イケメン源氏伝ss
泰親さんに攫われて、
どれほどの月日が流れただろう。
幕府の一員として、
自分にできることをやろうと、
薬師として日々勤しんでいた日常があまりにも古く、
遠い過去のように思える。
初め泰親さんの屋敷に攫われたとき。
どうしてだろうと疑問に思った。
幕府にとって、
反乱軍への『切り札』となる私を攫って、
幕府と反乱軍の共倒れを目論んでいることは、
すでに泰親さん本人から聞いていたから、
知っているけれど……でも、それでも分からなかった。
泰親さんは私に対して何かするわけでもなく、
屋敷内なら自由に出入りしていいからと言われて、
私は混乱するしかなかった。
本来、捕虜として捕らえられた身である私が、
屋敷内を自由に動き回っていいことなんてあるだろうか?
勝手に抜け出して、
逃げる可能性くらい泰親さんなら分かっているし、
予想しているだろう。
日に日に、
泰親さんはよく私に宛てがわれた部屋へやってきては、
色んなことをしてみせる。
それは全て『私に笑ってほしいから』。
私が笑うことで、
泰親さんにとって何の益になるのだろうかと私は毎日考えている。
──でも、一つだけ。
ここ最近になってわかってきたことは、
私もこの状況に対して好意を抱いていること。
……泰親さんを愛してしまっていること。
それでも私は幕府の一員で、
泰親さんは朝廷に属する陰陽師。
敵同士であり、
目的が違う私たちが交わることなんてないだろう。
……分かっているのに。
どうしてもこの心は泰親さんに動いてしまう。
私には叶わない、
願ってはならないことだと頭ではとっくに理解しているのに、
心は全く理解してくれない。
何度も何度も、
心に思っていない言葉を泰親さんに告げる度、
この心が痛いと悲鳴を上げていて。
駄目なことはわかっている。
なのに、どうして………。
■
「こんにちは、由乃さん」
「……泰親さん」
すっと音もなく静かに開いた襖から、
部屋の中へ入ってきた泰親さんを見て、
今がお昼頃なのだと理解する。
泰親さんはよく、
昼頃に顔を出しにくることをここ最近知り、
感覚的な認識だけれど。
「最近、ずっとこの部屋にいるよね。
別に屋敷内を自由に散策してもらっても良いんだよ?」
「……」
私のすぐ傍にいつものように腰を下ろした泰親さんは、
私の顔を覗き込みながらそう告げる。
何も言わない私を見て、
少し悲しげな表情をしている泰親さんを見て、
私は言葉が詰まって、
いつものように泰親さんに言っている言葉が出てこなかった。
そんな表情を今まで、
御所で会った時に見たことはあっただろうか。
私をこうして閉じ込めることで、
泰親さんとしては何か利益があるのだろうか?
幕府への交渉を有利にするため?
でも、それだけじゃない気がする。
何となく、
そう感じてしまってからは、
泰親さんの本当の目的が分からなくて、
いつもいつも考えてしまっている。
「……君は最近、笑わなくなったね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「……俺のせいだろうね。
でも、ごめんね?もう離せないんだ。
君を幕府の元に返してあげられない」
「……どうしてですか?」
分かっている、そんなこと。とっくの前に。
だって、
泰親さんも私と同じ気持ちを抱いているのだと知ったときに、
私だって嬉しいと感じてしまったから。
でも、お互いの立場がそれを許さない。
だからずっと、私は虚勢を張り続ける。
あなたを恨んでいるのだと、演じ続ける。
──泰親さんを、恨めやしないというのに。
できるなら、許されるなら。
愛していると、大好きだと今すぐにでも伝えたい。
でも、私にも泰親さんにも信念がある。
泰親さんは顕仁様のために。
私は幕府の皆のために。
どうしたっていずれは戦う宿命にある。
この気持ちを伝えることは、絶対にできない。
「……私を、幕府に帰してください」
「ごめんね、それはできない。
──俺が君を愛してしまったから」
そっと優しく泰親さんに抱きしめられて、
どうしようもなくなる。
何も考えられなくなる。
脆すぎる虚勢があっという間に剥がれていきそうで、
私は何とか自分の心を奮い立たせる。
……こんなの、無理だ。堪えられない。
本当は大好きなんだって伝えたい。
でも、言ってはいけない。
それを証明するかのように泰親さんの声色は、
大罪を犯したとばかりに罪悪感と、
ほんの少しの甘さを含んでいた。
できるのなら、私もその背に腕を回して、
