神座宝の章
おはなしを読むためのお名前変換はこちらから
おはなし箱内全共通のお名前変換「夢語ノ森」では基本、おはなしの中で主人公の娘っこの性格や年齢を書き綴っていく形にしていますが、特別設定がある場合もございます。
そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
眠りから覚めた時には、あんなに重々しかった瞼がするすると持ち上がった。
「…身体…しんどいのだ?」
頭のすぐ傍で彼の声が響く。
「…どれ程眠っていたのでしょう…?」
「オイラの感覚では…昼近くになる頃かもしれないのだ」
「……ずっと…抱きしめていて下さったのですか…?」
「目が覚めた時に一人では心細いだろうと…」
「…何処までも優しいお方ですね、井宿様は。井宿様のお蔭で気も整いました…いえ、今まで以上かもしれません」
身体に流れる気は、昨日までとは打って変わり清々しい程のもの。
その心地よさに急に涙が込み上げてくる。
「…華音?」
「…申し訳ございません。もう少しだけ…井宿様の御胸〔みむね〕をお貸し願えますか…?」
返事の代わりか、井宿の指先が華音の髪を梳き始める。
そ…っと彼の胸に自分の額を寄せてみた。
肌を通して伝わってくる優しい温もりに、余計に感情が乱れる。
「…っ……ふ…ぅっ…」
押し殺そうとしても、涙と共に零れてしまう声。
見ているだけという事はどうしても嫌で、少しでも力になりたいと思った。
だが、異質の気が流れ込んでくる事への恐れも拭い切る事はできず…。
そんな二つの気持ちがずっと胸の内に在った。
術者としての彼の力で取り戻された華音の気。
そして、華音の気と似通った井宿の気。
この涙はそれらが心地よく混じり合う事への安堵からくるものだろうか…。
一人心の内で考えていると、グッと、肩を抱きこまれ、華音の身体は完全に井宿の腕の中へ囲われた。
トクン…トクン…。
彼の鼓動が耳元で響く。
穏やかなリズムを奏でるそれは、華音に流れる気の中にも、似た穏やかさを秘めているように感じられた。
そうしていて、気持ちも幾分か治まりを見せて小一時間程経った頃だろうか。
――コンコン…。
部屋の扉が控えめに音を立てて鳴らされる。
「…井宿、私だ。すまぬな…声を掛けようか迷いはしたのだが。明日には発つのだろう?食事は少しでも摂っておいた方が良いのではと思ってな…」
「ありがとうございますなのだ。…少ししたら行きますのだ」
僅かに身体を離し顔だけを振り返らせて、井宿が扉の向こう側から掛けられる声に応える。
「……華音の具合は…どうだ?」
「気は元に戻りましたので、もう心配はありません」
「そうか…良かった」
言葉と共に、安堵の溜め息も漏れてくるのが聞こえた。
「美朱と皆にもそう伝えておく」
もう一言そう言葉を足して、足音が遠ざかっていった。
「寒くないのだ…?」
「…大丈夫です」
再び顔を華音の方へ戻しながら、井宿はゆっくりと身体を起こす。
ファサ…と、空気に晒されている肩に、昨晩まで華音が着ていた白衣がかけられた。
「また後でオイラが来るのだ。まだ動けないだろう?華音はもう少し休んでいると良い」
どうしてそこまで分かってしまうのか。
不思議そうに井宿の事を見つめていると、微笑が返ってくる。
「…起きてから必要最低限の動きしかしていないのだ?体力の方は回復しきっていないのでは?」
「……はい…」
彼の言うとおり、もうしばらくは動く事が叶いそうもない事を自分自身で感じて頷く。
井宿が寝台から降りていき、華音に背を向けて上着を身に纏い始める。
その後姿を何気なく見つめた。
「…ありがとうございました…」
礼を呟いた華音の頭を、一度だけ撫でられる。
触れてくる温もりに安心感を抱いて、華音は目を閉じた。
**§**
翌朝の北甲国への旅立ちの日。
数日ゆっくり休ませて貰ったお蔭で、早めの内から目を覚ます事が叶った。
気を回復させる為に多くの時間を割く事は出来ない…それは理解していたが、事の全てまでは把握出来ておらず、井宿から話を聞いて今日北甲国へ向かうのだという事を知った。
部屋に設えられた鏡台の前で、身支度を整える。
白衣に緋袴を身に着けると、自然と気持ちも引き締まり、背筋が伸びた。
部屋を出て長い回廊を進んでいく。
