出逢い編・前篇
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そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
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「芹沢さんのお父さん、今朝のニュース番組で出てたね」
「見た見た!経営の話っていうの?何か小難しい話してたよねー」
「芹沢さんも何かこう、纏う雰囲気が私たちとは違うっていうか…」
「住む世界が違うって感じ?」
休み時間の教室の片隅でひそひそと交わされる会話。
彼女たちが自分の事を話しているのだと気づいていても、知らぬふりをして今開いている本のページをそのまま読み進める。
二年目の高校生活がスタートした春から五ヶ月程経とうとしているが、華音は未だにクラスに馴染めないでいた。
華音の父親は、数多くの大手会社を手掛けている芹沢グループの社長。
父親の事は別段苦手意識を持つとかはなく、どちらかといえば好きではあるが、世間は華音の事を“社長令嬢”、所謂、お嬢様として見る。
それが“住む世界が違う”という事に繋がるのであろうが、そう思われる事はあまり居心地の良いものではない。
とはいえ、そういった壁が存在するが故になかなかクラスに馴染めないでいるのかといえば、決してそうは思わない。
きっと原因は自分自身にある。
私自身がきっと、他人が簡単には踏み込めない壁を作っているに違いないのだから―――…。
**§**
「…岡田先生、いつもご迷惑をかけてすみません」
保健室の担当教諭が電話の受話器を置いたのを見計らい、華音は謝罪の言葉を口にした。
すると、彼女――岡田雅代は華音の方を振り返りながらそっと微笑む。
「これが私の仕事だから、迷惑かけられたなんて少しも思わないわ。でも、せっかく言って貰えるのなら、ありがとうの方が嬉しいわね」
「…ありがとうございます、岡田先生」
「ふふっ、どう致しまして。お姉さんに電話したら、今日は少しお迎えに時間がかかるみたいね…3、40分くらいって言ってたかしら。時間があるから少し眠る?一休みするならカーテンしておくけど」
先程、昼休みが終わり、午後の授業に差し掛かった頃の事。
華音は身体への倦怠感を覚えると同時に、自分の身体が火照っているのを感じていた。
授業を行っていた教師に体調が悪い事を告げて、教室を後にし、保健室へと足を運んだわけだが…。
少しずつ熱が上がって来てしまい、岡田雅代の判断で早退する事となった。
姉が迎えに来てくれるというまでの数十分間は、雅代の提案どおり、少し横になる事にした。
華音が頷くのを見て、雅代はベット周りを区切るためのカーテンを引き、そのカーテン越しの影がゆっくりと離れていく。
ふぅ…と小さく息を一つ吐いて、保健室のベットへと身を沈める。
幼い頃から熱を出す事が多く、幼稚園に上がってからのそれ以降は特に、やむを得ず園や学校を休んだり早退する事が度々あった。
身体の弱い自分自身を恨めしいとさえ思った事も何度かある。
なかなか自分の思い通りにいかない身体は、もどかしいものでしかない。
――何だか、どっと疲れてしまった。
華音は不意に襲ってきた睡魔に抗う事なく、そのまま眠りについた。
**§**
「……ません……っているようで……」
よく知る声が耳に届き、浅い眠りの中を漂っていた華音の意識がふ…と浮上する。
学校を早退したその日から一晩明け、朝になっても熱は下がらず、休みという形をとっていた翌日。
漸く薬の効果もあってか、昼過ぎ頃になって徐々に熱が下がり始めてきていた。
まだ何処かすっきりしない意識の中、ぼんやりとした視界に三人の人影が揺らめく。
一人は華音の姉――愛羅。
