朱雀召喚の儀の章
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そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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あまり小さい頃の記憶まではないが…。
ずっとずっと寺院で育ってきた。
きっと、この世に生を受けて間もない頃からずっと。
寺院での生活は、特別な事はこれと言ってなかったが、寺院の者たちは皆、華音の事をそれはそれは可愛がってくれた。
優しく…温かく接してくれた。
そういう風に育ってきた環境が幸いしてか、心穏やかに過ごしてきた日々。
華音にとっては、何もかもが大切に思える時間〔とき〕だった。
『大尼様?あの御話をして下さいまし』
中でも、心待ちにしていた事が一つ。
『此の国に伝わる巫女様と七星士様の御話ですか?』
『はいっ』
『華音は本当に好きなのですね。何事にも欲を示さないあなたが、この時ばかりは瞳が輝きますもの』
大尼君の口から紡がれる物語を聞く時が、一番大好きだった。
――南の天の朱雀の星の下―――…
“井”“鬼”“柳”“星”“張”“翼”“軫”
南方朱雀七星宿という七つの星、在りけり。
国が乱れ滅びんとする時、異世界より「朱雀」神の力を得るため、娘が現る。
娘は、七星と共に手に入れた「朱雀」の力を持って、国を導くであろう。――
夢語りのように聞いてきた、その伝説。
それを何度も繰り返し心に刻んできたのは、華音の中に流れる“気”が求めていたのだと。
そう理解したのは、それから幾年か先の事になる。
華音が十八程までに成長した年。
寺院で暮らしていた華音の元を一人の老婆が訪ねてきた。
大尼君に呼ばれ、華音も一緒に老婆から語られる話に耳を傾けていた。
『彼女は朱雀の巫女・七星士らと宿命を共にする娘。お前さんの身体に流れる“気”は、非常に高貴なものであり、時空を操れる力を持つ。二つの世界を繋ぎ、物語を最後まで見届けよ。その為にも、わしと一緒に来て貰えぬかの?』
『大尼様…』
『…行きなさい、華音。あなたもまた、きっと朱雀の星の下に導かれる為に生まれてきたのです。華音、あなたが何よりも惹かれていた伝説に助力出来る事があるのですよ。何を迷う事があります?』
『ですが、大尼様…っ』
長年、育ってきた寺院から離れ難く、躊躇する華音に大尼君は言う。
『行きなさい。私はあなたの活躍と健闘を此処で祈ります。華音の事をいつも見守っていますよ』
『…分かりました。大尼様、どうか御元気で。皆様にも宜しくお伝え下さい』
『えぇ。あなたも身体を自愛なさい』
数分の間程…別れを惜しみ、固く抱き合った。
『ここまで高貴な気が備わったのも、こちらで大事に育まれてきた証。礼を言いましょうぞ』
老婆が会釈をし、歩き出す。
後ろ髪を引かれながらも、華音は老婆の後を追った。
そうして辿り着いたのが太極山。
選ばれた者しか立ち入れないという其処は、見た事もない天の国を思わせるようなとても美しい場所だった。
『さて。早速じゃが、お前には旅立ってもらう』
野良着から高貴そうな装いに変わった老婆が、唐突に告げる。
何もかもが突然。
しかし、華音は動じなかった。
まるでそうなる事が分かっていたかのように。
老婆もさすがに驚いた表情をして、華音を見る。
『…受け入れるのか…詳しい事は何も説明しておらぬのに』
『自身でも不思議に思うのですが、納得しているのです』
『本当にお前の“気”は大したものじゃ。だが、いささか一人で行くのは心許ないじゃろうて…娘娘。お前も一緒にお行き』
『はいね~っ!』
『――これから行く世界は、いずれ朱雀の巫女となる娘が住まう世界』
ざぶん…と、華音の身体が水に沈む。
水の中といえども息苦しくはなかった。
老婆に娘娘と呼ばれていた少女が華音にしがみ付いてくる。
華音は少女の存在を腕の中に抱きしめた。
『時が来るまでお前の記憶は封印する。お前は何者でもない…“華音”という名のただの一人の人間』
ゆらゆら…ゆらゆら。
水底に静かに身が沈んでいくように、記憶も奥の深いところへ沈みゆく。
『お前の“気”が誘〔いざな〕うままに、己の身を任せよ』
辺りが闇に覆われ、瞳を閉じた。
**§**
ピシャン―――…。
水面に滴が落ちる音が耳の奥で小さく響き、目を開ける。
「ニャー…」
温かい感触に頬を擽られて身体を起こす。
「……私は…華音…」
掌を見つめ、ぽつりと呟いた。
ニャア…。
聞こえてくる鳴き声の方へ視線をやれば、一匹の白い猫。
「…あなたは…真白〔ましろ〕で良いでしょうか?」
単純かとは思ったが、何も飾らないシンプルな名前がその猫にはしっくりくるような気がした。
傍らに身を置く猫の頭を優しく撫でる。
「……時を待ちましょう…一緒に…」
