決戦の章
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当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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あの日と同じようで、違う空間。
真白と共に足を運んだ大尼君の部屋の中はとても静かで、百合の花の香りが仄かに漂っていた。
亡き大尼君に捧げる祈りと今日までの一通りの報告を終え、華音は顔を上げる。
「…ニャー」
華音がそうするのを待ってましたと言わんばかりに、すかさず隣から声が上がった。
「大人しく待ってくれてありがとう、真白」
頭を撫で、跪いていた姿勢から立ち上がる姿勢へと変えるまでは良かったものの、そこから動こうとしない華音を心配そうに見上げて真白がもう一度鳴いた。
「…申し訳ありません、大尼様…。私は…また行ってきます」
自分なりの物語を終えたばかりの足で…しかも自らの強い意思で、この寺院をすぐに離れる時が来るなど、考えてもみなかった。
井宿という人を愛して、一緒に居る喜びを得てしまうまでは…。
行ってらっしゃい、と大尼君が笑顔で背中を押してくれたように感じて、華音の身体が自然と動く。
寺院の外へと向かう途中、雲渓が向かいから歩いてくる事に気が付き、駆け寄った。
「…華音…。彼は…もう行ってしまった」
「……?」
「華音の事はこちらで宜しく、と、あの後すぐに――」
「嘘です、“雲渓”様」
敢えて呼称ではなく名前を出すと、伏せがちだった雲渓の瞳が華音の姿を捉える。
「誤魔化しが苦手な雲渓様が、どうしてそんな嘘をわざわざ…?」
「お前には行ってほしくないからだ」
「…雲渓兄様…?」
「現にお前は変わって帰ってきただろう。彼の為にそういう物言いや仕草をしているのか?」
今目の前に居る雲渓は、華音が知っている雲渓とは何かが違う…。
そう感じて、“雲渓様”とも“兄様”とも呼べず、両方合わせた形で確かめるように呼んだ。
「私の変化は、私が使命から逸脱した代償であって、井宿様が原因では――」
「使命から逸脱したそもそもの原因は?“外の人間”に関わったからではないのか?」
「…ッ…確かに此処を離れて苦しい事とかありました…っ。でも…私なりに経験して得たものもございます…!……ですのに…嫌、ですっ、井宿様方を悪く仰る兄様は…大嫌いです……!!」
「…ニャアッ…!――ニィ」
「…どうした?お前も早く華音のところに…」
「ンニーっ!」
「追いかけろ、という事か?」
雲渓から上がる言葉の数々に胸が痛み、その場から逃げるように駆け出した華音を、雲渓の衣装の服を咥える真白が必死に追いかけてと促す。
「…井宿様っ……井宿様…!」
もしかしたら本当に一人で行ってしまったかもしれない、という不安も実際にはあった。
故に、寺院の庭先で枇杷〔びわ〕の樹を見上げる井宿の後姿が見えた瞬間、安心の思いと共に思い切り抱き着いてしまった。
「華音っ?…どうしたのだ?」
「よ、良かった…私、置いていかれたかもって…っ」
「…そうした方がいいかもしれないとも思ったが…――」
言葉をそこまでで途切れさせ、井宿の視線が上げられた事に気が付く。
その先には、真白に連れられて慌てて走ってくる雲渓の姿があった。
井宿と華音の前に立った雲渓は、乱れた息と衣服を整え、言葉を落とす。
「華音、こちらに来なさい」
「嫌です…!私は井宿様と一緒に行く…っ」
「…どうすれば、彼女といる事を認めて頂けますか?自分が…こちらの寺院に属せば宜しいですか?」
「……井宿様?」
「…あなたが華音と一緒に居たくてどうしてもと仰るのならば、私たちも来るものは拒みませんが?」
「…だ、だめです!井宿様の自由を奪うわけには…っ。私が…残ればいいの…?井宿様と離れて私が…此処に…」
「華音が残ると決めるならば、俺もこちらで世話になる。そうすれば大尼君とも離れなくても済むだろう?」
「………何故そうなるのです……」
苦々しく呟かれる声が、寺院の地に向けて吐き出される。
「あなたこそ、何故そのような態度を?あなたに流れている気はとても穏やかですのだ。華音の事をとても愛していらっしゃるというのに、何故嫌われるような態度を取るのですだ?」
「……最初から気づいていたのですか…」
