傷跡の等価交換(仮)
錬成光と吹き上がる風が、俺を包むのが目を瞑っていても分かる。あの日と同じだ。お前が俺の前から居なくなったのも。それを俺が取り戻そうとするのも。結局俺たち、振り出しに戻ったな。それでもやっぱり、俺はお前を失いたくない。お前が消えてしまったままで、いいはずがないのだから。
だから。
「ーー戻ってこい、アル」
※※※
「へっくしょい!……ったく、寒ぃなぁ……」
両手をさすって暖を取りながら、エドワード・エルリックーー基、現神谷エドは独りごちる。一月の寒空は、暗くどんよりとしていて夜になっても雨雲らしきものが見える。雨の匂いのようなものもするし、もしかすると雨、もしくは雪すら降るかもしれない。道理で接続部が痛むと思った。ため息は白く染まり、広がって溶けていった。
数ヶ月ぶりに東京に戻ってきたのに、ついていない。重い身体に鞭を打って、足を早める。予備の義足が一番重いが、これがないと壊れた時に困るのは自分なので仕方がない。走れればいい。けれど、走る気力などない。今回もーーまた駄目だったから。
「なんだよ……これ」
神谷活心流道場。
門をくぐったエドの目に飛び込んできたのは、ひと言で言えば惨状だった。
ひび割れた看板、荒らされた庭。ただ事ではない。複数の足跡。足跡は母屋ではなく道場に向かっている。
「おい薫! 何があった!?」
「エド姉さん……っ!」
道場に勢いのまま走り込めば床にへたり込んでいる義妹――神谷薫の姿。駆け寄ると、薫はエドの胴にしがみつき、張り詰めていた糸が切れたように泣きじゃくった。辺りに見知らぬ男どもが倒れているが、エドの知ったことでは無い。今のエドが優先すべきは薫だけなのだから。
留守にしていた間に、この道場に何が起きたのか。何故自分はその時居なかったのか。また、いなかった。エドの黄金の瞳が鋭く細められ、左の義足が床を踏みしめる。
「……事情は警察の方に話してきたでござるよ。もうじき応援を呼んでやって来るとのことでござる」
不意に、穏やかすぎる声が降ってきた。しがみついている薫を抱きとめる腕は離さず、首だけ声のした方に動かすと、すぐ後ろに箒を持った赤髪の男が立っていた。
『死にたいのか……?』
頬には十字傷。そして腰には刀。視線が絡む。
その瞬間、二人の間の空気が凍りついた。
「…………」
「…………」
男の目が、すっと細められる。エドもまた、薫を抱き留める腕に無意識に力を込めた。忘れるはずがない。その、死に場所を探しているような、暗く静かな瞳。
「……以前、会ったでござるな」
「……ああ。その惚けた面と口調、覚えてる」
エドの脳裏に、雨の匂いが蘇る。ここではない、どこか田舎道。雨宿りの廃寺で少しばかりの時間を共に過ごした流浪人。交わした言葉は少なかった。だが、エドは見てしまったのだ。その男の刀が、刃と峰が逆になった逆刃刀であること。そして男は、エドが隠していた左足の義足の軋みに、いち早く反応したこと。
――同類だ。
「……まあいい」
エドは短く吐き捨てると、視線を切った。今は感傷に浸っている場合ではない。泣き疲れた薫を背負い、母屋へと運ぶ。赤髪の男――緋村剣心は、何も言わずにその後ろ姿を見送っていた。
※※※
「……ったく薫のヤツ」
夜更け。泣きじゃくる薫を落ち着かせ事情を聞いてみれば、エドの居ない間にタチの悪い地上げ屋に関わってしまったらしい。しかもソイツはお人好しの薫につけ込んだ挙句、薫の父親の越路郎が残した道場の悪評まで吹聴し、門下生もいなくなった、と。
「人が良すぎんだよ……何でもかんでも拾ってくんなっての」
だって困っていたから放っておけなかった、と泣きながら訴える薫に頭を抱えた。それで自分が窮地に立たされてりゃ、世話ねえってのに何でこんな危機感が薄いんだ。ああでも薫の父親も、こんな自分を拾ってきたんだから、血か。最悪を引き入れた後に、自分を助けるヤツを引き入れるとは、運がいいんだか悪いんだか。
不意に、目の前に白いものがふわりと横切る。
「げ。やっぱり降ってきやがったか……」
はらりはらりと、小さな雪が舞っている。降る前に着いて良かった。
……まあキツく言い聞かせたし、薫も悪気があった訳ではない。何より薫は被害者なのだから、落ち度はあれど必要以上に叱ることもないだろう。明日は汁粉でも作ってやれば、少しは気分も浮上するだろうか。
(……しばらく旅に出るのはなしだな)
出稼ぎと称して、度々エドは薫を一人神谷道場に残し、旅に出る。姉妹で生きるためにはそれなりの路銀が必要だから。ーーそんな詭弁、とうの昔に薫は気づいているだろう。それに気づかないフリをして今まで悪あがきをして……もう潮時なのかもしれない。
ーーおい、アル!お前またなんか拾ってきただろ!
