出逢い編・中篇
おはなしを読むためのお名前変換はこちらから
おはなし箱内全共通のお名前変換「夢語ノ森」では基本、おはなしの中で主人公の娘っこの性格や年齢を書き綴っていく形にしていますが、特別設定がある場合もございます。
そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
チチチチチ―――…
鳥の囀りと共に訪れた朝。
華音は重たい身体をゆっくりと動かし、身支度を始める。
茉莉奈と再会した事で、彼女との過去が鮮明に思い出されて昨夜はあまり眠れなかった。
その為か、どうも頭がすっきりしない。
ほとんど無意識の中での着替えを済ませて、一階のリビングへ降りた。
「おはよう、華音。今日のバイトも行くのね?大丈夫なの?」
「…体調が悪いわけじゃないから行く。…沢井さんにも…会いたいの…」
既に朝食を済ませたらしい愛羅が、食器を流し台に運びながら心配そうに華音に尋ねた。
それには頷いて答える。
今日一日を家で過ごすとしても、きっとマイナスにしか思考が働かない事だろう。
『また明日、なのだ』
昨日の帰り際、そう言って微笑んでくれた彼。
彼に会って、ほんの少しでも不安を取り除きたかった。
それに、バイトで体を動かしていた方が気も紛れるような気がする。
「そう。私、今日の仕事は遅出だから、送っていく?」
「そうしてもらいなさい、華音」
愛羅の申し出に、キッチンから華音の分の朝食を運んで来てくれた母親が賛成する。
華音もまた、有り難いその言葉に甘える事にした。
**§**
「華音、あんたに確認したい事があるの。ちょっと良いかしら?」
バイト先である事務所へと挨拶をして入るやいなや、花娟に声を掛けられる。
こっちへ座って、と、本来であれば訪問者を通す所に案内された。
来客用に設えられたソファーに座るのは初めてで、変に緊張してしまう。
そんな華音の目の前に、スッ…と一枚の写真が差し出される。
「この犬に見覚えはある?」
写真に写っているのは、一匹のトイプードル。
両耳に深い緑色のリボン、首の部分には同色の首輪もしており、小首を少し傾げているようなその姿はとても愛らしい。
「すみません、特に記憶にないです」
花娟に問われて記憶を辿ってみるものの、心当たりはなかった。
「そう…」
華音の答えを聞いた花娟が、小さく溜め息を吐く。
花娟に代わり、今度は所長の賁絽が口を開いた。
「昨日の事を思い返させてしまうようですまないのだが、この犬を探して欲しいと、昨日、一条茉莉奈から依頼があったのだ」
「でもね、何だか彼女の話を聞いてると…ねぇ?何かひっかかる部分もあって、今回は依頼を断ろうかどうしようか迷ってたのよ。とは言っても、根拠もなしに疑ってかかってたら探偵の仕事なんて成り立たないし…
せめて、華音に彼女が犬を飼っている事は事実なのかを確かめてみようと思ってね。気を悪くさせてしまったらごめんなさいね」
「…茉莉奈とは…中学の時の同級生です。犬を飼っているという話は聞いた事がありません。でも、私、途中から学校を転校したので、ここ数年の間の事は分かりません。転校してから、茉莉奈との繋がりはなかったので」
途中から花娟の方を見て話をする事が出来ずに、視線を下方へ落とす。
少しの間を置いて、そういえば…と、ふと思い出した事を口にした。
「深い緑色は…茉莉奈がとても好きだった色です」
写真の中で、トイプードルがつけているリボンや首輪の深い緑色。
この様な色合いは、茉莉奈が好んでいた色だった。
身に着ける物や自分の持ち物などに、良く取り入れていた。
『華音、見て、このシャープペン!いい色でしょう?良く行くお店でこの前見つけて、思わず買っちゃったの。
ほら、お揃いで水玉模様のノートも』
『今日の髪飾りは一番のお気に入りなのよ。やっぱりこういう色合いが落ち着くわね』
当時の記憶が蘇り、自分の両の掌を握り合わせる。
「分かった。ありがとう、華音。とりあえず、彼女の案件に関しては依頼を引き受ける形で進めていく事になりそうね」
