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イケメン源氏伝ss

泰親さんと恋仲になり、
大倉御所から泰親さんが住む御屋敷に移り住むようになってようやくここでの生活にも慣れてきた頃。

すっかり夕暮れ時になり、
明るかった空が暗くなっていく様をぼんやりと見つめながら、
薬師の仕事をいつもより早くに上がった私は、
泰親さんの部屋で帰りを待つことにした。

私の部屋も用意してくれているけれど、
そちらは基本的に作業部屋のようなもので、
泰親さんからお願いされて、
普段からこうして自分の部屋ではない、
泰親さんのお部屋で過ごすことにしていた。

もちろん初めは自分の部屋ではなく、
この屋敷の主である泰親さんのお部屋なのだから、
自分の部屋のように寛ぐわけにもいかないとお断りをしたのだが言いくるめられてしまい、
こうして主がいない部屋でまったりとしているのだ。

「ただいま、由乃さん」
「お帰りなさい!」

スっと襖が開いたかと思えば待ち望んでいた人の姿が目に映って、
今朝にも会ったはずだというのにやっと会えたという嬉しい気持ちが胸をいっぱいにする。

「ん?由乃さん、その怪我は……?」
「え、……あ」

『しまった』という顔をした時にはもう既に遅く、
着物の袖で隠していた包帯を巻いた腕をさらけ出される。

「これは?」
「あ、あの、その……実はどこでこうなったのかは覚えていないんですが擦りむいてしまっていて……」
「いつから?」
「え、えっと……二日前です……」

どう考えても泰親さんが怒っていると伝わってきて、
若干しどろもどろになりながら、
私は二日前からバレないようにと隠してきた怪我のことを話す。

きっと仕事に夢中になっている間に、
柱か何かに腕を押し付けてそのまま離さずに引いてしまったことで、
擦りむいたのだろうと私は憶測ではあるもののきちんと説明する。

私が怪我をしていることに気付いたのは、
女中さん達のお仕事のお手伝いをしているときに、
仲良くしてくださっている女中さんの一人が血相を変えて私に進言してくれたからだ。
そもそも当主である泰親さんの恋仲の相手に自分たちの仕事をお手伝いさせるなんて……!とものすごく恐縮されたこともあるので、
きっと泰親さんのお怒りがとんでもないことになるから、
あんなにも顔色が悪かったのだろうか……?

ぼんやりとあの時のことを思い出していると、
不意に泰親さんが私の怪我をしている右手をその大きな両手で手に取り、
祈るように自身の額にそっと押し付ける。

「泰親さん?」
「ごめんね、気付かなくて」
「いえ!そもそも私が隠していたんですから……」

幕府と反乱軍と朝廷。
この三つの勢力を取り持つ重大な役目を担う泰親さんに要らぬ心配はかけさせたくないからと、
隠してきていたのだから、
今まで気付かなかったのは至極当然のことで私に咎める権利なんてない。

「由乃さん、今度は絶対に隠したりしないで。
要らぬ迷惑だとか思ったりなんてしない。
教えてくれた方が俺としても頼られてるって実感して……とても安心するから。
……こんな心臓に悪い驚きはもう二度としないで」
「はい……」

本当に包帯を巻いた腕を見たとき、
泰親さんは見たこともないほどに驚きで目を見開いていた。
そしてそれからの泰親さんの表情は怪我をしているのは私なのに、
私以上に痛いと言っているような悲しい顔をしている。
……本当に悪いことをしてしまったと私は理解して小さく瞼を伏せる。

「お仕置きに、治るまで俺が全部お世話するからね」
「え!?」

「着物を着せるのも、髪を結うのも、
思いつく限りのこと全部やるよ。覚悟してね?」

そっと額に押し当てていた私の右手を握ったまま下ろした泰親さんが怖いくらいの笑顔を浮かべて私にそう告げる。
普段からも結構甘やかされているのに、
これ以上甘やかされたら私の身が持たない……!!
どうしよう……と焦っている私を優しげな瞳で見下ろす泰親さんは心底楽しそうで。
そもそも泰親さんに隠し事をしていた私が悪いのだし、
きちんと受けようと満面の笑みを浮かべる泰親さんを見て、
私は心の中でそう思い、覚悟を決めた。




