ビルシャナ戦姫ss
源氏と平家の和平の象徴として、
知盛の妻となってから数日。
相変わらず知盛は私を外へ出してはくれず、
私はいつも通り邸の中で過ごしていた。
先日は皆と会う約束をしていたのにも関わらず、
その約束を破られてしまったりもしたが、
それ以外は特段と不満はない。それ以外は。
とはいえいつまでも引きずっていても仕方がない。
今度は絶対に何が何でも皆に会いに行くぞ!と心に決めて、
私は自室で書を読んでいた。
「姫君、お邪魔するよ」
「知盛?どうした、まだ仕事中じゃないのか?」
突然やってきた知盛の姿が目に入り、
驚きながら書物から目線を上げる。
普段ならまだ仕事中のはずなのに……と不思議に思う。
そんな私の考えが伝わったのか、
くすりと微笑んで私の疑問に答えてくれた。
「今日はこれから姫君と出かけたいと思ってね」
「出かける?」
予想外の言葉に反芻すると、
知盛はああ、と頷きを返してくる。
どうやら本当にそのつもりで来たらしい。
相変わらず突発的というかなんというか……。
だが、それこそ知盛らしいとも思う。
「さぁ、支度をして出かけようか」
「ああ、分かった」
約束を反故にされたあの日から、
数日間あまり外に出れていなかったこともあってか、
少々浮き足立っている自分がいる。
そして何よりも朝と夜にしか会うことのない知盛と、
昼間にどこかへ行けるということが、
私にとって嬉しいことだった。
■
それから邸の近くに開かれていた市を見て回り、
久々の外の空気を堪能した……その矢先だった。
「まさか雨が降ってくるとは」
偶然通りかかった茶屋で私と知盛は雨宿りをしていた。
朝から晴れていたのにな……思いつつ、
隣に座る知盛の方へ視線を向ける。
土砂降りの雨に濡れたおかげで、
私達はびしょびしょだったのだが、
茶屋の主人が手ぬぐいを貸してくれ、
濡れてしまった部分を拭っているところだった。
知盛の金色の髪からはゆっくりと雫が落ちていて、
その色香を含んだ姿に私はすぐさま視線を逸らす。
色男め……と思いながらザアザアと音を立てて降り注ぐ、
水の雫をぼんやりと眺める。
「姫君、きちんと拭わないと風邪を引いてしまうよ」
「あ、ああ。ありがとう」
膝の上に置いたままになってしまっていた手ぬぐいを、
知盛が取り上げ優しく私の濡れた髪を拭う。
大きな手のひらが私の髪を一束一束、
丁寧に手ぬぐいで拭っていく。
私はされるがままの状態で知盛が拭い終わるのをじっと待った。
「こんなことなら傘を持ってきたら良かったね」
「流石に空の移ろいは予測できない。
とはいえ市を見て回るのが楽しくて、
全く雲の流れを見ていなかったのが注意不足だった」
鎌倉の町で開かれていた市や、
平泉の市は見たことがあったが、
生まれ育った京の都の市というものは見たことがなく、
そのため何もかもが新鮮に見えて、
ついつい夢中になって出店を見てしまっていた。
そんな私の様子を知盛は楽しそうに見ていたが。
「お二人さん、お茶をどうぞ。
あれだけ濡れて身体も冷えてしまっているでしょう。
気休めにしかなりませんがこれで温まってください」
「ありがとうございます」
「有難く頂戴するよ」
店の中から膳を持った店主が出てきて、
私たちに温かいお茶を振舞ってくれた。
先程は手拭いまで貸して頂いたというのに、
お茶まで出していただけるとは……。
ありがたくも申し訳ない気持ちになる。
「雨が止むまではここでゆっくりしようか」
「そうだな」
また店の中へと戻っていった店主の背中を見送り、
今もまだ降り続ける雨をぼんやりと見つめる。
幼い頃からそうだったが、
こうして雨をぼんやりと眺めていると、
何だか心の内が虚無感でいっぱいになる。
悲しみや虚しさを感じることもあるが、
何でもない日に見ると心の内が空っぽになった心地になる。
感じていたことも考えていたことも全て、
この降り注ぐ雨に流されていってしまったみたいだ。
先の壇ノ浦の戦いでは、
得られたものもあったが喪ったものもあった。
私が望んでいた結末とは違う、
何ともいえない終わりだった。
今もまだ心にしこりが残っている。
あの時徳子殿を救えたのなら何か変わったのだろうかと。
時折夢に見る。
泣きじゃくっていた安徳天皇の姿を。
──救いたかった。
それはきっと隣にいる知盛も思ったことだろう。
それでも徳子殿の望みと託された願いのために、
今はただ前に進むしか道はない。
安徳天皇と私は生母を、
知盛は妹をあの戦いで喪った。
結局最期まで蓮月とは分かり合えなかった。
私がこうして生きることに時折意味はあるのかと考えてしまうことがある。
何しろ生まれ自体、生まれ方自体が異質なのだ。
そう考えてしまうのと同時に、
知盛とこれから先も生きていきたいとも思う。
やっぱり私は欲張りだなと苦笑する。
悲しみも後悔も全てこの雨に流そう。
雨が上がれば私はもう一度前に進む。
何も言わずそっと手を繋いで、
温もりを分けてくれる知盛と。
私達が望む未来のために───。
