よう実
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「やっぱり、いい匂い……」
そう呟いた直後だった。
許されているという甘えから、南雲先輩の匂いに頬を擦り寄せていた。心地よくて、胸の奥がじんわりと温かくなるような……このまま溶けてしまいそうな優しい香りに、頭がふわふわと痺れていく。
なのに──次の瞬間。
ぴたりと、彼の身体が固まった気がした。何かが変わった。その違和感を捉えきる前に、襲ってきた感覚がある。
項──首筋を何かが擦った。いや、指だ。
けれど、それだけなのに。
「ひぁ…っ!?」
声にならない声が、勝手に口から漏れる。
背筋が跳ね、全身が弾かれたように跳ね上がる。
頭が真っ白になるほどの衝撃。まるで身体の芯から電流が走ったような快感。
何が起きたかも分からないまま、南雲先輩の顔を見ようとするが、彼はすぐにオレの耳元へと顔を寄せてきた。
その吐息が、くすぐるように耳に触れる。
「……俺がαだってこと、忘れてるんじゃないのか? その気になれば、こっちはいつでも番になれてしまうんだぞ。……もう少し警戒心、持て」
その言葉に、また身体が反応してしまう。
「ひ、ぅ……」
漏れた息は、明らかに快感に濡れていた。
先輩の声は掠れて低く、耳に直接溶けて流れ込むようだった。そこに籠った熱が、言葉だけで身体の深部を掻き乱す。
ぎらり、とこちらを覗き込んだ南雲先輩の瞳は、鋭く光っていた。その目に射抜かれた瞬間──ぞくり、と背筋を撫でられたような快感が走る。
ああ……この人は、本当にαなんだ。
理解が遅すぎたのかもしれない。
今まで感じなかったはずの本能が、ようやく自分の中で目を覚ました。
あれは──オレの項を、指で撫でたのだ。
それだけで、あんなにも気持ちよかった。
お腹の奥がきゅう、と疼いて、下腹部がじわじわと熱を帯びていく。
何なんだ、この感覚は。
怖くはない。むしろ……
(……このまま、項を噛まれたら、どうなってしまうんだろう)
脳裏に浮かんだその想像に、背筋が震える。
恐怖ではなく、期待。いや、もっと正確に言えば──興奮だった。
南雲先輩に、噛まれたい。
噛まれたら、どれほど気持ちいいのだろうか。
さっき、ただ触れられただけであれほど反応してしまったのに。歯を立てられたら。皮膚を割って、そこに刻まれたら……想像しただけでぶるりと体が震えた。
(……きっと、快感で頭が壊れる)
それに、もし噛まれたら。
番になれたら。
もっと、もっと……南雲先輩のそばにいられるかもしれない。この香りにずっと包まれて、優しく抱かれて、守られて。それが嫌じゃないどころか、望んでしまっている自分がいる。
項に再び、南雲先輩の指が滑った。
「…ひ…ぁっ……」
触れるか触れないか、ぎりぎりの距離。
その曖昧な快感が堪らなくて、腰が浮いた。
自分の意志とは無関係に、反応が身体から漏れ出す。
先輩の手が項から少しだけ離れると、皮膚がひんやりと空気に晒されて、そこに物足りなさが生まれる。
もっと触れてほしい。
もっと、深くまで。
そう願ってしまう。
理性が軋みを上げる。
けれど本能は、すでにそれを押し倒していた。
「……せんぱい、……もうちょっと……」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
自分のものとは思えないほど熱に溶けた声。
何を「もうちょっと」なのか──そんなことさえ、今はどうでもよくなっていた。
欲しいものがある。ただそれだけだった。
南雲先輩の匂い、体温、指先、声……その全てが、身体の奥で暴れ出した本能を刺激してくる。
項に残るわずかな残像が、皮膚の下でまだ疼いていた。
撫でられたというだけの事実が、どうしようもなく甘く、身体を支配して離さない。
「綾小路……」
先輩の声が落ちてくる。
低く、少しだけ掠れていて、けれど明らかに揺れていた。それが理性を引き絞る警告であると分かっているのに、オレの体は逆に、その声に安心を覚えてしまっていた。
もっと欲しいと、体が叫んでいた。
指先に力が入る。
南雲先輩の制服の裾をぎゅうっと強く握りしめていた。離したくない。もっと、そばに居たい。たったそれだけの衝動が身体を突き動かしていた。
「……綾小路、やめておけ。これ以上は──」
彼の声は、確かに理性の縁に立っていた。
