに何より、私が炭治郎くんだろうと伊之助くんだろうと、男の子と2人で話をしていたらすぐに駆け寄ってきて、絶対に2人で話なんかさせないのに。
さっきの休み時間、善逸くんは私のところに駆け寄っても来なかったし、何より伊之助くんとしっかり話をしていた。
そういえばここ最近、休み時間に善逸くんと話をする時間が以前に比べて格段に減っている。
やっぱりおかしい…。
伊之助くんに言われたように、私は善逸くんのことをちゃんと見ていなかったのかもしれない…。
そう思ったとき、急に視界が暗くなったかと思うと、頭を軽く小突かれた。
そして宇髄先生は大きな体をかがめて、私と目線を合わせ「おいお前、大丈夫か?試験勉強のしすぎじゃねえのか?」と小さな声で話かけてきた。
周りを見ると、クラスのみんなはタブレットにイヤホンを付けて美術に関する動画を見て、気づいたことを記入するという課題に取り組んでいた。
耳にイヤホンを付けていないのは私だけで、いつからこの課題が始まったのかすらわかっていなかった。
「あ…宇髄先生…すみません。課題が始まったことにも気づいていませんでした…。」
「放課後、美術室来いよ。どうせあいつとなんかあったんだろ?話聞いてやるよ。」
「ありがとうございます…。」
「とりあえず今は、課題やっとけ。終わんねえと思うけどな。」
そう言って宇髄先生は私の頭をぽんぽんと撫でた。面倒見が良すぎる宇髄先生に感謝しつつも、この頭ポンポンは他の生徒に見られたらまずいのでは?という気持ちにもなった。
そしてまたチャイムが鳴って、美術の授業が終わってしまった。
クラスの他のみんなは、授業時間内に課題のレポートをタブレットから先生に提出したみたいだけど、宇髄先生が言っていたとおり、私だけ課題が終わりきらなかった。
「おい、常野重。お前だけ課題出てねえぞ。放課後、お前美術室で居残りな。」
「わかりました。」
さっきは個別に宇髄先生が話しかけてくれたけど、今回は全員の前で居残り宣言をされた。
きっと私が急に美術室にいたら、他の生徒からおかしいと思われるからだろうけど、なんかちゃんと残るきっかけを作ってくれる宇髄先生って案外いい人なんだな…と思ってしまった。
ただ、その宣言を私がされているときに、善逸くんからの視線を感じたのも事実だった。
だからきっと善逸くんは「何?舞智華ちゃん、なんで居残りなんかになっちゃったの?俺も行こうか?宇髄先生と2人きりなんて俺、心配だよおお!」って話しかけてくるんだと思ってた。
…でもそれは、私のただの思い込みだった。
この休み時間も、善逸くんは私の元へは来なかった。
やっぱりおかしい…。そう思って私はまた机に突っ伏した。すると今度は炭治郎くんが話しかけてきた。
「舞智華、何かあったのか?あの課題、そんなに難しくなかったぞ?」
「あ…炭治郎くん。善逸くんは…?」
「善逸…?そういえば休み時間になったら、すぐに教室から出ていったな…。」
「どこに行ったか知ってる?」
「ごめん、それはわからないな…。」
「そっか…。」
「今日の舞智華、ちょっと変だぞ?」
「そうかな。」
「ああ、おかしいぜ、お前。」
「伊之助、元気がない相手にその言い方はないんじゃないか?」
「もとはと言えば、伊之助くんがいらない情報をくれたからじゃない…。」
「なんの話をしたんだ、伊之助?」
「あ?あれだよ、あれ。」
伊之助くんはそう言うと、徐に窓の外を指さした。
炭治郎くんと私は同時に伊之助くんの指が向けられたほうに顔を向けると、校舎近くの校庭の隅に善逸くんがいた。
そして、その横に誰かいる…と思って目を凝らして見ようと目を細めたその瞬間。
私の両目の視界は急に後ろから回された炭治郎くんの両手によって遮られた。
「え、ちょっと!炭治郎くん…!何…!あそこに善逸くんいたでしょ…!」
「い…いたけど!いたんだけれども!!」
「見せてよ!」
「いや、いたんだけれども!何もないんだけれども!」
「何もないことないでしょう、隠してるんだから!!」
「何も…ない…!!」
「炭八郎、お前すげえ顔してるぞ。」
「ちょっと、見せてよ!」
「いやだ!」
「何でよ!!」
「何ででも!!」
「ねえ、炭治郎くん!!」
「あー、めんどくせ。」
炭治郎くんと伊之助くんと私の3人で騒いでいたら、急に教室の入り口の方から「そこ、離れなさい!!!」と耳馴染みのいい声がした。
「炭治郎、俺の大事な舞智華ちゃんに何勝手に触ってんの!!」
「いや、触れてはない!目を隠していただけだ。」
「何で隠してんだよ!自分の手で隠さなくたっていいだろうが!」
「いや…しかし…」
「なんだよ、文句あんのかよ炭治郎。」
「…お前のせいだろ、全部。」
「はい?伊之助、お前今、なんか言ったか?」
「授業始まるぞ。」
伊之助くんが言うと同時に、チャイムが鳴って授業が始まってしまった。
善逸くんは、さっきの休み時間に校庭の隅に一体誰といたというのだろうか。
どうして炭治郎くんはその光景を見せてはくれなかったのだろうか。
もしかして、善逸くんが私に何か隠し事をしていて、ましてやそれが何かやましいことなのではないか、と勘繰ってしまった。
でも、教室に戻ってきた善逸くんは「俺の大事な舞智華ちゃん」って言ってくれていた。
その事実は素直に嬉しいけれど、でもなんで校庭に行ったのかもわからなかった。
結局、心に靄がかかったままその日のすべての授業を終えてしまった。
炭治郎くんにも何があったか説明できないままだったし、善逸くんとも全然話ができなかった。
伊之助くんにバレンタインに何が欲しいか尋ねたら、とんでもない情報だけ提供されて、振り回された一日で、私の頭の中は混乱しかしていなかった。
帰りの挨拶が終わり、私が荷物をカバンに入れていると、善逸くんが近寄ってきた。
「舞智華ちゃん、一緒に帰ろう。」
「あ、ごめん。今から宇髄先生のところに行かなきゃ。」
「そっか、そうだったね。一人で大丈夫?俺も一緒に行こうか?あいつ、舞智華ちゃんに何かしないか心配だし。」
「大丈夫だよ。宇髄先生、そんな人じゃないし。」
「本当に?俺、待ってるよ、舞智華ちゃんのこと。」
「うーん…。時間かかるかもしれないから、今日は先に帰ってて。お願い。」
「…わかった。何かあったら、連絡してね。」
「ありがとう。」
私がそう言うと、学校の教室なのに、善逸くんは私に口づけてきた。
柔らかくて暖かい熱がふわっと当たり、一瞬、目が点になってしまった。
「え?」
「俺、ちょっと心配なんだ、舞智華ちゃんのこと。なんか、不安そうな音してるから。」
「そう?」
「うん。先に帰るけど、何かあったらすぐ来るから絶対連絡してね。」
善逸くんはそう言って私の頭をポンポンと撫で、荷物を持って帰っていった。
やっぱり私がただ、伊之助くんの言葉に惑わされただけなんだろうか…?
善逸くんはこんなに私に優しいのに、私は何が不安なんだろう?
