出逢い編・前篇
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そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
当森メインの夢創作を楽しめますよう、先ずは是非、井宿さんにお名前を教えていって下さいませ
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華音は夢の中を漂っていた。
まだ熱の残る身体に心地の悪さを感じ、少しずつ意識が醒めていく。
そんな中で不意に響く声。
(……華音……)
――沢井…さん…?
声の主が誰であるのか、華音がその答えに辿り着いた時。
華音の唇に触れる柔らかな温もり。
その温もりは、華音の体温が高かったせいもあってか、ほんの少しだけ冷たいようにも感じられた。
ふっ…と目を開ければ、そこは慣れ親しんだ空間。
部屋をぐるっと見渡しながら身を起こしても、部屋に居るのは華音だけであった。
開け放たれた窓から、少し肌寒い夕暮れの風が入り込む。
「夢…?」
華音の口から呟きが零れ落ちると同時に、コンコンと部屋のドアがノックされる。
「華音…?入るわよ」
愛羅が花を生けた花瓶を手にして部屋へ入ってくる。
「あら、起きていたの?」
「うん、今起きたところ」
「そう…じゃあ彼とはほんの少しの差ですれ違いだったのね。沢井さん、だったかしら?午後からちょうど近くで仕事があったみたいで、その帰りにわざわざお見舞いに寄ってくれたのよ。このお花も沢井さんからよ」
ドキン…と、胸が大きく高鳴ったのが自分でも分かった。
あれは夢ではなかったのだ。
そっ…と自分の指でその唇に触れてみる。
少しだけ冷たかった柔らかな感触。
“華音”と呼んだ優しい声音。
ぼっ、と、顔から本当に火が出てしまうのでは…と思うくらいに、病的なものとは異なる熱が一気に体中を駆け巡る。
そんな感覚に不安になり、思わず縋り付く様にして愛羅の服の裾を掴んだ。
「お姉ちゃん……私、変なの。あの人に初めて会った時から嬉しくなったり悲しくなったり…。自分の心臓じゃないみたいに胸が高鳴るの。おかしいでしょ?」
自分の事なのに、初めての感覚ばかりでどうする事も出来ず、華音は自分の思いを吐き出す。
愛羅の手が、そっと華音の手を包み込んだ。
「それはね、一目惚れというのよ、華音。華音は沢井さんの事がとても好きなのね」
“好き”…?
彼を初めて見た時から抱いていた様々な感情は、恋愛感情。
人を好きになる気持ち。
その気持ちに気付くと同時に、不安な気持ちもまた、大きく広がりを見せていく。
自分でも抑えきれないほどに溢れ出てくる感情。
それは留まる事を知らないでいる。
だからこそ、恐いとも思う。
今日みたいに、バイトでも恋愛事でも…気持ちが物事へ集中してしまう程、ふとした拍子に弱い面を突きつけられる。
たとえそれが一瞬でも、その事を忘れてしまう自分が恐い、と、そう思う。
「華音?」
考え込み始めてしまった為か、愛羅に名を呼ばれる。
この気持ちをどう言い表せば良いのだろう…。
「…何でもない…」
上手く言葉が見つけられなくて、首を横に振る。
華音の心は複雑に揺れていた。
**§**
一週間が終わればまた新たな週が始まる。
何ら変わる事のない日常なのに、この一ヶ月で華音の心には様々な変化が生まれていた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。帰り道は気を付けるのよ」
「はい」
一ヶ月前の心持ちとは打って変わり、不思議と早まる気持ちを抑えて家の玄関を後にする。
「…あの子、最近何だか楽しそうね。見ているこちらまで嬉しくなってしまうわ」
「ふふっ、良い方に向かってるみたい。最初はちょっと不満そうだったのに。正直、ここまで効果があるとは思っていなかったけれど」
「何でもやってみるものね」
ふふふ、と姉の愛羅と母が顔を見合わせて微笑みながら華音を見送っていてくれた事は、華音には与り知らない事。
先週はバイトを早退させてもらった為に、少し気持ちを落ち込ませながら向かった朱雀探偵事務所。
今度こそは体調に油断しないよう、あまり気を張り過ぎないように午前の仕事を終わらせた。
そうして訪れた、昼食休憩が始まる時の事。
「華音、良ければ今日は外食にでも行くのだ?」
唐突に芳幸から提案があった。
特に断る理由もなかった為、頷いて答える。
この時点ではてっきり、事務所には誰かしらが残る形で他の人達も一緒に何人かで行くものだと思っていた。
だが、どうやら違ったらしい。
華音と芳幸以外は誰も動こうとはせず、何故か爽やか過ぎる程の満面の笑顔を浮かべる皆に見送られ、二人きりで事務所を出た。
今更、やっぱりやめます、という訳にもいかない。
ふと先週末の出来事が脳裏を掠めたが、頭〔かぶり〕を振って掻き消した。
事務所からそう距離のない所にある喫茶店の前まで来て、芳幸が足を止める。
「ここで良いのだ?」
「は、はい、大丈夫です」
二人だけという状況を妙に意識してしまい、返事に詰まってしまったが、芳幸はさほど気にしていない様子だった。