けれどその縁は、今にも崩れそうに軋み、揺らいでいた。押せば、靡く。そんな気を感じ取った。
「……南雲先輩の匂い、ずっと……ここにいてくれるみたいで……安心するんです」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。嘘では無い。本当にそうだった。あの香りは、オレの中に巣食う不安や焦燥を溶かして、包み込んでくれる。この空間に満ちているその匂いがある限り、オレはオレでいられる気がしていた。
「それに、さっきの……すごく気持ちよかった……」
喉の奥で溶けるように囁く。自分の声がひどく甘ったるいことを自覚していた。先輩の肩が、微かに揺れる。
項を触られて感じた快感は、忘れようにも忘れられなかった。あの感覚は、言葉にすればするほど、実体を増してのしかかってくる。
「……ああ、もう……お前な……」
先輩の指が再び首筋に触れた。
触れたか、触れていないか分からないほどの微細な接触。
「っ……ん……」
喉が震える。
息が漏れるたび、そこに熱が滲んでいく。
腰がわずかに浮いて、首筋が過敏に反応した。
「……項は、Ωにとって──守らなきゃならない場所だろ」
「でも、オレ……せんぱいに、噛まれたい……」
自分の声が震えた。拒むことなんて、できなかった。
むしろ、望んでしまっていた。噛まれたら、どうなるかなんて、分かっているはずなのに。
「……もし俺が、本当に噛んだら──お前、後悔しないか?」
「……しません……っ」
答えるより早く、感情が先に喉を突いて出た。
身体が熱い。
呼吸が浅くなる。
理性が、遠ざかっていく。
自分が自分でなくなる感覚が怖いのに、それ以上に、先輩を求めてしまう。
「……じゃあ……」
首筋をなぞる指の腹が、項の中心を正確になぞった。
「あっ……」
びくんと背筋が跳ねる。
息が漏れ、腰がつられて浮いた。
下腹部の奥がじりじりと灼けるように疼く。
「これ以上は、本当に危ないぞ。綾小路、俺はお前を理性で守ってる。今の俺がαであることを、ちゃんと分かって言ってるのか?」
「……っ、分かってます……でも……それでも、先輩が、欲しい……」
その瞬間、先輩の指が項から離れた。
けれど、匂いは残っていた。
南雲先輩の香りが、まだそこに在る。
それだけで、また熱が上がってくる。
それだけで、また彼の手を求めてしまう。
「お願いです……」
声は、もう掠れていた。
息も苦しくて、言葉にならなかった。
それでも、オレの目は南雲先輩を見ていた。
「……」
耳元でわずかな気配がした。次の瞬間、ぞくりと背筋が粟立つ。
「南雲せんぱ……んんッ!?」
項に、ぬるりと濡れた感触が走った。舌──南雲先輩に舐められたのだと理解した瞬間、膝から力が抜けて立っていられなくなる。かくんと崩れ落ちるように倒れかけた身体を、すぐに強い腕が支えた。
「……っ!」
気づけば、ぎゅうっと抱き込まれていた。背中に回された腕は思いのほか大きく、力強く、逃れる余地を与えない。それなのに、不思議と嫌悪感も恐怖も湧いてこなかった。
そこにあったのは、安堵だ。
彼の胸に押し付けられるようにして、呼吸を繰り返す。
肺の中が、南雲先輩の匂いでいっぱいに満たされていく。
清潔な石鹸のような爽やかさ。柔らかく落ち着いた木の香りのような渋み。そこに体温を伴う生々しいαの匂いが混じり合っていた。甘くて、心地よくて、深呼吸すればするほど心が鎮まっていく。
「はー…っ…はー……は……っ?」
自分の呼吸音が耳の奥でやけに大きく響く。
乱れた息が落ち着かない。酸素を求めて吸い込むたび、彼の匂いがさらに濃くなって、頭がぐらぐらと揺れる。
(……だめだ、これ……)
理性が危険信号を灯している。
分かっているのに、腕の中から抜け出す気力が生まれなかった。
項に舌を這われたときの快感がまだ残っている。
肌の奥で火照りとなって燻り続け、下腹部に熱を送り込んでいる。さっきまで以上に、身体が敏感になっているのが分かる。
南雲先輩の手は背中にあるだけで、他に何もしていない。ただ抱き留められているだけだ。
それなのに──こんなにも、全身が震えている。
(南雲先輩に、触れられているから……)
思考の底から浮かんだ答えは、あまりにも単純だった。
彼に抱き込まれているという事実だけで、心臓は暴れ、身体は熱を帯びる。安心と興奮がないまぜになって、どうしようもなく混乱している。
「……綾小路」
頭上から名前を呼ばれた。