自分の気持ちも、善逸くんがどうして何も言わないで休み時間にいなくなるのかもわからないまま、そして不安もいただいたまま、私は美術室へ足を運んだ。
美術室のドアを開けようとしたら、そこは鍵がかかっていた。
「あれ…開かない…。」
「お、来たか、常野重。こっちだこっち。」
宇髄先生の声がした方を見ると、宇髄先生が顔を出していたのは準備室だった。
…準備室ってなんかやばくない?なんかよからぬことが起こりやすい場所なんじゃないの…?と思ってしまった私も、まだまだ下世話な人だと思った。
準備室には生徒用の机がいくつか並んでいて、そこに生徒用の椅子がひとつ置いてあった。
私はその椅子に座って、宇髄先生は壁に立てかけてあったパイプ椅子を出して、私の方を向いて座った。
「何で準備室なんですか…?」
「あ?あんなだだっ広い部屋に二人だけなのに、エアコンつけたら電気代もったいねえだろ。」
「電気代の心配…?」
「準備室のほうが狭いから、部屋も温まりやすいんだよ。」
「はあ…。」
「とりあえず、まずは課題済ませな。話はそれからだ。」
そう言って、タブレットを徐に渡されて、まずは課題を済ませることになった。
正直なところ、炭治郎くんが言っていたように、与えられていた課題は全然難しくなかった。
授業前の休み時間に伊之助くんから聞かされた話だけで、私がどれだけ動揺してしまっていたかがよく分かった。
「宇髄先生、課題、終わりました。」
「おう、お疲れ。」
私が課題をやっている間、宇髄先生は私のことをずっと見ていた。
始終、宇髄先生の視線を感じて課題がやりづらかったのが本音だった。
「忙しいのに、補習と相談の時間を作ってくれてありがとうございます。」
「俺は恋愛の神だからな。」
両手の親指で自分を指しながら言う宇髄先生を見て、思わずくすっと笑ってしまった。
「やっと笑ったな、お前。」
「え?」
「今日のお前、全然笑ってなかったし、心ここにあらずって感じだったぞ。我妻に手振ってたけど、なんかおかしかったしな。」
「そんなことまでわかるんですか?」
「まあな。俺、暇だから。生徒のことはよく見てんだよ。で、何があった?」
私と向き合って座っている宇髄先生は体の前で両手を組んで前かがみになり、真剣に話を聞いてくれようとしているのがよく分かった。
「あのですね…。今日、伊之助くんにバレンタインのことで相談したんです。」
「で?」
「そしたら、善逸くんは女子生徒から人気があるって言われて。」
「ほう。」
「バレンタインに何個もらうんだろうな、あいつって言われて…。」
「ふーん。」
「よく考えてみたら最近、休み時間に善逸くんが教室にいないことが多いなって気がついたんです…。」
「で、お前は急に不安になった…ってことか?」
「はい、おっしゃる通りです。」
真剣に話を聞いているであろう宇髄先生の顔を見ると、なんだか急にニヤついているように見えた。
「先生、なんか楽しんでません?」
「若いな、お前ら。」
「そりゃあ、高校生ですからね。」
「そういう意味じゃねえよ。で、なんか聞きたかったんじゃねえのか?」
「…善逸くんはモテてるんでしょうか?」
私がそう尋ねると、宇髄先生は急に噴き出した。
「聞くとこそこか…?」
「だって…モテてたら、いつか善逸くんが私よりいい人に出会って、私は善逸くんに捨てられちゃうかもしれないじゃないですか…!だからモテてるのか知りたくて…」
ちょっと涙目になりながら、声を震わせながらそう言ってしまった。
そして気がついた。
善逸くんが他の人に目移りするのも嫌だし、善逸くんに捨てられることに不安を感じていたことにようやく気がついた。
「まあ、落ち着けよ。我妻がモテてるかっていう質問だがな…。」
「はい。」
「あいつはモテてる。それは事実だ。」
「そうなんですか…。」
「ああ。あいつが休み時間に教室にいないのも、それが原因。」
「え?」
「バレンタインの前だからか知らねえが、しょっちゅう女子に呼び出されてるぜ、あいつ。」
「そうなんですか…!!」
「おう。校舎のいろんなところであいつ見るし、だいたい女子といっしょだからな。」
「全然知らなかった…。」
「気づいてなかったのか?」
「はい…。」
「お前、案外あいつのこと見てねえんだな…。」
「同じことを伊之助くんにも言われました。」
「ま、お前が安心しきってたってことだろうな。」
「え?」
「我妻とお前が付き合って、お前は安心しきってたんだろ?恋人になったから大きな問題は起きないって思ってたんだろうよ。」
確かに言われてみればそうかもしれない。
私は、善逸くんと恋人になったから、今後はずっと安定して仲良く過ごしていけると思い込んでいた節はあった。
「もうひとつ質問してもいいですか…?」
「いいぞ。」
「何で善逸くん、モテるんですか…?」
「お前はなんでだと思う?」
「えーっと…」
善逸くんがなぜモテるのかを考えて、いいところをいろいろ挙げてみた。
「優しいし、困ってたら助けてくれるし、一途なところもあるし、ちょっとうるさいけど真面目だし…。それから……」
「もういい、もういい。惚気は腹いっぱいだ。あいつがモテる原因はそれだ。」
「え?」
「お前たちが入学してきて時間が経って、あいつの良さに気づいた女子が増えたってことだよ。」
「そうなんですか…?」
「そりゃあ、お前。会って数か月で容姿以外の良さを見つけるのは難しいだろ?会ってから一年ぐらい経って、大方クラスメイトの性格も分かってきて、我妻のよさに気づいた女子が多かったってわけだ。」
「そうですか…。」
「それに…」
「え?」
「あんだけお前ら学校でいちゃついてたら、当てつけだってしたくなるだろうぜ、女どもは。」
「当てつけ…?」
「お前ら、ちょっと前まで四六時中、一緒にいただろ?」
「ええ…まあ。」
「それが原因で、我妻が好きな女子どもがお前と我妻の時間を減らそうと画策してんだよ。」
「えー、めんどくさー。」
「女ってのは、どんなに若くても女だからな。やっかむときはやっかむんだ。」
宇髄先生はそう言うと立ち上がって、急にコーヒーを入れ始めた。
準備室になぜコーヒーメーカーが置いてあるのかが不思議だったが、いい香りがして少しリラックスした。
「ほらよ。」
「あ、ありがとうございます。」
宇髄先生は私にもコーヒーを入れてくれていた。いい香りがするコーヒーを一口飲んでみたら、思いのほか苦かった。
「ちょっと苦め…」
「そうか?じゃあ、これでも食うか?」
そう言って差し出されたのは、チョコレートが4つ入っている箱だった。
なんだか立派な箱に入っていて、高そうだった。そのチョコレートもすごくいい香りがした。
「え?チョコレート?バレンタインでもないのに?」
「…ま、俺もそれなりにモテるんでね。」
「へー。」
「興味なさそうな返事だな。」
「はい。先生の恋愛は特に興味ないです。では、遠慮なくいただきます。」
そう言って一粒もらってぱくっと食べた。中からナッツのいい香りがするクリームが出てきて、とてもおいしかった。
「甘い物食べると、幸せな気持ちになりますねえ、やっぱり。」
「だろ?ま、お前は他の女のことなんか気にしないで、我妻と向き合ってみたらいいんじゃねえか。」
「そうですね…。」
私がそう言って、コーヒーを一口含んだその時だった。
目の前が急に暗くなって、それに驚いて顔を上げると、ものすごく近くに宇髄先生の顔があった。
ちょっとでも前に出てしまえば、顔が触れてしまいそうな距離だった。
「え、先生?」
「ま、お前ももうちょっと警戒心を持ったほうがいいとは思うけどな。」
「へ…?」
「お前、自分じゃ気づいてねえかもしんないけどな、それなりにいい女だぞ?」
「は…?」
「今、ここには俺とお前の二人だけ。他の生徒は帰宅してる。こんな近くに顔があって、俺に何をされてもおかしくないのに、お前は安心しきってる。」
「ちょ…ちょっと、先生…?」
「お前のいいとこ、教えてやろうか?」
宇髄先生はそう言うと右手を私の顔の左側に伸ばし、髪を耳にかけた。
…え、何これ?どういう状況?やっぱり準備室ってやましいことしか起こらないのでは…?