幸い、何度か通った事のある場所だ。
迷う事なく宮殿の外へと出て、船で北甲の地に向かう事も聞いていた華音は、そのまま宮殿からすぐ傍に在る港の方へと足を運ぶ。
「華音」
華音に気付いた星宿に名を呼ばれる。
美朱と鬼宿、柳宿の姿が見当たらなかったが、井宿、翼宿、軫宿の姿はそこに在り、その中には華音が見知らぬ少年の姿も在った。
姿を瞳に収め、彼こそが本物の朱雀七星士の一人、張宿であるのだという事を理解する。
皆を前にして華音は頭を垂れた。
「青龍七星士様の存在に気付いていながら、大したお役にも立てずに申し訳ございませんでした。本来であれば、罪に問われても当然の立場ですのに。私は、今後も力の限り、朱雀の巫女様と七星士様に尽くさせて頂く所存にございます」
最高の敬意をはらい更に深々と頭を下げる。
「お前は…命を懸けてまで我々を護ろうとしてくれたではないか。それで十分だよ。華音もどうか…自身の身を大事にして欲しい」
はっとして星宿の言葉に顔を上げた。
――あなたも身体を自愛なさい――
四年前に自分を送り出してくれた時の大尼君の言葉が胸の内に蘇り、華音の頬へ一筋の涙が伝う。
「華音?」
「…いいえ。有り難き御言葉…しかと胸に刻んでおきます」
最後に今一度深く頭を垂れた後で、姿勢を直す。
その後程なくして、何処かに行っていた様子の巫女と二星士とも合流し、いよいよ出発の刻を迎えた。
「華音さん…で、宜しいですか?皆さんがそう呼んでいらっしゃるので。僕は張宿と言います。ご挨拶が遅くなってしまってすみません」
船が港を出発して間もなく、港で初めてその姿を見た少年が華音に声を掛けてくる。
――リィン…。
小さい音で鈴の音が鳴り響き、華音の頭の中で“知”という文字がはっきりと浮かび上がった。
「こちらこそ至らない事ばかりで申し訳ございません。張宿様は知力に長けていらっしゃる方なのですね。――たとえ…知力を失う事があっても、あなた様らしい御力で、何か一つでも出来る事は必ず在るはずです」
「…え?どうして…」
驚きに瞳が見開かれて、元より愛らしい印象の瞳がより大きいものとなり華音を見つめてくる。
それには微笑みを向け、彼への答えにはならない言葉を紡ぐ。
「申し遅れました。改めまして、私、華音と申します。どうぞ宜しくお願い致します、張宿様。あなた様のお蔭で私が今もこうして在れる事を、大変有り難く思っております」
「…井宿さんが…必死にあなたの“気”を取り戻そうとしていた理由が、よく分かる気がします」
「……?」
今度は華音の方が首を傾げる番だった。
その様子を見た張宿もまた、華音がそうしたように笑んで、華音に手を差し出してくる。
「宜しくお願いします、華音さん」
張宿が差し出した手を握ると、どちらからともなく笑みが零れた。
「華音さーんっ!」
穏やかな一時を破るかの如く、不意に元気な声が響いたかと思えば、華音の身体が小さな腕の温もりに包まれる。
「みぃーあっ、か~っ!はーやく来なさーい!」
「…美朱さん。柳宿さんが大げさなくらいに呼んでいますが…」
「……柳宿にお料理一緒に作りましょって誘われて調理場に向かうとこだったんだけど、華音さんの姿が見えたから来ちゃった」
えへへ、とはにかんで笑う巫女の頭にそっと手を置く。
彼女とは、六つ…七つ程年が離れているか…。
この少女には、どれほどの試練が待ち受けているのだろう。
友人だという倶東で会った少女の存在も、華音の心には在り続けている。
金髪の男…心宿。
青龍七星士のあの者が影で手引きしているであろうこの物語は…。
二人の少女を何処まで混沌とした世界に引き込むつもりなのか。
「…華音さん?苦しいの?軫宿…じゃなくて井宿の方が良いのかな。呼んで来る?」
険しい表情にでもなってしまっていたのか、巫女が顔を覗きこんで問うてくる。
「申し訳ございません…考え事をしておりました。体調に問題はありませんので、どうかお気になさらず」
「そう?なら良いんだけど」
「みぃー、あー、かー?」
「はぁーい!…柳宿が呼んでるから行って来るね」
これまたパタパタと元気な足音を響かせ、甲板上を駆けて行った。
そんな巫女の後姿を、華音はしばらくの間見つめていた。
**§**
ゴロゴロ…カッ!―――…。
突如、船の上空に分厚い濃灰色の雲が出現した事を目視で確認した直後、瞬く間に荒れた天気へと早変わりした。
