【番外編短篇集】
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おはなし箱内全共通のお名前変換「夢語ノ森」では基本、おはなしの中で主人公の娘っこの性格や年齢を書き綴っていく形にしていますが、特別設定がある場合もございます。
そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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「――病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、沢井芳幸を夫として愛し敬い慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
厳かな雰囲気に呑まれず、背筋をぴんと伸ばし、牧師の役目を担うその者をしっかりと見据え、凛とした声音を響かせてそう答える娘の姿。
本来であれば…おそらく、新婦側の列席者として見るはずの娘の後ろ姿ではなく、“新郎側の列席者”から見る娘の横顔を目に焼き付けながら、芹沢家の主は、少しばかり過去の事に思いを馳せていた。
**§**
次女である華音は、どちらかといえば表情が乏しい娘であった。
赤子の時は良く笑い良く泣いていたようにも思うが、物心がつく年頃に成長していくにつれて、感情を表に出す事が極端に減っていった。
幼稚園の行事で一番印象に残っている事と言えば、運動会だ。
一人一人に順位がつけられる徒競走ではいつも、ゴールのテープを切るや否や、自ら最下位の番号の旗の下へ行き、それがさも当然であるかの如く堂々と座り込むのだ。
昼の時間になり、家族と昼食を摂る場で、“華音なりに頑張ったんだろう?”などと声を掛けてみようとも。
返ってくる言葉は、“…さぁ?みんなとおんなじくらいがんばったわけじゃないもん…ビリであたりまえ”だとか、何ともあっさりとしたものでしかなかった。
年相応に精神〔こころ〕が成長していくというよりも、何処か自身への諦めのようなものが早々に入り、見切りをつけながら年を重ねていたのではないだろうか。
私たち夫婦が愛情を注いでいるつもりであっても、華音からしてみれば、底が割れたグラスに水を注ぐようなものでしかなかったのかもしれない。
そんな華音が、ある日突然に学校から帰ってきたかと思えば、華音にとっては母親である私の妻と玄関先で珍しくも感情的に口論していた。
“あなた、あの子を止めて下さい!”と、相当に切羽詰まった様子で声を掛けてきた妻と共に、娘の部屋へ強引にでも踏み入ると、カッターを手にしていた娘。
泣き叫び、生きる苦しみを訴えてからというもの、それからは少し気が楽になったのか。
家族間でも感じていた“壁”が、薄くなったように感じられた。
「――では、誓いのキスを」
目では挙式が執り行われていく模様をぼんやりと追えていたが、牧師のその言葉で、それまでの思考を断ち切る。
新郎である沢井芳幸の性格が行動に現れているかの如く、とても丁寧な手つきで娘のヴェールが上げられた。
娘と彼の間に存在していた空間が一切の無となった瞬間〔とき〕、閉じられた娘の目尻から、一粒の涙が零れ落ちた光景が、不思議とはっきりと見えた。
神聖な空間の下で執り行われる儀式は、呆気ない程に終わりへと向かう。
だが、式場を退場する際の演出がこの上なく特別なものだった。
「新婦様たってのご希望による形での新郎新婦の退場となります」
そう式場スタッフからのアナウンスが入った事で、娘が強く望んだ事であるのだと知る。
バージンロードを挟んだ向こう側を見ると、妻ともう一人の娘の長女も少なからず驚きの表情を浮かべているように見える事から、特別な演出が入るという事は自分だけが知らなかったわけでもないらしい。
娘の挙式に携わってくれていた様子のプランナーらしき者が、姿勢を低くしてしゃがみながら、二人の手元に何やら赤い布を結びつけていく。
「今日より夫婦になられるお二人の堅い誓いを“同心結び”に込めて…。列席者の皆さま、どうぞ温かい拍手でお二人をお見送り下さい」
“同心結”という言葉は、知識の一つとして一度くらいは耳にした事があったように思う。
確か中国に根付いている文化であったか…。
それを何故、こだわりとして取り入れたかまでは分からないが、彼に関係している事なのだろうか…?
