天上の月が嘲笑う:フォルトゥナ篇
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心ここにあらず。ある日のルティアを見たバージルはそんな印象を抱いた。
元気はある。というかむしろいつもより鬱陶しい。いらない世話は焼いてくるし、歩いていたらいちいちちょこちょこついてくるし。元々うるさいのが好みではない性分のバージルにとっては面倒なことこの上ないが何故だか突き放すことはしなかった。刃のような言葉を吐き捨てるのには慣れているはずなのに、彼女を前にするととたんに引っ込んでしまうのだ。自分でも訳が分からない。
かといって、バージルは優しくルティアのその態度の理由を問う訳でもない。理由を問いたださない代わりにさっさといつも通りになってしまえと無言で思っていた。少女の様子が違うとどうにも調子が狂って仕方がない。人知れず、バージルは苛々と不穏なオーラを漂わせ始めていた。
そんなバージルに気付かず……あるいは気付かないふりだったか、彼の歩幅に合わせて早歩きをしていたルティア。馴染みのパン屋で一番人気なパンを買えたとか友人―――もといレオノラと組手をしたら何故か全然勝てなかったとか他愛のない話をしていた。
―――べちゃっ。
「きゃっ…な、」
突然ルティアの紺色のワンピースに冷たい乳白色の塊が投げられた。
ルティアが思わず足を止め、隣を歩いていたバージルは何だと煩わしそうに視線を寄越す。
「え…」
「嘘つき!」
投げつけられたものがアイスだとようやく理解した瞬間、続けざまに放たれた言葉にルティアは固まった。
アイスを投げつけてきたのは、ルティアもそこそこ顔を知っている少年だった。確か、シェスタのいる孤児院で暮らしている。明るくて正義感の強い子だとシェスタが話していた。そんな少年は今、ルティアを目にしたかと思うと走り寄り、手に持っていたバニラ味のアイスで単色のワンピースに白を混ぜ開口一番に罵倒した。
「何をしているの!」
今にも泣き出しそうな少年と、そんな彼にどうすれば良いのか分からず固まったままのルティアの凍てついた空間に切り込んできたのは孤児院で働く女性だった。
女性は年老いていたが、年齢を感じさせぬほどの鋭い声とビンタで少年をぶつ。かなり痛そうな音が弾けた。女性は手加減はしなかったようで叩かれた勢いのまま床に尻餅をついた少年は頬にくっきりと痕を残していて、しかし少年はなおもルティアを睨み上げている。
「アンタ、騎士なんだろ!弱いやつを悪魔から守るひとなんだろ!?なのに何で、おじさんが悪魔に殺されたんだよ!」
ルティアは目を見開いた。らしくもなく少女の雰囲気がピキリと凍ったのを素早く察知したバージルはスッと観察するように目を細める。ルティアの顔はいつもとは別の意味で白くなっており、深い緑色の瞳には何か虚ろな暗さが渦巻いていた。バージルはずっと昔にその瞳を見たことがある。母の骸が横たわる光景に直面した自分と良く似た顔の弟を見た時、弟は彼女にそっくりな顔色と瞳をしていた。
「サム!」
女性が少年の名前を呼ぶ。無理やり立たせた少年を怒鳴り付けるとルティアに申し訳なさそうに何度も謝る。少年にも謝罪を促したが、彼はてこでも頭を下げなかったしその言葉も言わなかった。女性は粘っていたが少年も頑固で、これ以上ここで話していても仕方がないと悟ったのか、十分ほど経ってから渋々話を切り上げる。
女性はぶちまけられたアイスをせっせと片付けると眉を下げてせめて近くにある孤児院で服を洗うよう勧めてきたが、ルティアは曖昧に笑って誤魔化した。それでも申し訳なさからか女性は引き下がることは無かったが、最後はルティアが明るい声で強制的に締めてバージルを連れて半ば逃走するようにその場から去った。ルティアの笑顔は少年以外の皆が分かるくらいにぎこちなく、相変わらず憎悪の宿った少年の睨みをひしひしと感じていたからか頼りなかったが、ルティアはずっと笑顔を貫き通した。
ただ静かに傍観していただけだったバージルはルティアに手を引かれても何も言わず成されるがままだった。ルティアもそのほうが有り難かったのでただ手にある艶やかなコートの感触だけを感じていた。だが、それも長くは続かない。
「…何なんだ。さっきの餓鬼は」
数えきれないほどの人の間を切り抜け続け、すれ違う人がとうとう居なくなってからバージルは成されるがままだった体に力を入れて立ち止まった。
普通の男性よりは力のあるルティアと言えど彼には叶わず、つられて立ち止まる。バージルは不愉快そうなのを隠すことなくルティアに問いかけた。
ルティアは数秒ほどの沈黙の後、言いにくそうにぽつりと返した。
「…そう、ね…うーん、……私の知り合いと親しかった子…かな」
ルティアの声は少年の前から立ち去った時のようにちぐはぐに明るかった。バージルからルティアの顔は見えず、どんな表情をして話しているのかは分からない。しかし、察しはついていた。ルティアの表情もあの少年との関係も何となくだが、分かる。かといってバージルは何か口出しをするでもなく、ただ無言でルティアの言葉を待つだけだ。
「それだけだよ。その他には何もない。……早く行こう。服替えないと」