柳宿と鬼宿の間で、“房宿”という言葉が飛び交うのを聞いた華音は、甲板を囲う船体の側面さえも存在しない場所を求めて船首へと向かう。
船が揺れる事も構わず、船首の最も先端である船体の縁となる部分に手を掛けて体重を上手い具合に移動させ、自分の身体をそこまで乗り上げさせた。
不安定な船体の縁を踏みしめて、自分の両足でしっかりと立つ。
「…華音、危険なのだ!船が揺れた衝撃で美朱に鬼宿…それに柳宿まで海に投げ出された…っ。君まで落ちてしまう…!」
雨粒が全てのものを叩きつける中、華音に向かって伸ばされる手。
彼の言う様に、前方に広がるのは荒れ狂う海面。
落ちてしまえば、一溜まりもなく波に流されてしまう事だろう。
「私にお任せ下さい。これ以上の被害が出ないよう、私が船を御守りします。井宿様は御三方をお探ししなければならない事でしょう」
「…それが…」
言葉が途切れて、彼を見下ろす形で少しだけ振り返る。
「三人の気を探れないのだ…」
彼の視線が船の上空へと向けられる。
「…そうですね。先に御三方を探す方が効率が良いかもしれません。では。私が数分の間、雷雲と船上との空間を断ちますので、その間に出来ますでしょうか」
「やるのだ。三人を探し出す為にも」
頷く彼から視線を外し、前方に顔を戻した。
そうしながら口を開く。
「御三方の気が掴めましたら…その場所への軌跡を思い描いて下さいますか?」
「軌跡?」
「私に方向を示して下さい。今ならば…――あなた様と私の気が強く混じり合っている今であれば、あなた様の念をはっきりと捉える事が可能です」
「…華音?」
おそらく大事な部分はこれで伝わったはずだ。
まだ問いたそうにしている彼の声に答える代わりに、合図を送った。
「いきます」
――リイィィン。
華音の言葉に呼応するように、鈴の音が響いた。
空に向かって両手を垂直に掲げる。
「エサミサディムヲンナクウカラターラ アディアオナレラウオタローサ」
――空と我らの間 新たな空間を生み出しませ――
バッ…と、扇状に両腕を空と並行する位置まで下ろせば、船の上空を覆う薄い膜が出来上がる。
それに伴い、船を襲っていた雷雨がピタリと止んだ。
「井宿様」
「…いけるのだ。すぐに気を掴む」
井宿からの返答を聞いた華音は、生み出した膜を維持させる為に再び言葉を紡ぐ。
二度ほどそれを繰り返したところで、声が上がった。
「大分流されているが、見つけたのだっ」
「…そのまま私に念をお送り下さいませ」
言いながら腕を下ろす。
再び雷雨を受ける船の上で、ゆっくりと身体の方向を変える。
海を背中にし船上を見下ろす形となった事により、つい先程までは華音と井宿の二人だけであったこの場に、翼宿、軫宿、張宿の姿もある事に気がつく。
華音は漸く船体の縁から甲板上へと降り立った。
だが、すぐにでも足を浮かせ、今度は縁に腰掛ける形を取る。
腰を降ろした傍らに左手を置いて身体を支えた。
瞳で見る船の左端から右端へと、弧を描くように右手を動かしてから左手と同じ様に船体の縁へ置く。
「…船がこれ以上の被害を受ける事はありません。ですが、身の危険に関しましては申し訳ございませんが、引き続きご注意なさっていて下さい」
一言断りを入れた後、井宿から送られてくる念に意識を集中させる。
海面のずっと先に広がる雨で霞む景色を見つめながら、言葉を落とした。
「右に90度旋回」
ギギィッ…と重々しい音を立てながら、華音の声に合わせて船が動く。
「前進」
「……波に逆らって…船が進んでる…!?」
「…華音が…動かしとるんか…」
「…何て力だ…」
聞こえてくる会話はそのままに、念を送り続けている井宿へと視線を移す。
「井宿様、ありがとうございました。後はこのまま進むだけですので、念を止めて頂いて大丈夫です。翼宿様、軫宿様…縄を下ろす用意をして頂いても宜しいですか?少しすれば、巫女様たちの元へ辿り着きますので」
順に視線を動かしていき、最後に張宿と視線を合わせた。
**§****§****§**
一度更新をお休みした事もあり、気がつけば前章から一ヶ月の間が空いてしまいました(汗)
というわけで。
神座宝の章をスタートさせましたが…
執筆…先手打っていけるかな…(笑)
が、頑張ります!