その姉の後方には、姉に誘われるようにして部屋へと入ってくる見知らぬ一人の青年と一人の少年。
「…華音、ごめんね、起こしてしまったかしら」
姉が華音の枕元までそっと歩み寄り、静かに言葉を紡ぐ。
その言葉に、ふるふると首をゆっくり横に振って答えた。
少し喉が乾燥しているように感じる。
おそらく、姉である愛羅が部屋に来ていなくても、遅かれ早かれ喉への違和感で目を覚ましていた事だろう。
「…お姉ちゃん、お客様…?」
突然ではあったものの、来客があっては身体を横にしたままというわけにもいかない。
大分楽になった身体をベット上に起こす。
ベットのすぐ横に置かれている白い木製の小振りなチェストから取り出した、一枚の薄手のカーディガンを華音に手渡しながら、愛羅は頷いた。
「えぇ、そうなの。華音に会ってもらいたくて」
「…私に?」
愛羅が差し出してくれたカーディガンをありがとうと言って受け取る。
華音はそれを肩へとかけながら首を傾げた。
「こんにちは。初めまして、沢井と言いますのだ」
「こんにちは、初めまして。張間です」
身体を起こした事によって、はっきりと覚醒してくる意識。
それに伴い、起き抜けであったが故に、先程まではすっきりしていなかった華音の視界が一瞬にして晴れていくような…そんな感覚に捉われた。
それは自分でもとても不思議な感覚だった。
“沢井”と名乗ったその青年に、目を奪われる。
比較的短髪ではあるが、前髪と後ろ髪だけは長めに伸ばされた特徴的な髪型。
切れ長の一対の瞳。
彼が纏う、まるで陽だまりのような優しい雰囲気。
その後もしばらく話は続いていたが、華音の頭には話の内容は入っていかなかった。
これが俗に言う、一目惚れなるものであるという事を華音が知るのは、まだもう少し先の事―――…。
**§**
週末の日曜日―――…
ちょうど朝から昼へと、時の流れが移り変わろうとしている時間帯だった。
たった今、姉から初めて聞かされた事柄に、思わず大きな声を上げてしまった。
「お姉ちゃんっ、どういう事…!?」
華音の気持ちとは裏腹に、玄関先でのんびりとした様子で出掛ける準備を進める姉に、更に言葉を投げかけた。
「私がアルバイトするなんて聞いてないっ!!承諾もしてない!」
「そうね、だって今初めて華音に話したもの。予め話したとしても、華音、あなた嫌って言うでしょ」
「だからって…ずるいじゃない…っ…」
そもそも姉とのやり取りが始まったのは、ほんの数分前の事。
朝食を済ませた後、しばらくの間姉と一緒にリビングでゆったりとした時間を過ごしていた。
だが、途中から、姉が時間を気にするようにして時計をちらちらと時々見ている事に、華音は気づく。
どうしたのか問えば、実は一緒に行って欲しい所があるの…と、姉から話を切り出したのが始まりであった。
「一昨日、華音が会ったあの人たちね、探偵の仕事をしている人たちなの。その事務所で華音をアルバイトさせて貰えないか、木曜日に事務所までお願いしに行ってきたのよ。親身に話を聞いてくれてね。
華音の身体の事も理解してくれた上で、アルバイトする事を了承してくれたわ。早速今日、11時半から約束を入れているの。だから、あなたもほら、一緒に行くのよ。動きやすい服装で準備してきなさい」
そう最後まで言い終わらない内にソファーから立ち上がり、さも自然な流れとでもいうように、姉がリビングから出て玄関に向かい始めたので、華音は慌てて姉の後を追った。
「ちょっと待って……お姉ちゃんっ、どういう事…!?」
そして冒頭の会話に至ったというわけなのだが…。
今までも、華音が壁に突き当たると、それが大きなものは勿論の事、たとえ小さなものでも、その度に姉が解決へと導いてくれた。
傍から見れば、過保護とも捉えられるのかもしれないが、でも、それらは一つ一つ、確実に華音を成長させるものとなってきた。
