よう実
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花吐き病。
正式名称は……確か、嘔吐中枢花被性疾患。
…遙か昔から、潜伏と流行を繰り返してきた病だと医師が話していた。
「っ…げほ、げほっ」
ポロポロと口から花弁が溢れ出して止まらない。
片思いを拗らせると罹るらしく、口から花を吐き出す。段々と肺が花で埋まっていって、最後には死んでしまうらしい。
「…ヒュっ、ガハッ…」
治す方法は2つ。
その恋を捨てるか…もしくは、相手と両想いになるか。確か、そんな感じだったはずだ。オレは苦しさが増す頭の隅でぼんやりと考えていた。
「……っ、はは」
口から花弁と共に乾いた笑い声が零れた。
だって、もう笑うしかないだろう?こんなの。
オレは、そんな不毛な病にかかってしまった、なんて言うのだから。
……両想いになることも、ましてやこの恋を捨てることすらオレには出来ない。なんて報われない話だろうか。結局オレは、この想いを抱えたまま死にゆくことしか出来ないらしい。
「……っ、げほ」
また1つ、花弁が溢れ落ちる。
…ああ、本当についていない。こんなことならいっそ好きになんてなりたくなかった。その一方で、彼女がいたからオレの世界に色が付いたのもまた事実で。……こんな焦がれるような想いさえ知らなければ、俺は俺のままで居られたというのに。
花吐き病にかかってしまうほどに………強く、あいつのことが、好きだなんて。…いや、違うんだろうな。本当はきっと、こんな病に罹るずっと前から彼女のことが好きだったんだろう。
だから、こんなに苦しくて、こんなにも、愛おしくて堪らないんだ。……もしかしたらオレは、彼女への愛に溺れて死んでしまうのかもしれないな。だなんて、らしくもないことを考えていた。
「…げほ、っ、……はぁ」
そんなことを考えている最中にも、花はこぼれ落ちてまるで止まる様子を見せない。
…これは、一体どうしたら止まるのだろうか、と考えあぐねていた時のことだった。
「……綾小路くん?」
ふと、頭上でオレの名前を呼ぶ怪訝そうな声が聞こえて心臓がドキリと跳ね上がる。それは、オレが恋焦がれていた人で、今1番会いたくなかった人だったからだ。
「っ、おぇ……」
返事をしようと口を開いて、それは結局声にはならず、ただのうめき声と化した。
またもや迫り上がる吐き気に襲われたからだ。こんな花びらを吐き出すところなんて見て欲しくなくて慌てて口を塞ぐが、俺の足元に沢山の花びらが積み重なっていることを思い出しもう手遅れかと察する。
本当に、神様はとことん俺に優しくない。
なんでよりにもよって、彼女がここに現れてしまうのだろうか。こんな姿、彼女にだけは見せたくなかったというのに。
どうして、…どうして、こいつはオレの心を掻き乱して離れてくれないのか。
「……っ」
なんとか声を絞り出そうとするが、口からは意味の無い音が出るだけで、言葉にはならなかった。
彼女は慌ててこちらに駆け寄ってきたかと思えば、心配そうにオレを見て「どうしたの、大丈夫!?」と、彼女が花弁に手を伸ばすのが見えて、咄嗟に体が動いた。
「…っ、触るな!!」
パシッと手を払い除ける。先程まで声が出なかったというのにも関わらず、かなりの大声が出て自分でも驚く。それと同時に、強く拒絶してしまったことに気がついて彼女を見ると、彼女は傷ついたような顔をした。が、それもほんの一瞬のことで、瞬きした後にはいつもの表情に戻っていた。
あ、と思った瞬間には、距離を詰められていた。
思わず後ずされば、逃がさないと言わんばかりに手首を掴まれて、そこだけ急激に熱を持つような感覚に襲われる。
「っ、はなせ……!」
オレは彼女の手を振り払おうとしたが、思ったよりも力が強くて上手くいかない。…そんなオレの抵抗など意に介せずあいつはオレの背中に手を当てて優しくさすってきたのだ。
「…大丈夫、大丈夫だよ」
そう優しく声をかけてくれる彼女に、オレはなんだか無性に泣きたい気持ちに駆られてしまって。視界がぼやけはじめて、オレは泣かないように慌てて唇を引き結んだ。泣いてしまっては彼女を心配させてしまうだろうし、これ以上惨めなところは見せたくなかったオレの、小さな抵抗だった。