ーーき、気のせいだよ!
ーーんな訳あるかぁ!にゃーにゃー聞こえんぞ!
ーーだってこんな時期に捨てられてたんだよ?可哀想じゃない!
ーーどうせ飼えねえだろ!さっさと元の場所に戻してこい!
ーーやだー!姉さんの意地悪!豆!
ーーだぁれがこの先成長しない豆粒マイクロどチビだこの野郎!!一発殴らせろ!
ーーいやですー!!ほら、クリスティーナもロバートも驚いちゃうから止めてよ!
ーー名前つけてんじゃねえよ!
「……」
徐に、草鞋を履いて地面に蹲る。あの時みたいに、石の形を変えるだけの簡単な錬成陣を描く。描き終わり、そっと胸の前で両手を合わせ、地面に手を置き、そしてーー何も起こらない。両の手が泥で汚れ、描かれた錬成陣も雪が積もって、やがて消えていく。
乾いた笑いが小さく漏れた。
「……何やってんだろ……俺」
「おろ? どうしたでござる?」
ぼんやりとその場にしゃがみこんでいると、道場の方から剣心がやって来た。雪の中、地面に手をついてるエドの姿に首を傾げ、不思議そうな顔こそしているが、何も言わない。どれくらいしゃがみこんでいたんだろう。立ち上がれば、少し足もだるく感じる。
「……悪ぃな。アンタに片付け、全部押し付けちまったな」
エドも薫を落ち着かせたら、片付けに向かうはずだったのにもう終わってしまった。警察もあの忌々しい野郎どもももう居ない。いたらタコ殴りにしようと思っていたのにと、エドは軽く舌打ちをした。剣心はその舌打ちの意味を正確に理解したのか乾いた笑いを漏らし、話をそらすことにした。
「いや、気にすることではござらんよ。それより薫殿は大丈夫でござるか?」
「ああ、さっき眠った。……薫に聞いた。感謝する。義妹を助けてくれてありがとうな」
「拙者が望んで首を突っ込んだのだから、こちらも気にすることではござらんよ……えーっと……」
「なんだよ」
「いやお主の名前が……拙者は緋村剣心と申す」
「……神谷エド」
「えど…殿でござるか」
「ああ。着いてこい。アンタの部屋、まだ案内してなかっただろ」
「……かたじけない」
廊下を歩く二人の間に、会話はない。ただ、エドの義足が板張りの床を叩く硬い音だけが響く。翌朝ーーもう数刻後に迫った朝餉の準備を、ぼんやりと考え始めたエドの後ろから躊躇うような声がかかった。
「……ところでお主はいいのでござるか?」
部屋の前で足を止めた剣心が、ふと尋ねた。
「あ? 何がだ」
「拙者がここに居候することでござるよ。薫殿は良いと言ってくれたが、お主が嫌ならば、拙者は出ていくでござるよ」
それは、遠慮や謙遜ではなく、どこか突き放したような響きを含んでいた。自分のような人間が、平穏な場所に長居すべきではない――そんな諦めを含んだ笑み。その笑顔が、エドの癇に障った。
「アンタにはここに居てもらわねえと困る。借りが返せねえ」
「おろ?」
剣心の目が丸くなる。エドは腕を組み、仁王立ちで見下ろした。
「等価交換だ。俺と薫は、アンタに助けられた。なら、それを返すまでここにいろ」
「いや、そんな大したことじゃ……」
「テメェの都合なんざ知るか。大人しくここにいろ」
「おろ……」
問答無用のエドの理屈に、剣心はたじろぐ。だが、エドは畳み掛けるように人差し指を突きつけた。
「ただし! 居候としてここにいるんなら、相応に働いてもらうぜ」
「それは良いのでござるが……先程の等価交換とやらは?」
