神座宝の章
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そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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一人となった途端に零れ落ちていく涙。
それでも華音は、駆ける足を止めなかった。
「…井宿…様……井宿様っ……」
また彼の優しさを突っ撥ねてしまった。
自身の力を削ってまで気と共に結界を与えてくれたというのに、責めてしまった。
けれど、本当は―――…。
――あんたもねぇ…怖がらずに井宿と向き合いなさいな…。“想い”があれば…人は強くなれんのよ…――
「…っ…」
柳宿の言葉が頭を過ぎっていき、不意に華音の足はピタリと止まった。
――本当は…護って貰えていた事が嬉しかった。
巫女でもない華音の存在を、絶えず気にかけて手を差し伸べてくれる優しさが嬉しいと感じる。
華音の心の何処かにいつも温かさが息づいているのは、彼の思いがあるからこそだ。
「……井宿様…」
その名を呼びながら胸に手を当ててみる。
これまでの華音の動きを物語るように、いつもよりも急く鼓動を感じる半面で、片隅に潜む穏やかさ。
――あぁ、やはり心は温かい…
「…私……私、は……」
…彼の事を愛してしまった―――…?
これが特別な一人を愛しいと思う感情…?
芽生えた想いを確かめるように胸にあてがっていた手をぎゅうっと握り締める。
「…大丈夫……大丈夫です…」
――“想い”があれば…人は強くなれんのよ…――
“想い”があるのならば。
そして彼が与えてくれた結界の力があるのならば…たとえ、一人でいようとも強く在れる。
「私は…役目を果たします…」
――勿論、七星士としての役目はしっかりと果たす。だが、それ以上に…俺は……俺はっ――
彼は何を言いかけたのだろう。
「…あなた様の事が好きです、井宿様…」
伝える相手が居ない空間に、気づいた想いをそっと落とす。
その想いに背中を押されるようにして、止めていた歩みを再開させる。
進む先を見据える華音の瞳には、もう涙は滲んでいなかった。
**§**
「…っ…巫女、様っ…!」
自分に備わる気が導くままに只管に道を辿り、漸く巫女と会う事が叶った。
見つけた姿はあまりにも痛々しく、そっと大切なものに触れるようにして巫女の身体を抱き起こす。
「…鬼…宿……みんな…ごめん…。ごめ……ね」
瞳は閉じられたままで巫女の唇が微かに動き、謝罪の言葉が零れ落ちた。
同時に、リイイィィンと鈴の音が巫女の身に起きた事を華音に見せる。
「…あの子にそうしたように…巫女様にも同じ思いをさせようというのですか…」
状況は多少異なるが、行き着く結果は同じ事。
青龍の巫女が今も猶、真実を知らぬまま傷を負い苦しんでいるのと同様に、巫女もきっと同じ思いに苦しむ事となる。
すれ違いが一つ二つ…と増えてゆく。
それこそが心宿の思惑という事だろうか。
「……朱ー……美朱ーっ?」
華音がいる場所へ近づいてくる声が聞こえてハッとする。
此の場所に足を運ぶまで声の主とは会う事はなかった事から、どうやら彼とは別の道を辿り、華音の方が出遅れたにも関わらず、先に巫女の元へ来る事が叶ったようだ。
「――…心、宿…!…美朱に何かしたんじゃねぇだろうな!」
「自分の目で確かめてみてはどうだ…?お前が行く前に、あの高貴な巫女が何か仕出かすやもしれんがな」
少し離れた場所で留まり交わされる会話。
近くに心宿がいた事を知り、静かに息を詰めた。
「高貴な巫女…?華音…の事か?井宿が必死に護ってんだ…お前、美朱にも華音にもこれ以上手を出そうもんなら…許さねェ!!」
「……くっ――!」
「心宿!…先にお戻り下さいっ、早く!」
途中より女性の声も加わり一触即発の雰囲気が続く中、華音は巫女の身体を背負い、声が聞こえる方向とは反対の方向へと歩を進める。
「美朱っ…華音?此処かっ?――!?誰も…いない…?」
心宿と房宿が立ち去った後で、青龍が陣営として張っていたテントの中を鬼宿が確認した時。
