出逢い編・後篇
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そういったおはなしでは説明頁の設置や特記事項がありますので、ご参考までにどうぞ。
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「華音のお母さんとは何度か顔を合わせているのだが…お父さんと会うのは今日が初めてだから、さすがに少し緊張するのだ…」
土日も仕事で忙しい父が、珍しくも休みが取れたという、とある土曜日の午後。
芹沢家の玄関前で足を止める華音の隣で、普段よりも少しきちっとした装いに身を包む芳幸もまた、歩いていた足を止めた。
これから先も華音と関わっていく事で、両親とも顔を合わせる機会があるだろうから一度挨拶をしておきたい、との話が芳幸からあり、芹沢家に招く事となった。
それが、今日というわけだ。
「一見、ちょっと恐そうに見えるかもしれないけど…。お父さん、人情に厚い人だし、芳幸さんなら大丈夫です」
華音の言葉に、芳幸が意を決したように頷く。
その様子を見て、華音は玄関の扉を開けた。
玄関先では母が出迎えてくれ、リビングに…という言葉通りに芳幸と共に足を運ぶ。
リビングでは、既に父がソファーに座り待っていた。
「君が沢井君か。母さんから話は聞いている。とりあえず、座りたまえ。気を楽にしてくれて構わない」
芳幸は父に丁寧に一礼をしてから、父の向かい側に腰掛けた。
その隣に華音が座ると、リビングの戸を閉めた母も父の横へと座る。
姉は確か、今日は朝から一日仕事だと言っていたか…。
少しの間を置いた後に、芳幸が口を開く。
「今日はお手間を取らせてしまい申し訳ありません」
「いや…それこそ仕事が忙しくてあまり華音と話す時間もなくてな。私としてはこういう時間が有り難いくらいだよ」
父が口元を緩めて芳幸に笑む。
「改めてまして、オ…私、華音さんとお付き合いさせて頂いています、沢井芳幸と言います」
「芳幸君で良いか?」
「はい」
「君は確か、探偵の仕事をしていると聞いているが」
「はい、間違いありません」
「探偵という職業は…危険を伴う事も少なくはない仕事だろう。芳幸君自身を大事にし通す心持ちは十分にあるか?」
父はそこまで言ってから一度言葉を切る。
何かを考えるように少しの間目を閉じた後、再び目を開け、言葉を続けた。
「華音から話を聞いているか分からんが…。華音は過去にあったある事で、親しい関係が失われる事を誰よりも恐がっている。故に、自分自身を大切に出来ない者には、娘を任せる事は出来ん」
「…お父さん…」
「自分としましては…華音さんとは結婚も視野に入れた上でお付き合いをしていきたいと考えていますので、華音さんと過ごす時間は少しでも多く、大切にしたいと思っています」
「身体の弱い娘だが…それでも?」
「はい。華音さんは華音さんですので」
「…うむ。君がそこまで娘の事を考えてくれているのなら、私は見守るだけだ。こちらとしても、是非とも娘との関係を永く続けていって貰いたい。どうか宜しく頼む、芳幸君」
芳幸に向かって父の右手が差し出される。
その手を芳幸が握ると、双方の手が固く握り合わせられた。
「それはそうと、沢井さん」
話が一段落したところで、それまで静かに父と芳幸の話に耳を傾けていた母が口を開いた。
「そう畏まらなくても、いつもの口調で大丈夫よ。この人、人を見る目はしっかりと備わっているから、少しくらい砕けた喋り方でも気にしないわ。だから、社長も務まるのね。
――あら?嫌だわ、私ったら…そういえばお茶も何も出さないままで…今、用意してきますね」
母は口元に手を当て、おほほと上品に笑みながら一旦席を離れる。
「何だ、無理をさせていたのか?私は個性のある方が好きだが?競争社会では特に、強みにもなり得るからな」
「いえ、無理はしていません。ただ、長年の口癖なもので、普段からのものの方が口に馴染んでいる事は確かですが…」
「真剣な話をする時との切り替えが凄く上手なの。そこはぬかりないって感じ」
「そうなのか?何だか興味が湧いてきたな。是非、私の前でも普通にしてくれたまえ」
「そう言って頂けると助かります。気を付けていても、つい無意識に口をついて出てしまいそうで…心中穏やかではありませんのだ――っと」