低い声が耳を震わせ、胸の奥に直接響く。
ぞわりと項から背筋にかけて快感が走り、また膝が崩れかける。
「っ……ん……」
声にならない声が漏れる。
抱き留める腕がさらに強まった。
その度に、彼の匂いが濃密に押し寄せてくる。
──抗えない。
その事実を痛感しながら、オレはただ、彼の胸に縋るしかなかった。
「っ…ふー………」
浅い呼吸を繰り返しながら、必死に息を整えようとしていた。熱を帯びた肺が焼け付くように痛むのに、南雲先輩の胸元から聞こえてくる呼吸音が、それ以上に耳にこびりつく。
近い。
すぐそばで、オレと同じように荒い息をついている。
(……やっぱり、南雲先輩も……ヒートに充てられてるんだろうか)
そう考えると、胸の奥がきゅっと鳴った。
罪悪感が先に浮かぶべきなのに、それ以上に……ほんの少し、嬉しいと思ってしまった。
オレなんかで、先輩を乱せている。
その事実が、どうしようもなく熱を煽る。
「……っ」
突然、手の甲に温かいものが触れた。優しく、けれど逃がさないように強く──南雲先輩の掌がオレの手を握り込む。
「……綾小路。ひとつだけ、約束してくれ」
耳元に落ちてきた声は、低くて真剣だった。
その響きに、胸の奥がぞくりと震える。
「……はい…?」
視線を向けようとした瞬間、さらに近くで囁かれた。
呼吸が頬をかすめ、耳のすぐ脇を震わせる。
それだけで、背筋に熱が走り、腰のあたりがひくりと反応する。
「これから何かあったら、必ず俺に話してくれ。……いいな?」
心臓を鷲掴みにされたようだった。
命令ではない。
けれど、逃れようのない真剣さに、思わず身体が震える。
「ひぅ…っ、ん、はい……っ」
掠れた声で必死に返す。
耳の奥で自分の返事が熱に滲んで震える。
「……本当に分かってるのか?」
さらに近づいてくる声。
吐息が耳朶を撫でるたび、ぞくぞくと全身を駆け上がる快感。
耐えきれずに瞼を強く閉じる。
「……分かって、ます……」
唇が勝手に動いていた。
分かっている。
けれど、南雲先輩の声があまりにも近くて、低くて、熱を孕んでいて……そのたびに意識が攫われる。
(……悪い……これは……南雲先輩のせいだ)
耳元で囁く、その声が。
理性を奪うには十分すぎた。
オレはただ、握られた手に力を込めて、逃げないように縋りつくしかなかった。
ぎし、とスプリングが軋む音が部屋の静寂に溶けていく。それだけで、呼吸が詰まりそうになった。
「……本当に、いいんだな?」
低く問うような声。
南雲先輩の声音は、ぎりぎりの理性で抑え込んでいるのが分かるほどに深く、低かった。
これは──たぶん、最後の確認。
ここで拒めば、彼は本当に止まってくれる。
どんなに苦しくても、きっと理性を捨てずにいてくれる。
でも。
もし今、拒んだら。
南雲先輩は、もう二度とオレに触れてくれないかもしれない。
この熱も、この甘さも、もう二度と手に入らなくなる。
それがどうしようもなく怖かった。
離れてしまうほうが、ずっと。
オレは震える手で、彼の手を握り返す。
それが精一杯の返事だった。
「いい…です……噛んで……」
そう口に出した瞬間、体の芯がびくりと震えた。
自分の声が熱を含んでいて、欲を滲ませていて、それでも、後悔なんて欠片もなかった。
「っ……ああ、もう……どうなっても知らないからな…っ」
その返事に、胸がきゅうっと鳴った。
掠れて、荒くて、でもどこかで本気で心配しているような声。
その音色が、心臓を直接撫でてくる。
さらりと、後ろ髪を優しく掻き分けられる。
その指先が肌に触れただけで、ぞわりと背筋が震えた。
──そして。
ガブッ──
「っ───~~!」
息を呑む間もなかった。
牙が、深く、強く項に突き刺さった。
予想よりも、遥かに強くて、鋭かった。
ぱちぱちと視界が弾ける。
火花が瞳の裏で弾けて、全身がジリジリと焼かれるような感覚に包まれる。
がくん、と体が仰け反る。
首が晒され、喉が震えた。
確かに、痛みはあったのだろう。
けれど……それを痛みだと認識する余裕すらなかった。
熱が、身体の奥で弾けた。
何重にも巻きついていた我慢の糸が、一気に切れて全身に衝撃が走る。
「っぁ、ぁ……ひ、ぅぅ……!」
必死に南雲先輩にしがみつく。
離れてしまわないように。
この熱から、逃げたくなんてなかった。
噛まれた項が、熱い。火がついたようにじりじりと焼けているのに、それが快感でしかない。オレの身体はおかしくなってしまったのだろうか。