すやすやと俺の腕の中で眠る由乃さんを見つめながら、
夕方にあったことを思い出す。

本当に一瞬だけ見えた包帯に巻かれた腕。
その包帯にはまだ血が滲んでいて、
いつかの日に見た予知夢を思い出した。

──まだ由乃さんとは敵同士だった頃。
記憶を奪って、戦う術も奪って、
全ては顕仁様の為にと、
この身の全てを投げ打って戦っていたあの頃。
突如としてやってきた嵐に見舞われ、
三日もの間、幕府との戦が中止になっていたあの時。
三日目の晩に見た、今でも忘れられない光景。

炎に巻かれ、逃げ惑う兵たち。
灼熱の炎から逃れようと避難する京の民。
暴れ回る朱雀によって一瞬にして崩れ去った京。
──そして。今でも時折思い出しては、
この胸が痛いほどに締め付けられる”あの光景”。

『予知夢の結末は変えられない』。
かつて、由乃さんを京に招いた時。
眠るのが嫌いだと告げたあの夜。
初めて聞いた優しい子守唄を由乃さんが歌ってくれたあの日に告げた言葉。
そして今までずっと俺の心の中に根底にあり続けた『常識』。

大量の血に濡れ、横たわる姿。
最期にみんなを助けてほしいと願い、涙を流すあの姿。
──由乃さんの、死ぬ結末。
今ではもう考えられない、
思い出してしまえば心がどうにかなってしまいそうなほどに苦しい。

衝撃だった。絶望的だった。信じたくなかった。
どうしてと夢の中で叫んだ。
誰からも愛し愛され、
温かな光をくれる彼女がどうして最期にはたった独りで苦しんで、
死んでしまうのだろうかと。

今はそんな未来を乗り越えて共にいてくれている。
そう分かっている。
理解しているけれど、
どうしても思い出してしまう。それも鮮明に。

何度も何度も何度も思い出す度に、
心の隙間がぽっかりと空いてしまって、
喪失感に苛まれて、絶望に身を焦がされて。
でも、いつも彼女の他愛のない可愛らしさが、
温かさがそんなものを忘れさせてくれる。
俺の隣で生きているこの日々こそが、
現実なのだと教えてくれる。

安心し切ったようにあどけない顔で眠る由乃さんをぎゅっと抱きしめる。
離さないようにとその温もりに縋るように。
──温かい。
死んでしまえば感じられないモノを彼女から感じて、
やっと強ばった心が和らいでいく。

ずっとずっと守り、愛し続けるから。
記憶を失っても俺を愛してくれた君の為に俺はこれからも君の隣で生きていくから。
どうか、俺を置いてどこかへ行かないでと心の中で誰にも聞こえない弱音を吐いた────。

「……あの、泰親さん?」
「うん、何かな?」

現在私は泰親さんに髪を梳いてもらっているところなのだが、
いたたまれなさでつい声をかけてしまう。

「今日はお仕事があるんですよね?
わざわざ私のお世話なんてしなくても、
女中さんに頼めば身支度できるので……」
「だぁめ。お仕置きだって言ったでしょ?」
「で、でも……」

どこか楽しそうに私の髪を梳いている泰親さんに昨日の朝からずっとこうして攻防戦を繰り広げているのだが、
何だかいいように丸め込まれてしまう。

「流石に着替えまでは……その……」

──そう。私としては”お世話する”と言っても何か重いものを持ってくれたりする程度かなと思っていたのだが、
泰親さんはその予想の遥か上をいくお世話をしてきたのだ。

物を持つのはもちろん、ご飯を食べさせるのも、
髪を結うのも、ましてや着替えさえも全て泰親さん一人が行っているのだ。
……別に手先を怪我した訳でもないから、
ご飯を食べることだって髪を結うことだって特に障害もなくやれるのにと昨日の朝からずっと言っているのだが、聞く耳を持ってくれない。