「いいか、よく聞けよ。お前のいいところは、素直なところだ。だが、それが危うさになるときもある。」
「危うさ…?」
「そうだ。素直だから、我妻の言葉を素直に喜んだり、嘴平が言ったことに惑わされたりするんだ。それで心が揺らぐ。」
「それは…そうかも…。」
「だから、お前が信じたいものを素直に信じればいいんだ。いいか、周りに惑わされるな。お前の信じたいものは…なんだ?」
宇髄先生はそう言うと、座ったまま私を急に抱きしめた。急な展開に驚き、私は喉を締めて小さく悲鳴を上げた。
すると宇髄先生は私の耳元でとても小さな声で
「安心しろ、俺はこれ以上は何もしない。このまま待ってろ。お前が信じたいものが来る。」
と言った。
私は耳を疑い「え?」と言うと、それとほぼ同時に廊下からものすごく早く走る足音がして、準備室の扉がとんでもない勢いで開かれ、けたたましい音がした。
「ちょっと…何してるんですかねえ、宇髄先生…?」
そこには普段聞いたこともないような低い声を出す善逸くんが立っていた。
明らかに普段の雰囲気ではなく、心の底から怒っている様子で、ちょっと怖く感じてしまった。
「何してるって、抱きしめてんの。」
「あんた教師だろ!?」
「教師である前に一人の人間だからな。俺が誰を好きになろうと勝手だろ?」
「だーめーでーすー!!!!!!舞智華ちゃんは俺の大事な大事な彼女なの!!さっさと離れろよ、おっさん!!!」
「だったらお前、てめえの彼女が不安になるようなことしてんじゃねえよ。」
「は!?」
「休み時間に何してるかぐらい、てめえでちゃんと伝えてやれよ!」
そう言うと、宇髄先生は私から離れて、善逸くんと向き合って仁王立ちをした。
「常野重はなあ、お前が休み時間に何も言わないでいなくなるから、不安になったんだよ。」
「そ…それは…」
「お前、ちゃんと自分の口で説明してやったことあんのか?」
「な…ない。」
「何で説明しねえんだよ。」
「しっ…仕方ないじゃん…。なんか言いにくいんだから…。」
「言いにくいから言わねえのか?だったら常野重が俺のところに泣きついてきても、お前も文句言えねえだろ。変なふうに疑われたって仕方ねえだろ。」
「じゃあ、あんた言えんのかよ。」
「何をだ?」
「そ…その…全然知らない女の子に呼び出された…って。あんたの彼女に言えんのかよ。」
「ああ、言えるね。」
「なんでだよ。」
「やましい気持ちなんかひとつも持ってねえからだよ。後ろめたさもなにもねえからだよ。」
「俺だってやましい気持ちなんかないし…当たり前だけど全部断ってるし…」
「じゃあ、なんで言わねえんだよ?」
「なんか…言いにくかったからだよ…。」
「そうかい。…こう言ってるぜ、お前の彼氏。」
「宇髄先生…。」
「あとは帰りながらでも、二人でよく話し合うことだな。」
「はい…。」
今、私は何を見せられたんだろう?なんで先生と生徒の関係の二人が恋愛の言い合いをしているんだろう?
と冷静になってみれば不思議だけど、「私に言いにくかった」という本音を引き出してくれたのは他でもない、宇髄先生だった。
この場をどうやって離れようかと考えていたら、さっきまで入口にいた善逸くんが私のもとへ駆け寄ってきて、そして力強く抱きしめた。
「ごめんね、舞智華ちゃん。ちゃんと話すから。」
「うん。」
「おっさんに変なことされてない?」
「何にもされてないよ。」
「でも抱きしめられてたじゃない。」
「あ…それはそうだけど…。何もされてないよ。」
「本当?」
そう言うと善逸くんは私から少し体を話して、まっすぐな目で私を見つめてきた。
そして、左頬に優しく手を添えて、さっき教室でしたように優しく口づけた。
唇が離れていったと思ったら、今度はさっきよりも激しく、噛みつくような口づけに変わり、息をするのも苦しかった。
善逸くんがなかなか離してくれなくて、どうしたのかと思った。でも、この感覚に少し浸りたいと思ったその時だった。
「はいはい、そこまでにしてくれ。続きはてめえらの家で勝手にやれよ。」
「せ…先生!!」
「常野重、お前、俺がいること忘れてただろ。」
「す…すみません…。そして恥ずかしい…。」
「はっ、俺への当てつけのつもりだろうがな、我妻。」
「なんだよ。」
「俺は生徒には手なんか出さねえよ。安心しろ。」
「は?抱きしめてただろ!」
「ああでもしねえと、お前が素直にならねえからだろ。いいからさっさと帰れ。邪魔だ。俺を帰らせろ。」
宇髄先生はそう言うと、私たちを準備室から放り出した。それから私たちはおとなしく、二人で歩いて帰路についた。
私と善逸くんの間には、何とも言えない空気が漂っていた。
いつも善逸くんと別れる道にあっという間についてしまった。
でも今日は善逸くんが私の手を握ってきて、まっすぐな目で私に言った。
「舞智華ちゃん、お願い。ちゃんと話がしたいんだ。だから、俺の家に来てくれないかな?少しの時間でいいから。」
迷いもないその視線に、私は素直に「うん」と頷いた。
そして手は繋いだものの、何も話さずに歩いて、気がついたら善逸くんの家についていた。
「上がって。」
「ありがとう。あれ…おうちの人は…?」
「ああ、俺、一人暮らしなんだ。」
「そうだったんだ。」
初めて上がった善逸くんの家は、思っていたよりもきれいにされていた。
ワンルームの部屋の真ん中に、カーペットが敷いてあって、その上に机が置いてあった。
「座ってて。お茶持ってくるよ。」
善逸くんはそう言うと、キッチンへ行き、お茶を持って戻ってきた。
「はい、お待たせ。」
「ありがとう。」
「あ、そうだ。良かったらこれ着て。俺も着替えるから。」
「え…」
そう言うと、善逸くんは急に着替え始めた。
「あ、ちょっと…!急に…!」
「ごめん、びっくりさせちゃったね。」
「うん…びっくりした…。」
「でも、舞智華には見てほしいけどね。俺の全部。」
「え?」
「何でもないよ。」
そう言って、善逸くんは着替えを続けた。
なんとなく目のやり場に困ったものの、人間とは不思議なもので、どうしてものぞき見はしたくなってしまう。
ちらりと目をやると、ちょうど上半身の制服を脱いで部屋着に変えているところで、意外と筋肉質な躯体が目に入った。
…善逸くんって、こんなに逞しい体をしていたことを初めて知った。
こうやって考えてみると、私は意外と善逸くんを見ていなかったことに改めて気づかされた。
「舞智華ちゃんも着替えなよ。」
「あ、うん。」
「俺、見ないから。」
そういうと、善逸くんは本当に見えないようにアイマスクまでして、私が着替えるのを待ってくれた。
「終わったよ。ありがとう。」
「うん、俺の部屋着も似合うね、舞智華ちゃん。」
そういうと善逸くんは、座っている私を後ろから抱きしめた。
なんだろう、今日はすごく抱きしめられるし、いつも以上にキスされたな…と感じた。
「ごめんね、舞智華ちゃん。不安にさせて。」
美術室の準備室のときとは全く違う、落ち着いた静かな声で善逸くんは話始めた。
「…伊之助くんに教えてもらったの。」
「何を?」
「善逸くんが女の子に人気があるって。」
「…そうなんだ。それ聞いて、舞智華ちゃんはどう思ったの?」
「正直、その時は嘘だと思った。」
「どうして?」
「だって去年、モテたい!って叫んでたし、チョコもらえるようにがんばって、不審者になってたぐらいだったから…。」
「…そうだったね。でも、そのおかげで俺は舞智華ちゃんと付き合えたんだよね。」
「うん。だから、善逸くんは女の子に人気がないだろうって思ってた。」
