朱雀召喚の儀の章
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当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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翌日。
朝の訪れと共に鬼宿が居ない事に気付いた巫女は、最初こそは混乱している様子を見せていたが、あまり時を割かずに、彼女なりに決意を固めた様子で残りの七星士を探す旅へと出かけていった。
「…華音。君は鬼宿が倶東に行った事を知っていたのだ?」
宮殿の回廊から庭を眺めていた華音に、後方から声が掛けられる。
「はい。昨夜、影で見送っておりました。彼を止める事は許されませんので」
振り返る事なく答えを返した。
少しの間が在った後、ふわり、と、背中から抱きしめられる。
華音の身体を包むのは、国の主が纏う衣装を身に着けている腕。
声も姿もその者との違いは一切ないのに、彼らしい物言いについと笑みが零れた。
「井宿様。誤解されてしまわれますよ。今のあなた様は紅南国の皇帝陛下として此処に居られるのですから」
「近くに人の気配はないから大丈夫なのだ。――陛下の身代わりになる為に戻ってきた事も勿論本当だが、君が宮殿に残ると言うから心配だったというのもあるのだ」
一度は巫女と柳宿の二人と旅へ出発した井宿を見送った。
その後で、巫女の事で思い悩む星宿と身代わる為に彼が舞い戻ってきたその場面を見たわけではない。
それでも、井宿が身代わった後の星宿と顔を合わせた時には分かってしまった。
星宿自身ではないという事を。
「…今回。私の中で告げるものは何もありませんでした。ですが、何故でしょう…此処に残らなければならないような気がしたのです」
「華音…。苦しければ頼ってくれていいのだ。オイラが受け止める。太一君は…天帝という身であるからあの通り世界の全てを見守っておられるが…。君は力はあるとはいえ、普通の一人の娘なのだ?一人で背負い込むには…荷が重過ぎる」
「井宿様はお優しいですね。そんな風に思っていて下さったのですか。本当に私は幸せです。真白も井宿様も、私の味方で居て下さる」
星宿の姿を象る井宿の方へ身体を向けて、華音を抱きとめてくれていた胸をそっと手で押し返した。
「私は巫女様と井宿様方…七星士様に精一杯仕える事を決めました。そう思えるようになったのも井宿様、あなた様のお蔭にございます。ありがとうございます」
「…華音っ――…何用だ」
同じ人の声であっても、声質がまるで違う。
一つの足音が聞こえ、井宿との間に距離が生まれた直後、右大臣が現れて彼の前で頭を垂れる。
「これはこれは…華音様もご一緒であられましたか。陛下。取り急ぎ、確認して頂きたい書面がございます。どうか執務室にお戻りを」
「分かった」
僅かに華音の方へ視線を向けてから、井宿は右大臣の後を歩んで行った。
華音は井宿の背から視線を逸らし、空を仰ぐ。
ピチチチチ…と、二羽の小鳥が空の蒼の中へと飛び立っていった。
**§**
昨夜は、酷く胸騒ぎがしてよく眠れなかった。
何だろうか…これは。
今も消える事なく続いている胸騒ぎ…それは、次第にざわめきが大きくなっているようにも感じていた。
(…華音……華音っ…――華音!」
不意に自分を呼ぶ声が頭の中で響いたかと思えば、すぐ傍でもその声が聞こえてハッとした。
「…娘、娘…?」
「華音、真白と一緒に来るね…!太一君も許してくれた…っ。あなたが育った場所…寺院の大尼様が――っ」
「……!」
胸騒ぎの意味はこの事だったのか。
華音は弾かれたように回廊を駆け抜け、執務室を目指す。
「陛下…!」
「華音、どうした、そんなに血相を変えて…」
部屋に転がり込むように扉を押し開けて入った華音を、彼や臣下たちが驚きの眼差しで見つめてきた。
いくら急を要しているといえども、敬意を払う事は忘れず、少し息を整えてから口を開く。
「申し訳ございません。今日一日だけお暇を下さい。明朝には必ず戻って参ります。太一君もお許し下さいましたので、真白と共に行って参ります。今の陛下であれば、説明せずとも何とはなしにご理解して頂けますか?」
