出逢い編・前篇
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当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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探偵業とは不思議なもので、依頼がある時には立て続けに依頼が舞い込むのだが、ない時にはぴったりと依頼者が途絶える。
まぁ、この法則は朱雀探偵事務所に限ったものであるのかもしれないが―――…。
今日は朝から一人たりとも探偵事務所に誰かが訪ねてくる気配はない。
その為、事務所内は休日モードに入っていた。
「ねぇ、華音?そろそろ井宿の事“沢井さん”って呼ぶの止めてあげたら?他の皆の事は下の名前で呼ぶのに何でよ?」
椅子に座っている華音の髪に器用な手つきでヘアーアイロンを当てながら、花娟が話題を振る。
「特に深い理由は…」
「柳宿、別にオイラは気にしていないから良いのだー。華音が呼びやすい呼び方で大丈夫なのだ」
「…あんたたちねぇ~、もう付き合い始めてからしばらく経つでしょうに。もどかしいったらありゃしない」
そう言って頭を抱える花娟にはあえて言葉を返さず、華音は顔を俯かせた。
…この時ほど、髪を伸ばしていて良かったと思った事はない。
そうでなければ、おそらく赤面しているであろうこの顔を皆に見られてしまっていたに違いない。
芳幸の事を“沢井さん”と呼ぶ事に、本当に深い理由はなかった。
ただ、下の名前で呼ぶ事は、華音にとってはとてつもなく特別な事のように思えてならない。
故に、何だか恥ずかしくてなかなか“芳幸さん”とは呼べずにいる。
でも確かに、芳幸以外の他の人の事は何ら抵抗もなく下の名前で呼ぶ事が出来ている。
これも、芳幸に対して想いを寄せているからなのか…。
恋愛感情とは時としてなかなかにやっかいなものだ。
「はいっ、完成~♪我ながら良い出来映えよー」
「わぁっ、華音ちゃん可愛い!」
はい、と花娟に手渡された鏡を覗き込む。
普段、華音は、肩よりも長めに伸ばした真っ直ぐな髪を、ハーフアップにしている事が多い。
だが、今、鏡の中に映っている自分の髪の毛先には、緩やかなカールが巻かれていた。
「女性は髪型だけでも大分雰囲気が変わりますね」
「普段の髪型もシンプルで良いのだが、たまにはそういう髪型も良いのだ。可愛いのだ」
素煇と芳幸の二人が述べてくれた感想には、はにかんで笑う。
ところで、どうしてこのような事をしているのか、だが…。
事の発端は美朱の一言だった。
『華音ちゃんの髪の毛って、艶があって綺麗だよね。色々な髪型で弄ってみたいー』
『そういう事ならあたしに任せなさいな♪希望があれば叶えてあげるわよっ』
『じゃあね、まずは~』
『…あ、あのっ…お姉ちゃんみたいなふわふわな感じにしてみたい、です』
そんな話の流れで髪弄りが始まったわけだが、華音にはまたとないチャンスだった。
というのも、華音は母親譲りの真っ直ぐな髪質。
それに対し、姉の愛羅は父親譲りの緩やかなウェーブがかった髪質。
人間ないものねだり、とは良く言うものだが、華音も例外ではなく、幼い頃から姉のふんわりとした髪型に憧れていたのだ。
そういう事もあって、美朱と花娟の会話に乗じて自分の希望を挙げてみたというわけだ。
「お姉さんよりも華音の方が髪の長さがあるから、毛先だけ巻いてみたけど、どうかしら?」
「嬉しいです、ありがとうございます」
いつもとは違う自分になれたような気がして、気持ちが高揚する。
自然と笑みが零れた。
少しずつ、人と関わる事に楽しさや幸せを見出す事が出来ている華音…。
忍び寄る影があるという事を誰が予想出来たであろうか。
否、誰にも予想など出来るはずもなかった―――…。
**§**
この日は、依頼者の訪問が多くあり、華音や美朱、唯の三人は必要以上に事務所に出る事は避けながら雑務を行っていた。
「美朱、唯、華音。茶ぁ一つ用意してくれるか?次の仕事の依頼が来よってからに。よろしゅう!」
和室と隣接して設えられている小規模なキッチンに、翼が顔を出し、口早に用件を告げてまた忙しそうに事務所の方へと戻って行った。
「私、用意しますね」
美朱と唯が腰を上げるよりも早く、そう申し出て、温かい緑茶とお茶菓子を準備した。
お盆にそれらを載せて、華音も事務所へと向かう。
事務所内は結構広めに作られていて、依頼を受けるスペースは外からの出入り口に近い場所に位置している。
和室へ通じている廊下から事務所に抜けてそこまで行くとなると、多少の距離があった。
「あら?何処かで見た事のある顔だと思ったら、華音じゃない?」
だから、声を掛けられるまで気づかなかった。
聞き覚えのある声。
ドクンッ…と、鼓動が嫌な音を立てる。
(嘘…でしょう?)