喫茶店の中へ入り、店員に案内されたのは窓際の一番奥の席。
昼食の時間としては早めという事もあってか、今はまだ空席が多い。
席に着いて食事のメニューまで頼んでから一息つくと、芳幸の方から口を開いた。
「華音、実は話があるのだ」
芳幸はコホン、と小さい咳払いを一つし、更に言葉を続けた。
「…初めて会った時からずっと、華音の事が好きだったのだ。良ければ俺と付き合って下さい」
テーブルとおでこがくっつきそうなくらいに頭を下げる彼。
芳幸の告白を聞いても、先程までは緊張気味だったというのに、今の華音は自分でも驚くほど意外に冷静だった。
良く良く考えてみればそうなのだ。
お互いに好意を寄せ合い、想いが相手に伝われば“付き合う”という形にだってなる。
いくら自分の恋愛感情に鈍感だったとはいえ、そのくらいの事は華音にだって分かる。
芳幸が華音に好意を寄せていてくれた事は嬉しいはずなのに…手放しで素直に喜ぶ事が出来ない。
ぎゅっ…と、両の手を膝の上で握り締めながら華音は途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「…私…は…――」
「身体が弱い事、気にしているのだ?」
「…っ…」
いつの間にか顔を上げてこちらを見る芳幸に、ハッと息を呑む。
「先週…華音が体調を崩して帰った土曜日、午後の仕事が予定より早く片付いたのだ。華音の家がすぐ近くだった事を思い出したら、考える間もなく身体が勝手に動いていた。
花を持ってお見舞いに行った時、君は眠っていたけど…何だかそのまま消えてしまいそうで怖くなった。抱きしめて守りたいと思った。初めて会ったあの時も―――…。
身体が弱い事も含めて、華音の事を支えたいと思っているのだ。だから、理由などいらない、君自身の気持ちが聞きたいのだ」
「…私…も……私もあなたの事が好きです」
ここまで自分の事を真剣に想ってくれている彼に、嘘偽りで応えたくない。
だからこそ、自然と滑り出た素直なその言葉。
一歩、踏み出してみようか。
身体の事もあって余計な迷惑をかけたくないからと、人と深く関わる事はなるべく避けてきたけれど…。
彼となら、自分自身も変われるだろうか。
否、変わっていきたい。
彼に抱いた自分の想いを大切にするためにも―――…。
「宜しくお願いします」
感謝の意も込めながら、華音は芳幸に深くお辞儀をした。
「お待たせしました。カルボナーラと、きのことほうれん草の和風スパゲティです」
会話に一通りの区切りが付くと、まるでタイミングを見計らったかのように食事が運ばれてくる。
その事が何だか可笑しくて、どちらからともなく、くすくすと笑い合った。
**§**
「スパゲティ、おいしかったです。ご馳走様でした」
会計は半分ずつで済ませようとしたものの、芳幸の“自分が出すから”との申し出には有り難く甘えさせて貰う事にした。
「どう致しまして。さて、少し急いで戻るのだー。柳宿たちがきっと首を長くして待ってるのだ」
「沢井さんって…二面性ありますよね」
「…こういうの、苦手…なのだ?」
「いえ。全然違う面があるから、時々見せてくれる真剣な話し方とか表情とかのカッコよさが…って…――あっ…」
ほとんど最後まで言いかけた後に口を噤む。
恥ずかしい事を言ってしまったような気がする、と華音は心の内で思う。
そう気づいた途端、頬が熱気を帯びてきて、思わず手で押さえた。
「華音」
芳幸に名前を呼ばれて彼の方へ顔を向けると、華音の唇に触れる温もり。
「本当は黙っていようと思ったのだが…実はこれが初めてではないのだ」
突然の事に驚いた華音であったが、すぐに笑みが零れる。
「…知ってます」
「だっ…?!まさか、あの時起きていたのだっ?」
「いえ…意識はまだ完全に覚めてなかったけど…夢うつつで何となく」
「だー…、悪い事は出来ないのだ…」
罰が悪そうに首を竦める芳幸を見て、華音は小さめな声で言葉を返した。
「でも…凄く…嬉しかった…」
素直な気持ちを笑顔で伝える。
だが、すぐに顔から笑みを消して、もう一つの本当の気持ちを口にする。
「…一つ…約束をしてくれませんか…?」
「約束?」
「…私から離れて行くその時は…少しでも笑顔を残せる内で、と…約束…して貰えませんか?」
勿論、芳幸と少しでも多くの時間を過ごせる事を夢見たい。
想いが通じ合った関係を、なるべく長く続けていけると信じたい。
けれど。
それらは、自分を傷つけるものでしかなくなってしまうから…。
もしも、その時が訪れてしまうなら…せめて楽しい思い出として終わらせたい、と。
そう願うのもまた、結局は我が侭に過ぎないのだろうが…。
「その約束は出来ないのだ。…でも、代わりにオイラの方から提案しても良いのだ?」
華音の頬に触れてくる芳幸の手。
「身体の事情を理由に華音へのこの想いが揺らぐ事は決してないと、誓えるのだ。オイラを信じて、華音も無理せずにオイラに寄りかかって欲しいのだ」
「…寄りかかる…?」
「言ったのだ?全てひっくるめて華音を支えたいのだと。華音が寄りかかってきてくれないと、支えたくても支えられないのだ。だから、約束、なのだ」
芳幸は、そう言って微笑み、華音の手を取って芳幸の小指と華音のそれを絡めた。