Believe in Magic



2. grass on your hair, but(and) i love you


ある晴れの日、セフィーロ城下の広場は多くの人々でごった返していた。食品を売る者、衣類を売る者、芸を披露する者、物色、観覧する者などさまざまだ。

広場へ出て、海はまずその人の多さに驚いた。今までも時おり街や城下へ出ることはあったが、その際には、これほど多くの人間がセフィーロに存在していたとは思いもしなかった。いったいこの国のどこにこれだけの人達が隠れていたのか。ちょうどこの頃、春のいぶきを感じて人口密度が突発的に上がった休日の東京を思わせた。

「セフィーロにもお祭りがあったんだな!」
はしゃぎまわり今にも迷子になりそうな光を、ランティスが心配げな眼差しで見守っている。
風はと言えば、この賑わいに少々たじろぎつつも、しかと観察の目を光らせている。
「どちらかというと、バザーに近い感じもしますね」
と神妙に言うと、フェリオが「バザー?」と聞き返すので、その意味を丁寧に説明していた。そんな友人たちの様子に、海の口角も知らずと上がる。

平和だ。こんな日々が、いつまでも続けばいいと思う。けれど、海の中には一つ、小さな欲のような感情も出てきていた。
この国の魔導師の姿を、今日はまだ見ていない。彼もきっと視察で来ているはずだ。光やランティスたちとのように確固たる関係性があるわけではなく、まして想いは秘めたまま。当然、今日とて約束らしい約束はしていない。先日、「行くの?」と聞けば「ああ」とだけ返されたことを思い出す。そんな次第なので、海は、なんとなく、ばったり会えたらいいな、ほどの気持ちでその祭りを親友たちと共に楽しむことに集中した。
なにごとも期待はしないに限る、そう自分に言い聞かせ、小さな欲を胸の中へ収める。

あれこれと店を回っていると、見知った金髪の創師が、見知らぬ茶髪の男性と連れ立っているのが見えた。なにやら立ち止まって親しげに話し込んでいる。
「お見掛けしたことのない方ですわね」
「まさか……プレセアの彼氏とか…?」
節操がないとは思っても、その美男美女の連れ立ちを見てはそう囁かざるを得なかった。
「かっこいい人だな!」
光が、あっけらかんと言った。誰も言わなければ自分が言おうと思っていた。しかし、人様の恋人をそういう風に表現するのはなんとなく下世話に感じられ、一呼吸待っていたところだった。風も同じ様子だったが、彼女は真横に名実共の王子がいるので、尚のこと言わないだろう。光が言うとなぜか下世話な感じにならないのは、彼女の特性だな、と海は思う。

「あれは、邪魔しないほうがいいよな?」
フェリオが手のひらを壁にして囁く。この距離なら聞こえるはずもないが、そうしたくなる気持ちはわかる。
全員がコクコクと頷き、彼女たちを避けて遠回りをすることが全会一致で可決された。しかし、この五人の並び立ちはやはり目立つらしい。「おーい」と呼びかける声に振り返ると、プレセアがこちらに向けて大きく手を振っている。隣の茶色い頭もぺこりと下がった。
五人で顔を見合わせ「まあ呼んでいることだし」と、プレセアたちの元へ進むことにした。



いかにも人の好さそうな顔立ちをした茶髪の青年は、名をイースというらしい。
「プレセアのお弟子さん!?」
五人が一様に驚きの声をあげると、恋人と間違えられたプレセアとイースは可笑しそうに笑った。
「プレセア様には幼少の頃からお世話になっています。とはいえ僕は武器創りのほうは不得手なんですが……」
身の上を説明する慇懃な口調は、穏やかで大人びている。近くで見ると、その眉目秀麗な顔立ちに、恋心ではない部分の心臓がドキリとした。
「幼少の頃」ということは、彼が見た目通りの年齢であれば十年か二十年は昔のこととなる。「つまりその頃に師事されていたプレセアは……
「最高位の導師であるクレフさんが七百歳以上ということは……」
「じゃあ最高位の創師のプレセアはいったい……」
いつの間にか一同の思考は声に出ていた。
「ちょっと、フウ! ウミ! 変な計算しないでくれる?フェリオも指を折らないで!」
プレセアが腕を組み、こちらを睨んだ。
「あの、今日はイースさんもお店を出されるんですか?」
取り繕うように、というわけではないが風がイースの荷を見て尋ねた。
「ええ。在庫が増えてきたので、一商売させてもらおうかと」
と言うと、イースは手にしていた大きな木製のトランクを露店用にこしらえた台の上にごとりと乗せ、錠をカパと開いた。トランクの中身がお目見えすれば、少女たちの声が、「わあ!」と重なって弾けた。