それと同時に、怒りのような、はたまた悲しみのような、形容しがたい感情がじわりと湧き上がるのを感じた。どうして、どうしてこいつは、いつもそうやってオレを惑わすんだろうか。
もっと冷たい態度を取ってくれれば、オレも諦めがつくかもしれないのに、曖昧な態度を取られるせいで諦めがつくどころか、想いは日に日に増していくばかりだ。彼女でしか埋められない穴が、他でもない彼女によってどんどん広げられていく感覚。
「っ、げほっ、…っは」
オレそんな彼女を振り払うことすら出来ず、ただただされるがままになっていた。彼女に触れられている部分が火傷しそうなくらい熱くて仕方がない。
「…少しは落ち着いた?」
しばらくして嘔吐感も治まってきた頃、彼女はようやく手を離した。ああ、くそ……背中がまだ熱い気がする。治まったはずの花吐き病もまたぶり返してしまいそうだ。
「……ああ」
お前のせいで落ち着けてはいないがな、なんて皮肉を言える訳もなく、オレはとりあえず返事だけしておくことにした。彼女はオレの返答を聞いて、ホッとしたような顔をして「良かったぁ…」と心底安堵したと言うような声音で息を吐きだした。彼女は何度か瞬きすると真剣そうな顔をするものだから思わず背筋が伸びる。……何を言われるのだろうか。
「……それ、さ」
彼女がこちらをじっと見つめながら話しかけてきて、その視線がどうにも居心地が悪く目を逸らす。が、彼女はそんなオレのことなどお構い無しに話を続けた。
「花吐き病、だよね」
ぴたり、と病名を言い当てられてオレは息を呑む。まさか、彼女がそれを知っているとは思ってもみなかったからだ。花吐き病はかなり特殊な病気だ。オレも医者から聞いて初めて知ったし、彼女も知らないだろうと勝手に思っていたが。
「……知って、いたんだな」
「まあね、一時期有名だったから」
そう濁す彼女に疑問が湧いたが、言いたくないこともあるだろうと追求はそれ以上しないことにした。と、彼女がまた口を開いたので、オレは黙って耳を傾ける。
「…誰かに、片想いしてるの?」
その言葉にドキリとするが、知っているのなら聞かれるだろうな、という確信もあった。花吐き病は、片思いを拗らせないと罹らない病だからだ。……それはつまり、オレが恋をしているということの証明に等しい。
「…………」
オレはそれに何も答えなかった。…いや、違う。答えられなかった、の方が正しいだろう。彼女に、お前に恋をしているんだと言うことも、片想いをしているんだとはっきり肯定する勇気も、オレには無かったからだ。
…しかしまぁ、この沈黙はYESだと言っているようなものなのだが。彼女は、それを察したのか小さくため息をつく。
「さっき、私が花に触れようとして怒ったのも私が罹らないようにするためだったんだよね?」
その言葉に、オレは迷いながらもこくりと頷く。
彼女はオレと目を合わせて「ありがとう」と微笑んだ。
……たった、たったそれだけで、舞い上がるような気持ちになってしまって、ああ本当に随分と都合がいいなと自嘲する。その時のことだった。またあの不快感に襲われて、彼女を押しのける。喉の奥から迫り上がる気持ち悪さに咄嗟に手で口元を覆った。
「っ…おぇ、っ……」
花びらが口からひらり、ひらり、と落ちる。
その様は美しいのに、自分の口から出たと思うとえも言われぬ気持ち悪さを感じた。
「大丈夫?」
「っ、だいじょぶ、だ……なれてる、から」
心配をかけないようにそう言うと彼女は顔を顰める。
「…慣れてるからって、苦しくない訳ないでしょ」
そんな言葉にどきりとした。そう、だ。この心を焼き尽くしてしまうようなドス黒い感情にも、喉の奥から迫り上がるような圧迫感も、慣れてしまったけれど、本当は苦しかった。
この行き場のない苦しさをどうにかしたくて、足掻いてもがいて…結局どうすることも出来なかった。だったら、最初から抵抗しない方が楽だ、と身を委ねていた。
……でも。そうだ、苦しいんだ、オレは。
自覚した途端、ぽろぽろと涙が溢れ出して、オレは彼女に見られないよう慌てて拭おうとするが、涙は止まるどころかさらに溢れ出してきてしまった。ああ、本当にもう、最悪だ。少しくらい空気を読めよ、オレの体。
「…っ、ごめ」
「謝らないで?良いんだよ、泣いても」