でも──気持ちいい。
震えが止まらない。
足の先まで痺れて、力が入らない。
先輩の匂いが鼻の奥に入り込み、脳をふやけさせていく。
「ん……よしよし。よくいけたな」
優しい声。
撫でるように囁かれて、涙が出そうになった。
「は、ぁ……南雲、せんぱ………ぁっ、やぁ、いっ、いってる、とまんなぃ…っ」
恥も理性もとうに消えていた。
自分でも聞いたことのない声が喉から零れて、身体の奥が震え続ける。
止まらない。収まらない。
先輩にすがりつかなきゃ、もうどうにかなりそうだった。
「……もうちょっと、頑張ろうな?」
耳元に、優しく落とされた囁き。
その声だけで、全身が跳ねる。
──次の瞬間。
「ひ……っ、や……ッ!」
項に再び、強く牙が食い込んだ。
今度は、押し潰すように、ぐっと。
その瞬間、身体の奥で何かが炸裂した。
「…は、え……?ぁ、ひぁ〜っ!?」
腰が跳ね上がり、全身が弓なりに反り返る。
視界が真っ白になって、呼吸も止まりそうになる。
内臓の奥がひくひくと震えて、熱が渦巻いて、意識がどこかへ飛びそうだった。
(おかしい、体が──)
おかしいのに、どうして。
怖くない。寧ろ──もっと、もっと。
先輩の匂いに包まれて、項に牙を残されて、こんなにも気持ちよくて。
こんなにも、幸せで──
「せんぱい、……まだ、だめです……もう少し、噛んでて……っ」
自分の口から零れたその言葉に、耳の奥がじんじんと焼けつくような羞恥が押し寄せた。
それでも、言わずにはいられなかった。
項に刻まれた先輩の牙の痕が、じわじわと熱を灯し、まだ名残を残す快感が尾を引いている。
頭の奥が痺れて、脳が蕩けていく。
全身がふわふわとしていて、重力すらまともに感じられない。
でも、それ以上に──先輩の匂いが、堪らなかった。
鼻腔を満たすその香りは、深くて、あたたかくて、包み込まれるような安心感をくれる。
甘いというよりも、渋く、落ち着いていて、それでいて身体の奥に火を灯すような刺激を孕んでいる。
「綾小路……」
名前を呼ばれた瞬間、また身体が跳ねた。
南雲先輩の声は、耳元に落ちて、鼓膜を震わせ、そこから背骨を伝って全身に染み渡っていく。
ただ呼ばれただけなのに、びくんと反応してしまった。
「……まだ、足りないのか……?」
低く、少しだけ掠れたその声に、ぞくりと背筋が粟立つ。焦れと理性が入り混じったような、ひどく艶のある声音。それだけで、心臓が一気に跳ね上がる。
「……すみ、ませ……」
謝るように呟くしかなかった。
欲しがっていること、もっと触れてほしいと思っていること。
それを言葉にするのが恥ずかしくて、でも、離れてほしくなくて。
「……分かった。もう少し、だけだからな……」
その言葉と共に、再び項に指が触れる。
今度は、指先で撫でられるだけ。
けれど、それだけでも身体が甘く反応する。
「んっ……あ……っ」
項が熱い。
噛まれた痕にそっと触れられるだけで、皮膚がびくびくと震えて、身体の奥がきゅうっと疼く。
腰がつられて浮き、脚が勝手に閉じてしまう。
「……本当に、感じやすいな、お前は……」
責めるようでも、呆れたようでもなく。
南雲先輩の声は、まるで撫でるように優しかった。
その優しさが、逆に堪らなくて、もっと欲しくなる。
「……だって……っ、先輩が、触れるから……」
言葉にするのは恥ずかしいのに、吐き出さずにはいられなかった。
先輩に触れられるだけで、声が出て、身体が反応して、頭の中が白くなる。
何も考えられなくなる。
ただ、この熱に沈み込んでいくことしかできなかった。
「……綾小路、もうちょっとだけ、頑張れ」
耳元にそう囁かれたとき、再び項に歯が押し当てられる。
皮膚を割るような強さではなく、甘噛み。
でも。それが堪らなく、気持ちよかった。
「──っあ、せんぱい……っ、や、そこ……ぁ……!」
また身体が跳ねる。
全身が弓なりに反って、汗に濡れた肌がシーツを滑る。
喉の奥から、耐えようのない声が溢れて、止められない。
項を甘く噛まれて、何度も、何度も疼かされて、
もうオレの中には先輩しかいなかった。
先輩の匂い、体温、声、触れ方、そして──牙。
そのすべてに包まれて、オレは何度も、崩れていった。
「……ぁ……ん……せんぱ……い……もっと……」
もう、どうにかなってしまえばいいとさえ思っていた。
このまま、何もかもを委ねて、先輩に染められたまま、溶けてしまいたかった。