【the end】
知盛の妻となってから数日。
相変わらず知盛は私を外へ出してはくれず、
私はいつも通り邸の中で過ごしていた。
先日は皆と会う約束をしていたのにも関わらず、
その約束を破られてしまったりもしたが、
それ以外は特段と不満はない。それ以外は。
とはいえいつまでも引きずっていても仕方がない。
今度は絶対に何が何でも皆に会いに行くぞ!と心に決めて、
私は自室で書を読んでいた。
「姫君、お邪魔するよ」
「知盛?どうした、まだ仕事中じゃないのか?」
突然やってきた知盛の姿が目に入り、
驚きながら書物から目線を上げる。
普段ならまだ仕事中のはずなのに……と不思議に思う。
そんな私の考えが伝わったのか、
くすりと微笑んで私の疑問に答えてくれた。
「今日はこれから姫君と出かけたいと思ってね」
「出かける?」
予想外の言葉に反芻すると、
知盛はああ、と頷きを返してくる。
どうやら本当にそのつもりで来たらしい。
相変わらず突発的というかなんというか……。
だが、それこそ知盛らしいとも思う。
「さぁ、支度をして出かけようか」
「ああ、分かった」
約束を反故にされたあの日から、
数日間あまり外に出れていなかったこともあってか、
少々浮き足立っている自分がいる。
そして何よりも朝と夜にしか会うことのない知盛と、
昼間にどこかへ行けるということが、
私にとって嬉しいことだった。
■
それから邸の近くに開かれていた市を見て回り、
久々の外の空気を堪能した……その矢先だった。
「まさか雨が降ってくるとは」
偶然通りかかった茶屋で私と知盛は雨宿りをしていた。
朝から晴れていたのにな……思いつつ、
隣に座る知盛の方へ視線を向ける。
土砂降りの雨に濡れたおかげで、
私達はびしょびしょだったのだが、
茶屋の主人が手ぬぐいを貸してくれ、
濡れてしまった部分を拭っているところだった。
知盛の金色の髪からはゆっくりと雫が落ちていて、
その色香を含んだ姿に私はすぐさま視線を逸らす。
色男め……と思いながらザアザアと音を立てて降り注ぐ、
水の雫をぼんやりと眺める。
「姫君、きちんと拭わないと風邪を引いてしまうよ」
「あ、ああ。ありがとう」
膝の上に置いたままになってしまっていた手ぬぐいを、
知盛が取り上げ優しく私の濡れた髪を拭う。
大きな手のひらが私の髪を一束一束、
丁寧に手ぬぐいで拭っていく。
私はされるがままの状態で知盛が拭い終わるのをじっと待った。
「こんなことなら傘を持ってきたら良かったね」
「流石に空の移ろいは予測できない。
とはいえ市を見て回るのが楽しくて、
全く雲の流れを見ていなかったのが注意不足だった」
鎌倉の町で開かれていた市や、
平泉の市は見たことがあったが、
生まれ育った京の都の市というものは見たことがなく、
そのため何もかもが新鮮に見えて、
ついつい夢中になって出店を見てしまっていた。
そんな私の様子を知盛は楽しそうに見ていたが。
「お二人さん、お茶をどうぞ。
あれだけ濡れて身体も冷えてしまっているでしょう。
気休めにしかなりませんがこれで温まってください」
「ありがとうございます」
「有難く頂戴するよ」
店の中から膳を持った店主が出てきて、
私たちに温かいお茶を振舞ってくれた。
先程は手拭いまで貸して頂いたというのに、
お茶まで出していただけるとは……。
ありがたくも申し訳ない気持ちになる。
「雨が止むまではここでゆっくりしようか」
「そうだな」
また店の中へと戻っていった店主の背中を見送り、
今もまだ降り続ける雨をぼんやりと見つめる。
幼い頃からそうだったが、
こうして雨をぼんやりと眺めていると、
何だか心の内が虚無感でいっぱいになる。
悲しみや虚しさを感じることもあるが、
何でもない日に見ると心の内が空っぽになった心地になる。
感じていたことも考えていたことも全て、
この降り注ぐ雨に流されていってしまったみたいだ。
先の壇ノ浦の戦いでは、
得られたものもあったが喪ったものもあった。
私が望んでいた結末とは違う、
何ともいえない終わりだった。
今もまだ心にしこりが残っている。
あの時徳子殿を救えたのなら何か変わったのだろうかと。
時折夢に見る。
泣きじゃくっていた安徳天皇の姿を。
──救いたかった。
それはきっと隣にいる知盛も思ったことだろう。
それでも徳子殿の望みと託された願いのために、
今はただ前に進むしか道はない。
安徳天皇と私は生母を、
知盛は妹をあの戦いで喪った。
結局最期まで蓮月とは分かり合えなかった。
私がこうして生きることに時折意味はあるのかと考えてしまうことがある。
何しろ生まれ自体、生まれ方自体が異質なのだ。
そう考えてしまうのと同時に、
知盛とこれから先も生きていきたいとも思う。
やっぱり私は欲張りだなと苦笑する。
悲しみも後悔も全てこの雨に流そう。
雨が上がれば私はもう一度前に進む。
何も言わずそっと手を繋いで、
温もりを分けてくれる知盛と。
私達が望む未来のために───。
【the end】