その言葉を皮切りに、目頭が熱くなってさらに泣き出してしまう。ぎゅうっと抱きすくめられて体が跳ねた。彼女の腕の中は暖かくて、強ばっていた体の力が抜けていく。すると彼女が笑って少しだけ抱きしめる腕に力を入れてくるが、それすら心地よくて彼女の胸に顔を埋めた。息も出来なくなるほど苦しかったはずなのに、今は不思議と息がしやすい。
「……っ、優…っ」
「……うん」
ぽろぽろと子どものように泣きじゃくるオレを、彼女は背中を擦りながら抱きしめたままの体勢で居てくれた。冷えていた体が、彼女に触れられているところからじわじわと熱を持って、全身に広がっていく。温かい、安心する。ずっと、こうしていたいと思った。綾瀬とくっ付いたまま、溶け合ってしまえたらどれだけ幸せだろうか。そうしていると落ち着いてきて、ゆっくり離れた。
「もう、大丈夫?」
「…ああ、ありがとう」
「そっか」
優は良かった、と柔らかに微笑んだ。その表情にドキリと心臓が跳ねる。……こういうところ、狡いなと本当に思う。いっそのこと冷たくしてくれれば諦めもつくのに、優は優しいままだから諦めきれない。こんな感情なんて知らなきゃ良かった。そうすればオレはずっと楽だったのに。……でも、それでもやっぱりこの気持ちは捨てきれないのだ。
「……ねぇ」
しばらく沈黙が続いた後、彼女は意を決したように口を開いた。
「私じゃ、力になれないかな……?」
「…は?」
思わず、間抜けな声が出た。こいつは一体何を言っているんだ?力になるってなんだ?そもそもオレがこんな奇病に罹ったことなんてお前にとってはどうでもいいことだろう?
「だって、花吐き病は片思いを拗らせると罹るんでしょ……?ならさ、その…私で治せるかもしれないし…」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「うん」
……即答だった。本当に、なんなんだこいつは。
オレがお前を好きだと知らないのか?知っていて、こんなことを言っているのか?だとしたら相当タチが悪い……いや、知らないんだろうな。きっとこいつは、本当に善意だけで言っているんだろう。……そういうところも好きなんだが。
「…っ、はは……」
そんなことを考えてしまい、思わず小さく笑ってしまった。ああもう、本当最悪だ……どうしてくれるんだ、気持ちに蓋をしようと思っていたのに、蓋をするどころかどんどん溢れていくばかりだ。…もう、いっそのこと全てぶちまけて楽になってしまおうか。
「……なぁ」
「ん?」
こちらを見た彼女が首を傾げて優しく笑う。その姿に心臓が丸ごと奪われるような感覚がして、本当にオレは手遅れなほど彼女が好きなのだと実感する。
「オレさ……お前のことが好きなんだ」
……言って、しまった。
声に出して感情を吐き出すと、少しだけ胸の痛みが楽になった気がした。もう後には戻れない、だってどうせ叶わないのだから。それならいっそ、全部吐き出してしまおう。今度はオレの方から手を伸ばし、彼女を抱き寄せた。困惑する声が聞こえたが、溢れ出した想いはもう止まらなくてそのまま続けることにした。
「好きだ、好きなんだ…ずっと、好きだった」
ギュッと彼女を抱きしめ、首元に顔を埋める。するとピクリと彼女の体が強ばった気がした。
「なぁ……すきだ、愛してる、…っ、ごめん」
彼女は無言のままだったが、そっと背中に手を添えられてまた涙が零れてしまいそうになる。……やめてくれ、オレに優しくしないでくれよ。諦め切れなくなる。
「……っ、は」
また口から花が零れそうになり咄嗟に口を抑えて、彼女から離れる。……まだ治ってなかったのか、この病気は。本当に最悪だ。こんなことになるならいっそ、好きになる前に戻れたら良いのにな。そうすればきっとオレは、オレのままで居られたはずだから。
でも、好きになる前に戻ったとしても、オレはまたこいつを好きになってしまうんだろう、という確信もあった。
「っげほ、ごほっ…」
ああくそっ、止まらないな、これ。本当にどうしたらいいんだ。早く止まってくれ。これ以上、こいつの前でこんな惨めな姿を見せたくない。
「…げほ、んッ!?」