もし彼が東京にいれば、宝石商だと思われるだろう。もしくはセフィーロでも宝石商なのかもしれない。
広げられたトランクの中には、腕輪、指輪、首飾りに冠、宝玉の原石などがひしめき合い、美しく輝いていた。

「きれいだな!」
「きれいなだけじゃないのよ」とプレセアが顔を綻ばせて言う。
「イースは導師クレフから直接魔法を授かっていてね。魔力増幅に特化した宝飾品を創ることにかけては右に出るものはいないわ。ものによっては私よりも良いものを作るのよ」導師の装飾品もイースの先代が……と、まるで自分のことのように鼻高々に教えてくれた。きっと自慢の弟子であろうことが見てとれる。話の内容からしても、妄信的親バカで言ってるわけでもなさそうだ。

「皆さんも、ぜひ見て行ってください。冷やかし大歓迎です」とイースが言うので、遠慮なく見せてもらうことにする。どれも美しい宝飾品ばかりで、目移りせずにはいられなかった。
しばらく眺めたところで、海の目線が、一つの指輪にとまった。地球で言えば、シルバーかプラチナといったところか、銀色のリングの石座には、小ぶりな透明の石が二粒ついており、ほかの煌びやかな宝飾品と比べても特にこれといった絢爛さはないにもかかわらず、なぜか惹かれてしまう。

あまりに熱心に見つめていたからか、イースが、その指輪をピローから外し、海のほうへ手渡してきた。
「お目が高いですね」
素手で触って良いものかと躊躇う。しかし、「お近くでどうぞ」とイースが差し出すので、そのまま受け取った。
指輪を空へかざしてみれば、カットの異なる二粒の石は自然光をそれぞれに反射した。おりなす光はいつまでも見ていられるほど美しい。しばらく光の反射を楽しんでいると、左右隣から、「どれか買ってやろうか?」とランティスとフェリオが、光と風に声をかけているのが聞こえた。

「いいわねえ。二人ともお優しい王子様方で」と茶化すと、二人がそれはかわいらしく照れるので、自分で茶化しておいてこちらまで恥ずかしくなり、海は、逃げるように宝石へと視線を戻した。

「いいなあ」
心の中で呟いたつもりだった。しかし、上方を向き声帯がいつもとは違う開き方をしていたせいか、心の声は音声として口から零れてしまった。慌てて左右を見る。しかし、光も風もそれぞれの王子様方と品を熱心に見ていて、今の自分の声に気付いた様子はない。ほ、と一つ息を付いた。

その時突然、背後に柔らかい気配が触れた。
「あまり覗くな。願いを吸われるぞ」
穏やかで低い声が降った。その瞬間、空にかざしていた指輪を背後からふわりと奪われた。旧来の彼の背丈であれば、こんな芸当はかなわなかっただろう。しかし、ここ最近でその頭身を遥かに伸ばした彼にとっては、たやすいことだった。指輪を奪ったのは、『期待はしないに限る』けれど、心のどこかで会いたいと願っていたその人だった。

そしてその人物は、今しがた声に漏れた、海の 「いいなあ」に該当する張本人でありながら、「いいなあ」の示すところである〝与える〟どころか、それを〝 取り上げられた〟始末に、海は「なにするのよ」と頬を膨らませた。
さほど怒るようなことでもないし、実際に怒ってもいないのだが、ほんの僅かにふれた指の熱と、耳元に降った彼の声によって心臓が少し忙しくなったので、そうでもしないと平静が保てなかったためだ。
クレフは取り上げた指輪をほんの一瞬見たあと、イースの手元へと戻した。