そこには既に誰の姿もなかった。
**§**
「…………」
北甲国の神座宝と西廊国にも在るという神座宝。
一つは青龍側に奪われる事となってしまったが、二つが揃わなければ神獣の召喚も叶えられないという話を玄武七星から聞いていた翼宿、軫宿、張宿、井宿たち四人は、雪原とは打って変わって砂漠ばかりが広がる大地を黙々と歩いていた。
本当に“黙々”という言葉通りに誰一人として言葉を発さない。
そんな状況が何時間も続いている。
加えて、空気さえもが何処か鋭く漂っているのが今の状況だった。
「…本当に華音さんお一人に、美朱さんと鬼宿さんの二人の事を任せてしまっても良かったのでしょうか?」
「華音が望んだ事なんやろ?好きにさせとけばええやんか」
「…華音さんがどういった存在であるのか…それを勘ぐっている割には、二人の事を任せても心配はしていないんですね、翼宿さん。矛盾してますよ」
「――っ……華音かて…俺が正しい言うとったやないか」
漸く飛び交った会話も、空気を変えるまでには至らない。
「……オイラは…誰よりも先に華音と出会った…」
手綱を握り締め、井宿は少しずつ言葉を紡いでいく。
「だから、彼女の苦しみも多少は理解しているつもりなのだ。もしもオイラが彼女の存在を拒んでしまったら…きっと華音は孤立する。そんな事は絶対にさせたくないのだ」
華音には仲間の事だけを考えろと言われたが、彼女の使命を知っている者としては、そう簡単に彼女と距離を置く事など出来ない。
そして何より、彼女への想いが募っているという部分もあるが故に、華音の存在を護りたいという思いも捨てきれない自分がいる。
「同じ七星士として朱雀の仲間も大切に考えたい…。でも、華音の心も護ってやりたい。…誰に何と言われようと、この思いは譲れない」
そこまで言ってから、手綱を強く引き、馬の歩みを止めさせる。
静かに歩みを止めた馬の上、仮面を取り、前を行く仲間たち…特に翼宿に向けて頭を下げた。
「…俺の事を信じてくれるなら…華音の事もどうか信じてやって欲しい」
「あれだけ力があんのに…どないしていつも全力で力を使う事をせぇへんねん?まるで…力を使う時を選んどるみたいやないか。それとも、それがあいつの使命っちゅうやつなんか?」
「…それは…」
「俺かて…華音が悪いやつやない事くらい分かっとる。せやけど…どうしても華音の行動には理解出来ないとこがあんねん」
「…そう…だな…」
自分は華音自身と共に、彼女に与えられた使命を太一君から聞いた。
もしも―――…。
その場面に自分がいなかったとしたなら…。
彼女の使命を知らない自分は、果たして彼女の存在を疑う事なく、全面的に信用出来ただろうか?
翼宿と同じように華音の行動を疑う部分もあったかもしれない。
そう考えてしまえば、それ以上は何も言えなかった。
翼宿への井宿の相槌を最後に、井宿たちの間に沈黙が舞い戻ってくる。
井宿は再び馬の足を動かさせた。
**§**
巫女よりは幾分か自分の方が背はあるが、それでも華音も巫女と同じ女性の身…一人の少女の身体を背負って運ぶ事は容易ではなかった。
何度もずり落ちそうになる巫女を背負い直しては歩く…それを幾度となく繰り返した。
肌に感じていた寒さが次第に薄れてゆき、気候に変化が現れ始める。
寒さに代わって今度は、身体は暑さを感じ始めていた。
そんな中で、緑が少なくなった岩肌が続く道を歩いていた華音の前方に、不意に一つの人影が現れる。
「危ないっ…伏せて!」
「っ!?」
人影から何の前触れもなく放たれた言葉に驚いたものの、身体は反射的に動いた。
背負う巫女と共に倒れ込むように地へと転がる。
ドッという鈍い音が後方で響いた直後、ギャアッと、断末魔の叫びにも似た声が立て続けに響く。
恐る恐るそちらに視線をやると、大きな身体をした動物が剣に額を貫かれて倒れていた。
巫女を運ぶ事に集中していて周りの気配に気付けなかったのか…。
「…その衣装…もしかして、華音さん…ですか?」
よく聞けば何処かで聞き覚えのある声に名を呼ばれた華音は、振り返るに伴い息を呑んだ。
「…あ、亢宿…様っ!?…井宿様からは河に落ちたと話に聞いておりましたが…ご無事でいらしたのですか」
