鋼の錬金術師×るろうに剣心①
冷たい雨が、闇夜に音を刻む。
京の裏路地。血の匂いが混じった湿った風が吹き抜けた。
一振りの刃が光を反射する。雨に濡れた地面に、男が一人倒れた。
「……」
斬った男の体が動かなくなったことを確認すると、緋色の着物を纏った男——人斬り抜刀斎は、静かに刀を払った。
その瞳には、何の感情も映っていない。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「……あんたが、ここの奴らを片付けたのか?」
背後から声がした。
剣心はすぐに振り向く。そこには、金色の髪を持つ少女——異国の血を引いているのか、日本人には見えない。しかし、その瞳には迷いのない強い意志が宿っていた。
少女は、倒れた男たちを一瞥し、眉をひそめた。
「無駄に血の匂いを撒き散らしやがって……。あんた、人を斬ることに何も感じねぇのか?」
その言葉に、剣心の瞳がかすかに揺れた。
「……お前は何者だ」
「そんなの、今はどうでもいいだろ」
少女は腕を組みながら、まるで剣心の存在そのものを測るかのようにじっと見つめた。
「斬らなきゃいけなかったのか?」
静かな問いかけだった。
剣心は一瞬、口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「……」
「答えられねぇのかよ」
少女は、ふっと息を吐くと、肩をすくめた。
「ま、あんたの事情は知らねぇし、ここでどうこう言うつもりもねぇけどな。ただ……」
彼女は、剣心の持つ刀をじっと見つめた。
「その刀、すげぇ綺麗だな。人を斬るための道具にしちゃ、妙に澄んでやがる」
剣心は何も言わず、ただ少女を見つめていた。
この出会いが、互いの運命を変えるものになることを——まだ誰も知らなかった。
夜の闇に、雨音だけが静かに響く。
剣心の問いかけが、雨に溶けるようにエドの耳に届いた。
「……お前は?」
「ん?」
「お前は、人を殺したことがあるのか?」
エドはその問いに一瞬、眉をひそめた。そしてすぐに、かぶりを振る。
「……ねぇよ」
それは、迷いのない即答だった。
剣心はじっと彼女の目を見つめる。その瞳には、確かな真実が宿っていた。
「人を殺さずに生きてこられたのなら、それは幸せなことだ」
剣心の言葉は、静かだったが、その奥には確かな重みがあった。
エドは一瞬、息を呑んだ。
「……そうかもな」
小さく笑う。だが、その笑みにはどこか寂しさが混じっていた。
「でも、それはきっと、周りの奴らに恵まれてたからだ」
剣心が僅かに目を細める。
「……恵まれていた?」
「そうさ。手を汚さずに済んだのは、自分が強かったからじゃねぇ。俺の周りには、俺なんかよりよっぽど強くて、優しくて、そして——馬鹿みてぇに真っ直ぐな奴らがいた。だから……俺は、そうならずに済んだんだと思う」
雨が、静かに降り続いている。
剣心はしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。
「……お前は、強いな」
「は?」
「強いからこそ、その言葉を口にできる」
エドは苦笑した。
「違ぇよ。俺はただ、運が良かっただけだ」
剣心はそれには答えず、ゆっくりと雨の中に視線を落とした。
「……」
エドもまた、何かを考えるように夜空を仰ぐ。
そして、そのまま二人はしばらくの間、無言のまま並んで雨に打たれていた。
やがて——剣心が静かに口を開く。
「……ここを離れた方がいい」
エドは小さく鼻を鳴らした。
「ちっ……めんどくせぇな」
だが、確かにこのままじっとしているわけにはいかない。
それに——
(こいつのこと、もう少し知りたい……)
そんな考えが、頭の片隅に浮かぶ。
「……わかったよ。行くぜ、剣心」
「……ああ」
二人は、闇に溶けるようにその場を後にした。
冷たい雨はまだ降り続いている。
そして、エドはまだ知らなかった。
この夜が、彼女の運命を大きく変えるものになることを——。
雨は止む気配を見せず、静かな夜の闇を包み込んでいた。
剣心は道の先を見据えながら、無駄な足音を立てることなく歩く。その横をエドが追いかけるように歩いていたが、彼女の歩き方は剣心とは対照的で、靴が水たまりを踏みつけるたびに小さな水飛沫を上げていた。
「……お前、妙に静かに歩くよな」