「うん。」
「でも、よく考えたら最近は、休み時間に教室にいないことに気づいて…。急に不安になっちゃって。」
「うん。」
「宇髄先生の授業でぼーっとしちゃって。それに気づいた宇髄先生が声かけてくれて。」
「うん。」
「そのあとの休憩に炭治郎くんも心配して話しかけてくれたんだけど…。伊之助くんが校庭を指さしてて…。」
「うん。」
「そっちを見たら善逸くんがいて、誰といるか見ようとしたら、急に炭治郎くんが私の目を隠してきて…。よく見えなくて…。」
「うん。」
「そしたら、いつの間にか善逸くんが教室に戻ってきてて、結局、あの瞬間に何があったのかはわからなかったし、炭治郎くんも伊之助くんも何も教えてくれなくて…。」
「うん。」
「で、宇髄先生に善逸くんがモテるのかを確認したの。」
さっきまで穏やかに私の話を聞いてくれていたのに、宇髄先生の話になった途端、私を抱きしめている腕にぎゅっと力が入った。
「…なんであのおっさんに確認したの?」
「え、恋愛の神だから…?」
「へー。」
なんだか心底興味のなさそうな声色で返事が返ってきたけど、気にせず話を進めることにした。
「でも、宇髄先生のおかげで、善逸くんのいいところに改めて気づいたし、善逸くんがモテる理由もわかった気がする。」
「そっか。」
「どうして休み時間のこと、教えてくれなかったの?」
「俺さ、前にも舞智華ちゃんには言ったと思うんだけどさ、耳がよくて。どんな気持ちかとかも音でわかることがあるんだ。」
「うん。」
「俺に話しかけてくる子たちみんなが、俺に気持ちがあるわけじゃなかった。」
「え?」
「多分だけど、俺に告白するっていう罰ゲームみたいなのをさせられてる子もいただろうし、本当に俺に気がある子もいたし。いろいろいたんだ。」
「そうなの…?」
「うん。だけど、本気の子だけ最初から断るのも変だし、断るならみんな同じ条件のほうがいいかと思ったんだよね。」
「…やっぱり、善逸くんは優しいんだね。」
「ありがとう。そう言ってくれるのは、舞智華ちゃんだからだよ。これだけは言っておきたいんだけど、呼び出されたみんなに「俺には彼女がいる」って伝えてたよ。」
「ありがとう。」
「でもね、中にはいるんだ。彼女がいるって伝えても、「そんなの関係ない」って言ってくる子も。」
「そういう子にはなんて言ったの…?」
「そういう子たちは、俺のことが好きなんじゃなくて、舞智華ちゃんに意地悪したいだけなんだって気づいた。」
「え?」
「ほら、いるでしょ?幸せそうな人を見たら、妬んじゃう人。そういう子たちは、そういうタイプ。俺のことが好きってわけじゃなくて、舞智華ちゃんを妬んで意地悪して、舞智華ちゃんを困らせたいんだよ。」
そういえば、宇髄先生にもそんなことを言われたな…と思い出した。
「だから、そういう子には『本当に俺のこと好きなの?違うんじゃない?俺の彼女を困らせたいだけでしょ?』って言って追い返したよ。」
「そうだったんだ。」
「だけど、それを説明する時間がなかなか作れなかった。だから、舞智華ちゃんを不安にさせちゃったんだと思う。」
善逸くんは、正直にすべてを話してくれた。そのことに私は安心して、後ろから回されている善逸くんの腕に私の腕を絡めた。
「ありがとう、善逸くん。全部話してくれて。」
「…本当はもっと早くこういう話をしておけば、伊之助にも変なこと言われなくて済んだのにね。本当にごめん。」
「ううん、もういいよ。全部話してくれたことが本当に嬉しかったし、やっぱり私が好きになった善逸くんだな、って思ったから。」
「ありがとう、舞智華ちゃん。」
善逸くんはそういうと、私の耳に小さく触れる程度のキスをした。ちょっとくすぐったかった。
嬉しい気持ちとくすぐったさの余韻に浸っていると、「でも…」と善逸くんから話をし始めた。
「なんで伊之助は舞智華ちゃんに、俺のそんな話したの?っていうか、伊之助と2人だけで話したの?」
「うん、2人だけで話したよ。」
「なんで?」
「え…なんでもよくない?」
しまった…。私が伊之助くんと2人で話をしていたところは善逸くんに見られていなかったのに…。
こんなことを言ったら、思いのほか嫉妬深い善逸くんから問い詰められることぐらいわかっていたのに、つい言ってしまった…。
そして私は今、「なんでもよくない?」と返事をしてしまっただけに、これは嫌な予感しかしない。
「なんでもいいことないよ。俺の大事な彼女が困るようなことを伊之助が言った理由は知りたいよ。ねえ舞智華ちゃん、伊之助と何の話してたの?」
「えー…それは内緒…。」
言えない。バレンタインに善逸くんが何が欲しいと思ってるかを聞き出そうとしただなんて言えない。
バレンタインのサプライズを考えたいのに、今ここでそんなことを白状してしまったら、サプライズでもなんでもなくなってしまう…!
「内緒なの…?俺に言えない話でもしてたの…?ねえ、舞智華ちゃん…。」
「え?」
私の耳元に善逸くんの熱い吐息がかかってきたと思ったら、善逸くんに借りた部屋着の中に、するりと善逸くんの手が入り込んできた。
「ちょ…ちょっと待って、善逸くん…!何してるの…!?」
「舞智華ちゃんが伊之助との話を教えてくれないからでしょ…?教えてくれないなら…このまま続けちゃうよ…?」
「え、なんで急にこんな感じに…?」
「だって舞智華ちゃん、今日は伊之助と2人で話して、炭治郎に目隠しされて、挙句の果てにはあのおっさんに抱き締められて…。舞智華ちゃんの彼氏はだあれ…?」
「善逸くんですよ…?」
「だよね?俺の大事な彼女なのに、ちょっと無防備すぎない?」
「え?」
「俺、すっごい嫉妬深いの知ってるでしょ…?だから、お仕置き。」
「へ?」
「本当に言わないと、続けちゃうよ…?いいの…?」
「続けるって…」
「本当は前から、舞智華ちゃんにこうやって触れたかったけど、ずっと我慢してたの。ちょっと今日はもう我慢できそうにないよ。」
「な…なんで…」
「決め手はおっさんに抱きしめられてたことだね。」
「何にもなかったよ…!」
「でも、俺は嫌だった。伊之助と話したことも教えてくれそうにないしね…。」
「ご…ごめんね、善逸くん…。」
「ごめんって思ってるんだったら…ね?」
善逸くんはそう言うと、準備室のときのように噛みつくようなキスをしてきた。
準備室のときよりも激しくて、善逸くんが離れると同時に、私と善逸くんは銀糸で繋がっていた。
気がついたら私の視界には善逸くんと、部屋の天井しか入ってこなかった。
「今日は金曜日だし。うちに泊まっていって。」
善逸くんはそう言って、また噛みつくように口づけてきた。
結局その夜、私は家には「友達の家に泊まる」とうそをつき、善逸くんと一晩過ごすことになった。
そして初めて体を重ねることになった。
それは…私が伊之助くんと話した内容を絶対に言わなかったから。
だって…その日まで黙っていたいから。そして善逸くんの驚く顔が見たいから。
今日一日はとても濃くて、いろんなことがあったけど、善逸くんときちんと向き合えた日だった。
この時、バレンタインまであと2週間。
今は私の恋人となっている我妻善逸が、昨年の7月ごろに教室で叫んだあのセリフを…。
「モテたい!来年のバレンタインにはせめて1個!!チョコレートをもらいたい!!!」
そうです。もうすぐそんな時期なんです。
善逸くんが去年から首を長くして楽しみにしていたその日…バレンタインがあと2週間後に近づいてきているのです…!!
