教場内はすでに候補生たちが着席しユーは澄ました顔でコーギーを連れて奥にある後ろの席へ着席する。ビリーは背後にいるユーを尻目に見て、彼女は険悪な雰囲気が無自覚に作り上げているのを立っていく鳥肌を見やって自覚した。マーリンは候補生たちに目をやってからこう言い渡した。

「きっかり一時間以内にテストを終わらせるんだ。では、始め」

　その言葉と同時に候補生全員は頭を伏せ、机の上に置かれたテスト用紙に答えを書き込み始めた。二日目の試験が始まったとユーは真面目な候補生たちを余所（よそ）にそう思いながら、コーギーの頭を一つ撫で上げてテスト用紙の解答欄に鉛筆の黒鉛（グラファイト）を擦り込んだ。



　朝のテストから深夜の訓練へ一転してユーとルースは迷彩服を着付け、森の中にスッと息を潜めていた。ルースはボトルアクション式狙撃銃のAX50を構え、ユーは双眼鏡で動く人形の位置を捉える。遠距離射撃を用いた暗殺の訓練をユーは熱心に人形の位置をルースに伝える。

「目標800メートル。準備が済み次第、撃て」
「了解、目標を確認。ところで、ユー。貴女の子犬は平気？」
「もうすっかり平気よ。あのクソ野郎、生意気な面に犬の糞を塗らせてやりたいわ」
「貴女の素面ってそんな感じなのね」

　ルースは狙撃銃の暗視スコープで覗き、引き金を引いた。標的であった人形の頭は見事に撃ち抜かれ、そこから煙が空（くう）へと立ち昇る。ユーは優秀な射撃能力を見せたルースを褒め称え、ニコリとルースは微笑んだ。ユーは目を細めて笑いながらこう言う。

「ただ礼儀正しくいるだけよ。そのほうが人受けがいいでしょ」
「それ、売春婦の台詞に聞こえるわ」
「なにそれ、ちょっと意味がわからない」
「貴女は少しでも生きやすくしたいから礼儀正しくいるんでしょ。上級階級出身もそうよ。仕種も発音も与えられる教育も、人受けを良くするためにやらされるの。貴女と私は何も変わらない、私たちは張られた階級で人生を左右されてるのよ」

　ユーは薬物中毒に陥り亡くなった父をふと思い浮かべた。どれほど知識を蓄えても父との会話など到底、無理であった。深くソファーに座り込み死にかけた犬のような目でテレビを見て、時折には何かの拍車がかかったように突然と涙を流す人だった。ユーはそんな父をひたすらに憐れみの気持ちで眺めていた。

　そして父の死で彼女は知識と努力は無駄なものと思い知らされ、父を救えなかったことに激しい後悔の念を心へ刻むことになった。父に向ける憐れみの気持ちは父の死後なおも消えずにユーの心を鎮座している。彼女は未（いま）だにはっきりとしない重荷を両肩に乗せられ、ひっそりと苦しんでいた。

「ルース、私、もうわからない」
「焦ってはいけないわ。それは、いつか必ずわかるようになるから」

　ユーの弱々しく零した発言にルースは優しく微笑みトンと力がなくなったユーの背中を押す。ユーはルースを深い信頼を抱きルースはユーを深い親愛を抱いて、奥深い友情を互いの影の中で築いていた。二日目の訓練を終えた二人は素面を出して他愛の無い会話を弾ませながらマーリンに訓練が完了したことを報告へ向かった。



　その同日、イタリア共和国領のシチリア島パレルモ県チェファル市にティモン・ガラニス”はシチリア・マフィアが経営するバーの個室で“シチリア・マフィアのボスと対談をしていた。ガラニスは一生の幸福という夢を邪魔されたことにソファーにもたれ、だらしなく足を投げ出しご機嫌斜めの表情をして悪態をついている。

「あの男がひどく腹立たしい」

　指の頭の皮を口でちぎり歯で噛み砕くガラニスは淀んだ目を開き、タソス島のパーティーに潜んでいたエグジーを撮影した衛生写真を強く睨んだ。テーブルに置かれていた葡萄酒（ぶどうしゅ）の瓶を掴み、喉へ流し込むガラニスにシチリア・マフィアのボスはこんなことを口にする。

「人の願望は必ず人が邪魔するものだ」
「なら、この男は私の願望を邪魔したことが間違いだったな」
「だが、こいつの遺体がなかったらしいな」
「ああ、そうだよ。この男は政府にいるような奴じゃなければ一般人でもない。身分を徹底的に隠しているところを見れば、とんでもない妨害者に私たちは出会ったんだ」

　深刻だと顔面を青ざめさせるガラニスと違って、シチリア・マフィアのボスは高らかに大笑いをする。やがてボスは飲み干した葡萄酒の瓶を手に持ち、地面に叩きつけた。葡萄酒の瓶は粉々に割れ、床に飛び散った破片をボスは追い討ちのように靴で踏み付ける。ガラニスは奇妙な行動を取ったボスをじっと見据えた。

「葡萄酒（これ）のように粉々にすればいいんだ。俺たちは誰かに夢を壊されるほど脆弱じゃないだろう？」
「嗚呼、そうか。そうだったな。私はどうして、こんな男に取り乱してしまったんだろう」
「やっと気を鎮めてくれたか。ほら兄弟、楽しい気分になりたくないか？　もっと葡萄酒を飲みたくないか」
「ありがとう、ぜひとも葡萄酒を飲もう」

　癇癪を持つガラニスをシチリア・マフィアのボスはウェイターを呼び、五つほどの葡萄酒を持って来させた。ガラニスのワイングラスに葡萄酒を注ぎ、ガラニスは満たされたワイングラスを喉を通し胃へ流していく。甘いアルコールの味に存分と労（いたわ）れたガラニスは幸福な気分になり、シチリア・マフィアのボスはまた高らかに個室から漏れるほどの大笑いをした。