エドがぼそりと呟く。
「そうしなければ、すぐに気取られる」
剣心の声は淡々としていた。
「そりゃそうだろうけどよ……慣れって怖ぇな」
エドは皮肉っぽく笑った。
剣心はエドの方を一瞥する。
「お前は、足音を消す術を知らぬのか?」
「まぁな。戦うことはあっても、基本的に逃げ隠れするような生き方はしてねぇ」
エドの言葉に、剣心は僅かに目を細めた。
「……そうか」
その短い返答に、エドは不思議そうに眉をひそめる。
「なんだよ?」
「いや、お前は戦うことに慣れているように見えたからな。だが、それはあくまで正面からの戦い……陰に潜むことはしてこなかったということか」
「そりゃあな。俺の戦い方は、基本的に“真正面からぶん殴る”ってスタイルだからよ」
エドがにやりと笑う。
剣心は一瞬、意外そうな表情を浮かべたが、すぐに口元に僅かな微笑を浮かべた。
「……お前らしいな」
「へぇ? お前に“らしい”とか言われるとは思わなかったぜ」
エドは肩をすくめる。
その時——
遠くで、不穏な気配がした。
剣心が足を止める。
エドも直感的に、空気の変化を感じた。
「……誰か来るな」
剣心はすっと手を腰の刀に添える。
「追っ手か?」
エドが低く呟く。
剣心は静かに頷いた。
「……急ぐぞ」
二人は再び歩き出す。
だが、すぐにエドは眉をひそめた。
「……なあ、剣心」
「なんだ?」
「お前は、逃げるのか?」
剣心の足が止まる。
エドの金色の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。
「お前が“人斬り”ってのはなんとなくわかった。でも……お前の戦い方ってのは、追い詰められたら逃げるもんなのか?」
その問いに、剣心は一瞬沈黙した。
「……状況による」
「ふぅん」
エドは納得したように頷いたが、その目は剣心を試すような光を帯びていた。
「でもよ、お前は戦い方を知ってる。強いんだろ? だったら——」
「今は無駄な戦いをすべきではない」
剣心が静かに言葉を遮る。
エドは少し驚いたように目を見開く。
「……お前、意外と冷静だな」
「無駄に戦いを挑み、斬ることを当然のように受け入れていたら……俺は本当の意味で“剣”に飲まれる」
その言葉に、エドは僅かに表情を曇らせた。
(“剣に飲まれる”……か)
エドは自分の右腕を無意識に握りしめた。
(……似てるな)
己の力を制御しなければならないという意識——それはエドにとっても、無関係な話ではなかった。
「……なるほどな」
エドは短く呟くと、剣心の後を追った。
雨の音が、再び静かに響いていた。
——そして、この夜が二人にとって、決して忘れられないものになることを、彼らはまだ知らなかった。
静かに降り続く雨の中、二人は無駄な言葉を交わさず歩き続けた。
しばらくして、人の気配が遠のいたのを感じた剣心は足を止める。
「……ここまで来れば、ひとまず大丈夫だろう」
エドも立ち止まり、大きく息を吐いた。
「ったく、やれやれだぜ……」
濡れた前髪をかき上げながら辺りを見渡すと、森の中に小さな廃屋が見えた。
「ここ、使えそうだな」
「雨風を凌ぐには十分だ」
二人は静かに廃屋へと足を踏み入れる。中は荒れていたが、雨宿りするには問題なかった。埃っぽい匂いと湿った木の感触が、時の流れを感じさせる。
エドは床に腰を下ろし、長い息をついた。
「……っと、そういや、名乗ってなかったな」
剣心が視線を向ける。
「お前の名前は?」
「エドワード・エルリック。エドでいい」
「……エルリック?」
剣心はその響きを反芻する。明らかに日本のものではない。
「お前は、どこの者だ?」
エドは一瞬口ごもる。
(この世界の奴に、“異世界から来ました”なんて言っても信じねぇだろうな)
適当に誤魔化しながら、肩をすくめた。
「まぁ、遠いところから来たと思ってくれ。お前は?」
「緋村剣心……それが、俺の名だ」
「ひむら、けんしん……か」
エドは剣心の顔をじっと見つめる。
「さっきの話だけどよ……」
剣心が静かにエドの言葉を待つ。
「お前、戦うことに慣れてるのに、できるだけ戦わねぇようにしてるよな?」
剣心は少し目を伏せ、静かに答えた。
「……俺は“人斬り”だからな」
その言葉に、エドはわずかに眉をひそめた。
「やっぱり、そうなのか」
