冷たい風が砂塵を巻き上げ、旅人のコートの裾を揺らす。

エドワード・エルリック——かつて「鋼の錬金術師」と呼ばれた少女は、アメストリス東方の国境付近を歩いていた。

戦争の爪痕が色濃く残る地域だったが、エドワードの足取りは軽やかだった。軍の命令に縛られることもなく、肩書きに囚われることもない。しかし、その自由は思ったよりも重く、心のどこかで、前のように「誰かのため」に生きていたいという欲求が静かに囁いていた。

「……それにしても、やけに静かだな」

エドはふと足を止め、周囲を見回した。さっきまで聞こえていた小さな生き物の気配すら消え、ひどく不自然な静寂が辺りを支配していた。風さえも止まったかのような、息を呑むような静けさ。

その瞬間、エドの胸に突き刺さるような不安感が湧き上がった。身体が無意識に硬直し、心臓の鼓動が一瞬早くなる。足元からわずかな震動が伝わり、砂が微かに舞い上がる。その「何か」が、確実に近づいている気がする——

次の瞬間、エドはその「何か」を感じ取った。大地がひどく震え、足元から全身に伝わる脈打つような震動が、彼女を呑み込んでいく。それは単なる地震の揺れではなく、空間そのものが歪む感覚、現実がひとひねりされたかのような、異次元の扉が開かれたような感覚だった。

そして——

まるで大地そのものが脈打つような、言葉で言い表せない震動が彼女の体を駆け巡る。それは単なる地震のようなものではなく、空間そのものが歪むような感覚だった。息を呑んだ瞬間、エドの足元から視界がぼやけ始める。

「……まさか——っ！」

エドは自分が再び、あの感覚を感じていることに気づく。それは、かつて真理の扉に引きずり込まれた時のような——全てを呑み込んで消し去るような、虚無の感覚。心臓が急激に高鳴り、身体が反応するよりも早く、エドは必死にその場を離れようと足を踏み出す。

だが、踏み出す瞬間、目の前の景色が一気に白く染まり、まるで世界そのものが光を放ち始めたような錯覚に陥る。

光は圧倒的で、視界を完全に奪う。彼女の体は空間に引き裂かれるように、瞬時に引き寄せられる。周囲の音も、風の感触も、全てが消え去り、ただただ強烈な白い光の中に呑み込まれていく。

その光の中で、エドは一瞬にして意識が消えた——

そして、何も感じない闇の中に落ちていくのだった。

……静かな風が吹いていた。

微かに湿った空気が肌に触れ、どこからか炭と油の匂いが漂ってくる。すべてがどこか懐かしいような、しかし同時に見慣れぬ異質さを感じさせる。

エドはゆっくりと目を開けた。瞼が重く、まるで眠りから覚めるように時間をかけて視界が定まっていく。頭の中がぼんやりとして、どうにも体が思うように動かない。

「……ここは……？」

頭の中で混乱が渦巻く。目の前の景色が現実なのか、夢なのか、一瞬判断がつかない。しかし、空を仰いだ時、その疑念が確信へと変わった。

見慣れた空ではなかった。星々の並びが異なり、空気の匂いも、風の流れも、まるでこれまでの世界とは違うものだった。どこか湿り気を帯びた空気に包まれ、遠くから聞こえる音も、見慣れぬ言葉で溢れていた。

エドはゆっくりと身を起こし、ひんやりとした地面に手をついて立ち上がる。その動作だけでも、体の重さに少しだけ違和感を覚える。全身に妙な疲労感が広がっているが、恐怖を感じる暇もなく、周囲の様子に目を凝らす。

目の前に広がるのは瓦屋根の家並み。古びた木造の建物が軒を連ね、街の雰囲気はどこか時代を感じさせる。周囲を歩く人々の服装も、現代のものとは違って、まるで過去の時代を再現したような姿だ。服の質感やデザインが、アメストリスの都市とはまるで異なり、歴史の本で見たような、遠い昔の風景そのものだった。

「……冗談だろ」

エドは驚きと困惑を抱えながら呟いた。混乱がさらに深まる中、ふと脳裏に浮かんだのは、あの瞬間の感覚——

「あの感覚……まさか、これって……」

呆然とした表情で周囲を見回しながら、エドはその可能性を一気に確信に変える。異世界に来てしまったのではないか——そんな考えが、止めることなく彼女の頭を支配した。

「……ここって、もしかして……異世界？」

その言葉が漏れた瞬間、遠くから剣戟の音が響いた。鋭い金属音が闇夜を切り裂くように鳴り響き、エドの心に一瞬の戦慄が走る。

その音は、間違いなくこの世界で起こっている現実の一部であり、異世界に迷い込んだ彼女にとっての新たな脅威を予感させるものだった。