不審者善逸君事件が起きたことで、私と善逸くんは付き合うことになり、約半年が過ぎた。
付き合い始めたきっかけが、件の事件だったこともあり、善逸くんは実はものすごくバレンタインを楽しみにしている。
付き合うことになったその日に「来年のバレンタイン、舞智華ちゃんはチョコくれるんだよね?」と言われているぐらい。
1月も下旬になり、そろそろ準備をしようと思い始めた。
というのも、テレビでもバレンタイン特集が始まったり、お店に並ぶチョコレート商品が増えてきたからだ。
善逸くんに何をあげたらいいかわからなくて、自分の机に突っ伏して唸っていると、伊之助くんが「何してんだ、お前?」と話しかけ、私の前の席の椅子を引いて背もたれに腕と顎を載せて、後ろを向いてドカッと座った。
「あ、伊之助くん。」
私は体も起こさず、顔だけを伊之助くんに向けた。
珍しく元気なく悩んでいる私の様子を不思議に思ったようで、意外と真剣に話を聞いてくれた。
「なんかあったのか?」
「もうすぐバレンタインでしょ?」
「あー…そういやそうだな。」
「伊之助くんだったら、女の子からどんなものが欲しい?」
「…あ?」
「だーかーらー。バレンタインに何が欲しい?」
「なんだ、俺にくれんのか?」
伊之助くんにあげるつもりは毛頭なかったけれど、どうも「あげる」と言わなければヒントももらえそうになかったので、致し方なく話を進める。
「………あげるから、教えて。伊之助くんは何がほしい?」
「俺は食えりゃなんでもいいぜ。」
「わー、あてになんない。あげるって言わなきゃよかった。」
「紋逸にやんのか?」
「え、うん。だって彼氏だし…。」
「へえ。」
「興味ないなら無理に聞かなくても…」
「逆だ、逆。」
「え?」
「あいつ、今年何個もらうんだろうなと思ってよ。」
「は?」
伊之助くんが言っていることがよくわからなかった。
昨年は「せめて1個!!」とか言っていたぐらい、チョコレートを貰えるかどうかすらわかっていなかった善逸くんのことなのに、目の前にいる伊之助くんは「あいつ、今年何個もらうんだろうな」と言っている。
「え、ちょっと待って、伊之助くん。それ、どういう意味?」
「まんまだろ。」
「善逸くん、モテないんじゃないの?しかも私の彼氏じゃない…。それで何個って…」
「はあ…?お前、あいつのことちゃんと見てんのか?」
「え?」
「よく見てみろよ。あいつ、女子から人気あんだぞ。」
「うそ…」
「嘘なんかついてもなんの得にもなんねえよ。」
「え…そんな…」
「ま、その日を楽しみにしてるんだな。」
「ちょ…ちょっと…」
「俺にも何かよこせよ。」
「…それは忘れてなかったのね。」
「情報提供してやったからな。」
「いらない情報でしたけど…。」
そんな会話をしていたら、チャイムが鳴って授業が始まった。
今日はテスト前の授業で、珍しく宇髄先生が座学のために教室に来ていた。
相変わらずド派手な雰囲気だけど、ちょっと繊細なアートの話をしていた。
なんとなく宇髄先生の話を聞いていたら、ふと、さっきの休み時間のことを思い出した。
そういえば、教室内に善逸くんの姿が見当たらなかった。どこに行っていたんだろう?そう思って、善逸くんを見る。
すると善逸くんと偶然目があって、善逸くんはにこっと笑って私に手を振ってきた。
私も笑って手を振り返すと、「常野重、話聞いてんのか?」と宇髄先生に注意されてしまった。
…でも本当に善逸くんはさっきの休み時間、どこにいたんだろう?
声が目立つから教室にいれば絶対にわかるし、それに何より、私が炭治郎くんだろうと伊之助くんだろうと、男の子と2人で話をしていたらすぐに駆け寄ってきて、絶対に2人で話なんかさせないのに。
さっきの休み時間、善逸くんは私のところに駆け寄っても来なかったし、何より伊之助くんとしっかり話をしていた。
そういえばここ最近、休み時間に善逸くんと話をする時間が以前に比べて格段に減っている。
やっぱりおかしい…。
伊之助くんに言われたように、私は善逸くんのことをちゃんと見ていなかったのかもしれない…。
そう思ったとき、急に視界が暗くなったかと思うと、頭を軽く小突かれた。
そして宇髄先生は大きな体をかがめて、私と目線を合わせ「おいお前、大丈夫か?試験勉強のしすぎじゃねえのか?」と小さな声で話かけてきた。
周りを見ると、クラスのみんなはタブレットにイヤホンを付けて美術に関する動画を見て、気づいたことを記入するという課題に取り組んでいた。
耳にイヤホンを付けていないのは私だけで、いつからこの課題が始まったのかすらわかっていなかった。
「あ…宇髄先生…すみません。課題が始まったことにも気づいていませんでした…。」
「放課後、美術室来いよ。どうせあいつとなんかあったんだろ?話聞いてやるよ。」
「ありがとうございます…。」
「とりあえず今は、課題やっとけ。終わんねえと思うけどな。」
そう言って宇髄先生は私の頭をぽんぽんと撫でた。面倒見が良すぎる宇髄先生に感謝しつつも、この頭ポンポンは他の生徒に見られたらまずいのでは?という気持ちにもなった。
そしてまたチャイムが鳴って、美術の授業が終わってしまった。
クラスの他のみんなは、授業時間内に課題のレポートをタブレットから先生に提出したみたいだけど、宇髄先生が言っていたとおり、私だけ課題が終わりきらなかった。
「おい、常野重。お前だけ課題出てねえぞ。放課後、お前美術室で居残りな。」
「わかりました。」
さっきは個別に宇髄先生が話しかけてくれたけど、今回は全員の前で居残り宣言をされた。
きっと私が急に美術室にいたら、他の生徒からおかしいと思われるからだろうけど、なんかちゃんと残るきっかけを作ってくれる宇髄先生って案外いい人なんだな…と思ってしまった。
ただ、その宣言を私がされているときに、善逸くんからの視線を感じたのも事実だった。
だからきっと善逸くんは「何?舞智華ちゃん、なんで居残りなんかになっちゃったの?俺も行こうか?宇髄先生と2人きりなんて俺、心配だよおお!」って話しかけてくるんだと思ってた。
…でもそれは、私のただの思い込みだった。
この休み時間も、善逸くんは私の元へは来なかった。
やっぱりおかしい…。そう思って私はまた机に突っ伏した。すると今度は炭治郎くんが話しかけてきた。
「舞智華、何かあったのか?あの課題、そんなに難しくなかったぞ?」
「あ…炭治郎くん。善逸くんは…?」
「善逸…?そういえば休み時間になったら、すぐに教室から出ていったな…。」
「どこに行ったか知ってる?」
「ごめん、それはわからないな…。」
「そっか…。」
「今日の舞智華、ちょっと変だぞ?」
「そうかな。」
「ああ、おかしいぜ、お前。」
「伊之助、元気がない相手にその言い方はないんじゃないか?」
「もとはと言えば、伊之助くんがいらない情報をくれたからじゃない…。」
「なんの話をしたんだ、伊之助?」
「あ?あれだよ、あれ。」
伊之助くんはそう言うと、徐に窓の外を指さした。
炭治郎くんと私は同時に伊之助くんの指が向けられたほうに顔を向けると、校舎近くの校庭の隅に善逸くんがいた。
そして、その横に誰かいる…と思って目を凝らして見ようと目を細めたその瞬間。
私の両目の視界は急に後ろから回された炭治郎くんの両手によって遮られた。
「え、ちょっと!炭治郎くん…!何…!あそこに善逸くんいたでしょ…!」
「い…いたけど!いたんだけれども!!」
「見せてよ!」
「いや、いたんだけれども!何もないんだけれども!」
「何もないことないでしょう、隠してるんだから!!」
「何も…ない…!!」
「炭八郎、お前すげえ顔してるぞ。」
「ちょっと、見せてよ!」
「いやだ!」
「何でよ!!」
「何ででも!!」
「ねえ、炭治郎くん!!」
「あー、めんどくせ。」
炭治郎くんと伊之助くんと私の3人で騒いでいたら、急に教室の入り口の方から「そこ、離れなさい!!!」と耳馴染みのいい声がした。
「炭治郎、俺の大事な舞智華ちゃんに何勝手に触ってんの!!」
「いや、触れてはない!目を隠していただけだ。」
「何で隠してんだよ!自分の手で隠さなくたっていいだろうが!」
「いや…しかし…」
「なんだよ、文句あんのかよ炭治郎。」
「…お前のせいだろ、全部。」
「はい?伊之助、お前今、なんか言ったか?」
「授業始まるぞ。」
伊之助くんが言うと同時に、チャイムが鳴って授業が始まってしまった。
善逸くんは、さっきの休み時間に校庭の隅に一体誰といたというのだろうか。
どうして炭治郎くんはその光景を見せてはくれなかったのだろうか。
もしかして、善逸くんが私に何か隠し事をしていて、ましてやそれが何かやましいことなのではないか、と勘繰ってしまった。
でも、教室に戻ってきた善逸くんは「俺の大事な舞智華ちゃん」って言ってくれていた。
その事実は素直に嬉しいけれど、でもなんで校庭に行ったのかもわからなかった。
結局、心に靄がかかったままその日のすべての授業を終えてしまった。
炭治郎くんにも何があったか説明できないままだったし、善逸くんとも全然話ができなかった。
伊之助くんにバレンタインに何が欲しいか尋ねたら、とんでもない情報だけ提供されて、振り回された一日で、私の頭の中は混乱しかしていなかった。
帰りの挨拶が終わり、私が荷物をカバンに入れていると、善逸くんが近寄ってきた。
「舞智華ちゃん、一緒に帰ろう。」
「あ、ごめん。今から宇髄先生のところに行かなきゃ。」
「そっか、そうだったね。一人で大丈夫?俺も一緒に行こうか?あいつ、舞智華ちゃんに何かしないか心配だし。」
「大丈夫だよ。宇髄先生、そんな人じゃないし。」
「本当に?俺、待ってるよ、舞智華ちゃんのこと。」
「うーん…。時間かかるかもしれないから、今日は先に帰ってて。お願い。」
「…わかった。何かあったら、連絡してね。」
「ありがとう。」
私がそう言うと、学校の教室なのに、善逸くんは私に口づけてきた。
柔らかくて暖かい熱がふわっと当たり、一瞬、目が点になってしまった。
「え?」
「俺、ちょっと心配なんだ、舞智華ちゃんのこと。なんか、不安そうな音してるから。」
「そう?」
「うん。先に帰るけど、何かあったらすぐ来るから絶対連絡してね。」
善逸くんはそう言って私の頭をポンポンと撫で、荷物を持って帰っていった。
やっぱり私がただ、伊之助くんの言葉に惑わされただけなんだろうか…?