「ニャア!」
自然と零れ落ちた華音の言葉に、猫は力強く頷いた。
**§**
リイィィン―――…。
また鈴の音が頭に響く。
それと共に浮かんだ一つの漢字。
大尼君がいつも話してくれた朱雀七星の内の一つ―――…。
「…井宿様…」
「…だ?」
開いた瞳に映り込んできたのは、首を傾げる笑った顔。
その隣には、記憶に残る少女の姿もあった。
「真白…いいえ、娘娘、ですね。あれからどれ程の時が経っているのでしょう?」
「四年、ね」
「四年も…。その間ずっと私の傍にいてくれたのですね。ありがとうございます」
ゆっくりと身体を起こしながら、彼の方に顔を向ける。
「あなた様が私を運んで下さったのですよね?ありがとうございます」
「…大丈夫、なのだ?倒れる前、大分苦しそうだったのだ」
「記憶もしっかりと馴染みましたので、もう大丈夫です」
華音がにこりと微笑むと、少し困り気味だった笑顔は、安堵する笑顔となった。
――リィ…ン…
途切れ途切れに響いた鈴の音の中に混じる、水の音。
華音の前で微笑む顔の向こうに、ぼんやりとだが、別の顔が見えたような気がした。
何だか見てはいけないものを見てしまったように感じられて、華音へと流れ込んできたものを掻き消すように口を開く。
「井宿様、御話をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「だ…そういえば、何故、オイラの名前を…」
「私には分かってしまうのです」
「……そうなのだ。…オイラに聞きたい話というのは?」
気のせい…だろうか。
一瞬だけ彼が表情を曇らせたように見えたのは。
今は既にそれまで通りの笑みを浮かべている為に、華音は早々に気持ちを切り替える事にした。
「朱雀の巫女様とはもうお会いになられましたか?」
「此処に来る前に、会ってきたのだ」
リイィィン…。
続け様に鈴の音がなる。
次々と浮かび上がる文字たち。
「…鬼…星…柳…そして井。あなた様で四星士目ですか…」
「そこまで分かるのだ?」
「…いえ、これは井宿様の御言葉を聞かなければきっと分かりませんでした。――倶東国…」
最後に頭に浮かんだ国の名前。
「私は倶東国に行かなければ…」
倶東国…その響きが華音の胸の内をざわつかせる。
身体に流れる気が乱れ始めた事に自身で気がついた華音は、目を閉じて深呼吸を繰り返した。
こんな事、今まで一度だってなかった。
不安を抱いているという事そのものに不安を感じる。
「…華音?」
「大丈夫です。大丈夫…」
心配顔を向けてくる娘娘に言葉を返しつつ、己の身体を自分自身で抱きしめた。
**§**
それから数日。
あの後…翌日には朱雀七星士の一人である井宿は朱雀の巫女の元へ行った様で、華音が倶東国に向かおうとした頃、彼の姿は太極山にはなかった。
「…太一君、で宜しいでしょうか」
宙に浮かぶ老婆の姿を見上げる形で言葉を紡ぐ。
「わしが天帝だという事にも気付いたようじゃの」
「はい」
大尼君に巫女と七星士の伝説を聞く際に、太極山と天帝の存在もまた話に聞いていた事も思い出した。
事柄を呑み込む事に、此処まで時間を要するのは自分としても珍しい事だと思う。
…というのも、倶東国に赴くという事がずっと華音の中で気にかかっている事が原因である、という事も、華音には分かっていた。
「…倶東国に入る事が不安か?ここ数日、お前の気が乱れておったの。井宿も心配しておったぞ」
「……っ…!」
考えていた事を指摘され、ビクリと肩が震える。
「お前は雑念とはほとんど無縁の場所で育ってきた。色々と戸惑うのも致し方ない事じゃ。だがな…お前には味方がいるという事を忘れるでない」
「…味方?」
「言ったじゃろう?井宿が心配しておった、と。井宿が朱雀の巫女の元へ行く前に、お前の部屋を訪ねていた事に気付いておらんかったか?」
そう言われてみれば、思い当たる節があった。
数日前に夢うつつで聞いた言葉…。
――…華音。また、倶東国で――
あれは彼だったのだ。
胸に両手を当てて大きく息を吸って吐く。
「…行って参ります…」
リイィィン…。
右の掌を地面に翳し、その言葉を紡ぎ出す。
「エアマティセミス ヲティムケブムスサゲラウ
ヲティムクユアジラウ エサミカリヒ エサミカリヒ」
――開きませ開きませ 我が行く道を
我が進むべく道を示し給え――
足元から生まれた光が、華音の身体を包み込む。
程なくして薄れゆく光を感じながら瞳を開くのと、ドン!!と凄まじい風を身体に感じるのとはほぼ同時だった。
「…くっそ…美朱ーーー!!」
華音の目前には、扉の前で見えない力に阻まれている少年が一人。
その扉の向こうに見えるのは、傷だらけの少女の身体を支える井宿の姿と、彼と対峙する金髪の男性…そして井宿の腕の中に居る少女と同じ服を着込むもう一人の少女。
“朱雀”“青龍”“巫女”…三つの文字が同時に頭の中に浮かんだ。
リイィィン…!