彼なら太一君と真白という二つの言葉を出せば、それなりの事態である事を悟ってくれるに違いない。
「私でなくとも十分に伝わっている。そなたが望むように行っておいで」
「ありがとうございます」
簡潔に礼を済ませて踵を返す。
「真白……真白?」
部屋を出て彼女の名を呼ぶと、間を空けずに応答があり姿を見せた。
「此処ね!寺院までは距離があるから、真白の力で行くね」
頷く華音の頭に手が添えられて、娘娘の口から呪文と思われる言葉が紡がれる。
サアァ…と、霧が晴れていくように視界が開けて懐かしい景色が現れるが、その懐かしさを噛み締める暇もなく、華音は寺院の敷地を進んだ。
「…華音……華音ではないか…!」
「御無沙汰しております」
寺院への入り口の所で、一人の僧が華音の記憶に残る顔よりも幾分か皺を刻んで声を掛けてくる。
「元気にしていたか。四年前に突然此処を出て行ってしまって私も皆も寂しい思いでいたのだ。戻ってきたのは…大尼様の事か…?」
「はい。また突然に戻り、挨拶もそこそこに申し訳ございませんが、大尼様はどちらに?」
「挨拶など良い良い。ご自身の部屋で静かに時を過ごして御出でだ」
「ありがとうございます」
会釈をしながら記憶に残る道筋を辿っていく。
そんな華音の傍らには、猫の姿となった娘娘がぴたりと離れずに寄り添っていた。
「…大尼君」
「大尼様!」
その部屋に近づくにつれて、若い者の声から歳を重ねた者の声…様々な声が飛び交うのが聞こえてくる。
部屋の扉は開かれていた。
故に、華音が部屋の入り口に立った時、中に居る皆の視線を一身に浴びる事となった。
「…華音、お前、戻ったのか」
「華音だ…」
「華音」
人に遮られていた部屋の奥側へと続く道が、波が引いていくように開ける。
「…真白…あなたも来てくれますか?」
「…ニー」
小さく紡いだ言葉に小さく応える声。
一歩ずつ部屋の奥に設えられた寝台へと歩を進める。
息づく静寂に重なるのは、華音が歩く度に響く衣が擦れ合う音と真白が立てる可愛らしい微かな足音だけ。
窓から差し込む陽の光。
まるで神聖な儀式か何かのようだ、と、華音は思った。
「…華音…戻ってきたのですか…おかえりなさい…」
寝台の上に横たわる主からか細い声が発せられた。
寺院の入り口で華音に声を掛けた僧と同じ様に、四年という月日が経ったその間で、皺が深くなった手をそっと取る。
「…大尼様…」
「……衣装…とても似合っていますよ…あなたが纏う気を引き立たせる程に…。…それなのにどうしてでしょう…輝きが曇っています…」
「…大尼…様…。…どうすれば心が強くなりましょう…。心を決めても…心が揺れるのです…」
「あなたらしく輝ける方法を…導き出しなさい…」
「……私があるがままにいる事が許されなくとも、ですか?」
「…華音だから…天は華音をお選びになったのです。ですから、あなたらしく輝ける方法がきっとあるはず…。それを見つけなさい。…そうすれば…心も自ずとついていきましょう」
華音の中に在る手を握る手に力を込めれば、弱弱しくも握り返される手。
「…後悔…していますか?華音。此処を出て行った事…」
大尼君の問い掛けに華音は首を横に振る。
「…いいえ、後悔はありません。大尼様が話して下さった朱雀の星の下に宿められた巫女様も七星士様も…まだすべての七星士様にお会いしたわけではありませんが、とても良い方々ばかりです。お傍でお仕え出来る事は光栄な事だと、そう思います」
「華音が戸惑いを覚える程なのであれば…それは決して容易な道ではないのでしょう…。自分を見失わず、自分を信じて…進みなさい…。私は……朱雀の星の傍らで…あなたの傍で…ずっとあなたの事を見守りましょう…」
「…大尼…様…」
「…人には…誰でも寿命があります…。…私には其の時が来ただけの事…。最期に…華音に…会えて…嬉しかった……」
「大尼様に育てて頂いて…とてもとても幸せでした…。…ありがとうございました」
頬を伝わる涙は流れ行くままにしていたが、視界が霞み見えなくなってしまわぬよう…それだけは必死に堪えていた。