「あなたも元気そうで何よりです。…そちらは…美朱さんもご一緒ですか?」
「は、はい」
「あなた方お二人だけ?」
「はぐれて…しまったのです…」
言い訳としては弱いだろうか。
自分はまだしも、巫女が傷を負って気を失っている状態ではただ事ではないと考えるのが妥当だ。
だが、そのような考えは華音の杞憂だったようで、次に彼から掛けられた言葉は意外なものだった。
「僕が今お世話になっている家へ来ますか?美朱さんは僕が運びましょう」
優しさはあれども、彼は青龍七星士。
返答に迷ったものの、このまま巫女と二人だけで彷徨い続けるのも得策ではないと考え、結局彼についていく事にした。
「父さん母さん、ただいま」
「おかえり懐可。おや、お客さん…かい?そっちの子は怪我もしてるみたいだけど」
「大いたちに襲われそうになってて…。連れの人たちとはぐれちゃったみたいだし、しばらくここに居て貰ってもいいかな?」
「大いたちを倒してきたのか?ご苦労だったな、懐可。勿論、ゆっくりしていくといい。家〔うち〕は構わないさ」
「っていう事だから。どうぞゆっくりしていって」
「…ありがとう…ございます」
人の良さそうな夫婦と会話をする彼は、笑顔が絶えず穏やかな雰囲気を纏っていた。
此処での暮らしが彼の本来の性格を引き出しているのか…彼にはそれがとても自然な姿に思えた。
空き部屋があるという事で案内して貰い、巫女と改めて二人きりとなった空間で、未だに目を覚まさない巫女の頬を撫でる。
「…巫女様…」
「……ん…」
華音の声に応えるかの如く瞼が震え、露になった瞳。
「…お目覚めになりましたか、巫女様」
「華音…さん?あたし…っ、い…た…」
「怪我をしていますので無理をなさらない方が――」
「華音さんっ!あたし…あたしっ…!」
傷が痛むのか一度は動きを止めた巫女だったが、華音の言葉を遮り華音の胸に飛び込んでくる。
巫女を抱きとめながら、華音は彼女の背を擦った。
「何も話さなくて良いのです。大丈夫…大丈夫ですので…信じましょう」
「…華音…さん?」
背を擦る一方で髪も撫でていると、次第に巫女の身体から力が抜けていった。
「華音さん…お母さんみたい…」
「…そうですか…?」
「うん。優しくて…あったかい。いつまでも……こうしていたいくらい…」
きゅっと華音の衣装を握り締めていた巫女の手に力が込められる。
華音自身、母という存在は大尼君の温もりしか知らないが、大尼君が近くで寄り添ってくれていた時は安心感を抱いたものだ。
巫女もそういった感覚を華音に感じてくれているのだろうか。
「――すみません、失礼します」
コンコンと部屋の扉が鳴らされ、亢宿が盆を手にして部屋へと入ってくる。
「…角…宿…?!そういえば、此処何処…っ?」
華音の腕の中で巫女は混乱した様子を見せながらも、視線は亢宿に注いでいた。
「此処は西廊国の国境近くに在る磨汗村という所です。僕はこの家の息子で懐可と言います。お連れの方の目が覚めて良かった。ちょうど薬を持ってきたんです」
亢宿は一瞬だけ華音へ目配せをするように視線を合わせてから、華音たちの元まで歩み寄ってきて巫女へと汁物か何かが入った器を差し出した。
戸惑いつつそれを巫女が受け取り、亢宿を見る。
「忘却草の汁だよ。怪我にも効き目があるし、痛みも引くから騙されたと思って飲んでみてよ」
亢宿の言葉を聞いていた巫女の視線が華音に移った。
それには言葉なく頷いてみせる。
巫女の手がゆっくりと動き、彼に勧められた汁を口に含む。
その様子を見守っていた亢宿は微笑みを浮かべると、一歩二歩後方へと下がって笛を手にした。
「あなたの傷が早く癒えます様に」
部屋に優しく響き渡る笛の旋律。
「…亢…宿?…華音…さんっ」
小さな声で呟き心配げに見つめてくる巫女に、華音は微笑んで応える。
「大丈夫です。何ともございません」
巫女からほっと安堵の息が漏れて、華音に身体を凭せ掛けてくる。
華音も変わらず巫女を腕に抱きしめ、亢宿が吹く笛の音に耳を傾けた。
今の彼が奏でる笛は何処までも優しさで満ち溢れており、彼の祈りに同調して巫女だけではなく華音の身体も癒してくれる様だった。