「いえ…、途中から違和感を覚えたので。言葉で華音を引き留めようとしていても、手荒い行動は一切していなかった」
「…兄様…?」
「オイラと一緒に来てくれるならば、しっかりと一時の別れを済ませるのだ。誤解を生まない為にも」
井宿の手が華音の身体をやんわりと離し、肩も軽く雲渓の方へと押された。
「おいで、タマ。真白、君も」
「ち、井宿様…っ?」
「入り口にある石碑のところで待っているのだ」
軫宿の猫と、ただの一匹の猫の身として存在を許されている真白とを連れ立って、井宿の背中は寺院の出入り口の方へと消えていった。
雲渓と二人、その場に残されて、何を言葉にすれば良いのか迷っていると、雲渓の方から口を開いた。
「…愛しているのか?彼を」
「…うん…」
「此処に未練を残さずに共に行けるくらいに?」
「時々帰ってくるくらいはいいでしょ?」
「駄目だ」
「どうしてっ!」
「愛しているなら、彼の気持ちを考えなさい。お前の為に此処に属するとまで言い切った彼のあの目…一切の嘘はなかった。そこまでしてくれる彼をお前も愛し、“彼についていく”ならば、お前が半端な気持ちで居てはならない」
「…破門、ということですか?」
「破門も何も、お前は尼として此処に居たわけではない。“彼の元へ嫁ぐくらいの気持ちでいろ”と言っている」
「…兄、様…」
「大尼様の命日参りくらいは許そう」
“それ以外は顔を見せに帰ってくるな”。
言い換えれば、そんな意味も兼ね備えている雲渓からの言葉は、華音の胸の内に淋しさを抱かせる。
「行け、華音」
――行きなさい――
――何を迷う事がありますか?――
「……っ。分かり…ました、兄様。また次のこの時期に…伺います」
雲渓も生前の大尼君も…。
華音が寺院に執着を残さぬよう、華音を送り出してくれている。
今のこの瞬間でそれを理解した華音は、雲渓に背を向けた。
後ろを振り返る事なく…だが、足取りは何処か重いままに、寺院と外の世界を分け隔てる石門のところまで歩む。
この世に生まれて間もない自分の存在は、薄汚れた布切れ一枚に包まれて石門の下に在ったと、話を聞いた事がある。
その話を思い出しながら、華音は石門を見上げ、じっと見つめる。
しばらくそうしていると、華音とは反対側の門柱の前に一人の女人が立った。
茶色がかった髪をした女人は、華音と同じようにして静かに石門を見上げていたが、やがて何かを決したような表情を浮かべて寺院の敷地内へと足を踏み入れていった。
「…ありがとう…ございました」
女人の姿が見えなくなった後で、寺院に向かって深く一礼をする。
ゆっくりと身を起こしてから、門のすぐ傍らに佇む石碑から少し距離を置いて待っている人の元へと向かった。
「井宿様」
「……華音。先程の女性…」
「はい?…門を一緒に見上げていた人のこと?」
「…あの者は…――」
「…井宿様?」
言葉にしようと開かれた彼の口は、すぐさま閉じられる。
「…何でもない、のだ」
「……?」
何処か複雑そうな表情を浮かべている彼に対して首を傾げてみるも、彼もそれ以上は本当に何も言う気はないようだった。
「ニーィっ」
華音の足元へ甘えた声で擦り寄ってくる真白に気が付いて、真白の身体を抱き上げようと腕を伸ばす。
真白は、伸ばされた華音の腕を器用に伝い昇ると、華音の肩の上に満足そうに身を置いた。
それを見ていた軫宿の猫――タマも、自分も…とせがむ様に井宿へと擦り寄り、真白に倣うようにして井宿の肩の上に昇る。
華音と井宿と二匹の猫は、少しずつ寺院の入り口から遠ざかってゆく。
そんな後姿を、息を切らして見つめている者がいた。
「“華音”…それがあの子の名……」
「とても礼儀正しく、真っ直ぐで純粋な娘に育ちました。ここ数年は、とある事情でこの場所を離れてもいましたが…そのまま此処を出て行くまでになるとは。そういう時期にはまだもう少し時がかかると思っていたので、寂しいものです」
「……苦労をさせずに家に迎え入れる為に頑張ったのですが…あの子の成長の方が早かったのですね…」
「…そうですね」
「華音…。私の手で育ててあげられなくてごめんなさい。どうか幸せに…私の元にやってきてくれた小さな光…」
華音と共に石門を見上げていた女人の瞳から幾粒かの雫が零れ落ちていく。
雲渓は、女人とよく似た面影を追いかけるようにして、華音たちが歩いて行った方向をしばらくの間見つめていた。
~終章へ~