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短編

『けどさー、眼鏡あると面倒だよね』
『角度とかもだけど、当たると冷たいし』
『……それに、当たり判定でかいし』

 生配信中の、ただの雑談のはずだったのだ。それがどうしてこんなことに。ドキめもFGの眼鏡キャラをRTAで攻略してみたら面白いかもしれない! なんて思いつかなければよかった。いまの比鷺の脳内を占めるのはその思考に尽きる。

[くじょたんって眼鏡かけてたっけ][でもいまの言い方、メガネは相手でしょ][えっくじょたんに眼鏡の彼女!?][待て待て彼氏かもしんないだろ!][くじょたんに恋人発覚!?][マジか][速報じゃん][ファン止めます!][いや暖かく見守ってやろうぜ]
 くじょ担たちの疑問と煽りと担降りと励ましと。次々と流れてくるコメントの激流に、堪えきれず比鷺は声を張り上げた。
『いない! 恋人なんかいないってば! 勝手に決めつけんなよな!』
 後の世にいう【くじょたんに眼鏡の恋人発覚疑惑の回】である。まったく冗談ではない。まさか自分に眼鏡の恋人がいる疑惑(疑惑じゃなくて真実だけれど)が、出るだなんて! 

「あーーーー、やらかしたぁ……」
 なんとか攻略と配信を終え、ベッドの上で毛布に包まり比鷺が唸る。幸か不幸か、コメントの盛り上がりは[まあ、くじょたんに恋人はまだ早い]と早々に収束した。されど、この回だけをアーカイブから消してしまう訳にはいかない。やましいことがありますと自白しているも同然で、非常によろしくないことになってしまう。炎上慣れしている比鷺は、いまや静観するという手段も取れるのだ。
 ところで、比鷺の恋人であるところの眼鏡の君、つまり萬燈夜帳であるが、間の悪いことにとある文学祭に招かれ海外に出向いていた。帰国はしばらく後の予定だが、帰ってからは遠出をしていた分の仕事が立て込むことだろうし、すぐに会えるとも限らなかった。
 不安なときにすぐに会えないのは辛い。でも仕事の邪魔はしたくない。けど『恋人なんかいない!』と断言した音声を聞かれたりしたら、大抵のことを鷹揚に受け止める萬燈にだって呆れられるかもしれない。最悪の場合、嫌われてしまうかもしれない。それは困る。すごく、困る。
「ううー、どうしよー……」
 三言に相談しようか? それとも遠流に? だけど二人には萬燈との付き合いを、はっきりと伝えたことはない。薄々察せられているかもしれないが、それにしても自らの失言を発端として話すのはあまりに格好がつかない気がした。九条比鷺も成長しているのだ。少しずつ、だけれど。
「とにかく、帰ってくるのを待とう。うん、それまでは出来るだけ大人しく」

 エゴサの回数を抑えめにするのは、三日も持たなかったけれども、結局幼馴染みたちに連絡を取ることもなく、比鷺は毎日を粛々と過ごす。やれば出来るの一念で。そうしているうちに、十日ほどがあっという間に過ぎた。あっという間だったけれど、比鷺にとってはとても長い時間が。

 萬燈は帰国後すぐに連絡を寄越したが、かなり急ぎの案件を抱えているらしく、数日を空港近くのホテルで過ごすとのことだった。普段なら何の疑いもなく信じられたと思う。けれど、いまの比鷺の思考はマイナスに偏ってしまっていて、すぐに帰って来てくれないのは、例の配信が原因じゃないのか。帰ってきたそのときが別れを告げられる日になるんじゃないかと、気が気でなかった。だって俺だったら俺なんて恋人にしない確信がある!

 だからだろう。ある昼に起き出したリビングで、優雅にコーヒーを飲む萬燈を見つけたとき、「おかえり」よりも先にずっと考えていたことがこぼれ落ちてしまったのは。
「俺のこと、もう好きじゃなくなったかと思った」
「……唐突だな。どうしてそう思った」
「だって俺ってば、すぐ調子に乗るし、すぐヘコむし、すぐぎゃーぎゃー騒ぐし、炎上ばっかするし、めちゃくちゃめんどくさいじゃん……」
「それはそうだな」
 萬燈の肯定に、比鷺はひくりと喉を鳴らした。頭を殴られたような衝撃が襲い、目に熱いものがこみあげてくる。おまけに心臓も締めつけられて、すごく苦しい。
「だが、そういうところも含めてお前だろう。今になってどうした」
「だ、だって……」
「俺はな、お前が好きじゃねえお前だって、俺の選んだ〝九条比鷺〟を形づくる大事な一部だと思ってる。だからそう、お前自身を嫌ってくれるな」
「お、俺……でも……」
「その様子じゃ、俺がいない間に何かあったようだな。話せるなら聞く。無理なら……そうだな、泣きたいなら泣けばいい。ハンカチ代わりに使え」
 両手を軽く広げた萬燈に、比鷺はおずおずと近付く。そっと服の端を掴んでみると、応えるように抱きしめられた。その暖かさに、じわりと滲む涙を見られたくなくて下を向こうとしたのに。
「……眼鏡、濡れちゃうよ」
「構わねえよ」
 やっぱり当たると少し冷たい。慣れた角度に首を傾けながら、比鷺はゆっくりと目を伏せる。薄く張った涙の向こうに、萬燈がいる。いまはそれだけで十分だった。
 
 
※ドキめもFG ドキドキめもわーる For Girls
 管弦楽部の顧問をしている国語科教師は丸眼鏡着用。
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