大好きな人のその身体を抱きしめ返したい。
こんなに近くに愛しい人がいるのに、
互いの立場は許してくれない。
私の心はすでにギリギリのところで保たれている。
今まで経験したことのない葛藤に、
心が、精神が疲弊しきっている。
『幕府のことなんて忘れて自分の気持ちに素直になればいい』
『今までお世話になった幕府の皆に迷惑はかけられない』
そんな思いがずっとずっと頭の中で交差している。
何度も何度も入れ違いで全く真逆の想いが、
私の心を魅惑的に誘惑していく。
「どうして……帰してくれないんですか?」
「……」
私の質問に泰親さんは答えてはくれなかった。
ただ、
さっきよりも少しだけ私を抱きしめる腕に力を込めただけだった。
それがどういった意味での返答なのかは分からない。
どうしようもないこの想いは、
どこへぶつければ良いのだろう。
そんな想いを抱えながら、
私は今日も泰親さんに囚われる───。
■
『幕府に返してほしい』。
由乃さんはいつも俺が部屋を訪れる度、
何度も何度もそう告げてくる。
由乃さんにとって、
幕府の皆が大切な存在だということは、
彼女が御所で働いている姿を見て、
分かりきっていたことだった。
でも、か弱いながらも勇敢に立ち向かい、
どんな人にも心を許す、
そんな彼女にいつの間にか、
知らず知らずの間惹かれていた。
か弱いと思えば、強く勇敢で、誰よりも眩しく、
強いと思えば、儚く、か弱い。
そんな全く真逆な姿を何度も見て、
どうしても彼女から目が離せなくなった。
──このまま幕府の元にいれば、
彼女は必然的に反乱軍との戦に巻き込まれる。
そう考えたとき、
心の底から冷えていく感覚がしたのを今でも覚えている。
どうしようもなく戦慄したことを覚えている。
彼女は俺にとって敵の立場にあることは理解していた。
いつかはその身を、
その命を俺の目的のために、
犠牲にしてもらわなければならないとも考えていた。
全ては顕仁様のために。
あの方のために、
俺は今まで血反吐を吐くような努力を続けてきたのだから。
……それでも人の心というのは醜いもので。
彼女が戦で命を落とすかもしれない。
そんな可能性を思い描いただけで、
俺の心は酷く波立って、
自分でも抑えきれないほどの激情に身を焦がされたのを覚えている。
だから、心が望むままに、
彼女を幕府の元から攫った。
二度と危険な目に遭うことがないように。
安全な場所で平和に暮らしてほしくて。
──いいや、それは違う。
今の俺は、
彼女の自由あってこそのあの眩い輝きを奪ったのだから。
初めのうちはきっとそんな単純な思いだっただろう。
でも今は、
今思っていることは全然違うのだと理解していた。
綺麗な鳥かごの中で、
俺だけが頼りとなる世界で、
ただ誰にも傷付けられないように。
ずっとずっと俺に囚われてもらうように、
その綺麗な輝きを、美しい羽を、
ひとつひとつ、もぎ取っていった。
二度とどこにも行けないように。
俺から離れられないように。
俺の心を巣食う歪な愛情がそうしていった。
自由を奪われた彼女には、
以前のような眩い輝きは消え失せていって、
今はただ、
ほんの少しの希望だけを抱えて生きている。
「ごめんね、でももう手放せない。
幕府の元になんて返してあげられない。
……だからずっと俺に囚われて、溺れていて」
ある日の晩。
すやすやと小さな寝息を立てて眠る彼女をそっと抱き起こして、
その額に口づけを送る。
目覚めれば彼女はきっと俺を憎むだろう。
でもそれでいい。
そう思うようなことを俺は彼女にしているのだから。
愛されても困る。
彼女には俺を憎んでもらわなければ。
訪れようとしている新たな今日もまた、
歪に彼女を愛し続けるだろう。
それが、互いに許されないものであっても。
【the end】
どれほどの月日が流れただろう。
幕府の一員として、
自分にできることをやろうと、
薬師として日々勤しんでいた日常があまりにも古く、
遠い過去のように思える。
初め泰親さんの屋敷に攫われたとき。
どうしてだろうと疑問に思った。
幕府にとって、
反乱軍への『切り札』となる私を攫って、
幕府と反乱軍の共倒れを目論んでいることは、
すでに泰親さん本人から聞いていたから、
知っているけれど……でも、それでも分からなかった。
泰親さんは私に対して何かするわけでもなく、
屋敷内なら自由に出入りしていいからと言われて、
私は混乱するしかなかった。
本来、捕虜として捕らえられた身である私が、
屋敷内を自由に動き回っていいことなんてあるだろうか?
