【その他】
"その人"はいつも突然やってくる。
身の丈六尺の大男。その体格の良さとは裏腹に(というのも失礼だろうか)、物腰が柔らかく、若いのにそこはかとなく色香のある人だった。
しかも女の扱いに長けていて、誰に対しても優しいが、適度に軽口を叩く。それが妙に心地好くて、その人がふらりとやって来ると私の仲間たちは誰しも相手をしたがった。しかし、決まって私を指名する。何故かは解らなかったが、それが私にはちょっとした自慢でもあった。
その人に名を聞くと「曲者だよ」と答えた。
話をすると言葉の端々に教養を感じることもあり、この人は身分のある御仁がお忍びで来ているのではないかと噂になった。
私はこの曲者さんが好きだった。
本来ならこちらがもてなすべきお客様であるのに、彼はとても優しく私に触れる。仕事だということを忘れそうになるくらい、私をとびきり甘やかす。
彼と話をするのもとても楽しかった。
子どもの頃いたずらっ子だったとか、兄貴分が真面目すぎて疲れるだとか、そんな他愛のない話でも彼の話が聞けるのが嬉しかった。
まるで恋人にでもなったような心地がした。
もっとたくさん会いに来てほしい。
もっともっと一緒にいたい。
そんなことは伝えられはしないけれど……
一度戯れに
「私を貰ってくれない?」
と言ったことがある。
彼は、嘘かホントか分からないけれど困った笑顔でこう言った。
「それは難しい。私には許嫁がいるからね」
「それならこんなところに来てたらダメじゃない」
「そうだよねぇ。バレたら嫌われてしまうかな」
「そうよ。女は一途なのが好きなのよ」
「でも困ったな。そしたら私は君に会いに来れなくなってしまうね」
そう言われると、もう何も言えない。私は絶対にこの人のものにはなれないのに、ただ今はこの甘いひとときに身を任せていたくなる。
「ね、その許嫁ってどんな人?」
「君に負けず劣らず可愛い子だよ」
「結婚はいつ?貴方もう適齢期じゃないの」
「さぁ、いつになるかなぁ。彼女、まだ子どもだからねぇ」
男盛りのこの人に子どもをあてがうなんて、政略結婚というやつだろうか。彼がそんなに乗り気でないなら嬉しいだなんて思うけど、彼の心情は読み取れない。
「ではかの光源氏のように自分好みの女にお育てしたら?」
ちょっと意地悪のつもりで言ってみた。
「あんな浮気者と同じにされるのは心外だ」
「……私は浮気ではないの?」
「今、関係を持ってるのは君だけだよ。私は一途だからね」
「なにそれ、ズルい!許嫁殿に全てバレてしまえば良いわ。愛想つかされて破談になれば良いのよ」
「はっはっはっ、そしたら君に慰めてもらおうかな」
彼は間違っても"そしたら君を妻にもらおうかな"などとは言わない。私もそれ以上は聞けない。どう足掻いたって無理なのだ。名前すら明かしてもらえないこの関係は、これ以上進むことは絶対にない。
ねぇ、貴方は何者なの?
やっぱり身分のある方なのかしら。それともとんでもない悪人で追っ手から逃げ回る身なのかしら。
「しばらく来られない」
ある日、彼はそう言った。
何でも大きな仕事があるのだとか。
彼は紙と筆を取り、何かを書いたと思うと血判を押してからまとまったお金と一緒に私へ渡した。
「この先、どうしようもなく困ったらこれを持ってタソガレドキへおいで。きっと助けるから」
「……なんて書いたの?私、字はあまり読めない」
「"タソガレドキ忍軍 雑渡昆奈門"。私の名だよ」
「貴方……忍者だったの」
「うん」
ではきっと、ここに通っていたのも仕事のうちなのだろう。その仕事は終わったから、もうここには来ないということだろう。
なぜ、最後になって名を明かすの。
「……妻にしてくれないなら、貴方の助けなんていらない」
「そうか……。でもそれは置いていくから、好きにして」
こんな時でも、この人は愛の言葉など絶対に言わない。ずっとずっと嘘でも良いから欲しかった。でもそれはついに叶わなかったのだ。
「君と過ごす時はとても楽しかったよ。ありがとう」
「ねぇ、最後にもう一回抱いて」
「できない」
「どうして?」
「許嫁に"大人になるまで脇目を振るんじゃないよ"と言ってしまったものだから。私が裏切る訳にいかないでしょ」
「バカな人。これまで散々してきたくせに。何故、今さら自分を追い詰めるようなことを言うのよ」
「だってねぇ、あの子の親父殿すごく怖いんだ。こうやって自分を律しないと、いつかバレて地獄を見ることになる」
「地獄を見れば良いのよ」
「ははっ、手厳しいな」
「……さようなら。元気でね」
「うん。君もね」
雑渡昆奈門さんが去ると、私は彼の名が書かれた紙を指でなぞった。
なんて人なの。忍者が名を明かすなんて。
この名を、私が周囲に明かさないとでも思ってるのかしら。
"ざっとこんなもん"
その字とその名の響きを必死で覚えると、私はその紙を破って燃やした。
終
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【あとがき(長編&過去編ネタバレあり)】
雑渡さんのお相手は「男なんざ!」の夢主でしか書けなくなっていた私ですが、過去ならいける!と思い書いてみました。片想いだけど…
"許嫁"は本編夢主のことです。
過去編をご覧いただくと分かるかと思いますが、本編夢主は子供の頃雑渡さんに「嫁ぎたい」と言っていて、雑渡さんは戯れで「大人になるまで脇目を振るな」と応じています。もちろん当時は本気で結婚するとは思っていませんでした。
なので、本編夢主を許嫁と言ったのは、今回の話のヒロインにこれ以上踏み込ませないための方便(半分本当だけど)です。
とまあ、こんな設定でした。
過去編まだ読んでない方は良かったらご覧ください。
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