神座宝の章
おはなしを読むためのお名前変換はこちらから
おはなし箱内全共通のお名前変換「夢語ノ森」では基本、おはなしの中で主人公の娘っこの性格や年齢を書き綴っていく形にしていますが、特別設定がある場合もございます。
そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
北甲国へ入国した夜。
朱雀召喚の儀式の時の事もあり、昼間の華音の様子が気にかかっていた井宿は、彼女の気配を辿り宿屋の庭先の方へ足を運んだ。
其処には既に先客がいた。
宿屋の回廊から庭に佇む彼女を静かに見つめる者。
その傍に猫の姿はない。
「…少し前からああやって空を眺めてる…」
井宿に気付いた様子の軫宿が彼女の事を見やったまま口を開いた。
「上着もあるし、たまのやつを抱いてるから少しは暖も取れるだろう」
華音を見つめていた視線を外し、軫宿は歩き出す。
「…軫宿」
名を呼ぶと、すれ違うかすれ違わないかの位置で足を止めた彼は、顔だけをこちらに向けた。
「今なら確信に変わったのだ。…オイラは彼女の存在を求めている…」
「…伝えないのか?」
「言ってはいけないような気がするのだ…」
「全てが終われば…何とでもなるかもしれないな」
軫宿が去っていき誰も居なくなった回廊で傷痕の残る顔を夜風に晒す。
柱の影から華音の姿を唯只管に見守っていた。
そうしていてしばらくの時が経った頃だった。
ニー…と、猫が悲しげな鳴き声を上げる。
(…涙?…泣いているのか…)
井宿が立つ位置からも窺える華音の横顔。
その頬には涙が伝っていた。
流れ落ちていく涙を拭う事もせずに、彼女は夜空を見上げ続ける。
そんな彼女の姿は綺麗とか美しいとかそう表せるものではない。
見ている者も胸を締め付けられ、痛みを感じてしまう涙。
だというのに、井宿はその場から動こうとするわけでもなく、彼女の元へ行く事もしない。
――動けないのだ。
彼女だけの空間。
まるで神聖な儀式であるかのように…。
彼女の領域に今踏み込んでいく事は許されない気がした。
「…華音…」
それ以上、声も立てずに流し続ける涙を見ている事など出来なくて、板張りの床へと視線を落とす。
抱きしめてやる事も出来ないのならせめて…と、彼女を想い己の耳に届くくらいの小さな声でその名を紡いだ。
**§**
酷い顔をしてはいないだろうか…。
昨日は夜になって自分自身でも原因も良く分からずに感情が昂ぶり、一人泣いてしまった。
彼――柳宿の事と何か関係があるのか。
それにしても、軫宿の猫が傍に居てくれた事はせめてもの救いだった。
本当に一人きりでは朝までずっと泣き続けていたかもしれない。
猫の温もりが在る事によって、心の落ち着きを取り戻す事が叶ったようなものだ。
「…華音さんはどうする?」
宿屋の食堂にて、巫女がこちらに顔を向けて首を傾げてみせる。
昨夜の事に思考を巡らせていた為に、急に耳に入ってきた自分への問い掛けには勿論答えられなかった。
「申し訳ございません…もう一度宜しいでしょうか」
「…えっと、簡単に纏めるとね…此処は特蘭っていう首都だから、皆で手分けして探せば神座宝の情報も見つかるかもね、って事で一緒に行動するメンバーを決めてたんだけど。華音さんは?」
「私は…」
あれ以来、鈴は鳴っていないが、昨日の鈴の音こそが己に“告げた”ものであると、華音は思っている。
故に迷いはなかった。
もう心は決まっている。
「柳宿様の御傍に」
「じゃああたしたちは四人で行動だね」
「…華音も美朱も居るなら、あたしもけじめをつけるわ。――あ、ちょっと!その刀貸して」
ちょうど華音たちの席の側を通りかかった男性に声を掛けた柳宿は、刀を受け取るや否や一思いに長い髪をバッサリと切ってしまった。
「あたしの傍に居る限り、護ってあげるから安心しなさい」
「私は護って頂く身では…」
「華音は自分を顧みないところがあるから心配だし?井宿と離れる間はこの柳宿様に任せなさいな」
髪を切る事で気持ちも変化したのか、言葉に今までの名残はありつつも男らしさが見え隠れしている彼。
“彼女らしさ”も“彼さしさ”も兼ね備えている…それが“柳宿”という七星士―――…。
行動を共にする者が決まった後は、情報を入手した時の連絡手段を決め、早々に解散となった。
宿屋から外へ出ると、空から白いものがふわふわと舞い降りては地へ冷たく降り積もっていく。
「…華音さん、寒くない?」
巫女が華音の傍らへと立ち、気遣いの言葉が投げかけられる。