そう呟いた直後だった。
許されているという甘えから、南雲先輩の匂いに頬を擦り寄せていた。心地よくて、胸の奥がじんわりと温かくなるような……このまま溶けてしまいそうな優しい香りに、頭がふわふわと痺れていく。
なのに──次の瞬間。
ぴたりと、彼の身体が固まった気がした。何かが変わった。その違和感を捉えきる前に、襲ってきた感覚がある。
項──首筋を何かが擦った。いや、指だ。
けれど、それだけなのに。
「ひぁ…っ!?」
声にならない声が、勝手に口から漏れる。
背筋が跳ね、全身が弾かれたように跳ね上がる。
頭が真っ白になるほどの衝撃。まるで身体の芯から電流が走ったような快感。
何が起きたかも分からないまま、南雲先輩の顔を見ようとするが、彼はすぐにオレの耳元へと顔を寄せてきた。
その吐息が、くすぐるように耳に触れる。
「……俺がαだってこと、忘れてるんじゃないのか? その気になれば、こっちはいつでも番になれてしまうんだぞ。……もう少し警戒心、持て」
その言葉に、また身体が反応してしまう。
「ひ、ぅ……」
漏れた息は、明らかに快感に濡れていた。
先輩の声は掠れて低く、耳に直接溶けて流れ込むようだった。そこに籠った熱が、言葉だけで身体の深部を掻き乱す。
ぎらり、とこちらを覗き込んだ南雲先輩の瞳は、鋭く光っていた。その目に射抜かれた瞬間──ぞくり、と背筋を撫でられたような快感が走る。
ああ……この人は、本当にαなんだ。
理解が遅すぎたのかもしれない。
今まで感じなかったはずの本能が、ようやく自分の中で目を覚ました。
あれは──オレの項を、指で撫でたのだ。
それだけで、あんなにも気持ちよかった。
お腹の奥がきゅう、と疼いて、下腹部がじわじわと熱を帯びていく。
何なんだ、この感覚は。
怖くはない。むしろ……
(……このまま、項を噛まれたら、どうなってしまうんだろう)
脳裏に浮かんだその想像に、背筋が震える。
恐怖ではなく、期待。いや、もっと正確に言えば──興奮だった。
南雲先輩に、噛まれたい。
噛まれたら、どれほど気持ちいいのだろうか。
さっき、ただ触れられただけであれほど反応してしまったのに。歯を立てられたら。皮膚を割って、そこに刻まれたら……想像しただけでぶるりと体が震えた。
(……きっと、快感で頭が壊れる)
それに、もし噛まれたら。
番になれたら。
もっと、もっと……南雲先輩のそばにいられるかもしれない。この香りにずっと包まれて、優しく抱かれて、守られて。それが嫌じゃないどころか、望んでしまっている自分がいる。
項に再び、南雲先輩の指が滑った。
「…ひ…ぁっ……」
触れるか触れないか、ぎりぎりの距離。
その曖昧な快感が堪らなくて、腰が浮いた。
自分の意志とは無関係に、反応が身体から漏れ出す。
先輩の手が項から少しだけ離れると、皮膚がひんやりと空気に晒されて、そこに物足りなさが生まれる。
もっと触れてほしい。
もっと、深くまで。
そう願ってしまう。
理性が軋みを上げる。
けれど本能は、すでにそれを押し倒していた。
「……せんぱい、……もうちょっと……」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
自分のものとは思えないほど熱に溶けた声。
何を「もうちょっと」なのか──そんなことさえ、今はどうでもよくなっていた。
欲しいものがある。ただそれだけだった。
南雲先輩の匂い、体温、指先、声……その全てが、身体の奥で暴れ出した本能を刺激してくる。
項に残るわずかな残像が、皮膚の下でまだ疼いていた。
撫でられたというだけの事実が、どうしようもなく甘く、身体を支配して離さない。
「綾小路……」
先輩の声が落ちてくる。
低く、少しだけ掠れていて、けれど明らかに揺れていた。それが理性を引き絞る警告であると分かっているのに、オレの体は逆に、その声に安心を覚えてしまっていた。
もっと欲しいと、体が叫んでいた。
指先に力が入る。
南雲先輩の制服の裾をぎゅうっと強く握りしめていた。離したくない。もっと、そばに居たい。たったそれだけの衝動が身体を突き動かしていた。
「……綾小路、やめておけ。これ以上は──」
彼の声は、確かに理性の縁に立っていた。
けれどその縁は、今にも崩れそうに軋み、揺らいでいた。押せば、靡く。そんな気を感じ取った。
