連作:出られない部屋
「ない! さすがにこれはない!」
力の限りを込めた大声で比鷺が叫ぶ。
「俺達そもそもちょっと特殊な知り合いっていうか、業務上の付き合いっていうか、付き合いっても恋人とかそんなんじゃねーし! ていうか友達でもないし!」
ぎゃあぎゃあと喚き散らかす比鷺と違い、萬燈は何事かを考えているようで無言であった。喚き疲れた比鷺が
壁にもたれてずるずると座り込むまでの間、いったい何をそんなに考えることがあるのかというぐらい無言を貫いていた。
「九条比鷺」
「……な、なに」
名を呼ばれ怯んだ比鷺を落ち着かせたいのか、萬燈がゆっくりと先を続ける。
「俺はここから動かねえから、しばらく落ち着いて休むといい」
萬燈もいつの間にか比鷺と同じく壁にもたれて座っていた。ざっと二人分ほど離れた場所にいるのは、プレートの文言への拒否感が強い比鷺の為かもしれず、それは素直にありがたいと思えた。
「お前さえ良ければ、肩でも貸してやれるんだがな」
「えっと、俺……」
「気にするな。壁よりはマシだろうと思っただけだ」
萬燈の苦笑めいた笑みなんて、見たことのある人間なんているんだろうか。まるで言うべきではないことを思わず口に出してしまって気まずい、みたいなそんな表情を。
「……じゃあ、ちょっとだけ、肩借りようかな」
この混沌とした状況に陥ってから随分と助けられていることを今更ながらに思い出す。苛立ちまぎれとはいえ業務上の付き合いだとか言い過ぎたかもしれない、とも思う。だけど改まって謝るのもなんだか違う、気がする。だからそのかわりに、萬燈に近付いてみようと思った。自分から。少しだけ。
「いいのか?」
「変なの。そっちから言ったのに」
「……そうだったな」
萬燈のかっしりとした肩は、驚くほどにしっくりと比鷺を支えてくれた。その弾力と温かさに、ただ固いだけの壁とは比べようもない安心感を覚える。
それから二人は訥々と他愛もない話をした。それぞれやチームメイトの近況を、当たり障りのない範囲で。いつしか比鷺の話題は尽き、聞き手に回ることになっていたが、萬燈の語りはとにかく面白い。朗々とした声で披露されるエピソードに果てはないようにも思われた。なので比鷺は気付かなかった。萬燈が徐々に声のトーンを落としていたことに。
「ふあ……」
「寝るのか?」
こくりこくりと船をこぎ始めた比鷺を、萬燈が揺らす。
「うん、ちょっとだけ、そうしようかな。……あのさ、」
ほとんど閉じかけていた目蓋をかろうじて開き、このまま肩を借りていてもいいか、と問おうとした開きの先手を萬燈が打った。
「その前に少しだけ、お前に触れてもいいか?」
「……えっと」
「絶対に、とは言えねえが、極力お前を害することはしねえ」
「いいよ」
あっさりとした了承の返事に、聞いた側の萬燈が一瞬だけ言葉を遅らせた。
「……いいのか?」
「変なの。そっちから……ってこれ、さっきも言ったかも」
「は、そうだな。……本当にいいのか?」
「うん」
「そうか」
萬燈の手が比鷺の前髪を軽く上げる。比鷺はもう一度目を閉じる。
「これはおやすみのキス、だ」
額にそっと触れるやわらかな感触は、存外心地の良いもので、比鷺に訪れていたふわふわとした眠気の邪魔にはならなかった。いけないことかもしれないけれど、これが自分を害することだなんて、思えそうもなかった。
「これでなんっで夢オチになんないの!?」
「こうなりゃ穏当な題目を期待するしかねえな」
「ノーモアメタ発言!」
「……そっちのがよっぽどじゃねえのか?」
力の限りを込めた大声で比鷺が叫ぶ。
「俺達そもそもちょっと特殊な知り合いっていうか、業務上の付き合いっていうか、付き合いっても恋人とかそんなんじゃねーし! ていうか友達でもないし!」
ぎゃあぎゃあと喚き散らかす比鷺と違い、萬燈は何事かを考えているようで無言であった。喚き疲れた比鷺が
壁にもたれてずるずると座り込むまでの間、いったい何をそんなに考えることがあるのかというぐらい無言を貫いていた。
「九条比鷺」
「……な、なに」
名を呼ばれ怯んだ比鷺を落ち着かせたいのか、萬燈がゆっくりと先を続ける。
「俺はここから動かねえから、しばらく落ち着いて休むといい」
萬燈もいつの間にか比鷺と同じく壁にもたれて座っていた。ざっと二人分ほど離れた場所にいるのは、プレートの文言への拒否感が強い比鷺の為かもしれず、それは素直にありがたいと思えた。
「お前さえ良ければ、肩でも貸してやれるんだがな」
「えっと、俺……」
「気にするな。壁よりはマシだろうと思っただけだ」
萬燈の苦笑めいた笑みなんて、見たことのある人間なんているんだろうか。まるで言うべきではないことを思わず口に出してしまって気まずい、みたいなそんな表情を。
「……じゃあ、ちょっとだけ、肩借りようかな」
この混沌とした状況に陥ってから随分と助けられていることを今更ながらに思い出す。苛立ちまぎれとはいえ業務上の付き合いだとか言い過ぎたかもしれない、とも思う。だけど改まって謝るのもなんだか違う、気がする。だからそのかわりに、萬燈に近付いてみようと思った。自分から。少しだけ。
「いいのか?」
「変なの。そっちから言ったのに」
「……そうだったな」
萬燈のかっしりとした肩は、驚くほどにしっくりと比鷺を支えてくれた。その弾力と温かさに、ただ固いだけの壁とは比べようもない安心感を覚える。
それから二人は訥々と他愛もない話をした。それぞれやチームメイトの近況を、当たり障りのない範囲で。いつしか比鷺の話題は尽き、聞き手に回ることになっていたが、萬燈の語りはとにかく面白い。朗々とした声で披露されるエピソードに果てはないようにも思われた。なので比鷺は気付かなかった。萬燈が徐々に声のトーンを落としていたことに。
「ふあ……」
「寝るのか?」
こくりこくりと船をこぎ始めた比鷺を、萬燈が揺らす。
「うん、ちょっとだけ、そうしようかな。……あのさ、」
ほとんど閉じかけていた目蓋をかろうじて開き、このまま肩を借りていてもいいか、と問おうとした開きの先手を萬燈が打った。
「その前に少しだけ、お前に触れてもいいか?」
「……えっと」
「絶対に、とは言えねえが、極力お前を害することはしねえ」
「いいよ」
あっさりとした了承の返事に、聞いた側の萬燈が一瞬だけ言葉を遅らせた。
「……いいのか?」
「変なの。そっちから……ってこれ、さっきも言ったかも」
「は、そうだな。……本当にいいのか?」
「うん」
「そうか」
萬燈の手が比鷺の前髪を軽く上げる。比鷺はもう一度目を閉じる。
「これはおやすみのキス、だ」
額にそっと触れるやわらかな感触は、存外心地の良いもので、比鷺に訪れていたふわふわとした眠気の邪魔にはならなかった。いけないことかもしれないけれど、これが自分を害することだなんて、思えそうもなかった。
「これでなんっで夢オチになんないの!?」
「こうなりゃ穏当な題目を期待するしかねえな」
「ノーモアメタ発言!」
「……そっちのがよっぽどじゃねえのか?」
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