「さすが導師。よくご存知で」
「久しいなイース。繁盛しているか」
「おかげさまで。これから繁盛するところですよ」
受け取った指輪を、嫌味のない手付きでクロスで拭き取りながら、イースが言った。
あまりかしこまった風は感じられない。イースの話し方を見るに、仲は悪くないのだろう。随分背が伸びたんですね、とか、変わらず良い品を揃えているな、とか、二人が昔馴染みらしき話を二、三して落ち着いたころ、光が口を開いた。
「願いを吸うってどういうことだ?」
光が訊ねると、イースがクスッと笑って答えた。
「これは、願いが叶う石として重宝されているものなんです。『吸われる』というのは迷信ですね。お年寄りの方はよくそう表現します」
「ふふ、お年寄りですって」
イースが足した一言に、海が嬉々として食いつく。クレフは、小さくため息をついて苦笑いをした。
「イース、私にも一応少なからず築いた威厳というものがあるのだから、皆の前ではあまりからかってくれるな」
「あら、クレフに威厳なんてあったかしら」
「お前も、便乗するでない」
と、言うとクレフが海の頬をむにとつまんだ。
痛い痛いとクレフの手を払う。もちろん痛くはない。熱くなった頬を隠すように両手で包むと、イースがきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「なあに?」
「あ、いえ、なんだか意外で」
今度はこちらがきょとんとしていると、イースは「いえ」と言って、それから、その指輪について詳しく教えてくれた。

「これは願いの石の指輪。それぞれの石に願いをかけることができます。願いが強く純粋であるほど石が澄んだ美しい色に変わるんです」
「魔法の石ですのね」
「まあそんなところですね。とはいえ、ブイテックを一年分、とか物理的で俗欲な願いは叶えられません。邪な願いをかけると石が濁ります。ね?プレセアさま?」
「ちょっとイース!いつの話をしているのよ!」
と顔を真っ赤にして起こっている。
「プレセアさん…」
「願ったんだ…」
光たちが、哀れみの表情でプレセアを見た。プレセアが、恨みがましくイースを睨む。その視線をなんなく受け流し、イースは続けた。
「ま、濁った石は魔力で浄化すればまた綺麗になるのですけれどね。これはまだ一度も願いを入れたことのない純粋な透明石が二粒なのでちょっと……」
と言って、申し訳なさそうに値札のようなものの指さした。
簡単なセフィーロ文字、つまり数字くらいなら読めるようになってきていた三人にも、それがいくらなのかはわからなかった。つまり、〝時価〟とか〝応相談〟などと書かれているのだろう。
さっきまで「買ってやろうか?」と言っていた男二人は、なぜだか突然遠い空や雲の様子が気になりだしたようだった。フェリオに至っては、達者な口笛まで響かせたので、風が可笑しそうに彼の肩に触れた。

「これが売れれば僕もしばらくは暇を頂けるんですが」とイースが冗談めいて言った。
「私、そんな高級なものを触っ……!」
「いえ、むしろこちらがお礼を言いたいくらいですよ」
海の謝罪を遮り、イースが言った。気づけば、周囲にはガヤガヤと人々が増えてきている。海たちが騒いだことによって、物珍しさに集まったのだろう。
プレセアが、「まったく……」と頭を抱えている。そのしたたかな集客の手法に一同は唖然とし、一様に目を瞬かせた。

「まさか我々を客寄せに使うとは。相変わらずだな」
クレフが呆れたように言った。


―――

夕刻、一旦友人たちと別れ一人になった海は、城の中庭にいた。芝草の上に正座で座り、胸の前で手を組み深呼吸をする。

しばらく前に覚えた回復魔法の洗練のためだ。
初めてクレフの手のほんの小さな傷を治して以来、人を相手にこの魔法を試したことはなかった。
もちろん、ケガをした者がいなかったというのは喜ばしいことではあるのだが、使う機会のない魔法を洗練させるのは難しい。

クレフが「手を貸そうか」と言ってくれたものの、想い人である以前に、セフィーロ最高位の導師である彼に、このような小さな魔法の練習を見てもらうのは気恥ずかしいものがあった。

かわりに、一人でもできる精神集中の方法を教えてもらった。クレフはそれを「洗練」と呼んだ。
「基礎力アップみたいなものね」と言うと、クレフはわかったようなわかっていないような顔をしていたが、あの日の例えは大体あっていたのだな、と海は思う。現実、クレフに教わった方法で精神を集中させると、自分の中にある魔法の言葉が少しずつ研ぎ澄まされていくような感覚があった。
使う機会が訪れないように、けれど使わざるを得ない事態になればその時は……。そんな思いで洗練を続ける。

一段落し、海がふうと気をゆるめた時だった。
「ずいぶん熱心ですね」
イースだ。例の、木製のトランクを抱えている。

「あら、イース。さっきはありがとう」
「いえ、こちらこそ。先程は客寄せに使ってしまってすみませんでした」
人の良い笑顔を浮かべ、イースは海の隣にゆっくりと腰を下ろした。