いつもよりも強く鳴り響く鈴の音に、華音は口早に口を開く。
「エサミカリヒ ヨイティマテラサゾト
エサミスォトノムマボヲク」
――拒むもの通しませ
閉ざされた道よ 開きませ――
「美っ…――でえぇぇっ!?な、何だっ?遮るもんが急になくなっ…!」
「今の内に中へお入り下さい!」
「!?お前…何時からそこに――」
「道が開かれている内にお急ぎ下さいっ」
「あ、あぁ…、誰だか分かんねぇけど…ありがとなっ!」
少年が駆けて行く姿を見届けて、開け放たれていた扉に向かって伸ばしていた手を降ろそうとした。
「…華音!避けるのだっ!」
不意に名を呼ばれてハッとする。
「――!」
とてつもない速さで飛んでくる青色の気弾に身動きがとれずに、降ろしかけていた腕で目の前を覆う。
だが、覚悟していた痛みなどは一向に感じず、恐る恐る再び腕を降ろしてみると、華音の身体は朱色の光で護られていた。
「彼女に手出しはさせないのだ」
はらり…と、彼の顔から剥がれ落ちていくものがあった。
その光景は、彼との距離が大分在る中でも華音の瞳に焼き付いた。
「ふっ…そこまでして護る価値が在る、と?なかなかに興味深い」
「美朱、鬼宿、オイラと華音が気を逸らせている間に行くのだ!」
“美朱”“鬼宿”と呼ばれた二人が、一人の少女の事を気にかけながらも、彼が手にする笠の中へと吸い込まれていく。
「エサミスォトノムマボヲク〔拒むもの通しませ〕」
短くその言葉だけを口にして、華音も部屋の中へと入る。
部屋の外から瞬時に移動した場所は、井宿が居る位置とは真逆の位置だった。
金の髪をした男性の後方にいた少女に、誰よりも近い場所となる。
「井宿様は先にお戻り下さい」
「だが…っ」
「私もすぐに参ります」
「……必ず戻ってくるのだ、華音…」
井宿もまた、華音にそう言い残し笠の中へと消えていった。
「青龍の巫女様、私と行きましょう?」
少女に向かって手を差し出す。
後方に居る男性は様子を見ているのか、大きな動きを見せる気配はなかった。
「あなた誰?…どうせあなたも美朱に言われて――」
「私が朱雀の巫女様のお顔を拝見したのは、先程が初めてです」
「じゃあなおさら、あたしの事なんか…」
「青龍の巫女様は真実を知るべきです。今ならまだ――っ!?」
少女の方へ歩み寄ろうとした華音の足が止まる。
否、止められていると言った方が正しいだろうか。
それ以上の言葉は慎めと言わんばかりに、華音の動きを封じられている。
少女に仕える男性の力かともまずは考えたが、それは違うと己の中で否定した。
この力は―――…。
「…礼を言うべきか?だが、これでお前が唯様にとって邪魔な存在でしかないという事が分かった」
「…心…宿?」
「唯様、下がっていて下さい」
ぶわっと、男性の髪が風に舞ったと思った次の瞬間。
華音の身体は後方へと弾き飛ばされる。
「……っ…ぅ…」
「それ程の気を持っていながら惜しい事だ。高貴で在り続けなければ意味も為さぬとは、な」
「高貴…?心宿、この人は一体…」
「唯様、この者はあなた様の毒にしかなりません。惑わされますな」
痛みが走る身体を何とか支えながら、意識を集中させる。
「エサミガヌト ティムクヨニヒサタウ〔私の行く道 繋ぎませ〕」
眩い光が生まれ消えていった青龍廟の片隅を、少女はじっと見つめる。
「…真実って…何?」
少女の口から小さく零れ落ちた言葉に、金髪の男が僅かに眉を顰めた。