花弁が口からこぼれ落ちていくのをぼんやりと眺めていると、突然唇が塞がれて思わず目を見開いた。なんだこれ、なんでこんな状況になっているんだ?オレは今、何をされているんだ?そんなことを考えている間にも口内に舌が侵入してきて、歯列をなぞられたり上顎を舐められたりしてゾワゾワとした感覚が背筋を走る。
「んっ、んんっ……」
オレはもう、何がなんだか分からなくて、ただひたすらにその感覚に耐え続けた。口を離されてちゅ、と軽いキスを落とされてその度に心臓が跳ね上がった。耐えきれなくて逃げ出そうとするも、後頭部を優しく撫でられてから逃げられないように固定されて抵抗出来なくなってしまった。……どれくらい経っただろうか。ようやく解放された時には、もう息も絶え絶えになっていた。
「はぁ…っ、はー…」
息を整えていると、彼女がそっとオレの頬に手を添えてきて、そのまま優しく触れるだけのキスをしてきた。
「……ねえ」
耳元で囁かれる甘い響きを持った声にビクッと身体が跳ねる。なんだ、これ……なんでこんな展開になっているんだ?頭が上手く回らない……
「私も好きだよ」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。今、なんて言ったんだ?……好き?誰が、誰を?そんな疑問が頭の中を駆け巡る中、再び「私も好きだよ、綾小路くんのこと」という声が聞こえた。どうして…どうしてこんなにもあっさりとオレの気持ちを受け入れてくれるんだ。
オレはずっとこの気持ちを隠してきたというのに、どうしてこうも簡単に暴いてくるのだろう……ああもう、ほんと最悪だ。こんな事になるのならいっそのこと好きにならなければ良かった。…でも、もう遅いんだろうな。
だって、さっきまで苦しくて堪らなかったのに、今はこんなにも幸せなんだ。
「……はは」
なんだか笑えてきてしまった。オレの心を掻き乱すだけ乱しておきながら、自分は平然としているなんて…本当、こいつは。でも、それも悪くないかもしれないなと思ってしまうあたりオレは相当重症らしい。「ねぇ、綾小路くん」名前を呼ばれて顔を上げれば、また口付けられる。触れるだけの軽いキスだったが、それでも充分に幸せだった。
「……好きだ」
そう言って、今度はオレの方から口付ける。……幸せ過ぎて、どうにかなりそうだ…いや、もう既になっているのかもしれない。でも今はそんなことどうだっていいと思えるくらいには満たされていた。
「私も、好きだよ」
「……オレも」
数秒の間、視線が絡み合って…ふふ、と2人揃って笑い出す。
「……なぁ、」
「ん?」
「その……もう1回いいか…?」
オレがそう聞くと、彼女は少し驚いたような顔をした後ふっと微笑んで言った。「いいよ、何回でもしてあげる」再び、口付けられる。何度も何度も、角度を変えて繰り返されるそれに頭がくらくらとしたが不思議と不快感は無く、むしろ心地よいとすら思えるほどだった。
やがてゆっくりと離れていく彼女の顔をじっと見つめていると、不意に目が合った。そのままじっと見つめ合っていると、恥ずかしくなって目を逸らす。……と、唐突にまたあの不快感が襲ってきて口を覆った。
「…っ、げほ…」
「……あ、これ…」
ぽろり、とこぼれ落ちた花は、白銀の百合だった。花吐き病では、好いている相手と両想いになった時…その証として白銀の百合が吐き出されるとされているのだ。
「……治っ、た?」
「そう、みたいだね……」
綾瀬はそれを持ち上げて、じっと見つめている。「ねぇ、綾小路くん」「…なんだ?」「これ、貰ってもいい?」そう言って彼女は花を指さす。
「…いや、あの……汚いぞ?」
「そんなことないよ」
「………優が気にしないなら別に、構わないが…」
「ほんと?ありがとう」
なんだかどことなく圧を感じたので、素直に頷いておく。するとパッと花の咲いたような笑みを浮かべてお礼を言ってきた。……ちょっと複雑な気分だ。
「でも…貰ってどうするんだ?」
「んー……押し花とかにしようと思って。その…両想い記念に?」
その言葉にどきっとする。……両想い。少し前までは聞くことも苦しかったその言葉が、今は少しだけマシに思えた。両、想い。……そうか…オレは、優と両想いなのか。そう考えると口角が上がった気がした。
「…出来たら、オレにも見せてくれ」
「うん、もちろん」
そう言って優は屈託のない笑みを見せる。オレたちは顔を見合わせてまた笑って、もう一度口付けるのだった。