「……南雲先輩の匂い、ずっと……ここにいてくれるみたいで……安心するんです」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。嘘では無い。本当にそうだった。あの香りは、オレの中に巣食う不安や焦燥を溶かして、包み込んでくれる。この空間に満ちているその匂いがある限り、オレはオレでいられる気がしていた。
「それに、さっきの……すごく気持ちよかった……」
喉の奥で溶けるように囁く。自分の声がひどく甘ったるいことを自覚していた。先輩の肩が、微かに揺れる。
項を触られて感じた快感は、忘れようにも忘れられなかった。あの感覚は、言葉にすればするほど、実体を増してのしかかってくる。
「……ああ、もう……お前な……」
先輩の指が再び首筋に触れた。
触れたか、触れていないか分からないほどの微細な接触。
「っ……ん……」
喉が震える。
息が漏れるたび、そこに熱が滲んでいく。
腰がわずかに浮いて、首筋が過敏に反応した。
「……項は、Ωにとって──守らなきゃならない場所だろ」
「でも、オレ……せんぱいに、噛まれたい……」
自分の声が震えた。拒むことなんて、できなかった。
むしろ、望んでしまっていた。噛まれたら、どうなるかなんて、分かっているはずなのに。
「……もし俺が、本当に噛んだら──お前、後悔しないか?」
「……しません……っ」
答えるより早く、感情が先に喉を突いて出た。
身体が熱い。
呼吸が浅くなる。
理性が、遠ざかっていく。
自分が自分でなくなる感覚が怖いのに、それ以上に、先輩を求めてしまう。
「……じゃあ……」
首筋をなぞる指の腹が、項の中心を正確になぞった。
「あっ……」
びくんと背筋が跳ねる。
息が漏れ、腰がつられて浮いた。
下腹部の奥がじりじりと灼けるように疼く。
「これ以上は、本当に危ないぞ。綾小路、俺はお前を理性で守ってる。今の俺がαであることを、ちゃんと分かって言ってるのか?」
「……っ、分かってます……でも……それでも、先輩が、欲しい……」
その瞬間、先輩の指が項から離れた。
けれど、匂いは残っていた。
南雲先輩の香りが、まだそこに在る。
それだけで、また熱が上がってくる。
それだけで、また彼の手を求めてしまう。
「お願いです……」
声は、もう掠れていた。
息も苦しくて、言葉にならなかった。
それでも、オレの目は南雲先輩を見ていた。
「……」
耳元でわずかな気配がした。次の瞬間、ぞくりと背筋が粟立つ。
「南雲せんぱ……んんッ!?」
項に、ぬるりと濡れた感触が走った。舌──南雲先輩に舐められたのだと理解した瞬間、膝から力が抜けて立っていられなくなる。かくんと崩れ落ちるように倒れかけた身体を、すぐに強い腕が支えた。
「……っ!」
気づけば、ぎゅうっと抱き込まれていた。背中に回された腕は思いのほか大きく、力強く、逃れる余地を与えない。それなのに、不思議と嫌悪感も恐怖も湧いてこなかった。
そこにあったのは、安堵だ。
彼の胸に押し付けられるようにして、呼吸を繰り返す。
肺の中が、南雲先輩の匂いでいっぱいに満たされていく。
清潔な石鹸のような爽やかさ。柔らかく落ち着いた木の香りのような渋み。そこに体温を伴う生々しいαの匂いが混じり合っていた。甘くて、心地よくて、深呼吸すればするほど心が鎮まっていく。
「はー…っ…はー……は……っ?」
自分の呼吸音が耳の奥でやけに大きく響く。
乱れた息が落ち着かない。酸素を求めて吸い込むたび、彼の匂いがさらに濃くなって、頭がぐらぐらと揺れる。
(……だめだ、これ……)
理性が危険信号を灯している。
分かっているのに、腕の中から抜け出す気力が生まれなかった。
項に舌を這われたときの快感がまだ残っている。
肌の奥で火照りとなって燻り続け、下腹部に熱を送り込んでいる。さっきまで以上に、身体が敏感になっているのが分かる。
南雲先輩の手は背中にあるだけで、他に何もしていない。ただ抱き留められているだけだ。
それなのに──こんなにも、全身が震えている。
(南雲先輩に、触れられているから……)
思考の底から浮かんだ答えは、あまりにも単純だった。
彼に抱き込まれているという事実だけで、心臓は暴れ、身体は熱を帯びる。安心と興奮がないまぜになって、どうしようもなく混乱している。
「……綾小路」
頭上から名前を呼ばれた。
低い声が耳を震わせ、胸の奥に直接響く。
ぞわりと項から背筋にかけて快感が走り、また膝が崩れかける。
「っ……ん……」