「さっき王子たちに聞きましたよ。独学で覚えた回復魔法を練習中とか」
反応が一瞬遅れた。王子とは、先ほど海が使った偶像としての意味の言葉ではなく、本当に王子そのもの、つまりフェリオのことだろう。

「ええ、まあね。フェリ…えっと、王子たちにも手伝ってもらって、この前初めて成功したの。それ以来は使う機会がなくて。もちろん使いたいわけではないんだけれど」海が言うとイースも笑った。

今の所、非常事態は起きていない、つまり怪我をした人間がいない。それは魔法を使わなかった理由の一つではあった。しかし、それを置いても――

― 私以外の者には試すな。特に男には。

あの日のクレフの言葉を、その真意もわからないままに海は律義に心に留めていた。

「それにしてもプレセアにお弟子さんがいるなんて驚いたわ。でも、セフィーロ一番の創師だものね。いて当然か」
知らないプレセアの一面を見れてなんだか嬉しいわ、と海が言うと、イースは嬉しそうに口を開いた。
「あの方は尊敬すべき方です。武器創りに対する愛と矜恃がある。使い手を見る力も。時々いっちゃってる時もありますけど、あれも慣れると楽しいものですよ」
彼の人の好い表情が、ひときわ優しく、穏やかになった。
「イース……?あなたもしかして……」
イースはほんの一瞬目を見開き、それから困ったような表情で目を細めた。
「はは、さすが年頃の女性は鋭いですね。本人ぞ露知れずってやつですよ。幼い時から世話になっていたので。いつまでも子ども扱いというか、たぶん男として見られていないんでしょうね。」
と言って、イースは自嘲気味な笑顔を見せた。
「わかるわ……」
海の口から心の声が漏れ、イースはイースで何かを察したようだった。

「さっきは驚きました」
「さっき?」
「導師クレフのことです。プレセア様ほどではありませんが、導師にもかなり長く師事していたんですよ。短気なところはありますけど、もともと穏やかで優しい人で、けどね、師として一線引いているような雰囲気がありました。それはもちろん彼のあるべき姿なのでしょうけど」
海が、なんのことかと目をパチクリとさせた。
「回りくどかったですね」とイースは言った。
「初めて見たんですよ。導師が戯れに女性に触れるところ。それから、あの表情にも驚きました」
イースの言わんとしていることを理解しかけた海は、その自惚れにも似た思考を悟られないよう、「あんなこと別に普通よ」とか「誰があんなおじいちゃんを」とか、聞かれてもいないことを慌ただしく口にした。
イースは、好きなんですね?とは聞かなかった。
「姿を変えられた理由は聞きました?」
「『絶対に教えない』って言われちゃったわ」
「でしょうね」
「ね?残念ながら、イースが言うほどクレフは私に気を許してないのよ」
海の返答に、イースは、ふっと吹き出した。
「なに?なにかおかしい?」
「いえ、それよりウミさん、ここの人達が知らなそうな導師の昔の話とか興味あります?先代とのバチバチ話とか…」イースの提案に、海は輝く瞳で返事を返した。

―――
クレフにまつわる昔話ですっかりと盛り上がった。
かわりにというわけではないが、海が、プレセアが『伝説の鉱物エスクード』から武器を作った際の話をすれば、それはさぞかし美しかったことでしょうね、と目を細め、初めてプレセアの家を訪問した時に、書斎荒らしと間違われ危うくせっかんを受けそうになったと言えば、それはそれでまた目を細めた。

彼の昔話の内容を聞くに 「あなたいったいいくつなの?」と聞きたい場面もあったが、実際にそれを口にするとイースはニコと笑うだけだった。そして唐突に、「そうだ」と言って、手元のトランクに手を伸ばした。
「これをお渡ししに来たんでした」
イースがトランクを開く。日中に見た時よりもだいぶ隙間が空いており、繁盛したことがうかがえた。
「残ったもので恐縮ですが、お好きなものをお一つどうぞ。あ、願いの石はご勘弁を」と、イースは笑った。
「え! でも私セフィーロのお金あまり持ってなくて……」
「お代は結構ですよ。あの時は他のお客様もいたのでお譲りはできませんでしたが、魔法騎士から金銭を受け取ったとあらばプレセア様のせっかんでは済みません。お客寄せのお礼もありますし、今度、こんな出来合いでなく、お作りさせてください」
「でも…」
「ご遠慮なく。えーっと、回復魔力が増強するのは……」
言いながら、ブレスレットを一つ取り外し海の腕にサッと付けた。商売柄か、その一連の動きは大変流暢で、海に辞退する間も与えなかった。