ニャー―――…。
真白が華音の肩に登り鳴き声を上げると同時に、大尼君は静かに息を引き取った。
**§**
「…華音。一睡もしないつもりね?」
星が瞬く夜。
寺院の中で何処よりも星を最も近く感じられる場所――屋上にて、華音は石造りの壁面の縁に腰掛けながら夜空を仰いでいた。
どれ程の刻が過ぎようとも、飽きもせずに紺色の空に輝く星たちを眺め続ける。
「…宮殿に戻った時に…井宿が心配する」
少女の容姿で華音の肩口から顔を覗かせて華音に話しかける娘娘に、漸くそちらへ視線を向けて言葉を紡いだ。
「……井宿様は…何故、ああまでして私の事を気にかけて下さるのでしょう…?」
「井宿は…太一君が華音へ記憶を戻した時から華音の姿を見てきているね。…太一君…井宿が大極山に戻ってくるタイミングで華音の記憶を戻したのかもしれないって…娘娘は思うね」
「何故そのような事を?それでは井宿様が…」
「華音。太一君だって鬼ではない。その人に与えられた宿命や人生に影響を与えてしまわない範囲で手も貸す。巫女にも七星士にも…そして華音にも。華音の傍に井宿を置いた事…
それが太一君に出来る、華音への唯一の最大の助け舟ね。…井宿は華音へ辿り着くその舟にちゃんと自分の意思で乗ったある。もし、井宿が華音に手を差し伸べようとはしなかったら…
その時は太一君に背いてでも、真白が華音の傍についた。でも、井宿は華音の傍に居ることを望んだ。井宿になら華音を安心して任せられる」
「…真白」
大尼君を看取ってからも随分の時を泣き続けたというのに、涙は尽きる事なくまた溢れ出す。
「…井宿様にお会いしたい…。でも、大尼様のお傍も離れたくない…私はいつからこんなにも欲深くなったのでしょう…」
「華音」
「寺院に居る間は穏やかな心持ちでいられたというのに…一歩外へ踏み出してしまえば、些細な事にも心が揺れてしまう。胸の内に燻る感情が、いくら堰き止めようとも溢れ出てくるのです。
これでは、本当に自分の身を滅ぼしかねない…太一君の仰るとおりです。自分の感情を抑える事もままならないのに、私に見届けるという事が務まりましょうか…。井宿様の前では意地を張るという事をしてみましたが、心など決まっていません…こんなにも容易く崩れ落ちていく…」
大きく大きく心が揺らぐ。
定まるどころか掻き乱される一方で、様々なものが混じり合いぐちゃぐちゃになる。
倶東に赴き、青龍の巫女と会ったあの時からずっと…。
歯痒くて…心苦しくて…。
自分が今、立ち止まっている事さえもどかしく感じる。
それだというのに、心は何も決まらず。
決めたと思っても、それは紛い物に過ぎない。
だが、こうして華音が心を揺らしている間にも、物語は止まることなく紡がれている。
「華音らしく輝ける方法がきっとあるはず、って大尼様が言ってたね?――玄武の時も白虎の時も、華音と同じ役目の存在が居たね。役目は同じでも、人が違えば見届ける形もそれぞれ違うものになるある」
「玄武も白虎も…物語は終えているのですか…」
「そうね。後は朱雀と青龍だけ。華音の場合は二つの物語を見届けなければいけないけど…。朱雀と青龍が二人の巫女の物語なら、その二つの物語を見届けるのは華音の物語ね」
「…私の…物語…」
真白が顔を覗きこむようにして華音の膝元へ入り込んでくる。
「華音なら華音自身の物語を紡いでいけるって、真白はそう信じてる!」
ポン…と、小気味良い音を空気中に響かせて、真白は少女の姿から猫の姿へと早変わりした。
「ニャアー」
真白の身体を腕の中に抱き、果てなく続く空に再び視線を向ける。
「…私らしく…私自身が紡いでいく物語…」
真白と二人だけの空間。
それからもずっと夜の空を見上げていた。
やがて、星たちの存在が儚い輝きとなり、地平線からは新たな光の存在が顔を出し始める。
星たちの輝きをも包み込んでいく眩い朝の陽に照らされて、華音は地に足を着け立ち上がった。
「…宮殿に戻って…私が為すべき事を見つけます」
「ニャア」
「…大尼様…どうか見ていて下さいませ…」
もう星たちの時間は終わってしまった空へと言葉を放ち、朝陽に背を向けて歩き出した。