「華音には、しばらく裏方での雑務や買出しの仕事を主にして貰おうと思っているが、どうだろうか?」
「はい、十分です。ありがとうございます」
賁絽の提案はとても有り難かった。
おそらく、また茉莉奈と顔を合わせる事がないように、と、配慮してくれての事だろう。
華音は深く頭を下げた。
**§**
色々と買い足さなければならない物もあり、午後からは唯と買出しに行く事となった。
唯と二人きりになるのは、この時が初めてだ。
「…華音、って呼んでもいい?」
ショッピングモールまでの道のりを歩みながら、唯が華音に問い掛ける。
断る理由もなかった為、二つ返事で了承する。
「良かった。あたしの事も呼び捨てで構わないから」
「…あの…」
「ん?」
良い機会だと思った。
唯と美朱…二人は親友の関係にある。
幼馴染でもあり、長い時間を親しい間柄で続けてきた彼女たちに…。
一度でいいから、聞いてみたいと思っていた。
「…唯さ――唯は、どんな事があっても、美朱さんと心が離れない自信ってありますか?」
唯が足を止めた事に倣って、華音も歩みを止める。
華音の事を見つめながら、唯がふ…と微笑んだ。
「あたしと美朱ね、大喧嘩した事あるんだ。昔に…とかじゃなくて、まだ最近の事。あたしの方から裏切ったのに、あの子は最後まであたしを信じてくれた。あの事務所の人達も皆、そう。
恨まれても当然の事したのに、あたしを温かく受け入れてくれたんだ。だから…あたしが美朱から離れる事はないかな。皆が大切に思う美朱の事を守りたいから」
「…そういう風に大切に思い合える関係…羨ましい、な」
気がつけば、そんな言葉が華音の口から滑り出ていた。
「これから先…華音の事をたくさん知っていきたいな。そうすれば、今よりももっともっと華音の事を好きになれるし。
初めは誰だって、知らない事ばかりなんだから」
華音よりも前に進み出て、唯は再び歩き出す。
「…私の、事…?」
「そう、華音の事」
唯のその言葉たちは―――…。
華音の心に波紋を生みながら沈んでゆく。
戸惑いに揺れる中、華音はゆっくりと唯の背中を追った。
**§**
「華音、今日はオイラも仕事が片付いたから、一緒に帰るのだ?」
今日一日のアルバイトも無事に終え、帰りの支度をしていると、芳幸が和室の部屋へ入ってくる。
「良いんですか?」
華音と一緒の時間に仕事が終わるのは珍しい事だ。
美朱と唯も華音と同じ時間に終わるものの、何だかんだでその後も残っているようで、大抵、華音が定時で上がり、皆よりも一足先に帰る事が多い。
「だ、たまにはゆっくり話しながら帰るのも良いのだ」
「嬉しいです」
一通りの帰り支度を終えて、ロッカーから離れる。
和室から降りて靴を履き、そのままの足で華音は遠慮がちに芳幸の隣に並んだ。
皆に見送られる中、事務所を後にする。
少しの距離を歩いた所で、華音から口を開いた。
「…沢井さんも…私の事、もっと知りたいって思いますか?」
「どうしたのだ、急に」
「昼間、買出しに行った時に唯と少し話をして…。私の事を知っていきたいって…そうすれば、今よりももっと私の事を好きになれるからって」
「…そうなのだね。――じゃあ、華音はオイラの事をもっと知りたいって思ってくれるのだ?」
反対に問い掛けられ、少しの間考えを巡らせた後で答える。
「はい。でも…」
「でも?」
「人の事を知るには、何かしら自分の事も答えなくちゃいけなくなる」
足を止めて、顔を俯かせながら言葉を続けた。
「…恐い、の。自分の弱い部分を見せたら、私から離れて行ってしまうんじゃないかって。そう思うと、自分からは恐くて深くは踏み込めない」
茉莉奈と会ってしまった事で、自分の中に大きく広がってゆく不安。
一度抱いた不安は、簡単に消えてはくれない。
「オイラが華音に想いを伝えた時、華音はオイラの気持ちから逃げずに、ちゃんと応えてくれたのだ」
ふわり、と、華音の身体を優しく包み込む温もり。
「恋愛関係でも、そうでなくても…その人の事を好きになるって、そういう事だと思うのだ。お互いに想い合う気持ちがあれば、自然と相手の気持ちに寄り添いたいと思うものではないのだ?