善逸くんはこんなに私に優しいのに、私は何が不安なんだろう?
自分の気持ちも、善逸くんがどうして何も言わないで休み時間にいなくなるのかもわからないまま、そして不安もいただいたまま、私は美術室へ足を運んだ。
美術室のドアを開けようとしたら、そこは鍵がかかっていた。
「あれ…開かない…。」
「お、来たか、常野重。こっちだこっち。」
宇髄先生の声がした方を見ると、宇髄先生が顔を出していたのは準備室だった。
…準備室ってなんかやばくない?なんかよからぬことが起こりやすい場所なんじゃないの…?と思ってしまった私も、まだまだ下世話な人だと思った。
準備室には生徒用の机がいくつか並んでいて、そこに生徒用の椅子がひとつ置いてあった。
私はその椅子に座って、宇髄先生は壁に立てかけてあったパイプ椅子を出して、私の方を向いて座った。
「何で準備室なんですか…?」
「あ?あんなだだっ広い部屋に二人だけなのに、エアコンつけたら電気代もったいねえだろ。」
「電気代の心配…?」
「準備室のほうが狭いから、部屋も温まりやすいんだよ。」
「はあ…。」
「とりあえず、まずは課題済ませな。話はそれからだ。」
そう言って、タブレットを徐に渡されて、まずは課題を済ませることになった。
正直なところ、炭治郎くんが言っていたように、与えられていた課題は全然難しくなかった。
授業前の休み時間に伊之助くんから聞かされた話だけで、私がどれだけ動揺してしまっていたかがよく分かった。
「宇髄先生、課題、終わりました。」
「おう、お疲れ。」
私が課題をやっている間、宇髄先生は私のことをずっと見ていた。
始終、宇髄先生の視線を感じて課題がやりづらかったのが本音だった。
「忙しいのに、補習と相談の時間を作ってくれてありがとうございます。」
「俺は恋愛の神だからな。」
両手の親指で自分を指しながら言う宇髄先生を見て、思わずくすっと笑ってしまった。
「やっと笑ったな、お前。」
「え?」
「今日のお前、全然笑ってなかったし、心ここにあらずって感じだったぞ。我妻に手振ってたけど、なんかおかしかったしな。」
「そんなことまでわかるんですか?」
「まあな。俺、暇だから。生徒のことはよく見てんだよ。で、何があった?」
私と向き合って座っている宇髄先生は体の前で両手を組んで前かがみになり、真剣に話を聞いてくれようとしているのがよく分かった。
「あのですね…。今日、伊之助くんにバレンタインのことで相談したんです。」
「で?」
「そしたら、善逸くんは女子生徒から人気があるって言われて。」
「ほう。」
「バレンタインに何個もらうんだろうな、あいつって言われて…。」
「ふーん。」
「よく考えてみたら最近、休み時間に善逸くんが教室にいないことが多いなって気がついたんです…。」
「で、お前は急に不安になった…ってことか?」
「はい、おっしゃる通りです。」
真剣に話を聞いているであろう宇髄先生の顔を見ると、なんだか急にニヤついているように見えた。
「先生、なんか楽しんでません?」
「若いな、お前ら。」
「そりゃあ、高校生ですからね。」
「そういう意味じゃねえよ。で、なんか聞きたかったんじゃねえのか?」
「…善逸くんはモテてるんでしょうか?」
私がそう尋ねると、宇髄先生は急に噴き出した。
「聞くとこそこか…?」
「だって…モテてたら、いつか善逸くんが私よりいい人に出会って、私は善逸くんに捨てられちゃうかもしれないじゃないですか…!だからモテてるのか知りたくて…」
ちょっと涙目になりながら、声を震わせながらそう言ってしまった。
そして気がついた。
善逸くんが他の人に目移りするのも嫌だし、善逸くんに捨てられることに不安を感じていたことにようやく気がついた。
「まあ、落ち着けよ。我妻がモテてるかっていう質問だがな…。」
「はい。」
「あいつはモテてる。それは事実だ。」
「そうなんですか…。」
「ああ。あいつが休み時間に教室にいないのも、それが原因。」
「え?」
「バレンタインの前だからか知らねえが、しょっちゅう女子に呼び出されてるぜ、あいつ。」
「そうなんですか…!!」
「おう。校舎のいろんなところであいつ見るし、だいたい女子といっしょだからな。」
「全然知らなかった…。」
「気づいてなかったのか?」
「はい…。」
「お前、案外あいつのこと見てねえんだな…。」
「同じことを伊之助くんにも言われました。」
「ま、お前が安心しきってたってことだろうな。」
「え?」
「我妻とお前が付き合って、お前は安心しきってたんだろ?恋人になったから大きな問題は起きないって思ってたんだろうよ。」
確かに言われてみればそうかもしれない。
私は、善逸くんと恋人になったから、今後はずっと安定して仲良く過ごしていけると思い込んでいた節はあった。
「もうひとつ質問してもいいですか…?」
「いいぞ。」
「何で善逸くん、モテるんですか…?」
「お前はなんでだと思う?」
「えーっと…」
善逸くんがなぜモテるのかを考えて、いいところをいろいろ挙げてみた。
「優しいし、困ってたら助けてくれるし、一途なところもあるし、ちょっとうるさいけど真面目だし…。それから……」
「もういい、もういい。惚気は腹いっぱいだ。あいつがモテる原因はそれだ。」
「え?」
「お前たちが入学してきて時間が経って、あいつの良さに気づいた女子が増えたってことだよ。」
「そうなんですか…?」
「そりゃあ、お前。会って数か月で容姿以外の良さを見つけるのは難しいだろ?会ってから一年ぐらい経って、大方クラスメイトの性格も分かってきて、我妻のよさに気づいた女子が多かったってわけだ。」
「そうですか…。」
「それに…」
「え?」
「あんだけお前ら学校でいちゃついてたら、当てつけだってしたくなるだろうぜ、女どもは。」
「当てつけ…?」
「お前ら、ちょっと前まで四六時中、一緒にいただろ?」
「ええ…まあ。」
「それが原因で、我妻が好きな女子どもがお前と我妻の時間を減らそうと画策してんだよ。」
「えー、めんどくさー。」
「女ってのは、どんなに若くても女だからな。やっかむときはやっかむんだ。」
宇髄先生はそう言うと立ち上がって、急にコーヒーを入れ始めた。
準備室になぜコーヒーメーカーが置いてあるのかが不思議だったが、いい香りがして少しリラックスした。
「ほらよ。」
「あ、ありがとうございます。」
宇髄先生は私にもコーヒーを入れてくれていた。いい香りがするコーヒーを一口飲んでみたら、思いのほか苦かった。
「ちょっと苦め…」
「そうか?じゃあ、これでも食うか?」
そう言って差し出されたのは、チョコレートが4つ入っている箱だった。
なんだか立派な箱に入っていて、高そうだった。そのチョコレートもすごくいい香りがした。
「え?チョコレート?バレンタインでもないのに?」
「…ま、俺もそれなりにモテるんでね。」
「へー。」
「興味なさそうな返事だな。」
「はい。先生の恋愛は特に興味ないです。では、遠慮なくいただきます。」
そう言って一粒もらってぱくっと食べた。中からナッツのいい香りがするクリームが出てきて、とてもおいしかった。
「甘い物食べると、幸せな気持ちになりますねえ、やっぱり。」
「だろ?ま、お前は他の女のことなんか気にしないで、我妻と向き合ってみたらいいんじゃねえか。」
「そうですね…。」
私がそう言って、コーヒーを一口含んだその時だった。
目の前が急に暗くなって、それに驚いて顔を上げると、ものすごく近くに宇髄先生の顔があった。
ちょっとでも前に出てしまえば、顔が触れてしまいそうな距離だった。
「え、先生?」
「ま、お前ももうちょっと警戒心を持ったほうがいいとは思うけどな。」
「へ…?」
「お前、自分じゃ気づいてねえかもしんないけどな、それなりにいい女だぞ?」
「は…?」
「今、ここには俺とお前の二人だけ。他の生徒は帰宅してる。こんな近くに顔があって、俺に何をされてもおかしくないのに、お前は安心しきってる。」
「ちょ…ちょっと、先生…?」
「お前のいいとこ、教えてやろうか?」
宇髄先生はそう言うと右手を私の顔の左側に伸ばし、髪を耳にかけた。
…え、何これ?どういう状況?やっぱり準備室ってやましいことしか起こらないのでは…?