自分の事を心配してくれての事なのだという予測はつく。
だが、今回は何の説明もないまま、華音の知らない所で事が進んでいたのだ。
そう簡単に納得出来るはずもない。
思わず、拗ねる様にして顔を俯かせていると、頭に温もりが添えられる。
「ごめんね、確かに話も何もなしにって言うのは強引だったわ。だけどね、あなた、こうでもしないと自分からは何もしようとはしないでしょ。
学校という所ではない場所で、
外の世界に関わる事は華音にとっても色々とプラスになるはずよ。社会勉強にもなるし。
今日行ってみて、どうしても嫌というのであれば無理強いはしないわ。続けるか続けないかは華音自身が決めれば良いのよ。一つの良い機会だと思ってとりあえず今日は一緒に行きましょう?華音」
どうしても乗り気になる事は出来なかったが、姉の言う事も確かに一理あると、華音は素直にそう思う。
続ける続けないは華音が決めて良いという点では、まだ少しは気を楽にして行く事が出来そうだ。
それに…と、頭に一人の青年の姿が浮かび上がる。
あの人にもう一度会える―――…
自分でも無意識の内に、ふとそんな思いが過ぎった。
その思いもまた、華音を突き動かす事に繋がったのかもしれない。
「…出掛ける支度してくる…」
姉の顔を見る事もせずに、それだけ短く答えて自室へと向かった。
――だから気づかなかった。
姉が何処か嬉しそうな微笑みを浮かべていた事に…。
**§**
「…仕事の内容はそんなに難しくない事よ。依頼者が来た時にお茶菓子を出してもらったり、事務所の掃除とかをしてもらったり…。あとはそうねぇ、お茶菓子の買出しとかかしら?まぁ、要は雑用ね。あまり気難しく考えないで楽しくやりましょ!」
姉に連れられて来た“朱雀探偵事務所”。
一通りの自己紹介が済んだのを見届けてから、妹の事をどうぞ宜しくお願いします、と丁寧にお辞儀をして、姉は帰っていった。
事務所の受付を担う、“柳宿”と紹介された綺麗な女性に、簡単なオリエンテーションをしてもらった後、時間も時間という事で昼食となった。
「じゃあ、改めて自己紹介ね。私は柳宿――こと、一柳花娟。呼びやすい方で呼んで頂戴」
「探偵事務所所長の星野賁絽だ。あまり畏まらずに自由にのびのびとしてくれて構わない」
「侯野翼や、よろしゅう」
「華音さん、先日はお邪魔しました。張間素煇です」
「俺は宿南魏。あっ、ちなみに美朱の彼氏です」
「魏の彼女の夕城美朱です。えっと、華音ちゃん?と同い年だよ」
「美朱の親友の本郷唯です」
「――あと二人、メンバーがいるんだけど、今ちょうど別件で出てるのよねぇ。そんなに遅くはならないと思うから、戻ってきたら紹介するわね」
「井宿さん…――沢井さんは、一昨日、僕と一緒に華音さんのお宅へ伺いしましたから、華音さんもご存知ですよね」
“沢井”―――…
一昨日、確かに顔を合わせた少年――素煇が、にこっ…と小さく微笑みながら紡いだその名前に、ドキン…と胸が高鳴ったような気がした。
姿が見えないとは思っていたが、仕事で外に出ているのだと聞いて何だか残念な気持ちになる。
「さぁ、早速午後から華音にも少しずつ働いてもらうから、遠慮せずに召し上がりなさいな。…とはいえ、残ってた材料で、今朝、適当にこしらえただけだから大した食事じゃないけど」
「わーい、ご飯♪じゃあ遠慮なくいただきまーすっ!」
「あっ、こら!美朱、あんたは少し遠慮しなさい!皆の分がなくなるでしょ?!」
「…くすっ…」
穏やかとは言い難い、何処か忙しなく流れていく時間。
だが、それでいて華音の事をごく自然に受け入れ、作られていくこの空間に、自然と口から笑みが零れる。
何だろうか、この気持ちは…。
少しこそばゆいような、でも、温かい。
人と関わる中で、こんな感覚もあるという事…それを華音はこの時初めて知ったのかもしれない。