「お前は、戦いに身を置いてきたのだろう?」
「……まぁな」
エドは苦笑する。
「でも、お前とは違う。俺は誰も殺してねぇ」
剣心はその言葉を静かに受け止めると、わずかに目を細めた。
「人を殺さずに生きてこられたのなら……それは、幸せなことだ」
その声は、どこか遠いものを見つめるように、静かだった。
エドは短く息をつき、剣心を見据える。
「……そうだな。でも、俺が手を汚さずに済んだのは、周りに恵まれてたからだ」
「……?」
「俺には、命を懸けて支えてくれた奴らがいた。そいつらがいたから、俺は“殺さずに済んだ”んだ」
エドの声には、どこか自嘲が混じっていた。
「つまり、お前の力だけで乗り越えてきたわけではない……と?」
「当たり前だろ」
エドは剣心を真っ直ぐ見据えた。
「誰だって、誰かに支えられてる。お前だって、そうなんじゃねぇのか?」
剣心の表情が、一瞬だけ曇る。
——支えられていた。
かつて、師の比古清十郎がいた。
だが、今の剣心には、もう誰もいない。
「……かもしれんな」
剣心は、そう静かに呟いた。
その言葉に、エドは少し驚いたように目を瞬かせた。
「お前、案外素直に認めるんだな」
「俺は、事実を曲げることはしない」
剣心は淡々とした口調で言う。
「……それに、お前の言葉は、理に適っている」
「へぇ……剣客ってのは、もっと頑固なもんかと思ってたぜ」
エドは苦笑しながら腕を組んだ。
しばらくの沈黙の後、剣心がゆっくりと立ち上がる。
「もう行くのか?」
エドが問いかけると、剣心は頷いた。
「お前とこうして話すのは、不思議と悪くなかった……だが、俺にはやるべきことがある」
「……そうか」
エドも立ち上がり、剣心の方を見た。
「お前とは、また会えそうな気がするぜ」
剣心は少し驚いたように目を細めたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「……そうかもしれんな」
雨は、ようやく小降りになっていた。
剣心は静かにその場を後にする。
エドは彼の背中を見送りながら、静かに呟いた。
「……あの剣士、何かに囚われてるな」
その独り言を聞く者は、誰もいなかった。
京の裏路地。血の匂いが混じった湿った風が吹き抜けた。
一振りの刃が光を反射する。雨に濡れた地面に、男が一人倒れた。
「……」
斬った男の体が動かなくなったことを確認すると、緋色の着物を纏った男——人斬り抜刀斎は、静かに刀を払った。
その瞳には、何の感情も映っていない。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「……あんたが、ここの奴らを片付けたのか?」
背後から声がした。
剣心はすぐに振り向く。そこには、金色の髪を持つ少女——異国の血を引いているのか、日本人には見えない。しかし、その瞳には迷いのない強い意志が宿っていた。
少女は、倒れた男たちを一瞥し、眉をひそめた。
「無駄に血の匂いを撒き散らしやがって……。あんた、人を斬ることに何も感じねぇのか?」
その言葉に、剣心の瞳がかすかに揺れた。
「……お前は何者だ」
「そんなの、今はどうでもいいだろ」
少女は腕を組みながら、まるで剣心の存在そのものを測るかのようにじっと見つめた。
「斬らなきゃいけなかったのか?」
静かな問いかけだった。
剣心は一瞬、口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「……」
「答えられねぇのかよ」
少女は、ふっと息を吐くと、肩をすくめた。
「ま、あんたの事情は知らねぇし、ここでどうこう言うつもりもねぇけどな。ただ……」
彼女は、剣心の持つ刀をじっと見つめた。
「その刀、すげぇ綺麗だな。人を斬るための道具にしちゃ、妙に澄んでやがる」
剣心は何も言わず、ただ少女を見つめていた。
この出会いが、互いの運命を変えるものになることを——まだ誰も知らなかった。
夜の闇に、雨音だけが静かに響く。
剣心の問いかけが、雨に溶けるようにエドの耳に届いた。
「……お前は?」
「ん?」
「お前は、人を殺したことがあるのか?」
エドはその問いに一瞬、眉をひそめた。そしてすぐに、かぶりを振る。
「……ねぇよ」
それは、迷いのない即答だった。