正式名称は……確か、嘔吐中枢花被性疾患。
…遙か昔から、潜伏と流行を繰り返してきた病だと医師が話していた。
「っ…げほ、げほっ」
ポロポロと口から花弁が溢れ出して止まらない。
片思いを拗らせると罹るらしく、口から花を吐き出す。段々と肺が花で埋まっていって、最後には死んでしまうらしい。
「…ヒュっ、ガハッ…」
治す方法は2つ。
その恋を捨てるか…もしくは、相手と両想いになるか。確か、そんな感じだったはずだ。オレは苦しさが増す頭の隅でぼんやりと考えていた。
「……っ、はは」
口から花弁と共に乾いた笑い声が零れた。
だって、もう笑うしかないだろう?こんなの。
オレは、そんな不毛な病にかかってしまった、なんて言うのだから。
……両想いになることも、ましてやこの恋を捨てることすらオレには出来ない。なんて報われない話だろうか。結局オレは、この想いを抱えたまま死にゆくことしか出来ないらしい。
「……っ、げほ」
また1つ、花弁が溢れ落ちる。
…ああ、本当についていない。こんなことならいっそ好きになんてなりたくなかった。その一方で、彼女がいたからオレの世界に色が付いたのもまた事実で。……こんな焦がれるような想いさえ知らなければ、俺は俺のままで居られたというのに。
花吐き病にかかってしまうほどに………強く、あいつのことが、好きだなんて。…いや、違うんだろうな。本当はきっと、こんな病に罹るずっと前から彼女のことが好きだったんだろう。
だから、こんなに苦しくて、こんなにも、愛おしくて堪らないんだ。……もしかしたらオレは、彼女への愛に溺れて死んでしまうのかもしれないな。だなんて、らしくもないことを考えていた。
「…げほ、っ、……はぁ」
そんなことを考えている最中にも、花はこぼれ落ちてまるで止まる様子を見せない。
…これは、一体どうしたら止まるのだろうか、と考えあぐねていた時のことだった。
「……綾小路くん?」
ふと、頭上でオレの名前を呼ぶ怪訝そうな声が聞こえて心臓がドキリと跳ね上がる。それは、オレが恋焦がれていた人で、今1番会いたくなかった人だったからだ。
「っ、おぇ……」
返事をしようと口を開いて、それは結局声にはならず、ただのうめき声と化した。
またもや迫り上がる吐き気に襲われたからだ。こんな花びらを吐き出すところなんて見て欲しくなくて慌てて口を塞ぐが、俺の足元に沢山の花びらが積み重なっていることを思い出しもう手遅れかと察する。
本当に、神様はとことん俺に優しくない。
なんでよりにもよって、彼女がここに現れてしまうのだろうか。こんな姿、彼女にだけは見せたくなかったというのに。
どうして、…どうして、こいつはオレの心を掻き乱して離れてくれないのか。
「……っ」
なんとか声を絞り出そうとするが、口からは意味の無い音が出るだけで、言葉にはならなかった。
彼女は慌ててこちらに駆け寄ってきたかと思えば、心配そうにオレを見て「どうしたの、大丈夫!?」と、彼女が花弁に手を伸ばすのが見えて、咄嗟に体が動いた。
「…っ、触るな!!」
パシッと手を払い除ける。先程まで声が出なかったというのにも関わらず、かなりの大声が出て自分でも驚く。それと同時に、強く拒絶してしまったことに気がついて彼女を見ると、彼女は傷ついたような顔をした。が、それもほんの一瞬のことで、瞬きした後にはいつもの表情に戻っていた。
あ、と思った瞬間には、距離を詰められていた。
思わず後ずされば、逃がさないと言わんばかりに手首を掴まれて、そこだけ急激に熱を持つような感覚に襲われる。
「っ、はなせ……!」
オレは彼女の手を振り払おうとしたが、思ったよりも力が強くて上手くいかない。…そんなオレの抵抗など意に介せずあいつはオレの背中に手を当てて優しくさすってきたのだ。
「…大丈夫、大丈夫だよ」
そう優しく声をかけてくれる彼女に、オレはなんだか無性に泣きたい気持ちに駆られてしまって。視界がぼやけはじめて、オレは泣かないように慌てて唇を引き結んだ。泣いてしまっては彼女を心配させてしまうだろうし、これ以上惨めなところは見せたくなかったオレの、小さな抵抗だった。
それと同時に、怒りのような、はたまた悲しみのような、形容しがたい感情がじわりと湧き上がるのを感じた。どうして、どうしてこいつは、いつもそうやってオレを惑わすんだろうか。