声にならない声が漏れる。
抱き留める腕がさらに強まった。
その度に、彼の匂いが濃密に押し寄せてくる。
──抗えない。
その事実を痛感しながら、オレはただ、彼の胸に縋るしかなかった。
「っ…ふー………」
浅い呼吸を繰り返しながら、必死に息を整えようとしていた。熱を帯びた肺が焼け付くように痛むのに、南雲先輩の胸元から聞こえてくる呼吸音が、それ以上に耳にこびりつく。
近い。
すぐそばで、オレと同じように荒い息をついている。
(……やっぱり、南雲先輩も……ヒートに充てられてるんだろうか)
そう考えると、胸の奥がきゅっと鳴った。
罪悪感が先に浮かぶべきなのに、それ以上に……ほんの少し、嬉しいと思ってしまった。
オレなんかで、先輩を乱せている。
その事実が、どうしようもなく熱を煽る。
「……っ」
突然、手の甲に温かいものが触れた。優しく、けれど逃がさないように強く──南雲先輩の掌がオレの手を握り込む。
「……綾小路。ひとつだけ、約束してくれ」
耳元に落ちてきた声は、低くて真剣だった。
その響きに、胸の奥がぞくりと震える。
「……はい…?」
視線を向けようとした瞬間、さらに近くで囁かれた。
呼吸が頬をかすめ、耳のすぐ脇を震わせる。
それだけで、背筋に熱が走り、腰のあたりがひくりと反応する。
「これから何かあったら、必ず俺に話してくれ。……いいな?」
心臓を鷲掴みにされたようだった。
命令ではない。
けれど、逃れようのない真剣さに、思わず身体が震える。
「ひぅ…っ、ん、はい……っ」
掠れた声で必死に返す。
耳の奥で自分の返事が熱に滲んで震える。
「……本当に分かってるのか?」
さらに近づいてくる声。
吐息が耳朶を撫でるたび、ぞくぞくと全身を駆け上がる快感。
耐えきれずに瞼を強く閉じる。
「……分かって、ます……」
唇が勝手に動いていた。
分かっている。
けれど、南雲先輩の声があまりにも近くて、低くて、熱を孕んでいて……そのたびに意識が攫われる。
(……悪い……これは……南雲先輩のせいだ)
耳元で囁く、その声が。
理性を奪うには十分すぎた。
オレはただ、握られた手に力を込めて、逃げないように縋りつくしかなかった。
ぎし、とスプリングが軋む音が部屋の静寂に溶けていく。それだけで、呼吸が詰まりそうになった。
「……本当に、いいんだな?」
低く問うような声。
南雲先輩の声音は、ぎりぎりの理性で抑え込んでいるのが分かるほどに深く、低かった。
これは──たぶん、最後の確認。
ここで拒めば、彼は本当に止まってくれる。
どんなに苦しくても、きっと理性を捨てずにいてくれる。
でも。
もし今、拒んだら。
南雲先輩は、もう二度とオレに触れてくれないかもしれない。
この熱も、この甘さも、もう二度と手に入らなくなる。
それがどうしようもなく怖かった。
離れてしまうほうが、ずっと。
オレは震える手で、彼の手を握り返す。
それが精一杯の返事だった。
「いい…です……噛んで……」
そう口に出した瞬間、体の芯がびくりと震えた。
自分の声が熱を含んでいて、欲を滲ませていて、それでも、後悔なんて欠片もなかった。
「っ……ああ、もう……どうなっても知らないからな…っ」
その返事に、胸がきゅうっと鳴った。
掠れて、荒くて、でもどこかで本気で心配しているような声。
その音色が、心臓を直接撫でてくる。
さらりと、後ろ髪を優しく掻き分けられる。
その指先が肌に触れただけで、ぞわりと背筋が震えた。
──そして。
ガブッ──
「っ───~~!」
息を呑む間もなかった。
牙が、深く、強く項に突き刺さった。
予想よりも、遥かに強くて、鋭かった。
ぱちぱちと視界が弾ける。
火花が瞳の裏で弾けて、全身がジリジリと焼かれるような感覚に包まれる。
がくん、と体が仰け反る。
首が晒され、喉が震えた。
確かに、痛みはあったのだろう。
けれど……それを痛みだと認識する余裕すらなかった。
熱が、身体の奥で弾けた。
何重にも巻きついていた我慢の糸が、一気に切れて全身に衝撃が走る。
「っぁ、ぁ……ひ、ぅぅ……!」
必死に南雲先輩にしがみつく。
離れてしまわないように。
この熱から、逃げたくなんてなかった。
噛まれた項が、熱い。火がついたようにじりじりと焼けているのに、それが快感でしかない。オレの身体はおかしくなってしまったのだろうか。
でも──気持ちいい。
震えが止まらない。
足の先まで痺れて、力が入らない。