「少し試してみます?」
と言うと、イースはポケットから小さなナイフを取り出し、自分の手の甲をザクリと切った。その流れもまた流暢で、海が事態を理解する前に、血液が芝草に流れ落ちる。
「ちょっと!!何してるの!?」
「だって、擬似精霊よりも、人を相手に試したほうがわかりやすいでしょう?」
いったい海が何をそんなに驚いているのかわからない、という様子でイースが言った。
「だからって自分で切るなんて…!」
海は、ほとんど勢いで回復魔法を施した。慌ただしい詠唱であったが、イースの手を取り確認すると、傷はきれいに消えていた。

出血の量からしてもだいぶ深い傷だったはずだ。これが洗練の成果なのか、ブレスレットの効果なのかはわからない。しかし、今の海にとってはそれは極めてどうでもいいことだった。

「ちょっと、どういうつもり?自分でわざと怪我するなんて!私の魔法で治らなかったらどうするつもりだったの!?」
「その時は自分で治してましたよ」
「と、とにかく、自分を自分で傷つけるなんて絶対だめよ!イースにはわからないかもしれないけど、私たちの世界ではこんなことできないの! けがで死んじゃうことだってあるんだから! 魔法で治せるのが当たり前だなんて思わないで!」
まくしたてる海に、イースは目を瞬かせた。それから、もう一度、更に目を丸くし、イースは言った。
「ウミさん……申し訳ないんですが……」
謝罪の言葉には、違和感があった。
文脈がおかしいうえに、目線も合わない。
どこか心ここにあらずといった感じだ。

海の肩越しに、どこか遠くをみているような。
「イース…?」
「手は離したほうがいいかも」
「え?」
振り返ると、少し先、中庭出入り口付近に人影があった。
その人物を見、海の胸がドキリと鳴った。

「クレフ!」

反射的に駆け寄る。
「ちょっと待って!」
もともと早足な彼がいつも以上に早足で歩みを進めるので、追いつくのに苦労した。
「もう! 待ってって言ってるのに!」
「ずいぶんと仲が良くなったようだな」
クレフは、海の手首のブレスレットを見ると口の形だけで笑った。
「あ、これは……」
「さすがイースの品だ。魔法の精度が上がったようではないか」
「見てたの?」
どう考えても非常事態だった。悪いことをしたつもりはない。けれど、あの日の約束を破ってしまったようで少しの罪悪感が刺し、海は思わず口をつぐんだ。それがかえって、クレフの心を荒立たせた。
「あいにく、あのような開けた場所では否が応でも目に入る。見られたくないのなら隠れてやることだな」
「でも、あれはイースが…!」
「そのような言い訳がましいことはせんでも良いだろう。お前が誰と何をしようが、私には知ったことではない」
「なによそれ…」

「じゃあ、ウミさんは僕がもらっちゃおうかな?」
突然、イースが、二人の間にひょいと割り込んだ。 先程の人の好さはどこへやら、その表情と口調はどこか挑発的ですらある。
「ウミさんにお近付きになるのに、導師の許可はいりませんよね?」
「なっ…!だってあなたプレ…っ」
言葉をなんとか飲み込むと、イースが「それは内緒ですよ」と言わんばかりに目配せをよこした。
「あの、えっと……」
言い淀む海をチラと一瞥すると、クレフは杖を掲げてニコと微笑んだ。
「良いのではないか?合うものがあるのならば」

杖を一振りするのと同時に口角が下がる。
「なんにせよ私には関係のないことだ」
言い放つと、光に包まれその姿を消した。
「クレフ…!」


「こんな時に魔法 空間移動を使うなんて。相変わらず短気なじーさんだ」
「イース、あなた…!」
イースは元の人の好い笑顔で面白そうに微笑んでいる。
「これ、お返しいただいたほうがよさそうですね」
そう言って、海からブレスレットを取り外す手つきもまた、やはり流暢だった。