忘れたくとも決して忘れる事の出来ない記憶が蘇る。
「久し振りね」
声の主が腰掛けていたソファーからスッと立ち上がった事で、その女性の顔をはっきりと認識する事が出来た。
「…っ…――!」
カラーンッ!と、大きな音を立てて華音の手からお盆が滑り落ちる。
身体が小刻みに震え出す。
(どうしてっ…?何故、あの子がここにいるの…っ!?)
「華音…!?」
芳幸が駆け寄り、今にも崩れ落ちそうになる華音の身体を支えた。
「…大丈夫なのだ?」
“何故?”“どうして?”。
その二つの言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、芳幸の声掛けには答える事が出来なかった。
**§**
「申し訳ありませんが、自分と彼女はここで失礼させて貰いますのだ。…どうぞ、ごゆっくり」
明らかに様子がおかしい彼女を、そのままこの場に留めておくわけにもいかない。
そう思い、依頼人へ軽くお辞儀をしながら芳幸は華音を抱き上げる。
ほとんどが社交辞令として放った言葉。
二人がどういった関係であるのかは分からないものの、まるで依頼人である彼女に怯える様子でいる華音を見てしまっては、あまり良い印象は持てない。
足早に事務所を後にして、休憩室も兼ねている和室の部屋へ足を運んだ。
「美朱、唯ちゃん。すまないのだが、お茶をもう一度用意して持って行って貰って良いのだ?あと、雑巾も一緒に持っていって貰えると有り難いのだ」
「…何かあったの?」
「美朱、あたし行ってくるから」
「――あ、うん、お願い唯ちゃん」
和室は床から数十センチ高く上げて造られており、華音の身体を畳の縁に腰掛けさせる形で降ろす。
「オイラも状況が良く分かっていないのだが…」
「井宿、華音の様子はどうだ?大丈夫か?」
「軫宿」
美朱にこの状況をどう説明したものか…と、曖昧な言葉しか返せないでいるのと同じくらいのタイミングで、寿一が部屋へと入ってくる。
どうやら寿一も華音の様子が気になり、見に来てくれたようだ。
「…華音?」
先程から一言も言葉を発しない華音。
心配になり、芳幸は彼女の背中を擦りながら名を呼ぶ。
だが、今も猶、その身体を震わせ、口を噤んだまま俯いている華音の様子に心配が募る。
何も出来ない自分がひどくもどかしい。
どうすれば、彼女が今の状態から少しでも抜け出せるのか…。
何か方法はないものか、必死に考える中―――…。
華音の呼吸の仕方が一変する。
今まで静かに繰り返されていた呼吸は、次第に肩で呼吸する大きなものへと変わり、すぐに浅い呼吸へと変わっていく。
「まずい、過呼吸を起こしかけてる――美朱、ビニール袋あるか?」
「確か常備してるものがあったはず…すぐに出すよ!」
一瞬にして部屋内に緊張が走り、慌しくなった。
**§**
彼女の声と疑問符ばかりが浮かんでは消え、そしてまた浮かぶ。
それの繰り返しから抜け出せず、次第に頭が混乱していく中。
(…っ…苦しい…息が出来ない…っ…)
まるで息が詰まったような感覚に襲われる。
――…華音……っ華音…華音!俺の言う事が分かるか!?」
上手く呼吸が出来ずに遠のきかけていた意識の中。
ぼんやりと霞む視界に飛び込んでくる、一人の青年の顔。
華音は反応を示すようにして、自分の顔を僅かに上げる。
その口元に宛がわれた、少し固さのある肌触りのもの。
「このまま大きく息を吸って吐くんだ」
(…息を…吸う…?吐くって…?)