「上着も履物もこの土地に馴染みやすいよう新調させて頂きましたし、大丈夫です」
「良かった。ね、ずっと気になってたんだけど…華音さんはあたしたちの世界の人なの?華音さんが着てるのって巫女さんの衣装だよね?」
「…ご存知の通り、私には時空を司る力が在ります故に、ほんの数年の間だけ巫女様が住まう世界にも居りました。こちらの世界での生活の方が主ですが…この衣装は私の正装のようなものです。姿勢も気持ちもどの衣装よりも正す事が出来るような気が致しますので…」
「……太一君や娘娘みたいに…神に近い人…」
「…巫女様?」
ぽつりと小さく呟かれた言葉が上手く聞き取れず、聞き返すように名を呼んだものの、巫女は首を横に振った。
「ううん、何でもないっ」
「華音、美朱ー。さっさと行くよ!ちょっとの時間も惜しいんだから!」
「はーい。行こ、華音さん」
巫女に手を取られ、短時間でどんどん高さを増していく雪に足をとられないよう華音も自分の意思で歩き出す。
誰もが知らないところで、“彼”と過ごせる時間…それが失われ行く時が迫っていた。
その日の内に街中で玄武に関連する石碑らしきものを見つけ、神座宝の情報を手に入れる事が出来たが、確かな情報を掴んだ時には日が暮れかけていた事もあり、宿を取って一晩を過ごした。
翌日を迎え、華音は柳宿と共に、神座宝があると云われる黒山へと向かった。
巫女と鬼宿の二人は井宿たちを探しに行く役目を担って、華音たちとは二手に分かれる手段を取っている。
というのも。
昨日、神座宝の手がかりを得る為に、鬼宿が石碑に詳しい人物の元を訪ねている間に、石碑の前で待機していた巫女と柳宿が青龍七星士の一人に襲われ、その際に連絡手段としてあった照明弾を使い危機を免れたらしかった。
らしい…というのは、一旦柳宿の傍を離れて華音も鬼宿についていった為に、その時にあった事は二人から宿屋で聞いた話であるからだ。
一度決めた事なのにも関わらず、一時でも柳宿から離れる選択をした事。
それが良くも悪くも、鬼宿と行動を共にした間で青龍の巫女である彼女と会ってしまった。
彼女に真実を告げる事は出来ない…そうであるならば、華音が口を挟んだところで余計に混乱させてしまうのではないかと、そう思い、鬼宿と彼女が交わす会話を黙って聞いていた。
彼女の方で一度、何かを言いたそうに華音へと視線が向けられたものの、彼女にも心に決めた自分の意思があるのか、結局華音に向けて言葉が放たれることはなかった。
彼女はどんな思いで何を決心したのか…。
それは本当に彼女自身が心から望むものなのだろうか?
それとも―――…。
「…華音。あんた…一体何を抱え込んでんの?」
「はい?」
思わずまた、昨日の事に思いを馳せてしまっていたところ、名を呼ばれて返事をする。
馬上で手綱を握ってくれている彼を、顔を少しだけ振り返らせるようしにて見上げた。
「難しい顔して考え込んでる事が多いみたいだけど…。井宿がいつも気にかけてるのも何となく分かる気がするわ」
「……私がもっと強ければ…井宿様に心配をおかけする事もございませんのに…」
「気の流れを察知出来る井宿の目を逃れて、自分の意志を貫き通した華音が何言ってんの!それに、北甲国まで辿り着いたのはあんたの力があっての事だし。あたしたちじゃ出来ない事を華音はやってのけた。大したもんよ」
「…ありがとう…ございます」
自分が為した事を称えて貰い、認めて貰えるという事は嬉しいものだ。
華音に与えられている使命がどういったものであるのかを知らない中でも、華音の立場を受け入れてくれている事がとても有り難く感じられた。
「…そんな表情も出来んのね…」
微かに熱を帯びた頬を隠すようにして、顔を前方へと向けた華音の頭上でそんな呟きが落とされる。
それには特に言葉も返さぬまま、柳宿との間に沈黙が流れる中、馬の足は黒山の頂上に向かい只管に歩んでいた。
**§**
「此処が頂上ね」
馬から降りて雪原を踏みしめながら辿り着いた場所。
山の頂とあって、地上に居た時よりも寒さがよりいっそう身に凍みる。
「柳宿様…あちらに扉が――」
「ほんと!きっとあそこね!」
白の世界に、隠されるようにも目立つようにも存在している大きな扉。
その前には扉を阻む程の更に大きい岩が立ち塞がっていた。
彼と二人でそちらの方へ歩みを進めようとした時だった。
「――ッ!?」
ぞくり、と、鋭い殺気立った空気を背後から感じ、後ろを振り向く。
それは柳宿も同じだった様で、華音が身体の向きを変える間に彼は華音の前に立ち塞がった。
「…青龍…七星士」
――リインッ!