もっと冷たい態度を取ってくれれば、オレも諦めがつくかもしれないのに、曖昧な態度を取られるせいで諦めがつくどころか、想いは日に日に増していくばかりだ。彼女でしか埋められない穴が、他でもない彼女によってどんどん広げられていく感覚。
「っ、げほっ、…っは」
オレそんな彼女を振り払うことすら出来ず、ただただされるがままになっていた。彼女に触れられている部分が火傷しそうなくらい熱くて仕方がない。
「…少しは落ち着いた?」
しばらくして嘔吐感も治まってきた頃、彼女はようやく手を離した。ああ、くそ……背中がまだ熱い気がする。治まったはずの花吐き病もまたぶり返してしまいそうだ。
「……ああ」
お前のせいで落ち着けてはいないがな、なんて皮肉を言える訳もなく、オレはとりあえず返事だけしておくことにした。彼女はオレの返答を聞いて、ホッとしたような顔をして「良かったぁ…」と心底安堵したと言うような声音で息を吐きだした。彼女は何度か瞬きすると真剣そうな顔をするものだから思わず背筋が伸びる。……何を言われるのだろうか。
「……それ、さ」
彼女がこちらをじっと見つめながら話しかけてきて、その視線がどうにも居心地が悪く目を逸らす。が、彼女はそんなオレのことなどお構い無しに話を続けた。
「花吐き病、だよね」
ぴたり、と病名を言い当てられてオレは息を呑む。まさか、彼女がそれを知っているとは思ってもみなかったからだ。花吐き病はかなり特殊な病気だ。オレも医者から聞いて初めて知ったし、彼女も知らないだろうと勝手に思っていたが。
「……知って、いたんだな」
「まあね、一時期有名だったから」
そう濁す彼女に疑問が湧いたが、言いたくないこともあるだろうと追求はそれ以上しないことにした。と、彼女がまた口を開いたので、オレは黙って耳を傾ける。
「…誰かに、片想いしてるの?」
その言葉にドキリとするが、知っているのなら聞かれるだろうな、という確信もあった。花吐き病は、片思いを拗らせないと罹らない病だからだ。……それはつまり、オレが恋をしているということの証明に等しい。
「…………」
オレはそれに何も答えなかった。…いや、違う。答えられなかった、の方が正しいだろう。彼女に、お前に恋をしているんだと言うことも、片想いをしているんだとはっきり肯定する勇気も、オレには無かったからだ。
…しかしまぁ、この沈黙はYESだと言っているようなものなのだが。彼女は、それを察したのか小さくため息をつく。
「さっき、私が花に触れようとして怒ったのも私が罹らないようにするためだったんだよね?」
その言葉に、オレは迷いながらもこくりと頷く。
彼女はオレと目を合わせて「ありがとう」と微笑んだ。
……たった、たったそれだけで、舞い上がるような気持ちになってしまって、ああ本当に随分と都合がいいなと自嘲する。その時のことだった。またあの不快感に襲われて、彼女を押しのける。喉の奥から迫り上がる気持ち悪さに咄嗟に手で口元を覆った。
「っ…おぇ、っ……」
花びらが口からひらり、ひらり、と落ちる。
その様は美しいのに、自分の口から出たと思うとえも言われぬ気持ち悪さを感じた。
「大丈夫?」
「っ、だいじょぶ、だ……なれてる、から」
心配をかけないようにそう言うと彼女は顔を顰める。
「…慣れてるからって、苦しくない訳ないでしょ」
そんな言葉にどきりとした。そう、だ。この心を焼き尽くしてしまうようなドス黒い感情にも、喉の奥から迫り上がるような圧迫感も、慣れてしまったけれど、本当は苦しかった。
この行き場のない苦しさをどうにかしたくて、足掻いてもがいて…結局どうすることも出来なかった。だったら、最初から抵抗しない方が楽だ、と身を委ねていた。
……でも。そうだ、苦しいんだ、オレは。
自覚した途端、ぽろぽろと涙が溢れ出して、オレは彼女に見られないよう慌てて拭おうとするが、涙は止まるどころかさらに溢れ出してきてしまった。ああ、本当にもう、最悪だ。少しくらい空気を読めよ、オレの体。
「…っ、ごめ」
「謝らないで?良いんだよ、泣いても」