勝手に抜け出して、
逃げる可能性くらい泰親さんなら分かっているし、
予想しているだろう。
日に日に、
泰親さんはよく私に宛てがわれた部屋へやってきては、
色んなことをしてみせる。
それは全て『私に笑ってほしいから』。
私が笑うことで、
泰親さんにとって何の益になるのだろうかと私は毎日考えている。
──でも、一つだけ。
ここ最近になってわかってきたことは、
私もこの状況に対して好意を抱いていること。
……泰親さんを愛してしまっていること。
それでも私は幕府の一員で、
泰親さんは朝廷に属する陰陽師。
敵同士であり、
目的が違う私たちが交わることなんてないだろう。
……分かっているのに。
どうしてもこの心は泰親さんに動いてしまう。
私には叶わない、
願ってはならないことだと頭ではとっくに理解しているのに、
心は全く理解してくれない。
何度も何度も、
心に思っていない言葉を泰親さんに告げる度、
この心が痛いと悲鳴を上げていて。
駄目なことはわかっている。
なのに、どうして………。
■
「こんにちは、由乃さん」
「……泰親さん」
すっと音もなく静かに開いた襖から、
部屋の中へ入ってきた泰親さんを見て、
今がお昼頃なのだと理解する。
泰親さんはよく、
昼頃に顔を出しにくることをここ最近知り、
感覚的な認識だけれど。
「最近、ずっとこの部屋にいるよね。
別に屋敷内を自由に散策してもらっても良いんだよ?」
「……」
私のすぐ傍にいつものように腰を下ろした泰親さんは、
私の顔を覗き込みながらそう告げる。
何も言わない私を見て、
少し悲しげな表情をしている泰親さんを見て、
私は言葉が詰まって、
いつものように泰親さんに言っている言葉が出てこなかった。
そんな表情を今まで、
御所で会った時に見たことはあっただろうか。
私をこうして閉じ込めることで、
泰親さんとしては何か利益があるのだろうか?
幕府への交渉を有利にするため?
でも、それだけじゃない気がする。
何となく、
そう感じてしまってからは、
泰親さんの本当の目的が分からなくて、
いつもいつも考えてしまっている。
「……君は最近、笑わなくなったね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「……俺のせいだろうね。
でも、ごめんね?もう離せないんだ。
君を幕府の元に返してあげられない」
「……どうしてですか?」
分かっている、そんなこと。とっくの前に。
だって、
泰親さんも私と同じ気持ちを抱いているのだと知ったときに、
私だって嬉しいと感じてしまったから。
でも、お互いの立場がそれを許さない。
だからずっと、私は虚勢を張り続ける。
あなたを恨んでいるのだと、演じ続ける。
──泰親さんを、恨めやしないというのに。
できるなら、許されるなら。
愛していると、大好きだと今すぐにでも伝えたい。
でも、私にも泰親さんにも信念がある。
泰親さんは顕仁様のために。
私は幕府の皆のために。
どうしたっていずれは戦う宿命にある。
この気持ちを伝えることは、絶対にできない。
「……私を、幕府に帰してください」
「ごめんね、それはできない。
──俺が君を愛してしまったから」
そっと優しく泰親さんに抱きしめられて、
どうしようもなくなる。
何も考えられなくなる。
脆すぎる虚勢があっという間に剥がれていきそうで、
私は何とか自分の心を奮い立たせる。
……こんなの、無理だ。堪えられない。
本当は大好きなんだって伝えたい。
でも、言ってはいけない。
それを証明するかのように泰親さんの声色は、
大罪を犯したとばかりに罪悪感と、
ほんの少しの甘さを含んでいた。
できるのなら、私もその背に腕を回して、
大好きな人のその身体を抱きしめ返したい。