「いいか、よく聞けよ。お前のいいところは、素直なところだ。だが、それが危うさになるときもある。」
「危うさ…?」
「そうだ。素直だから、我妻の言葉を素直に喜んだり、嘴平が言ったことに惑わされたりするんだ。それで心が揺らぐ。」
「それは…そうかも…。」
「だから、お前が信じたいものを素直に信じればいいんだ。いいか、周りに惑わされるな。お前の信じたいものは…なんだ?」
宇髄先生はそう言うと、座ったまま私を急に抱きしめた。急な展開に驚き、私は喉を締めて小さく悲鳴を上げた。
すると宇髄先生は私の耳元でとても小さな声で
「安心しろ、俺はこれ以上は何もしない。このまま待ってろ。お前が信じたいものが来る。」
と言った。
私は耳を疑い「え?」と言うと、それとほぼ同時に廊下からものすごく早く走る足音がして、準備室の扉がとんでもない勢いで開かれ、けたたましい音がした。
「ちょっと…何してるんですかねえ、宇髄先生…?」
そこには普段聞いたこともないような低い声を出す善逸くんが立っていた。
明らかに普段の雰囲気ではなく、心の底から怒っている様子で、ちょっと怖く感じてしまった。
「何してるって、抱きしめてんの。」
「あんた教師だろ!?」
「教師である前に一人の人間だからな。俺が誰を好きになろうと勝手だろ?」
「だーめーでーすー!!!!!!舞智華ちゃんは俺の大事な大事な彼女なの!!さっさと離れろよ、おっさん!!!」
「だったらお前、てめえの彼女が不安になるようなことしてんじゃねえよ。」
「は!?」
「休み時間に何してるかぐらい、てめえでちゃんと伝えてやれよ!」
そう言うと、宇髄先生は私から離れて、善逸くんと向き合って仁王立ちをした。
「常野重はなあ、お前が休み時間に何も言わないでいなくなるから、不安になったんだよ。」
「そ…それは…」
「お前、ちゃんと自分の口で説明してやったことあんのか?」
「な…ない。」
「何で説明しねえんだよ。」
「しっ…仕方ないじゃん…。なんか言いにくいんだから…。」
「言いにくいから言わねえのか?だったら常野重が俺のところに泣きついてきても、お前も文句言えねえだろ。変なふうに疑われたって仕方ねえだろ。」
「じゃあ、あんた言えんのかよ。」
「何をだ?」
「そ…その…全然知らない女の子に呼び出された…って。あんたの彼女に言えんのかよ。」
「ああ、言えるね。」
「なんでだよ。」
「やましい気持ちなんかひとつも持ってねえからだよ。後ろめたさもなにもねえからだよ。」
「俺だってやましい気持ちなんかないし…当たり前だけど全部断ってるし…」
「じゃあ、なんで言わねえんだよ?」
「なんか…言いにくかったからだよ…。」
「そうかい。…こう言ってるぜ、お前の彼氏。」
「宇髄先生…。」
「あとは帰りながらでも、二人でよく話し合うことだな。」
「はい…。」
今、私は何を見せられたんだろう?なんで先生と生徒の関係の二人が恋愛の言い合いをしているんだろう?
と冷静になってみれば不思議だけど、「私に言いにくかった」という本音を引き出してくれたのは他でもない、宇髄先生だった。
この場をどうやって離れようかと考えていたら、さっきまで入口にいた善逸くんが私のもとへ駆け寄ってきて、そして力強く抱きしめた。
「ごめんね、舞智華ちゃん。ちゃんと話すから。」
「うん。」
「おっさんに変なことされてない?」
「何にもされてないよ。」
「でも抱きしめられてたじゃない。」
「あ…それはそうだけど…。何もされてないよ。」
「本当?」
そう言うと善逸くんは私から少し体を話して、まっすぐな目で私を見つめてきた。
そして、左頬に優しく手を添えて、さっき教室でしたように優しく口づけた。
唇が離れていったと思ったら、今度はさっきよりも激しく、噛みつくような口づけに変わり、息をするのも苦しかった。
善逸くんがなかなか離してくれなくて、どうしたのかと思った。でも、この感覚に少し浸りたいと思ったその時だった。
「はいはい、そこまでにしてくれ。続きはてめえらの家で勝手にやれよ。」
「せ…先生!!」
「常野重、お前、俺がいること忘れてただろ。」
「す…すみません…。そして恥ずかしい…。」
「はっ、俺への当てつけのつもりだろうがな、我妻。」
「なんだよ。」
「俺は生徒には手なんか出さねえよ。安心しろ。」
「は?抱きしめてただろ!」
「ああでもしねえと、お前が素直にならねえからだろ。いいからさっさと帰れ。邪魔だ。俺を帰らせろ。」
宇髄先生はそう言うと、私たちを準備室から放り出した。それから私たちはおとなしく、二人で歩いて帰路についた。
私と善逸くんの間には、何とも言えない空気が漂っていた。
いつも善逸くんと別れる道にあっという間についてしまった。
でも今日は善逸くんが私の手を握ってきて、まっすぐな目で私に言った。
「舞智華ちゃん、お願い。ちゃんと話がしたいんだ。だから、俺の家に来てくれないかな?少しの時間でいいから。」
迷いもないその視線に、私は素直に「うん」と頷いた。
そして手は繋いだものの、何も話さずに歩いて、気がついたら善逸くんの家についていた。
「上がって。」
「ありがとう。あれ…おうちの人は…?」
「ああ、俺、一人暮らしなんだ。」
「そうだったんだ。」
初めて上がった善逸くんの家は、思っていたよりもきれいにされていた。
ワンルームの部屋の真ん中に、カーペットが敷いてあって、その上に机が置いてあった。
「座ってて。お茶持ってくるよ。」
善逸くんはそう言うと、キッチンへ行き、お茶を持って戻ってきた。
「はい、お待たせ。」
「ありがとう。」
「あ、そうだ。良かったらこれ着て。俺も着替えるから。」
「え…」
そう言うと、善逸くんは急に着替え始めた。
「あ、ちょっと…!急に…!」
「ごめん、びっくりさせちゃったね。」
「うん…びっくりした…。」
「でも、舞智華には見てほしいけどね。俺の全部。」
「え?」
「何でもないよ。」
そう言って、善逸くんは着替えを続けた。
なんとなく目のやり場に困ったものの、人間とは不思議なもので、どうしてものぞき見はしたくなってしまう。
ちらりと目をやると、ちょうど上半身の制服を脱いで部屋着に変えているところで、意外と筋肉質な躯体が目に入った。
…善逸くんって、こんなに逞しい体をしていたことを初めて知った。
こうやって考えてみると、私は意外と善逸くんを見ていなかったことに改めて気づかされた。
「舞智華ちゃんも着替えなよ。」
「あ、うん。」
「俺、見ないから。」
そういうと、善逸くんは本当に見えないようにアイマスクまでして、私が着替えるのを待ってくれた。
「終わったよ。ありがとう。」
「うん、俺の部屋着も似合うね、舞智華ちゃん。」
そういうと善逸くんは、座っている私を後ろから抱きしめた。
なんだろう、今日はすごく抱きしめられるし、いつも以上にキスされたな…と感じた。
「ごめんね、舞智華ちゃん。不安にさせて。」
美術室の準備室のときとは全く違う、落ち着いた静かな声で善逸くんは話始めた。
「…伊之助くんに教えてもらったの。」
「何を?」
「善逸くんが女の子に人気があるって。」
「…そうなんだ。それ聞いて、舞智華ちゃんはどう思ったの?」
「正直、その時は嘘だと思った。」
「どうして?」
「だって去年、モテたい!って叫んでたし、チョコもらえるようにがんばって、不審者になってたぐらいだったから…。」