―――

部屋の扉を叩く音がしたが、聞こえなかったことにする。「居留守は大人げないですよ」と声が聞こえたので、雑な動きで手をかざし扉を開けた。
「何の用だ」
「ずいぶんじゃありませんか。久々に会ったかわいい教え子と、少しは語らいましょうよ」
大げさにため息をついてみせても、イースはまるで気にしていない。そういえばこういう奴だったな、と諦め、扉を閉める。

私がする前に、イースは自分で腰掛を出現させ、音もなく座った。組んだ足、それから膝の上で編まれた指すら憎たらしく思える。
「この城は面白いですね。特に魔法騎士。彼女たちの周りにはなにか独特な空気がある。王子やランティスさんだけじゃない。城のみんな、彼女たちのことを大切に思っていて」

「ウミさん、あなたが去ってからこの世の終わりのような顔していましたよ。怒ったりしょげたりかわいい人ですね」
のらりくらりとした笑顔に、手すら出そうになるので、なるべく顔を見ないようにした。

「『魔法を当たり前だと思わないで』なんて、生まれて初めて言われました。あなたですらそんなこと言ったことありませんでしたよね」
「何? 一体どういうことだ」
聞けば、自分の手を切り回復魔法の練習台になろうとしたという。元々少し変わったところのある青年ではあったが、初めて対応した海は驚いただろうな、と心が痛んだ。高い魔力の才能を持った者ほど、常識を逸脱した行為や思想に走ることは珍しくない。「あまりそういうことはするな」といさめるが、効果のほどは知れない。

「ウミは、そういう娘だ。自分を大切にしない者へは敏感に怒る。それに、魔法への理解もここ最近で随分深くなった。最初は誰より幼く、子供じみた面もあったが……」
イースの粘着質な視線を感じ、言葉を止める。
「なんだ?」
「じゃあ、ウミさんに悪いことしちゃいましたね」
今目の前にいる人物には悪いことをしたという認識はないらしい。イースを一瞥し、言葉の続きを促す。
「すごく怒ってて、怖い顔して魔法使ってました。なんていうか、鬼気迫る感じの」
とイースは身振り手振りで、〝鬼気〟を表現したいようだったが、眉目秀麗なその顔には不似合いな仕草だった。
「怖い顔?」

ずいぶん前に初めて彼女に魔法を施された時のことを思い出す。今でもありありと浮かぶ。この指に絡んだ冷たい霧の感触。その冷たさに相反して心に宿った温かさは、あの日から一瞬たりとも消えたことがない。
長く彼女を見守ってきた自分ですら初めて見た、美しく澄んだあの顔を、どうやらイースは見なかったらしい。少し、いや、大いに安心する自分がいた。

目の前に怪我人がいれば、迷わず自分の力を使うだろう。彼女らしい。そんな当たり前のことが、自分の中で欠けていた。これはやってしまったな、と苦虫を噛む。

「そんな顔するくらいなら、あんな態度を取らなければいいのに。僕がプレセア様一筋だからじゃなかったら、一体どうしてたんです?」
「プレセア?」
反復すると同時にイースの言わんとすることを理解した。ようやく、と言ったほうが正しいか。イースが「やれやれ」とわざとらしくため息をつく。
「やっぱり男性は鈍感でいけませんね。ウミさんはすぐに察してくれたんですが」

そういえば、海が先ほど何かを言いかけて口をつぐんでいたことを思い出した。状況把握がするすると進み、事態をおおよそ理解する。思わず額を抑えた。先程の自分は悪手しか打っていないな、と。あきれて笑いすら出そうだった。

「導師、変わられましたね。なんだか、とても人間味が出てきた」
「…さぞ滑稽に見えるだろう。娘一人にこの有様だ」
「いえ、素敵じゃないですか。でも、そんなことで大丈夫かな? とは思います。ウミさん美人ですし。これからだって僕みたいな輩がいつ湧くか。捕まえておけとは言いませんが、せめて虫よけくらいしておいたほうがいいんじゃないですか?」
と、楽しんでいることを微塵も隠す気なく、可笑しそうに言った。

取って食えぬこの教え子を前に、ため息を一つつく。

「イース、ひとつ頼みがある」
「なんなりと」

人の良い笑みが癪に障る。

―――

夜の鍛錬場は、管理する者が非番であるため人っ子一人いなくなる。芝草の上、草むらの奥に、放り投げ出された細い足を見つけた。灯り ライトの魔法を解くと、視界がやや不都合になる。しかし見えないほどではない。今はこのくらいでちょうどいい。