でも、人にはそれぞれの感情があるから、どうしてもすれ違いなども生まれてしまう。それは悪い事ばかりでもないとオイラは思ってる。そういう事があって、初めて気付ける事もきっとあるはずなのだ」
芳幸の言葉を聞いて、華音はハッとする。
その通りかもしれない、と思った。
――もしも。
もし、中学の頃に茉莉奈との関係が壊れる事なく続いていたならば、華音が彼女に自分の事で負担をかけているという事実には気付けなかっただろう。
気付けたとしても、そのまま彼女との関係に甘えていたかもしれない。
そして何より。
茉莉奈との事がなければ、家族との衝突もおそらくなかったに違いない。
あの日、両親に自分の感情をぶつけた事は良かったと思っている。
それがあったからこそ、家族には余計な詮索はする事なく、素直な自分で居られるのだ。
「…沢井さんは…私の何処を好きになってくれたんですか?」
「一目惚れだったけど…きっと、華音だから好きになったのだ。バイトに真剣に取り組む姿とか、オイラの前では甘えてきてくれる所…
一日一日華音と過ごす日が増えていく度に、
色々な面も見えてきて、よりいっそう強い想いになっていく。…人は弱い部分を誰でも持ってるのだ。オイラにだってあるのだよ?でも、それさえも包み込む想いがあれば…誰かとならば、
乗り越えていけるのかもしれないのだ。オイラにとっては、それが華音なのだ」
少しだけ身体を離して、華音の頬を芳幸の手がなぞっていく。
「…沢井さん、私の事、買いかぶり過ぎです…」
「そういう謙虚な所も、華音らしくて好きなのだ」
からかいでも何でもなく、真剣に…けれど、微笑を湛えて芳幸は言う。
「…沢井さんのそうやって笑いかけてくれる所…好きです。心が落ち着くの」
精一杯の気持ちを伝えた華音に、芳幸は嬉しそうに笑みを深くした。
**§**
「…お姉ちゃん…」
その日の夜。
華音は寝付けずに、愛羅の部屋を訪ねた。
「どうしたの?華音」
「…一緒に寝ても良い?」
扉を開けて顔を出した愛羅に、幼い子供の様な願いを口にする。
それには、愛羅は快く頷き、華音を部屋へと入れてくれた。
「何年振りかしら。華音と一緒に眠るの」
同じベットに二人で身を滑り込ませながら、愛羅がくすりと笑みを漏らした。
「何かあると、あなたはこうして良く私の所に来たわね。――それで?今日は心配事か何かかしら?」
「…私、何処まで甘えて良いのかな…」
愛羅に問われて、ぽつりと言葉を落とす。
「…沢井さんといると、どうしても甘えてしまうの。でも、重荷になって嫌われたくない。怖いの…失うのが。いつかは愛想を尽かされるんじゃないかって。私…沢井さんにまで愛想を尽かされたら…今度は立ち直れないっ…」
「華音…」
不安と共に込み上げてくる涙。
それを感情のままに流した。
愛羅が震える華音の身体をそっと抱きしめてくれる。
「沢井さんは、ちゃんと華音の色んな面を見てくれていると思うわよ?」
その言葉に、ふるふると首を横に振る。
「私が駄目なの。誰でも弱い部分は持ってるからって…沢井さんは言ってくれたけど…。私は自分の事で精一杯で…きっと何も返せない…。私には…何も出来ない」
「華音、あなた…」
愛羅は驚きに目を見張った。
華音自身は自分の無力さを責めているが、愛羅には華音がまた一つ、成長しようとしているように見えた。
「大丈夫…大丈夫よ、華音。答えは必ず見つかるから。焦らなくても良いのよ。ゆっくり見つけていきましょう?あなたにも出来る事を」
華音に対する答えとも、そうでないとも取れる愛羅の言葉。
今はその言葉に真意を見出せなくても、華音の中で一つ、また違う道が見えたような気がした。