高く鋭く鳴り響く鈴の音が告げるものは―――…。
「フー…。美味そうな匂い…忘れられない男の匂い…どっちも逃がさない。そして朱雀七星も巫女も…俺が喰らい尽くすッ!!」
人のような獣のような…双方の姿が混じり合った男だった。
この者が、一度巫女と柳宿を襲ったという青龍七星士“尾宿”―――…。
「華音…身の危険を感じたら迷わず逃げな。いい?これは命令よ」
「…柳宿、様……駄目、です…行ってはなりませんッ!!」
華音の手が彼に届く事はなかった。
一人の朱雀七星士と一人の青龍七星士が激しく衝突し合う。
――ザワザワ…。
感じた事のある胸騒ぎ…だが、これはあの時のものと比べ物にならない。
「柳宿様!…っ――ヨエコドテーオトモナク アラキトネラウ エサミヒサディルクトノムーマボヲク!」
――阻むもの創り出しませ 我の力 彼〔か〕の元へ届けよ!――
必死の思いで自分の気に神経を研ぎ澄ませ、其処から感じ取る全てのものを力にして放出させる。
――バンッ!
柳宿へと襲い掛かろうとしていた尾宿の身体が雪原の上に倒れ伏せ、柳宿と尾宿との間に距離が出来る。
「…俺の獲物だ…水を差すな…!後に取っておこうと思ったが、貴様を先に喰らう…っ!」
だが、それもほんの一瞬の事に過ぎず、煩わしいと言わんばかりの視線が華音へと移った。
「華音!」
素早い相手の動きで一気に間合いが詰められ、言葉を紡ぐよりも早く尾宿の手が華音に迫る。
「ウグゥッ…!」
受身を取る事しか出来ずにいた華音だったが、自分のものではない呻き声がその場に響く。
「…華音から…井宿の…気…?」
「っ…?」
柳宿から小さく零れ落ちた言葉にハッとする。
華音の身体は朱色の光の珠のような膜に包まれていた。
「……何故…?これ、は――」
――結界―――…?!
何時、華音にそれを施したのか…。
自分には身に覚えがない。
…まさか…。
彼に気を与えて貰ったあの時に、彼は自分に結界も施していた…?
「…これで戦いだけに没頭できるってわけね、好都合じゃない。井宿にお礼言わなくちゃだわ」
「グルルルルゥ……邪魔だ…邪魔だっ、邪魔だ!俺に喰わせろ…っ!!」
「――華音も美朱も仲間も…お前なんかにくれてやるものか!お前の相手は私だ!」
構えを取った柳宿に再び向けられる尾宿の視線。
華音の目の前で繰り広げられる戦い。
その先に待っているもの…それは…。
「…柳宿様―――…!!」
残酷にも。
“柳”の字は消え行く。
ザンッ…!!
尾宿の指先に光る長い爪が彼の身体を切り裂いた。
それでも彼は尾宿を倒す為、最後の力を振り絞り果敢にも戦いに挑む。
「…柳宿様っ」
白い雪の上に尾宿が横たわる傍らを通り彼が向かいくるのは、華音の後方に在る神座宝へと繋がる扉の前。
「私の力で何とかします!柳宿様は軫宿様の到着をお待ち下さい!!」
華音を覆っていた朱色の光が消えると同時に、これ以上に自分が予測する事態に近づけてなるものかと、両腕を広げて柳宿の行動を制する。
そうしながら、心の内では“軫宿”と“井宿”の二人の七星士の名を繰り返し唱えていた。
「…どきな、さい…華音…。あんたじゃ無理よ」
「無理でもなんでも私がやります!」
「あたしの…力が出る内に…そこをどきな。あんたには…きっと分かってるはず…。…これは華音の使命じゃなくて…“柳宿”の使命だって事」
「……っ…」
自分を射抜く強い眼差しに抗う事は出来なかった。
上手く言い表せない様々に織り交ざった感情を抱きながらも、華音は静々と彼の前から身を引いた。