こんなに近くに愛しい人がいるのに、
互いの立場は許してくれない。
私の心はすでにギリギリのところで保たれている。
今まで経験したことのない葛藤に、
心が、精神が疲弊しきっている。
『幕府のことなんて忘れて自分の気持ちに素直になればいい』
『今までお世話になった幕府の皆に迷惑はかけられない』
そんな思いがずっとずっと頭の中で交差している。
何度も何度も入れ違いで全く真逆の想いが、
私の心を魅惑的に誘惑していく。
「どうして……帰してくれないんですか?」
「……」
私の質問に泰親さんは答えてはくれなかった。
ただ、
さっきよりも少しだけ私を抱きしめる腕に力を込めただけだった。
それがどういった意味での返答なのかは分からない。
どうしようもないこの想いは、
どこへぶつければ良いのだろう。
そんな想いを抱えながら、
私は今日も泰親さんに囚われる───。
■
『幕府に返してほしい』。
由乃さんはいつも俺が部屋を訪れる度、
何度も何度もそう告げてくる。
由乃さんにとって、
幕府の皆が大切な存在だということは、
彼女が御所で働いている姿を見て、
分かりきっていたことだった。
でも、か弱いながらも勇敢に立ち向かい、
どんな人にも心を許す、
そんな彼女にいつの間にか、
知らず知らずの間惹かれていた。
か弱いと思えば、強く勇敢で、誰よりも眩しく、
強いと思えば、儚く、か弱い。
そんな全く真逆な姿を何度も見て、
どうしても彼女から目が離せなくなった。
──このまま幕府の元にいれば、
彼女は必然的に反乱軍との戦に巻き込まれる。
そう考えたとき、
心の底から冷えていく感覚がしたのを今でも覚えている。
どうしようもなく戦慄したことを覚えている。
彼女は俺にとって敵の立場にあることは理解していた。
いつかはその身を、
その命を俺の目的のために、
犠牲にしてもらわなければならないとも考えていた。
全ては顕仁様のために。
あの方のために、
俺は今まで血反吐を吐くような努力を続けてきたのだから。
……それでも人の心というのは醜いもので。
彼女が戦で命を落とすかもしれない。
そんな可能性を思い描いただけで、
俺の心は酷く波立って、
自分でも抑えきれないほどの激情に身を焦がされたのを覚えている。
だから、心が望むままに、
彼女を幕府の元から攫った。
二度と危険な目に遭うことがないように。
安全な場所で平和に暮らしてほしくて。
──いいや、それは違う。
今の俺は、
彼女の自由あってこそのあの眩い輝きを奪ったのだから。
初めのうちはきっとそんな単純な思いだっただろう。
でも今は、
今思っていることは全然違うのだと理解していた。
綺麗な鳥かごの中で、
俺だけが頼りとなる世界で、
ただ誰にも傷付けられないように。
ずっとずっと俺に囚われてもらうように、
その綺麗な輝きを、美しい羽を、
ひとつひとつ、もぎ取っていった。
二度とどこにも行けないように。
俺から離れられないように。
俺の心を巣食う歪な愛情がそうしていった。
自由を奪われた彼女には、
以前のような眩い輝きは消え失せていって、
今はただ、
ほんの少しの希望だけを抱えて生きている。
「ごめんね、でももう手放せない。
幕府の元になんて返してあげられない。
……だからずっと俺に囚われて、溺れていて」
ある日の晩。
すやすやと小さな寝息を立てて眠る彼女をそっと抱き起こして、
その額に口づけを送る。
目覚めれば彼女はきっと俺を憎むだろう。
でもそれでいい。
そう思うようなことを俺は彼女にしているのだから。
愛されても困る。
彼女には俺を憎んでもらわなければ。
訪れようとしている新たな今日もまた、
歪に彼女を愛し続けるだろう。
それが、互いに許されないものであっても。
【the end】