その言葉を皮切りに、目頭が熱くなってさらに泣き出してしまう。ぎゅうっと抱きすくめられて体が跳ねた。彼女の腕の中は暖かくて、強ばっていた体の力が抜けていく。すると彼女が笑って少しだけ抱きしめる腕に力を入れてくるが、それすら心地よくて彼女の胸に顔を埋めた。息も出来なくなるほど苦しかったはずなのに、今は不思議と息がしやすい。
「……っ、優…っ」
「……うん」
ぽろぽろと子どものように泣きじゃくるオレを、彼女は背中を擦りながら抱きしめたままの体勢で居てくれた。冷えていた体が、彼女に触れられているところからじわじわと熱を持って、全身に広がっていく。温かい、安心する。ずっと、こうしていたいと思った。綾瀬とくっ付いたまま、溶け合ってしまえたらどれだけ幸せだろうか。そうしていると落ち着いてきて、ゆっくり離れた。
「もう、大丈夫?」
「…ああ、ありがとう」
「そっか」
優は良かった、と柔らかに微笑んだ。その表情にドキリと心臓が跳ねる。……こういうところ、狡いなと本当に思う。いっそのこと冷たくしてくれれば諦めもつくのに、優は優しいままだから諦めきれない。こんな感情なんて知らなきゃ良かった。そうすればオレはずっと楽だったのに。……でも、それでもやっぱりこの気持ちは捨てきれないのだ。
「……ねぇ」
しばらく沈黙が続いた後、彼女は意を決したように口を開いた。
「私じゃ、力になれないかな……?」
「…は?」
思わず、間抜けな声が出た。こいつは一体何を言っているんだ?力になるってなんだ?そもそもオレがこんな奇病に罹ったことなんてお前にとってはどうでもいいことだろう?
「だって、花吐き病は片思いを拗らせると罹るんでしょ……?ならさ、その…私で治せるかもしれないし…」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「うん」
……即答だった。本当に、なんなんだこいつは。
オレがお前を好きだと知らないのか?知っていて、こんなことを言っているのか?だとしたら相当タチが悪い……いや、知らないんだろうな。きっとこいつは、本当に善意だけで言っているんだろう。……そういうところも好きなんだが。
「…っ、はは……」
そんなことを考えてしまい、思わず小さく笑ってしまった。ああもう、本当最悪だ……どうしてくれるんだ、気持ちに蓋をしようと思っていたのに、蓋をするどころかどんどん溢れていくばかりだ。…もう、いっそのこと全てぶちまけて楽になってしまおうか。
「……なぁ」
「ん?」
こちらを見た彼女が首を傾げて優しく笑う。その姿に心臓が丸ごと奪われるような感覚がして、本当にオレは手遅れなほど彼女が好きなのだと実感する。
「オレさ……お前のことが好きなんだ」
……言って、しまった。
声に出して感情を吐き出すと、少しだけ胸の痛みが楽になった気がした。もう後には戻れない、だってどうせ叶わないのだから。それならいっそ、全部吐き出してしまおう。今度はオレの方から手を伸ばし、彼女を抱き寄せた。困惑する声が聞こえたが、溢れ出した想いはもう止まらなくてそのまま続けることにした。
「好きだ、好きなんだ…ずっと、好きだった」
ギュッと彼女を抱きしめ、首元に顔を埋める。するとピクリと彼女の体が強ばった気がした。
「なぁ……すきだ、愛してる、…っ、ごめん」
彼女は無言のままだったが、そっと背中に手を添えられてまた涙が零れてしまいそうになる。……やめてくれ、オレに優しくしないでくれよ。諦め切れなくなる。
「……っ、は」
また口から花が零れそうになり咄嗟に口を抑えて、彼女から離れる。……まだ治ってなかったのか、この病気は。本当に最悪だ。こんなことになるならいっそ、好きになる前に戻れたら良いのにな。そうすればきっとオレは、オレのままで居られたはずだから。
でも、好きになる前に戻ったとしても、オレはまたこいつを好きになってしまうんだろう、という確信もあった。
「っげほ、ごほっ…」
ああくそっ、止まらないな、これ。本当にどうしたらいいんだ。早く止まってくれ。これ以上、こいつの前でこんな惨めな姿を見せたくない。
「…げほ、んッ!?」
花弁が口からこぼれ落ちていくのをぼんやりと眺めていると、突然唇が塞がれて思わず目を見開いた。なんだこれ、なんでこんな状況になっているんだ?オレは今、何をされているんだ?そんなことを考えている間にも口内に舌が侵入してきて、歯列をなぞられたり上顎を舐められたりしてゾワゾワとした感覚が背筋を走る。