「娘が夜中にこんなところで寝そべるでない」

投げ出された足は、地に着いた踵を軸にしてユラユラと揺れ、足の主の不機嫌を知らせた。
「私がどこで何をしようが関係ないんでしょ」
子供が拗ねるような声が返ってきた。
「そこまでは言っていないだろう」
「ほとんど言ってたわよ」
思ったよりは大丈夫そうだ。なにが大丈夫なのかはわからないが、とにかく。
寝そべる海に、祈る思いで手を差し伸べる。

「探したぞ」
「何しに来たの」
言葉の棘とは裏腹に、海は私の手を取り、上半身を起こした。拒絶はされていないようなのでひとまずは安心する。控えめに距離を取り、隣に腰を下ろした。
膝を抱えて座った海は、地を見つめている。髪が垂れ、表情が読めない。
「お前を迎えに。それから、謝りに来た」
「ふーん」
「ウミ、私が悪かった」
「……何が?」
言葉こそ淡白であるが、取り付く島もないという雰囲気ではない。私に謝罪のきっかけを与えているのだと確信する。安心すると同時に海に心の中で感謝した。
緊張感が漂う中、私はゆっくりと口を開いた。

「お前にぞんざいな態度を取ってしまったこと」
「ん」

「お前の話を最後まで聞かなかったこと」
「そうね」

「大人げなく魔法 空間移動を使ったこと」
「あれはひどかったわ」

海は笑ってくれた。

鼓動が、大きく脈打ち
心地よい痛みが、胸を締め付けた。

「それから……」

まだあるのか?と言いたげに、海はこちらを見た。

立ち上がり、海の正面まで体を移し地に片膝をつく。心臓が早鐘を打っているのが自分でもわかる。
もう、後には引けない。未だためらう自分に、そう言い聞かせた。

触れても? と問うと海は小さく頷いてくれたので、その左手を慎重に取る。

「それから、自分の心に嘘をついたこと」

海の左手に、そっと顔を寄せる。意図せず鼻先が手の甲に触れ、海の指が一瞬ピクリと震えた。指に口付けを受けると思ったのかもしれない。そうしたいのは山々だが、その許しは得ていないので、寸前に留める。
かわりに、海の指を撫で、一つ魔法をかけた。

海はそれに気づくと、目を大きく見開き、じっと自分の指を見つめた。
「これ…」
海の青い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめるので、思わず目をそらした。
「あの時、欲しがっていたと記憶している」
おかしな言い回しになり、自分の緊張振りに呆れた。灯りを落としておいて本当によかった。

海の指にはあの願いの石。
夜闇の中にあってもなお、きらりと光を反射している。

「こんなの、もらえないわ」
海が戸惑ったように言った。
「だって、これすごく高級なものだって…」

海の言葉に、ほっと小さく息をつく。「こんなものはいらない」と突き返される想定もしていたが、そちらではなかったことに安堵した。あとはもう、子供の駄々のように言いくるめるだけだった。
「そのことは良い。それに、もう純粋な透明石ではなくなったから、返しても仕方がない」
「どういうこと?」
「ウミが受け取らねば、この石には価値がなくなるということだ。身勝手なのは認める。だが、お前に受け取ってほしい」
海はしばらく黙り込んだ。
顔を覗くと、唇がわずかに震え頬に涙が一筋伝うのが見えた。
「ほんと、勝手すぎるわよ」
そして、「ありがとう」とポツリと言った。

海が指輪を見つめながら「重いわね」と言って笑った。
「本当か?お前の細指に合うよう加工はしたのだが、」
「ふふ、重すぎるわ。こんな物をこの指につけていたら、お嫁に行けなくなっちゃう」
「…………責任は……、取る」

海は目を見開き、ポカンと口を開けたのも束の間、突然クスクスと笑った。そして「クレフ、絶対に意味わかってないで言ってるでしょう?」と可笑しそうに言った。
「どうだろう。ウミたちの国の文化にもだいぶ明るくなってきたから」
と返すと、海は再び目を見開き、あわあわとうろたえた。
「冗談よね?」
「まあ、今日はそういうことにしておこう」
海は釈然としない様子だったが、私も、もうこれ以上は胆力の限界だった。
ごまかすように「食事にでも行くか」と提案すると、海ははしゃいだ笑顔で店の候補をいくつかあげた。