誰からともなく拍手の音を響かせ始めると、娘と彼の二人は、顔を見合わせてからゆっくりと歩き始める。
一般的な式であれば、新婦が新郎の腕に手を添えて歩く形式が主流だと思うが、娘たちは手を繋いでバージンロードを歩きゆく。
二人の白い衣装の間で、鮮やかな赤色が燃ゆるように映え、とても美しかった。
娘たちが扉の向こうへと退場し終えると、スタッフらが忙しく次なる準備を始める。
速やかな移動のアナウンスと、挙式場を退出し切る前に配られた赤い羽根。
何でも、フラワーシャワーに代わる、またこれも特別な演出の一つだとか。
芹沢家の者は、挙式場の扉側に立っていて欲しいとの説明つきでもあった。
挙式場へと繋がる回廊は、この式場ではガラス張りの造りのようだ。
足元に限らず、天井も壁も透明なガラス製で統一されていて、今日などは天候にも恵まれ、穏やかな春の陽の明るさと青空の青さが回廊の空間一帯を彩る。
その一角から、再び姿を現した娘と彼に向けて贈られる、祝福の声と羽根。
赤い羽根がふわりふわりと舞う中、こちらから娘の顔は見えなかったが小さく呟く声が聞こえた。
「…あの日に見た夢とそっくり…」
「…そうか。君が見た夢の光景は、こんなにも綺麗だったのだね」
「うん」
娘が涙ぐんだのか、立ち止まりそうになった身体を支えるようにして、彼の腕が娘の腰元を優しく押す。
回廊の端まで歩んだ二人は、身体の向きを変え、回廊上に集った者たち皆がそれぞれの顔を見渡せる形となった。
「この後に披露宴はございませんので、お二人のお式はこれにて終了となりますが、最後に新婦様からご家族の皆様へ宛てた御手紙がございます」
“どうぞ”と、プランナーから手渡されるマイクと預けていた様子の手紙を受け取った娘だったが、手紙を開いてからしばらくしても娘の口は一向に開かれない。
それどころか、強く唇を引き結んでいる様子がある。
やがて一筋…二筋……と、娘の頬を滑り落ちていく幾筋もの涙。
娘の様子を見兼ねてか、傍らに立つ彼が娘の手元からマイクを引き受け、右手は励ますかのようにして娘の肩に添えられた。
娘は、開いた手紙を元の大きさに折り畳み、両手で胸元に抱いて小さく頷く。
「…手紙を書こうとしても…“迷惑をかけてばかりでごめんなさい”“心配させてばかりでごめんなさい”“手のかかる娘でごめんなさい”って……“ごめんなさい”しか浮かばなくて、最後に渡せるような手紙は全然書けなかった…。でも…何もかもがどうでもよくなったあの日、お父さんとお母さんが私を止めてくれなかったら、芳幸さんとは出逢えなかった。お姉ちゃんがバイトの話を持ち掛けてくれなかったら…事務所の皆さんとも出会う事がないまま過ぎていた。
今、こうして芳幸さんの隣に立って、皆に祝福してもらえていることがすごく幸せ…。すぐに醒めてしまう夢なんじゃないか、とか、こんなに幸せでいつか罰があたるんじゃないか、とか、そういう不安もどうしてもあるけど。大好きな人のお嫁さんになれて、私は幸せな気持ちで一杯です。今まで育ててくれてありがとう。私を……」
娘の顔がぐっと上げられた。
涙に濡れながらも、私たちでさえも見た事のないとびきりの笑顔を見せて、娘は言葉の続きを口にした。
「愛してくれてありがとう」
思わず、驚きに目を見開いた。
まさか、娘からそんな感謝の言葉をもらえるなど、思ってもみなかった故に。
まるでこの瞬間に、まだ何となく存在していた“壁”が、一息に崩れ去ったような感覚に囚われる。
「芳幸さんに愛してもらって…皆さんに自然に私という存在を受け入れてもらって……お父さんもお母さんもお姉ちゃんも同じようにいてくれてるのかなって分かったから。だから…私は、いつまでもお父さんとお母さんの娘で、お姉ちゃんの妹でいてもいいですか?」
「あたりまえだ」
間を空ける事なく、即答する。
嫁ぐ日を迎えても、“華音”という存在が愛羅と二人、愛しい娘である事に変わりはない。
そして、もう一人の存在も。
「…君もだ、芳幸くん。挨拶に来てくれた時から、私にとって芳幸くんの存在は、二人の娘たちと同じように大切な存在だ。遠慮せずにいつでも頼ってきなさい。家族の一員として」
ふ…と、娘の傍らに立つ彼は、何処か照れてもいるような表情も含んで柔らかく微笑んだ。
ありがとうございます、という感謝の言葉が、多少の距離がある中でもはっきりと届く。
「…華音ちゃんっ!井宿と二人でいつまでも幸せにいてねっっ」
華音と同じ年頃の娘さんだろうか…。
それまではタイミングを窺っていたのか、いよいよ我慢ならないと言わんばかりに華音を抱きしめに歩み寄る一人の年若い女性。
その者の行動をきっかけにして、華音と沢井芳幸の周りに瞬く間に出来上がっていく仲間たちの輪。
ごく自然に華音も輪の中心に居るその光景が、とてつもなく眩しい。
「……あの子は…ちゃんと見つけたのね」
「あなたがお姉ちゃんとして繋いでくれたのよ、愛羅。華音の未来が拓ける道を」
「ううん、それは違うわ、お母さん。華音が勇気を出して自分で手にした道よ」
娘の輝かしいまでの姿を、無事に見届ける事はもしかしたら叶わないかもしれない…とまで、私たちも諦めていた部分があったようにも思う。
だが、娘は見事に覆してくれた。
愛しい人を見つけ、愛しい者と一緒に歩みゆく道を、娘は“自分の意思”で選んできたのだ。
‟芹沢”という重みのある名を、生まれた時から背負い続けた華音は―――…。
今日から、‟沢井”という名で自由な未来を羽ばたいていく事だろう。
純白の衣装に身を包む娘の背に…。
どういうわけか、‟白い翼”でもなく、‟朱い翼”が見えたような気がした。
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◆あとがきという名の語りごと◆
主人公と芳幸の結婚式のお話は、いずれは書きたいと思っていました。
事件編で夢にまで見ていますし。
大学生編と併せて書いてみようかなーとかも考えていたのですが、
本編の流れの方と似たような展開になりそうだったので、
諦めた結果のいいとこどりです(笑)
芹沢嬢が家族に向ける「愛してくれてありがとう」という感謝の言葉は、
なかなかに重みのあるものだと思っています。
機会があったなら、
芹沢嬢にぜひ言ってもらいたい言葉でもありました。
あとは…。
本編事件編のLast Fileでも書いた、
芹沢嬢を中心に仲間の輪が出来上がっていく場面。
あの場面を、家族の目線からも見届けて欲しかったこともあり、
再現するような形で改めて書いてみました。
このお話のED曲…もしくはテーマ曲ですが。
「幸せになろうね」で!
お付き合い頂きまして、ありがとうございましたっ。