生きている中で当たり前にする行為。
でも、今は考える余裕さえもなくて、上手くその方法が見出せない。
「俺の真似をするんだ。スー…ハー…」
視界の先で寿一が行っている事を、彼が言う様に見よう見真似でそっくりそのまま行う。
「そうだ。大きく、ゆっくり、そのまま繰り返して…――」
言われるがままに寿一が行っていた事を繰り返していると、徐々に呼吸が楽になってくる。
ぼんやりとしていた視界も、はっきりとしたものに変わっていった。
「よし、もう大丈夫だな。しばらく身体を横にしていた方が落ち着くだろう」
「だ」
漸く景色が見えてきたかと思えば、瞬く間に一転した。
華音の瞳に映っていた寿一の姿が消えて、代わりに芳幸の姿が映し出される。
「…あっ…」
何とも間の抜けた一声が思わず零れ落ちてしまった。
今しがたまでは、自分の事で精一杯であまり意識する事が出来ずにいたが、思い返してみれば、ずっと自分の傍にあった優しい温もり。
まだ色々な不安が渦巻く中、その温もりを失いたくなくて必死に縋りつく。
芳幸に擦り寄るようにして彼の上着へと顔を埋めた華音の髪を、芳幸の手が優しく撫でる。
「…一人に、しないで……傍に居て…」
「大丈夫、ここにいるのだ」
芳幸が髪を撫でる手とは反対の手で、華音の手を握った。
**§**
しばらくの時間は芳幸と離れたくなくて、夜になってから愛羅が迎えに来てくれた。
「ご迷惑をおかけした上に我侭まで聞いて貰ったようで…すみません」
「いえ、昼間よりも大分気持ちが落ち着いたみたいで良かったですのだ」
愛羅に案内される通りに、芳幸が華音の身体を車の後部座席へそっと寝かせてくれた。
彼が車から離れる際、ずっと寄り添ってくれていた温もりがなくなる事に心細い気持ちが込み上げてくる。
それが表情に表れていたのか…。
「今夜はゆっくりお休み。また明日、なのだ」
そう言って、華音を安心させるようにやんわりと微笑む。
コクン、と華音が頷いたのを合図に、車のドアが閉められ、車はゆっくりと発進した。
道路へと出る前に一度、愛羅が芳幸に軽く会釈をしてから車を走らせた。
「一体、何があったの?」
精神的な疲労が一気に押し寄せてきて、車に揺られながら目を閉じる。
「…一条…茉莉奈…」
目を閉じたまま、華音は愛羅の問いかけに重々しく口を開いた。
そう、探偵事務所に依頼者として訪ねてきた彼女の名は“一条 茉莉奈”。
彼女とは中学の同級生だった。
姉ならば、彼女の名前を聞いただけで何かしら感じるものがあるはずだ。
「あの子が探偵事務所に来たの…」
「…うん…」
やはり、ある程度の事はそれとなく予想がついたのか、それ以上は姉も何も聞こうとはしなかった。
華音も出来れば思い出したくない記憶を心の内へと押し込めるようにして、眠りに落ちていった。
~あとがき~
はい、こんにちは。
現代パラレルもの、いよいよスタートです。
まずは、前篇をお届けしました。
――というか…ですね。
管理人、気がついてしまいました。
場面展開がとことん苦手な事に…!(←今更)
書きたいシーンに辿り着く為に、その前後を埋め合わせていくのが管理人的スタイルなので当然といば当然なのかもしれませんが…。
もっと上手くなりたいとは思いつつも、残念ながら管理人にはこれが限度です…orz
今回も相変わらずな展開の運びになっていくと思いますが、広い心でお付き合い下さると嬉しいです。
※物語で取り上げている症状や対処法などは、実際とは異なる部分があります。ご了承下さい。
―管理人*響夜月 華音―