言っているそばから普段の口調が出てしまった芳幸に、父は瞬きをして一瞬顔の動きを止めたものの、すぐに豪快な笑い声を上げた。
「…はははっ。良いぞ、芳幸君、気に入った」
「恐縮です…」
「――お茶が入りましたよ。沢井さん、紅茶でも大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「ほら、華音。紅茶を配るのを手伝って」
「はい」
一通りの話が終えてからは、穏やかな時間が流れていた。
**§**
「だー、駄目なのだ…慣れない事をするとどうも調子が狂って仕方がないのだぁ」
「…あんた、今日はいつにも増して今朝からのだのだ言ってるわね。昨日の反動?」
仕事の合間を見つけては、いつもよりも口を開く回数の多い芳幸の姿を見て、棚の整理整頓をしていた手を止めた華音は、申し訳ない気持ちで言葉を紡いだ。
「ごめんなさい。お父さんには無理してないって言ってたけど…やっぱり無理をさせてしまっていたんですね…」
「いや、違うのだ。無理をしていなかったのは本当なのだ。…ただ、自分の事を“私”とか言ってたのが思い出すだけで自分で小恥ずかしいだけなのだ…。――出来る事なら、今、三頭身になりたい気分なのだ」
「…三頭…?」
最近、華音が理解できない単語が増えてきているのは気のせいだろうか。
首を傾げていると、やはりというか、花娟が華音に返答をくれる。
「んー、さすがにこれはこっちじゃ説明つかないわね…」
「…妖精になれるとかですか?ファンタジー…?」
花娟がほとほと困っている様子だったので、思いつく範囲で想像力を働かせてみる。
そんな華音の言葉には、ぷっ…という笑いが三ヵ所程から漏れてきた。
花娟も必死に笑いを堪えながら答える。
「ファンタジーなんて綺麗なもんじゃないわよ。ギャグよギャグ」
「…華音にはその内話すのだ。この世界とはまた違う、異世界の物語を。その時は聞いてくれるのだ?」
芳幸を始めとする皆が華音に微笑みを向ける。
コクン、と頷いたまま顔を俯かせて、華音は心の内を少しずつ明かす。
「…私…小さい時から家で過ごす時間が多かったから、色々なお話を聞いたり考えたりする事が好きだったんです。今もそう。なので、出来れば芳幸さんたちのお話は是非聞きたい…です。それに―――…」
「うん?」
芳幸の相槌に促されて、言葉を続けた。
「芳幸さんが言ってくれた、私がやりたい事って何だろう…って、最近ずっと考えていたんですけど…。…絵本を書いてみようかな、なんて思っていたり…。何処まで出来るかは分からないけど、いずれは作家になれたら素敵だな…とか。
そういう仕事なら努力次第で自分にも出来そうだし、芳幸さんの傍で……自分のやりたい事やりながら…一緒に居られるかな…って…思って…ます」
言いながら恥ずかしくなってきて、棚と向かい合う形を取る。
優しい温もりが背中から華音を包み込む。
「やろうと思ったからには、思う存分突っ走ってみれば良いのだ。勿論、オイラは応援するのだ?華音の夢を。華音の隣で」
「はい」
「――あんたたち、最近、いちゃつき度が上がったわね。見てるこっちが恥ずかしいくらいだわ。まぁ、見てて楽しいから良いけど~♪でもぉー、張宿もいるから程ほどにしときなさいねー」
「…し、仕事中にすみませんでしたっ」
芳幸の腕から逃れて、慌てて止めていた手を動かした。
「あぁ、そうだ、華音。今日のバイトが終わった後に少し時間を取れるだろうか」
思い出したように賁絽から声がかかり、華音は身体を賁絽の方に向ける。
「はい、大丈夫です」
「では、帰り支度を終えたら、此処を出る前に私の所においで」
「はい」
今日のバイトもあと一時間程。
何の話だろう…と、疑問を頭に巡らせつつ、少し緊張気味に残りのバイトの時間を終わらせた。
身支度を整え終えた後に、賁絽に言われたとおり、賁絽の元へ足を運ぶ。
賁絽の手によって、所長専用の机の引き出しから取り出された一枚の紙が、華音へと手渡された。
「これを愛羅さんに渡して欲しい」
「…お姉ちゃん、ですか?」
裏面でもなく、普通に表面が向けられて華音に手渡った書類。
故に、見ようという意思が特別になくとも、その文章は華音の瞳に映り込んできた。