ルティアは深く掘り下げることなく、きっぱりと言い切った。彼女の手が頼りなく裾を掴み直してきたことにバージルは気付いていたが、前を歩く少女の靡く金色を一瞥しただけだった。
元気はある。というかむしろいつもより鬱陶しい。いらない世話は焼いてくるし、歩いていたらいちいちちょこちょこついてくるし。元々うるさいのが好みではない性分のバージルにとっては面倒なことこの上ないが何故だか突き放すことはしなかった。刃のような言葉を吐き捨てるのには慣れているはずなのに、彼女を前にするととたんに引っ込んでしまうのだ。自分でも訳が分からない。
かといって、バージルは優しくルティアのその態度の理由を問う訳でもない。理由を問いたださない代わりにさっさといつも通りになってしまえと無言で思っていた。少女の様子が違うとどうにも調子が狂って仕方がない。人知れず、バージルは苛々と不穏なオーラを漂わせ始めていた。
そんなバージルに気付かず……あるいは気付かないふりだったか、彼の歩幅に合わせて早歩きをしていたルティア。馴染みのパン屋で一番人気なパンを買えたとか友人―――もといレオノラと組手をしたら何故か全然勝てなかったとか他愛のない話をしていた。
―――べちゃっ。
「きゃっ…な、」
突然ルティアの紺色のワンピースに冷たい乳白色の塊が投げられた。
ルティアが思わず足を止め、隣を歩いていたバージルは何だと煩わしそうに視線を寄越す。
「え…」
「嘘つき!」
投げつけられたものがアイスだとようやく理解した瞬間、続けざまに放たれた言葉にルティアは固まった。
アイスを投げつけてきたのは、ルティアもそこそこ顔を知っている少年だった。確か、シェスタのいる孤児院で暮らしている。明るくて正義感の強い子だとシェスタが話していた。そんな少年は今、ルティアを目にしたかと思うと走り寄り、手に持っていたバニラ味のアイスで単色のワンピースに白を混ぜ開口一番に罵倒した。
「何をしているの!」
今にも泣き出しそうな少年と、そんな彼にどうすれば良いのか分からず固まったままのルティアの凍てついた空間に切り込んできたのは孤児院で働く女性だった。
女性は年老いていたが、年齢を感じさせぬほどの鋭い声とビンタで少年をぶつ。かなり痛そうな音が弾けた。女性は手加減はしなかったようで叩かれた勢いのまま床に尻餅をついた少年は頬にくっきりと痕を残していて、しかし少年はなおもルティアを睨み上げている。
「アンタ、騎士なんだろ!弱いやつを悪魔から守るひとなんだろ!?なのに何で、おじさんが悪魔に殺されたんだよ!」
ルティアは目を見開いた。らしくもなく少女の雰囲気がピキリと凍ったのを素早く察知したバージルはスッと観察するように目を細める。ルティアの顔はいつもとは別の意味で白くなっており、深い緑色の瞳には何か虚ろな暗さが渦巻いていた。バージルはずっと昔にその瞳を見たことがある。母の骸が横たわる光景に直面した自分と良く似た顔の弟を見た時、弟は彼女にそっくりな顔色と瞳をしていた。
「サム!」
女性が少年の名前を呼ぶ。無理やり立たせた少年を怒鳴り付けるとルティアに申し訳なさそうに何度も謝る。少年にも謝罪を促したが、彼はてこでも頭を下げなかったしその言葉も言わなかった。女性は粘っていたが少年も頑固で、これ以上ここで話していても仕方がないと悟ったのか、十分ほど経ってから渋々話を切り上げる。
女性はぶちまけられたアイスをせっせと片付けると眉を下げてせめて近くにある孤児院で服を洗うよう勧めてきたが、ルティアは曖昧に笑って誤魔化した。それでも申し訳なさからか女性は引き下がることは無かったが、最後はルティアが明るい声で強制的に締めてバージルを連れて半ば逃走するようにその場から去った。ルティアの笑顔は少年以外の皆が分かるくらいにぎこちなく、相変わらず憎悪の宿った少年の睨みをひしひしと感じていたからか頼りなかったが、ルティアはずっと笑顔を貫き通した。
ただ静かに傍観していただけだったバージルはルティアに手を引かれても何も言わず成されるがままだった。ルティアもそのほうが有り難かったのでただ手にある艶やかなコートの感触だけを感じていた。だが、それも長くは続かない。
「…何なんだ。さっきの餓鬼は」
数えきれないほどの人の間を切り抜け続け、すれ違う人がとうとう居なくなってからバージルは成されるがままだった体に力を入れて立ち止まった。
普通の男性よりは力のあるルティアと言えど彼には叶わず、つられて立ち止まる。バージルは不愉快そうなのを隠すことなくルティアに問いかけた。
ルティアは数秒ほどの沈黙の後、言いにくそうにぽつりと返した。
「…そう、ね…うーん、……私の知り合いと親しかった子…かな」
ルティアの声は少年の前から立ち去った時のようにちぐはぐに明るかった。バージルからルティアの顔は見えず、どんな表情をして話しているのかは分からない。しかし、察しはついていた。ルティアの表情もあの少年との関係も何となくだが、分かる。かといってバージルは何か口出しをするでもなく、ただ無言でルティアの言葉を待つだけだ。
「それだけだよ。その他には何もない。……早く行こう。服替えないと」
ルティアは深く掘り下げることなく、きっぱりと言い切った。彼女の手が頼りなく裾を掴み直してきたことにバージルは気付いていたが、前を歩く少女の靡く金色を一瞥しただけだった。