【番外編短篇】「僧侶と魔女と不思議な街」
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――此処は…何処?―――…
広大な草原にぽつんと二人。
果てしないのではないかと思われる程に続く緑の世界の中に、華音は芳准と共に佇んでいた。
緋影との戦いを終えて数日。
芳准と二人で紅南国内を巡っていたはず…。
それだというのに、どういうわけか気がつけばこの状況下で。
状況を呑み込めという方が無理というものだ。
「…おいで、華音」
芳准に手を引かれて草原の中を掻き分けるように歩き出す。
明らかに自分たちの知る世界とは異なる場所、だ。
華音は今の自分が置かれている状況に戸惑うばかりだが、彼は早くも腹を据えたというのか…。
逸れてしまう事だけは何としてでも避けたい。
せめて、置いていかれない様にと繋がれている手をぎゅっと握り締める。
二人の前に少しずつ草原以外の景色も現れ始めた。
まだ距離が大分ありそうな先の方に見えるのは、背の高い大きな建物。
それは遠目から見ても圧倒的な雰囲気を漂わせているのだから、近くで見たらもっと凄いのだろう。
草原を抜けて石造りの階段を昇り、そのまま道なりに進んでいくと、周囲は様々な店が処狭しと立ち並ぶ風景へと変わった。
「…商店…街?」
「そのようだが…日は昇っているのに人っ子一人としていないのだ」
「…静か、ね」
飲食店らしい店先には料理も並んでいるが、店の者がいる気配はない。
“生あります”“目”などといった文字も瞳で捉える事が出来るが、不気味なものしか想像出来なくて、深く考える事はやめておこう。
兎にも角にも不思議な街…そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
しばらく歩き続けて商店街も通り抜け、次に目に飛び込んできたのは、草原からも見えていたあの建物だった。
時折強く吹き付ける風に、“油”と書かれている旗がぱたぱたと音を立てて靡く。
建物へと繋がる向こう側へは橋を渡っていけるようだ。
華音たちがいる場所と建物が在る場所とを繋ぐ橋の下方には海が広がっていた。
二人で橋の袂まで歩を進めたその直後。
芳准が何かにハッとした様子で華音の居る方を振り返り、華音と立ち位置を入れ替わる様にして芳准の背中に庇われる。
「そなたたち…人間、ではあるみたいだが、只者ではなかろう」
「少年…?」
芳准からぽつりと呟きが零れた。
芳准の腕の横から、芳准と対峙している相手をそっと覗き見る。
そこには確かに、張宿と同じ年頃くらいの少年が立っていた。
前髪も肩に掛からない長さの髪先も、真っ直ぐに切り揃えられている。
何よりも、宝石のような翡翠色の瞳がとても印象的な少年だった。
「此処に居てはいけない。すぐに此処から立ち去れ」
「…立ち去りたいのはやまやまだが、オイラたちはどうも迷い込んだようなのだ」
「…迷い込んだ?――っ!しまった、もう感づかれた…っ。…彼女に名を聞かれても真の名だけは口にしてはいけない。契約させられる…」
少年の視線が厳しい眼差しとなり、芳准から華音、そして華音の後方へと移り変わってゆく。
華音と芳准も少年につられる様にそちらへと視線を向けた。
建物の上の方から、何かがとてつもないスピードで下りてくる。
それが橋の向こう側へと降り立つと同時に、少年が華音たちの傍らを通り橋の真ん中辺りまで歩んでいった。
「…ハク。お前に用はないよ。それともそこの人間を庇うのかい?お前も千が此処に来て随分と甘くなったもんだ」
「この者たちに下手に手を出せば、湯婆婆様でも無傷ではいられないと思いますが?」
大きな鳥かと思われたその存在は、黒い外套を着込んだ巨体の老婆だった。
老婆は外套を脱ぎ去ると、青い衣服の裾をはためかせながら少年に近づく。
老婆が足を動かすたびに、手元やら首元やらに着飾った宝石の類が陽に反射して光を放った。
「私が負けるとでもお思いかい?ハク。――女はそうだねぇ…整った顔立ちだし湯女として働かせてやってもいいよ。男の方は私の弟子になりな」
「…師は太一君だけで十分なのだ…」
少年の横を通り過ぎ、華音たちの方へ少しずつ近づいてくる老婆を見据えたまま、華音を囲う芳准の腕に力が込められる。
「おや、誰かの弟子なのかい。なら、私の下の方が良いって事を分からせてやろうかねっ…!」
「…華音。良いのだ?力は隠し通すのだ。幸い、君の力は気付かれていないようだから」
「…芳――井宿っ…」
華音から離れて老婆に向かっていく彼の名を呼びかけて、少年に言われた先程の言葉を思い出した華音は咄嗟に七星士名で呼び直した。
七星士名ならば、本名には値しないだろう。
「変わった名だねぇ…ハクも余計な事をしてくれたもんだ。お前たちにはもう私の下で働くか此処で果てるかどちらかの選択しかないのさ。此処に来た以上、何をやっても無駄だよ」