剣心はじっと彼女の目を見つめる。その瞳には、確かな真実が宿っていた。
「人を殺さずに生きてこられたのなら、それは幸せなことだ」
剣心の言葉は、静かだったが、その奥には確かな重みがあった。
エドは一瞬、息を呑んだ。
「……そうかもな」
小さく笑う。だが、その笑みにはどこか寂しさが混じっていた。
「でも、それはきっと、周りの奴らに恵まれてたからだ」
剣心が僅かに目を細める。
「……恵まれていた?」
「そうさ。手を汚さずに済んだのは、自分が強かったからじゃねぇ。俺の周りには、俺なんかよりよっぽど強くて、優しくて、そして——馬鹿みてぇに真っ直ぐな奴らがいた。だから……俺は、そうならずに済んだんだと思う」
雨が、静かに降り続いている。
剣心はしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。
「……お前は、強いな」
「は?」
「強いからこそ、その言葉を口にできる」
エドは苦笑した。
「違ぇよ。俺はただ、運が良かっただけだ」
剣心はそれには答えず、ゆっくりと雨の中に視線を落とした。
「……」
エドもまた、何かを考えるように夜空を仰ぐ。
そして、そのまま二人はしばらくの間、無言のまま並んで雨に打たれていた。
やがて——剣心が静かに口を開く。
「……ここを離れた方がいい」
エドは小さく鼻を鳴らした。
「ちっ……めんどくせぇな」
だが、確かにこのままじっとしているわけにはいかない。
それに——
(こいつのこと、もう少し知りたい……)
そんな考えが、頭の片隅に浮かぶ。
「……わかったよ。行くぜ、剣心」
「……ああ」
二人は、闇に溶けるようにその場を後にした。
冷たい雨はまだ降り続いている。
そして、エドはまだ知らなかった。
この夜が、彼女の運命を大きく変えるものになることを——。
雨は止む気配を見せず、静かな夜の闇を包み込んでいた。
剣心は道の先を見据えながら、無駄な足音を立てることなく歩く。その横をエドが追いかけるように歩いていたが、彼女の歩き方は剣心とは対照的で、靴が水たまりを踏みつけるたびに小さな水飛沫を上げていた。
「……お前、妙に静かに歩くよな」
エドがぼそりと呟く。
「そうしなければ、すぐに気取られる」
剣心の声は淡々としていた。
「そりゃそうだろうけどよ……慣れって怖ぇな」
エドは皮肉っぽく笑った。
剣心はエドの方を一瞥する。
「お前は、足音を消す術を知らぬのか?」
「まぁな。戦うことはあっても、基本的に逃げ隠れするような生き方はしてねぇ」
エドの言葉に、剣心は僅かに目を細めた。
「……そうか」
その短い返答に、エドは不思議そうに眉をひそめる。
「なんだよ?」
「いや、お前は戦うことに慣れているように見えたからな。だが、それはあくまで正面からの戦い……陰に潜むことはしてこなかったということか」
「そりゃあな。俺の戦い方は、基本的に“真正面からぶん殴る”ってスタイルだからよ」
エドがにやりと笑う。
剣心は一瞬、意外そうな表情を浮かべたが、すぐに口元に僅かな微笑を浮かべた。
「……お前らしいな」
「へぇ? お前に“らしい”とか言われるとは思わなかったぜ」
エドは肩をすくめる。
その時——
遠くで、不穏な気配がした。
剣心が足を止める。
エドも直感的に、空気の変化を感じた。
「……誰か来るな」
剣心はすっと手を腰の刀に添える。
「追っ手か?」
エドが低く呟く。
剣心は静かに頷いた。
「……急ぐぞ」
二人は再び歩き出す。
だが、すぐにエドは眉をひそめた。
「……なあ、剣心」
「なんだ?」
「お前は、逃げるのか?」
剣心の足が止まる。
エドの金色の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。
「お前が“人斬り”ってのはなんとなくわかった。でも……お前の戦い方ってのは、追い詰められたら逃げるもんなのか?」
その問いに、剣心は一瞬沈黙した。
「……状況による」
「ふぅん」
エドは納得したように頷いたが、その目は剣心を試すような光を帯びていた。
「でもよ、お前は戦い方を知ってる。強いんだろ? だったら——」
「今は無駄な戦いをすべきではない」
剣心が静かに言葉を遮る。
エドは少し驚いたように目を見開く。
「……お前、意外と冷静だな」