「んっ、んんっ……」
オレはもう、何がなんだか分からなくて、ただひたすらにその感覚に耐え続けた。口を離されてちゅ、と軽いキスを落とされてその度に心臓が跳ね上がった。耐えきれなくて逃げ出そうとするも、後頭部を優しく撫でられてから逃げられないように固定されて抵抗出来なくなってしまった。……どれくらい経っただろうか。ようやく解放された時には、もう息も絶え絶えになっていた。
「はぁ…っ、はー…」
息を整えていると、彼女がそっとオレの頬に手を添えてきて、そのまま優しく触れるだけのキスをしてきた。
「……ねえ」
耳元で囁かれる甘い響きを持った声にビクッと身体が跳ねる。なんだ、これ……なんでこんな展開になっているんだ?頭が上手く回らない……
「私も好きだよ」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。今、なんて言ったんだ?……好き?誰が、誰を?そんな疑問が頭の中を駆け巡る中、再び「私も好きだよ、綾小路くんのこと」という声が聞こえた。どうして…どうしてこんなにもあっさりとオレの気持ちを受け入れてくれるんだ。
オレはずっとこの気持ちを隠してきたというのに、どうしてこうも簡単に暴いてくるのだろう……ああもう、ほんと最悪だ。こんな事になるのならいっそのこと好きにならなければ良かった。…でも、もう遅いんだろうな。
だって、さっきまで苦しくて堪らなかったのに、今はこんなにも幸せなんだ。
「……はは」
なんだか笑えてきてしまった。オレの心を掻き乱すだけ乱しておきながら、自分は平然としているなんて…本当、こいつは。でも、それも悪くないかもしれないなと思ってしまうあたりオレは相当重症らしい。「ねぇ、綾小路くん」名前を呼ばれて顔を上げれば、また口付けられる。触れるだけの軽いキスだったが、それでも充分に幸せだった。
「……好きだ」
そう言って、今度はオレの方から口付ける。……幸せ過ぎて、どうにかなりそうだ…いや、もう既になっているのかもしれない。でも今はそんなことどうだっていいと思えるくらいには満たされていた。
「私も、好きだよ」
「……オレも」
数秒の間、視線が絡み合って…ふふ、と2人揃って笑い出す。
「……なぁ、」
「ん?」
「その……もう1回いいか…?」
オレがそう聞くと、彼女は少し驚いたような顔をした後ふっと微笑んで言った。「いいよ、何回でもしてあげる」再び、口付けられる。何度も何度も、角度を変えて繰り返されるそれに頭がくらくらとしたが不思議と不快感は無く、むしろ心地よいとすら思えるほどだった。
やがてゆっくりと離れていく彼女の顔をじっと見つめていると、不意に目が合った。そのままじっと見つめ合っていると、恥ずかしくなって目を逸らす。……と、唐突にまたあの不快感が襲ってきて口を覆った。
「…っ、げほ…」
「……あ、これ…」
ぽろり、とこぼれ落ちた花は、白銀の百合だった。花吐き病では、好いている相手と両想いになった時…その証として白銀の百合が吐き出されるとされているのだ。
「……治っ、た?」
「そう、みたいだね……」
綾瀬はそれを持ち上げて、じっと見つめている。「ねぇ、綾小路くん」「…なんだ?」「これ、貰ってもいい?」そう言って彼女は花を指さす。
「…いや、あの……汚いぞ?」
「そんなことないよ」
「………優が気にしないなら別に、構わないが…」
「ほんと?ありがとう」
なんだかどことなく圧を感じたので、素直に頷いておく。するとパッと花の咲いたような笑みを浮かべてお礼を言ってきた。……ちょっと複雑な気分だ。
「でも…貰ってどうするんだ?」
「んー……押し花とかにしようと思って。その…両想い記念に?」
その言葉にどきっとする。……両想い。少し前までは聞くことも苦しかったその言葉が、今は少しだけマシに思えた。両、想い。……そうか…オレは、優と両想いなのか。そう考えると口角が上がった気がした。
「…出来たら、オレにも見せてくれ」
「うん、もちろん」
そう言って優は屈託のない笑みを見せる。オレたちは顔を見合わせてまた笑って、もう一度口付けるのだった。
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