「…依頼報告書?」
書面の一番上に印刷された文字に首を傾げる。
「依頼主に依頼が解決したという事を承諾して貰う為の書類だよ」
「…お姉ちゃんが何かの依頼をしていた、という事ですか?」
華音が問うと、賁絽は微笑んで頷く。
いつの間に依頼をしていたのだろう。
華音のバイトがない平日に足を運んでいたのだろうか…全く気がつかなかった。
「最初は…愛羅さんとしての依頼の希望は、この探偵事務所のメンバーの内、誰か個人への依頼だったのだ」
賁絽が優雅な物腰で椅子から立ち上がり、近くの窓辺へと歩んでいく。
掃除が行き届いている窓の枠を、そっと撫でながら言葉を続けた。
「だが、せっかくならば此処でアルバイトをする形にしてはどうかと私から提案した。対個人よりも、事務所の皆で見守りながらの方が色々な面で配慮出来るだろうと思ったのでな」
賁絽の優しげな眼差しが華音に注がれる。
「…私の事を…依頼していたんですか、お姉ちゃん…」
手の中に収まる書類へ視線を落とすと同時に、湧いた一つの疑問をそのまま口にする。
「依頼解決、という事は…私のバイトも終了という事ですか?」
「華音の希望は?」
華音は、賁絽の問いに書類から顔を上げた。
返答を待ってくれている賁絽。
事務所に流れる静寂を破って、華音は口を開く。
「…続けたい、です」
「その言葉を待っていた。華音も、もうこの事務所の一員だよ」
「ありがとう…ございます」
瞳から涙が溢れそうになるのをぐっと堪えて、賁絽に深く深く頭を下げた。
――本格的な冬が訪れつつあるこの時季の日暮れは、本当に早いもので。
事務所から一歩外へ出ると、冷たい空気が華音の頬を撫でていく。
もう既に日も落ちかけて、いっそう寒さが身に染みる中を急く足で帰る。
自宅へ着くと、愛羅が玄関先に顔を出してくれた。
「これ、賁絽さんからお姉ちゃんに渡して欲しいって頼まれたの」
「依頼の事も聞いたの?」
華音から書類を受け取った愛羅に問われて、頷き返す。
「…私にアルバイトの話を持ち掛けてきた時…どうしてあんな事言ったの?」
『華音をアルバイトさせて貰えないか、事務所までお願いしに行ってきたのよ。親身に話を聞いてくれてね。華音の身体の事も理解してくれた上で、アルバイトする事を了承してくれたわ』
最初に愛羅から華音にアルバイトの話があった時、姉はそう言っていたのに。
実際は違った。
愛羅が事実を偽っていた理由が知りたくて、愛羅を見上げて問う。
「あちら側から申し出があったままに話をしたら…華音が気兼ねしてしまうと思ってあの時はああ言ったのよ。私からという事にしておいた方が、華音自身で自分の意志を貫けると思ったから」
「…お姉ちゃんはっ……お姉ちゃんは、いつもそうっ。そうやって私の道標を作ってくれる…っ…でも、今回は違う。今回、お姉ちゃんが私にくれたものは大きすぎるよぉ…っ!」
愛羅が華音にしてくれた事は、これまでとは比べ物にならないくらいの大きなもので。
涙が溢れて…華音は、姉にしがみ付いて泣いた。
全てはアルバイトがきっかけだった。
芳幸と出逢い、恋をした事も。
ありのままの華音を受け入れ、温かく見守ってくれる人たちに出会えた事も。
茉莉奈との過去が苦しいものだけではなかったと…今一度自身と向き合う機会が巡ってきた事。
友人が出来た事。
学校生活が充実したものへ変わろうとしている事。
それらは全部、アルバイトを通して始まり、今この時まで繋がってきた。
その最初のきっかけを作ってくれたのは、姉である愛羅だった。
「私は一つの道をあなたに示しただけ。今の華音が在るのはね、沢井さんや他の皆さんに支えて貰いながらも、華音自身が一つ一つ進む方向を決めて手にしてきたものよ」
愛羅の手が華音の身体を包み込みながら、頭を撫でる。
「…私だって…あなたがこんなに成長してくれるなんて思わなかったわ。私もお母さんもお父さんも、とても嬉しく思っているの。今の華音はとても輝いているから。本当に…良い方たちに出会えて幸せね、華音」
そう言葉を紡ぐ愛羅の声も、微かに震えているように感じられた。
「…お姉ちゃん……依頼は終わったかもしれないけど、私、バイトは続けるよ」
愛羅に抱きしめられる中。
瞳から零れていく涙が少し落ち着いた後で、華音は自分の思いを力強く愛羅に告げた。