先輩の匂いが鼻の奥に入り込み、脳をふやけさせていく。
「ん……よしよし。よくいけたな」
優しい声。
撫でるように囁かれて、涙が出そうになった。
「は、ぁ……南雲、せんぱ………ぁっ、やぁ、いっ、いってる、とまんなぃ…っ」
恥も理性もとうに消えていた。
自分でも聞いたことのない声が喉から零れて、身体の奥が震え続ける。
止まらない。収まらない。
先輩にすがりつかなきゃ、もうどうにかなりそうだった。
「……もうちょっと、頑張ろうな?」
耳元に、優しく落とされた囁き。
その声だけで、全身が跳ねる。
──次の瞬間。
「ひ……っ、や……ッ!」
項に再び、強く牙が食い込んだ。
今度は、押し潰すように、ぐっと。
その瞬間、身体の奥で何かが炸裂した。
「…は、え……?ぁ、ひぁ〜っ!?」
腰が跳ね上がり、全身が弓なりに反り返る。
視界が真っ白になって、呼吸も止まりそうになる。
内臓の奥がひくひくと震えて、熱が渦巻いて、意識がどこかへ飛びそうだった。
(おかしい、体が──)
おかしいのに、どうして。
怖くない。寧ろ──もっと、もっと。
先輩の匂いに包まれて、項に牙を残されて、こんなにも気持ちよくて。
こんなにも、幸せで──
「せんぱい、……まだ、だめです……もう少し、噛んでて……っ」
自分の口から零れたその言葉に、耳の奥がじんじんと焼けつくような羞恥が押し寄せた。
それでも、言わずにはいられなかった。
項に刻まれた先輩の牙の痕が、じわじわと熱を灯し、まだ名残を残す快感が尾を引いている。
頭の奥が痺れて、脳が蕩けていく。
全身がふわふわとしていて、重力すらまともに感じられない。
でも、それ以上に──先輩の匂いが、堪らなかった。
鼻腔を満たすその香りは、深くて、あたたかくて、包み込まれるような安心感をくれる。
甘いというよりも、渋く、落ち着いていて、それでいて身体の奥に火を灯すような刺激を孕んでいる。
「綾小路……」
名前を呼ばれた瞬間、また身体が跳ねた。
南雲先輩の声は、耳元に落ちて、鼓膜を震わせ、そこから背骨を伝って全身に染み渡っていく。
ただ呼ばれただけなのに、びくんと反応してしまった。
「……まだ、足りないのか……?」
低く、少しだけ掠れたその声に、ぞくりと背筋が粟立つ。焦れと理性が入り混じったような、ひどく艶のある声音。それだけで、心臓が一気に跳ね上がる。
「……すみ、ませ……」
謝るように呟くしかなかった。
欲しがっていること、もっと触れてほしいと思っていること。
それを言葉にするのが恥ずかしくて、でも、離れてほしくなくて。
「……分かった。もう少し、だけだからな……」
その言葉と共に、再び項に指が触れる。
今度は、指先で撫でられるだけ。
けれど、それだけでも身体が甘く反応する。
「んっ……あ……っ」
項が熱い。
噛まれた痕にそっと触れられるだけで、皮膚がびくびくと震えて、身体の奥がきゅうっと疼く。
腰がつられて浮き、脚が勝手に閉じてしまう。
「……本当に、感じやすいな、お前は……」
責めるようでも、呆れたようでもなく。
南雲先輩の声は、まるで撫でるように優しかった。
その優しさが、逆に堪らなくて、もっと欲しくなる。
「……だって……っ、先輩が、触れるから……」
言葉にするのは恥ずかしいのに、吐き出さずにはいられなかった。
先輩に触れられるだけで、声が出て、身体が反応して、頭の中が白くなる。
何も考えられなくなる。
ただ、この熱に沈み込んでいくことしかできなかった。
「……綾小路、もうちょっとだけ、頑張れ」
耳元にそう囁かれたとき、再び項に歯が押し当てられる。
皮膚を割るような強さではなく、甘噛み。
でも。それが堪らなく、気持ちよかった。
「──っあ、せんぱい……っ、や、そこ……ぁ……!」
また身体が跳ねる。
全身が弓なりに反って、汗に濡れた肌がシーツを滑る。
喉の奥から、耐えようのない声が溢れて、止められない。
項を甘く噛まれて、何度も、何度も疼かされて、
もうオレの中には先輩しかいなかった。
先輩の匂い、体温、声、触れ方、そして──牙。
そのすべてに包まれて、オレは何度も、崩れていった。
「……ぁ……ん……せんぱ……い……もっと……」
もう、どうにかなってしまえばいいとさえ思っていた。
このまま、何もかもを委ねて、先輩に染められたまま、溶けてしまいたかった。
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