「冗談じゃないのだ。此処から元の世界へ戻る方法を見つけてみせる」
「…ふんっ。お前たち、千と同じ世界の人間でもないのかい。どうやって紛れ込んだんだか」
「こっちが知りたいくらいなのだ。―――破…っ!!」
芳准が仕掛けた攻撃を合図にしたのか、それまで口を動かしていただけだった老婆も動きを見せる。
老婆の掌に生み出されていく黄色の気弾。
芳准はその気弾が放たれるよりも早く、老婆から距離を取り結界を張って攻撃に備える。
黄色の光と朱色の光が激しく競り合うが、芳准の方が少し押されているようだった。
「口ほどにもないじゃないか。ハクよりも少し上くらいだね」
「…くっ…」
はら…と、芳准の顔から面が剥がれ落ちる。
それを意味するのは、様子見程度の力ではなく、本領を発揮させなければならないという事。
芳准自身もそうと理解したのか、結界を張りつつも錫杖を構え直しているようであった。
「…戡―――…!!」
結界が解かれるに伴い、眩いほどの朱色の光が辺りを包み込み爆風が起こる。
芳准よりも後方にいる華音でさえも強い風を感じるほどだった。
「今までは様子見だったわけかい…とんだ化けの皮が剥がれたもんだ」
芳准の一撃は、老婆の身体を後方一メートル程まで弾き飛ばしたようだが、老婆は傷一つ負っていなかった。
…強い。
あれだけの衝撃を受けて、負傷させる事も出来ないのだから、一筋縄でいかない事は明らかだ。
砂埃が完全に晴れる前に老婆が芳准との間合いを一気に詰めていくのが見えた。
芳准は相手の気を察知出来る故に、老婆の動きには気付いている事だろう。
それでも、華音もこれ以上何もせずにいる事は出来なかった。
考えるよりも先に身体が動く。
芳准と老婆の間に身体を滑り込ませ、旋律を口ずさむ。
「彼を傷つける事は私が許しません」
自身の身体に力を行き渡らせて両の掌を前方に突き出すと、鎖骨部分で呼応する光。
芳准の結界の内に華音の奏姫としての力も加わった事により、二重の防御壁となったそれらの力は、老婆の身体をこれまで以上に退かせた。
「華――奏姫!力は隠せと…っ」
「見守っているだけという事がどれ程辛いものか、あなたが一番良く分かっているでしょう。許して下さい」
「……なっ……何だってぇ…?女の方もかいっ?…力の気配なんて全く感じなかったよ…」
結い上げた髪の所々をほつれさせ、元より大きすぎる程の瞳を更に大きく見開いて老婆は華音を見つめてくる。
静寂が辺りを包み込み始める中、一つの影が静かに動いた。
スル…。
不意に華音の足元に擦り寄ってくる何か。
「…っ?」
後方へと顔を動かした華音の瞳に映ったのは、芳准と華音の間で白い肢体をしなやかにくねらせる幻想的な生き物だった。
「…竜?」
「フシュ―――…」
「乗れ、と言う事か…?」
芳准の言葉に頷くかの様に竜の瞳が細められる。
「…お前たち…逃がさないよっ…!」
躊躇している暇はなかった。
聞こえてきた背筋を凍らせる程の声に、一度芳准と顔を見合わせた後、二人で竜の背中へと跨る。
ふわり―――…。
鬣が風に靡き、二人を乗せた竜の身体は空へと舞い上がった。
「待ちなっ!!」
空を舞う竜の脇を、黄色の気弾が追いかけてくる。
その様子を見た芳准が竜の周囲に結界を張り巡らせた様で、華音たちは大きな朱色の光に包まれながら宙を飛んでいた。
「…あなた…ハク、さん…?」
宙を飛び始めてしばらく経った頃、竜の背に乗る感覚にも慣れてきた華音は、なるべく竜の頭の近い位置になるよう角を持って身を寄せた。
「フシュ―――…」
髭を揺らして僅かに口元から声が漏れる。
肯定の意として捉えて良いのだろう。
「…あの少年、なのか…」
もう必要はないと判断し結界を解いたのか、朱色の光が消え失せる中、華音の後方で芳准から言葉が紡がれた。
「同じ綺麗な翡翠色の瞳だったから、そうかもしれないって思って…」
《千尋と似ている…》
「…ちひろ?」
《…そなた、この姿での私の言葉が分かるのか》
竜の少年は驚く様子を見せる。
華音の中に流れ込んできた言葉についと自然に答えてしまい、謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい…私の力はそういう事も出来るみたいで…」
《そうか。千尋は私が護りたいと思う人間の子》
「あなたはこの竜の姿が本当の姿なのですか…?」
《…私は川の主だった…》
「…川の…神様…」
彼の言葉から、ひしひしと悲しみの気持ちを感じて、竜の身体に腕を絡める。
「人が自然を傷つけてしまうのは…何処の世界も同じですね。ごめんなさい」
《…本当に…千尋を思い出す…。あの子は今、どうしてるだろう…》
翡翠色の瞳から一粒の雫が零れ落ち、空へと散っていった。