「ほら、以前に『甘やかされ過ぎるとそれに溺れそうで怖い』って君が言ってたでしょ?」
「え?……はい」
「だからお仕置きとしてはちょうど良いかなって。
今まで以上に俺がいないとダメにしようと思って」
「っ……!?」

後ろにいた泰親さんの声が耳元に注がれて驚きでびくりと肩が震える。
そんな私の様子をクスリと笑う気配がした。

「ほら、こっち向いて?」
「う……はい」

髪を梳いて結ったあと、
今は着物を着せられているところで、
まるで着せ替え人形になったような気持ちで恥ずかしながらもじっとしていた。
どうやら帯まで結び終えたらしく、
私にこっちに向くように言った泰親さんの方へそっと恥ずかしさといたたまれなさを心の内に抱えながら振り向いた。

「わぁ、顔真っ赤だね。可愛い」
「……っ!」

するりと頬を撫でられ、
撫でられる前よりも身体が熱くなるのが分かる。
目の前にいる泰親さんはとても楽しそうで、
何やら満足そうにも見える。

「恥ずかしながら困ってる君の顔って本当に可愛いよね」
「ぅ……それは褒めてるんですか?」
「褒めてるよ。
だからときおり見たくなっちゃうんだよね」

とっても楽しそうにしている泰親さんの姿を目に映してしまえば、
もう私に対抗できる余地なんてない。

「あの……泰親さん」
「ん?」
「本当にお忙しいときにまで私のお世話はしなくていいんですよ?
自分でできなかったら女中さんがいますし……」
「うーん、俺としてはそれが嫌なんだよね」

私を膝の上に乗せた泰親さんは、
後ろから私の肩に顎を乗せてはぁっと息を吐く。
嫌というのはどういうことなんだろう?

「俺としては君のお世話をする権利を例え女中であろうとも取られたくないんだよね」
「え……?」

意外過ぎる返答に私はどう返せば良いのか分からなくなって言葉に詰まる。
女中さんにもお世話をする権利を取られたくない……?

「私、そんなに魅力的というわけでもないと思うんですけど……」
「いいや、君はとっても魅力的な人だよ。
君は自覚がないだけで老若男女問わず惹きつけられるような、ね」
「そ、そうですか?」

確かに最近になってから周りからの視線が今までと少しだけ違ってきているのは実感している。
なんと言うか……まだ恋仲になっていなかった頃、
助手としての一番初めの仕事の時に、
町中の女性たちが泰親さんへ向けていたものと同じような、
似たような感じの視線が向けられているのは私も何となくだけれど分かっている。

「だからどんな事でも君に関連することだけは、
他の誰にも──俺以外の人にもやらせたくないし、
関わらせたくないと思ってるんだよ」

大事なものを扱うかのような優しさで泰親さんが私を抱きしめる。
それだけで私の鼓動はうるさいくらいに高鳴っていて、
すぐ後ろにいる泰親さんに聞こえてるんじゃないかと一瞬だけ思うと、
そこからずっと頭の中からその思いが消えてくれなくて。

──このままじゃきっと溺れてしまう。
泰親さんが先程言っていたように、
泰親さんなしでは生きられなくなってしまう。
既にそうはなっているけれど、
自分で当たり前のようにできることすら泰親さんを必要としてしまうようになってしまう。
それが怖くて。───同時に嬉しくて。
矛盾したこの気持ちはどうしたらいいのかとずっとずっと悩むしかなかった。

底の底、奥深くまできっといつか溺れきって、
二度と這い上がれなくなってしまう。
──そんな甘すぎる恐怖に私は身を震わせた。

【終】
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