―――

鍛錬場を後にし、食事の前に軽装に着替えようと連れ立って城へ戻ると、回廊の途中でイースにばったりと会った。おそらくあちらはばったりというつもりはないのだろう。意味深にニコニコと笑ってこちらへ近づいてくる。

「お二人とも。仲直りは済んだようですね」
たしなめるが、イースは構わず海の指に光る石をチラリと見た。
「ずいぶんと澄んだ色だ。よほど強く純粋な願いがかかっているのでしょうね」
「でも、クレフってばなんのお願いをしたか教えてくれないのよ。イース、知ってる?」
赤い顔で海が言うと、イースがニヤと笑った。
「イース、余計なことを言うな」
誰にも知られているはずのない願いを、なぜか彼ならば知っているような錯覚に陥り、つい口をついてしまった。
「だ、そうです」と笑うイースに、知ってるなら教えてよ、と海が頬を小さく膨らませた。
「それより、着け心地に不自由はないですか?」と、言いながら海の手に触れようとしたので、イースの手をパシと掴んではらう。
「問題はない。さすがの仕事だな」
私が言うと、イースは含みを持たせた笑みを浮かべた。
「よくお似合いですが、少々重そうですね。なにか不自由があればいつでもご相談を」

「あ、そうそう、導師。プレセア様ですが、少し城の暇をもらってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんが。どうした?」
「誰かさまのおかげで少々実入りが良くなったもので。師匠に日頃の感謝として、遊山にお付き合いいただこうかと思いまして」
「え!プレセアを誘うの!?」
「ええ。これからお誘いしてきます。ウミさん、また〝 コイバナ〟しましょうね」

訝しむ私と、顔を赤くする海に一往復の視線をやってから、イースは「それでは」と笑って歩を進めた。しかし、イースは数歩進んだところですぐにこちらを振り返った。

「ウミさん、髪に」
イースは、髪をはらうような仕草をし、言った。
「導師、女性を外で寝かせるなんて。せめて何か敷いてあげないと」
「……?…待てイース…!お前なにか誤解を、」
「では、またいずれ。お土産買ってきますね」
と言って、今度こそイースは去っていった。

海は、イースの悪質な戯言の意味に気づいていないようで、きょとんと首を傾げている。こちらを無邪気な瞳で覗くので、笑ったらいいのか、ため息をついたらいいのかわからなかった。

ひとまず、髪に付いている芝草を一つ二つはらってやる。

「だからあんなところで寝そべるな、と言ったのだ」

―――

- epilogue -

私用で街へ出る際は、装飾は外し軽装で来ることにしている。 魔法も目立つので、非常時以外は指輪の中だ。

海にもセフィーロの町民の衣服を着せた。初めて街へ食事に誘った時には、髪も結んだほうがいいかしら?と楽しそうに言うので、好きにしろ、と言ってからは、この服装の際はたいてい結っている。
海の青髪は、まとめられたからといってその美しさを損なうことはないのだが、可視面積の減る分くらいは人の目を集めずに済んだ。

海があげた候補のうち、この時間にも開いている店へ入った。前菜を取り分けて渡すと海は 「おいしそう」と微笑み、「いただきます」と言って手を合わせた。私がこの仕草を密かに気に入っていることは伝えたことがない。
「変わった人だったわね。イース」
「あいつとはしばらく顔を会わせたくないな」
「そう?私はまた会いたいけど」
と海が言うので、持っていたフォークから葉野菜がポロと落ちた。
「だってクレフ、絶対にお願いごとを教えてくれないでしょ?だからイースにこっそり聞くのよ」と、海がからかうような笑顔で言った。
「あんなものは、イースのハッタリだ。私が奴に教えるわけがなかろう。そうでなくとも奴の口から聞かせるくらいなら私が直接言う」
「じゃあ今教えてくれてもいいじゃない!」
「ウミ、しつこいぞ。その口数が少しは減るように願いを掛ければよかったか」
「そんなお願いしたら石が濁っちゃうわよ」と、海が笑った。

傾けたグラスを持つ指に、二粒の石が光る。

この笑顔が続く限り、かけた願いのうち一つは叶っていることになる。

もう一つの願いは、絶対に教えるつもりはないけれど。






『grass on your hair, but [and] i love you』

end






一緒にお食事をするクレ海ちゃんが書けて感無量。食べることは生きることだから。

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