「…そうだったね。でも、そのおかげで俺は舞智華ちゃんと付き合えたんだよね。」
「うん。だから、善逸くんは女の子に人気がないだろうって思ってた。」
「うん。」
「でも、よく考えたら最近は、休み時間に教室にいないことに気づいて…。急に不安になっちゃって。」
「うん。」
「宇髄先生の授業でぼーっとしちゃって。それに気づいた宇髄先生が声かけてくれて。」
「うん。」
「そのあとの休憩に炭治郎くんも心配して話しかけてくれたんだけど…。伊之助くんが校庭を指さしてて…。」
「うん。」
「そっちを見たら善逸くんがいて、誰といるか見ようとしたら、急に炭治郎くんが私の目を隠してきて…。よく見えなくて…。」
「うん。」
「そしたら、いつの間にか善逸くんが教室に戻ってきてて、結局、あの瞬間に何があったのかはわからなかったし、炭治郎くんも伊之助くんも何も教えてくれなくて…。」
「うん。」
「で、宇髄先生に善逸くんがモテるのかを確認したの。」
さっきまで穏やかに私の話を聞いてくれていたのに、宇髄先生の話になった途端、私を抱きしめている腕にぎゅっと力が入った。
「…なんであのおっさんに確認したの?」
「え、恋愛の神だから…?」
「へー。」
なんだか心底興味のなさそうな声色で返事が返ってきたけど、気にせず話を進めることにした。
「でも、宇髄先生のおかげで、善逸くんのいいところに改めて気づいたし、善逸くんがモテる理由もわかった気がする。」
「そっか。」
「どうして休み時間のこと、教えてくれなかったの?」
「俺さ、前にも舞智華ちゃんには言ったと思うんだけどさ、耳がよくて。どんな気持ちかとかも音でわかることがあるんだ。」
「うん。」
「俺に話しかけてくる子たちみんなが、俺に気持ちがあるわけじゃなかった。」
「え?」
「多分だけど、俺に告白するっていう罰ゲームみたいなのをさせられてる子もいただろうし、本当に俺に気がある子もいたし。いろいろいたんだ。」
「そうなの…?」
「うん。だけど、本気の子だけ最初から断るのも変だし、断るならみんな同じ条件のほうがいいかと思ったんだよね。」
「…やっぱり、善逸くんは優しいんだね。」
「ありがとう。そう言ってくれるのは、舞智華ちゃんだからだよ。これだけは言っておきたいんだけど、呼び出されたみんなに「俺には彼女がいる」って伝えてたよ。」
「ありがとう。」
「でもね、中にはいるんだ。彼女がいるって伝えても、「そんなの関係ない」って言ってくる子も。」
「そういう子にはなんて言ったの…?」
「そういう子たちは、俺のことが好きなんじゃなくて、舞智華ちゃんに意地悪したいだけなんだって気づいた。」
「え?」
「ほら、いるでしょ?幸せそうな人を見たら、妬んじゃう人。そういう子たちは、そういうタイプ。俺のことが好きってわけじゃなくて、舞智華ちゃんを妬んで意地悪して、舞智華ちゃんを困らせたいんだよ。」
そういえば、宇髄先生にもそんなことを言われたな…と思い出した。
「だから、そういう子には『本当に俺のこと好きなの?違うんじゃない?俺の彼女を困らせたいだけでしょ?』って言って追い返したよ。」
「そうだったんだ。」
「だけど、それを説明する時間がなかなか作れなかった。だから、舞智華ちゃんを不安にさせちゃったんだと思う。」
善逸くんは、正直にすべてを話してくれた。そのことに私は安心して、後ろから回されている善逸くんの腕に私の腕を絡めた。
「ありがとう、善逸くん。全部話してくれて。」
「…本当はもっと早くこういう話をしておけば、伊之助にも変なこと言われなくて済んだのにね。本当にごめん。」
「ううん、もういいよ。全部話してくれたことが本当に嬉しかったし、やっぱり私が好きになった善逸くんだな、って思ったから。」
「ありがとう、舞智華ちゃん。」
善逸くんはそういうと、私の耳に小さく触れる程度のキスをした。ちょっとくすぐったかった。
嬉しい気持ちとくすぐったさの余韻に浸っていると、「でも…」と善逸くんから話をし始めた。
「なんで伊之助は舞智華ちゃんに、俺のそんな話したの?っていうか、伊之助と2人だけで話したの?」
「うん、2人だけで話したよ。」
「なんで?」
「え…なんでもよくない?」
しまった…。私が伊之助くんと2人で話をしていたところは善逸くんに見られていなかったのに…。
こんなことを言ったら、思いのほか嫉妬深い善逸くんから問い詰められることぐらいわかっていたのに、つい言ってしまった…。
そして私は今、「なんでもよくない?」と返事をしてしまっただけに、これは嫌な予感しかしない。
「なんでもいいことないよ。俺の大事な彼女が困るようなことを伊之助が言った理由は知りたいよ。ねえ舞智華ちゃん、伊之助と何の話してたの?」
「えー…それは内緒…。」
言えない。バレンタインに善逸くんが何が欲しいと思ってるかを聞き出そうとしただなんて言えない。
バレンタインのサプライズを考えたいのに、今ここでそんなことを白状してしまったら、サプライズでもなんでもなくなってしまう…!
「内緒なの…?俺に言えない話でもしてたの…?ねえ、舞智華ちゃん…。」
「え?」
私の耳元に善逸くんの熱い吐息がかかってきたと思ったら、善逸くんに借りた部屋着の中に、するりと善逸くんの手が入り込んできた。
「ちょ…ちょっと待って、善逸くん…!何してるの…!?」
「舞智華ちゃんが伊之助との話を教えてくれないからでしょ…?教えてくれないなら…このまま続けちゃうよ…?」
「え、なんで急にこんな感じに…?」
「だって舞智華ちゃん、今日は伊之助と2人で話して、炭治郎に目隠しされて、挙句の果てにはあのおっさんに抱き締められて…。舞智華ちゃんの彼氏はだあれ…?」
「善逸くんですよ…?」
「だよね?俺の大事な彼女なのに、ちょっと無防備すぎない?」
「え?」
「俺、すっごい嫉妬深いの知ってるでしょ…?だから、お仕置き。」
「へ?」
「本当に言わないと、続けちゃうよ…?いいの…?」
「続けるって…」
「本当は前から、舞智華ちゃんにこうやって触れたかったけど、ずっと我慢してたの。ちょっと今日はもう我慢できそうにないよ。」
「な…なんで…」
「決め手はおっさんに抱きしめられてたことだね。」
「何にもなかったよ…!」
「でも、俺は嫌だった。伊之助と話したことも教えてくれそうにないしね…。」
「ご…ごめんね、善逸くん…。」
「ごめんって思ってるんだったら…ね?」
善逸くんはそう言うと、準備室のときのように噛みつくようなキスをしてきた。
準備室のときよりも激しくて、善逸くんが離れると同時に、私と善逸くんは銀糸で繋がっていた。
気がついたら私の視界には善逸くんと、部屋の天井しか入ってこなかった。
「今日は金曜日だし。うちに泊まっていって。」
善逸くんはそう言って、また噛みつくように口づけてきた。
結局その夜、私は家には「友達の家に泊まる」とうそをつき、善逸くんと一晩過ごすことになった。
そして初めて体を重ねることになった。
それは…私が伊之助くんと話した内容を絶対に言わなかったから。
だって…その日まで黙っていたいから。そして善逸くんの驚く顔が見たいから。
今日一日はとても濃くて、いろんなことがあったけど、善逸くんときちんと向き合えた日だった。
この時、バレンタインまであと2週間。