昼間は力を鍛えるための訓練を中心に…夜は、芳准と二人でのゆっくりとした時間を過ごす。

そんな一日を、繰り返してゆく。


やがて訪れる緋影との決戦の時まで…。

それまでの時を惜しむように、芳准と同じ部屋で一晩を過ごす事が多くなった。



「…華音、愛しているのだ…愛してる」



華音が眠りに付いてから、髪を撫でながら額に…頬にそっと落とされる口付け。

自然と意識は醒めて、時折静かに紡がれるその思いに華音は気付いていた。

芳准の口から紡がれる、胸を締め付けられる程に切なさが含まれているその言葉。

本当は芳准を抱きしめて、想いを返したい。

しかし、華音は応えなかった。

応えてはいけないような気がした。


何になるだろうか。

華音は芳准が生きていく世界を遺していくことしか出来ないというのに。

余計に芳准を苦しめてしまいそうで…。

そんな思いがあるが故に…気付いていても気付かない振りをする。


気の変化に敏感な芳准に悟られぬよう、無理矢理にでも心を落ち着かせた。



「…心配になって様子を見に来てみれば…案の定、暗い顔してるな、井宿」



不意に響く、低音の声音。



「いつから居た…。盗み見なんて人が悪いぞ、軫宿」

「お前こそ人聞きの悪い事言うな。今来たんだ、今。余裕がないのが丸分かりだぞ？」



身体を起こして芳准は寝台から離れていく。

無意識の内に止めそうになっていた息を、静かにゆっくりと吐き出した。



「余裕なんて…ある訳ない。華音の前では普段通りを装っているつもりでも、ちゃんと出来ているか自信がないくらいなんだ。余計な心配させたくないのに…」



小さく静かに呟かれた芳准の本音。

華音には、どうすればそんなに強く在れるのかを教えて欲しいほど、動揺している素振りなど少しも感じられなかった。

心が苦しくなる。



「お前はちゃんと華音を支えてるし、お前のやり方は誰にでもそう簡単に出来るものじゃない。十分じゃないのか？少しは華音の前でも弱音吐いたらどうだ？
お前の弱さを受け止められないほど、華音は弱くないぞ？」

「俺が、駄目なんだ…華音に一つでも弱い部分を見せたら、歯止めが利かなくなりそうでそんな事は出来ない。奏姫としての役目を投げ出してでも生きて欲しいと、俺の傍にいて欲しいと望んでしまいたくなる。
今、華音に奏姫としての強い自覚が芽生えている以上、尚更弱音をぶつけるなんて事、出来ない」



――涙が溢れた。

芳准は心の葛藤を全て押し込めてまで、華音が望むがままに華音の力を鍛えてくれていた。

何も感じないはずはないのに―――…。

華音は声を押し殺して涙を流す。


気付いてはいけなかった、芳准の心の内。

私が知ってしまった事は、隠し通さなければ…。



「…華音？」



僅かに身じろぎをした為か。

それとも、気が乱れてしまったのか。

芳准が華音の名を呼んだ。


芳准や美朱たちに出会う以前までの演奏でそうしていたように、今心に存在する感情を全て取り払う。



「…軫宿、ありがとう。聞いて貰ったら少し楽になったのだ」

「俺は何もする事は出来ないが、あんまり思い詰めるなよ？」

「あぁ」



芳准から話を切り上げ、軫宿はそのまま部屋を出て行ったようだった。

寝台の方へ戻ってくる芳准の気配を感じて、華音は目を瞑る。

華音の隣まで来て、伸びてきた芳准の手が、ぎくり、と動きを止めた。



「…涙？華音、起きているのだ？」



華音の早鐘を打つ鼓動を知ってか知らずか、返答がない華音に、ふ…と笑みを浮かべた様子の吐息が漏れた。



「まさか、な」



芳准は目尻に残る華音の涙を指で拭うと、華音の隣に身を沈めた。



「おやすみ、華音」



胸の中へと身体を抱き寄せられ、芳准の呼吸は次第に静かな寝息のそれへと変わってゆく。

華音を抱きしめている芳准の腕から力が抜けた事を確認した華音は、芳准を起こさないようにしながら身体を動かす。



「…芳准…」



髪に…頬に、そっと手で触れる。



「…っ…」



芳准に拭って貰った涙が、再び華音の瞳から零れ落ちていく。



「…ごめんなさい…ごめんなさ…い…」



止め処なく零れる涙の内の一粒が、芳准の頬へと伝い落ちた。



「…ん……華音…」



一瞬、身じろぎはしたものの、芳准が目を覚ます様子はない。



「私も…愛しています、芳准」



先程応えられなかったその想いを、今、紡ぐ。

そのまま口を閉じて、“想華”の旋律を鼻の奥に響かせながら唄った。


華音の小さな声で紡がれるその唄は。

哀しみを乗せて…。

夜の闇に溶け込んでいく。


無常にも、日々を正確に刻む時は、待ってなどくれるはずもなく―――…。

その時を告げる予兆は、すぐそこまで迫っていた。