「それは俺たちが支払うためのモンで、アンタの労働は居候としての代価だろ」
「屁理屈でござるよ……」
困ったように頬をかきながらも、剣心は苦笑して「承知した」と頭を下げた。
「その傷……」
消えてないんだな、そう言いかけた自分に驚く。幸いなことに剣心には聞こえていなかったけれど、気まずくて顔を逸らした。勘で分かる。あれはーー俺の左脚と同じだ。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみでござる。……エド殿」
ピシャリ。
エドは少し乱暴に障子を閉め、剣心の姿を視界から遮断した。無意識のうちに早足で自室に戻り、エドは障子に背を預けたまま、ズルズルとその場に座り込んだ。心臓が、嫌な音を立てている。
『ーーダメよ、エド』
聞くな。どうせいつもの幻だ。分かってるのに、ノロノロと顔を上げて。幻さえも自分を苦しめると分かっているのに。
『立って。あなたが言ったんじゃない。私には立派な足がついてるんだからって。立って歩いて』
時代遅れのドレスを着せられ、腕には赤子を抱いたロゼが、虚ろな瞳でエドを見下ろしていた。
『立ってエド』
『立ってお姉ちゃん』
『立つのよエド』
『立ちなさいエド』
『立て鋼の』
『立てよエド』
ただの幻聴だ。幻覚だ。呼吸が知らず知らずのうちに、浅くなる。浅い呼吸しか出来なくて苦しくて、必死で呼吸を整えようとした。
俺はエンヴィーに心臓を貫かれて死んだ、はずだった。なのに、再び目を覚ました。致命傷も、失ったはずの手足も全て綺麗に元通り。けれど、アルは何処にもいなかった。
『アルが……あなたを錬成したの。あなたの命と手足を!』
『……無理よ……賢者の石は使われてしまった』
俺のせいで消えてしまった。もう何も、してやれない。そんな馬鹿な話があるか。お前を取り戻すためなら、俺はなんだってする。例え俺が今度こそ死んでしまっても、お前が生きているならそれでいい。
命の代価は無い。俺の全てを捧げてもーー。次に目覚めた時には、左脚は再び失われていた。そして、門の向こう側の現実世界でもなく、また異なる世界。
(なんで……なんでだよっ)
錬金術も使えない。文化も文明も全く違う。最初は言葉も通じなかった。それでも帰らなきゃ、帰りたい。
幻聴も収まり、呼吸もだいぶ落ち着いた。まだ頭がクラクラするし、冷や汗もかいて気持ちが悪い。のろのろと顔をあげて、姿見の中の自分と目が合う。酷い顔だ。死人みたいで笑ってしまう。
そして鏡の中の自分が、先程会った男の顔に重なる。深い、悲しいくらい深い青い瞳。そして咎人の証であるあの十字の傷。
(……なんだよ、あの目は)
脳裏に焼き付いて離れないのは、剣心のあの笑顔だ。優しげに見えて、その奥には底知れない虚無がある。自分と同じ、何かを諦めた人間の目。
(まるで、『自分と同じだ』って言いたげな……ふざけんな)
同じ匂いのする、危険な男。
「俺には関係ない」
ーーあの男のことも。この世界のことも。何もかも自分には関係ない。エドは膝に顔を埋め、誰に聞かせるでもなく呟いた。刻み込むように、自分の肩に爪を立てる。
「……関係、ないだろ」
自分の左足、金属の義足を強く握りしめる。その冷たさと痛みだけが、今のエドにとっての確かな現実だった。
『死にたいのか……?』
『ーーアンタもだろ?』
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