「無駄に戦いを挑み、斬ることを当然のように受け入れていたら……俺は本当の意味で“剣”に飲まれる」
その言葉に、エドは僅かに表情を曇らせた。
(“剣に飲まれる”……か)
エドは自分の右腕を無意識に握りしめた。
(……似てるな)
己の力を制御しなければならないという意識——それはエドにとっても、無関係な話ではなかった。
「……なるほどな」
エドは短く呟くと、剣心の後を追った。
雨の音が、再び静かに響いていた。
——そして、この夜が二人にとって、決して忘れられないものになることを、彼らはまだ知らなかった。
静かに降り続く雨の中、二人は無駄な言葉を交わさず歩き続けた。
しばらくして、人の気配が遠のいたのを感じた剣心は足を止める。
「……ここまで来れば、ひとまず大丈夫だろう」
エドも立ち止まり、大きく息を吐いた。
「ったく、やれやれだぜ……」
濡れた前髪をかき上げながら辺りを見渡すと、森の中に小さな廃屋が見えた。
「ここ、使えそうだな」
「雨風を凌ぐには十分だ」
二人は静かに廃屋へと足を踏み入れる。中は荒れていたが、雨宿りするには問題なかった。埃っぽい匂いと湿った木の感触が、時の流れを感じさせる。
エドは床に腰を下ろし、長い息をついた。
「……っと、そういや、名乗ってなかったな」
剣心が視線を向ける。
「お前の名前は?」
「エドワード・エルリック。エドでいい」
「……エルリック?」
剣心はその響きを反芻する。明らかに日本のものではない。
「お前は、どこの者だ?」
エドは一瞬口ごもる。
(この世界の奴に、“異世界から来ました”なんて言っても信じねぇだろうな)
適当に誤魔化しながら、肩をすくめた。
「まぁ、遠いところから来たと思ってくれ。お前は?」
「緋村剣心……それが、俺の名だ」
「ひむら、けんしん……か」
エドは剣心の顔をじっと見つめる。
「さっきの話だけどよ……」
剣心が静かにエドの言葉を待つ。
「お前、戦うことに慣れてるのに、できるだけ戦わねぇようにしてるよな?」
剣心は少し目を伏せ、静かに答えた。
「……俺は“人斬り”だからな」
その言葉に、エドはわずかに眉をひそめた。
「やっぱり、そうなのか」
「お前は、戦いに身を置いてきたのだろう?」
「……まぁな」
エドは苦笑する。
「でも、お前とは違う。俺は誰も殺してねぇ」
剣心はその言葉を静かに受け止めると、わずかに目を細めた。
「人を殺さずに生きてこられたのなら……それは、幸せなことだ」
その声は、どこか遠いものを見つめるように、静かだった。
エドは短く息をつき、剣心を見据える。
「……そうだな。でも、俺が手を汚さずに済んだのは、周りに恵まれてたからだ」
「……?」
「俺には、命を懸けて支えてくれた奴らがいた。そいつらがいたから、俺は“殺さずに済んだ”んだ」
エドの声には、どこか自嘲が混じっていた。
「つまり、お前の力だけで乗り越えてきたわけではない……と?」
「当たり前だろ」
エドは剣心を真っ直ぐ見据えた。
「誰だって、誰かに支えられてる。お前だって、そうなんじゃねぇのか?」
剣心の表情が、一瞬だけ曇る。
——支えられていた。
かつて、師の比古清十郎がいた。
だが、今の剣心には、もう誰もいない。
「……かもしれんな」
剣心は、そう静かに呟いた。
その言葉に、エドは少し驚いたように目を瞬かせた。
「お前、案外素直に認めるんだな」
「俺は、事実を曲げることはしない」
剣心は淡々とした口調で言う。
「……それに、お前の言葉は、理に適っている」
「へぇ……剣客ってのは、もっと頑固なもんかと思ってたぜ」
エドは苦笑しながら腕を組んだ。
しばらくの沈黙の後、剣心がゆっくりと立ち上がる。
「もう行くのか?」
エドが問いかけると、剣心は頷いた。
「お前とこうして話すのは、不思議と悪くなかった……だが、俺にはやるべきことがある」
「……そうか」
エドも立ち上がり、剣心の方を見た。
「お前とは、また会えそうな気がするぜ」
剣心は少し驚いたように目を細めたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「……そうかもしれんな」
雨は、ようやく小降りになっていた。
剣心は静かにその場を後にする。
エドは彼の背中を見送りながら、静かに呟いた。
「……あの剣士、何かに囚われてるな」
その独り言を聞く者は、誰もいなかった。
