(長編)インカレ!


chap6. rinkai-kouen


京葉線の車内が少しざわついた。乗客の目線に導かれるまま私たちも目をやれば、車窓の外には某超有名テーマパークの山脈と城郭が臨んだ。
「ね、あそこ、行ってみたい?」
「いや、あまり。人込みは苦手だ」
何事も慎重に返答をするクレフが、今ばかりはほとんど反射神経に近い速さで返事をした。よほど苦手なのだろう。
「よかった。実は私もあんまりで」
「それはよかった」
クレフが、言った。


最寄り駅に降りたてば、どこかノスタルジーをくすぐられる磯の香り。十二月の青空に映える観覧車は、ここからだと動いているのか止まっているのかわからない。

この水族園のランドマークにもなっているガラスドームへ向かう途中、クレフは「大丈夫か?」とか「疲れたか?」とか、いつもに増して私を気遣ってくれた。つまり、私の緊張はそれほどに隠しきれていなかった。告白に意気込むのも良いけれど、それでせっかくのデートが上の空になっては元も子もない。館内に入ると私は気合いを入れ直し、目の前を回遊する大きなマグロたちと、それから目の前のクレフに集中することにした。

ところが「早い時間のほうが活発だから」と言って、回遊魚も甲殻類もクラゲも淡水魚の水槽も突っ切って、クレフは私を屋外の展示場へと早足に連れた。

屋外展示場には百羽近いペンギンたちがうごめいている。パッと見た限りでは三種類くらいいるのかと思えば、四種類いるとクレフは言う。それぞれの特徴や生息域、性格まで説明してくれる彼は、まるで水族館のスタッフさんのようだった。
けれど話は半分も入ってこない。右手を包むひんやりと冷たい手からは、なのに、驚くほどに熱が伝わってくる。

そのまま連れられて屋内へ続く通路を下れば、水中を泳ぐペンギンの姿をガラス越しに見ることが出来た。屋外のプールと、ここはつながっているらしい。
ふいにクレフが、ガラスをなぞるように右手で宙を撫でた。

「なにしてるの?」
「まあ見ていろ」
すると、ガラスの向こうを泳いでいた一羽のペンギンが、クレフの目の前でピタリと止まり、彼の手の動きを追ってスイスイと遊び始めた。犬や猫のようにクレフの手に吸い付いて泳ぎ回る様子は、まるで魔法のようだった。

「嘘! なんで!」
繋いでいた手を離し、私もクレフの動作を真似る。
まるでだめだ。吸い付くどころか止まることすらせず、ペンギンたちは私の目の前をすごいスピードですり抜けて行く。

「イワトビは好奇心が薄いからだめだ。狙うなら、こちらのフンボルトペンギン」
言われた通り、すこし小柄のペンギンを狙って手をかざしてみる。すると、一羽のペンギンがぴたりと泳ぎを止め、私の手に吸い付くように遊び始めた。
「すごい! できたわ!」
見れば、いつの間にかクレフは二羽のペンギンを同時に操っていた。ペンギンたちは驚くほどの集中力でクレフの右手を追っている。ペンギンたちがあまりに夢中で遊ぶので、クレフは苦笑いを浮かべ、「息つぎをしなさい」と言った。そして手を上のほうへ持って行き、彼らを水面のほうへ いざなった。

後ろにいた小さな子供が真似をしたがったので、「小さいのを狙うのよ」とこっそり教えてから場所を譲り、また屋外へ出る。

鳥類特有の匂いが鼻を刺す。香りと記憶は密接に結びつくというけれど、この匂いがデートの思い出になるのもなんだかなあ、と、苦笑いが浮かんだ。そんなことを考えるくらいには、緊張は消えていた。

「ねえ、あの子、さっき遊んだ子じゃない?」
まるで適当に言ってみる。この中から特定のペンギンを探し出すなど不可能に近い。
「いや、違うだろう」
なのに、クレフはそう言い切ってみせた。
「なんでよ」
「さっきのペンギンはタグの色が赤と白だった。もしかしたらあの個体かもしれない」
「嘘? わかるの?」
クレフが指さしたペンギンを目で追う。さっきのペンギンのようにも見えるし、違っても見える。やっぱり、判別などできるわけがない。

すると、その赤白タグと思しきペンギンが、一羽のペンギンを執拗に追いかけ始めた。
「求愛?」
「いや、多分戯れているだけだ」
それにしてもしつこい。走ったり泳いだり、追われる側のペンギンが一枚上手なのか、なかなか距離は縮まらない。やきもきしながら見守る。思わず「がんばれがんばれ」と声が出て、応援にもつい力がこもった。

まさか応援が届いたわけではないだろうけれど、赤白ペンギンが突然猛烈な勢いで追いかけ始めた。「速い速い!」と笑ってしまうほどに俊敏な動きだ。そのかいあってか、ついにターゲットに追いつき、そして赤白はそのペンギンの背に後ろからのしかかった。

「どうやら海が正解だったようだ」
交尾の真似事をするペンギンたちから思い切り目をそらす。
「やだもう……あんなに応援しちゃったじゃない」
クレフが吹き出したので、私も笑った。



進路を逆走し、回遊魚の水槽まで戻る。なかなかの速度で回遊するマグロを目で追うと、目が回ってくる。
「ね、クレフは将来生物関係のお仕事につくの?」
インタビュアー海も、だいぶ板に付いてきた。クレフは、うーん、と声を漏らし、ゆったりとした口調で言った。
「知識を活かせればとは思うが、好きなことを仕事にするのは良いことばかりでもないから」
「やっぱりそういうものかしら」
「ああ、非常に難しいな。虫好きが高じて殺虫剤メーカーで力を発揮する者もいる。一方で、例えば獣医とて動物実験は避けられない。病気の生き物を救うためには、実験動物に負荷をかけたりあえて病気に近い環境に追いやらなければならないこともある。まあ獣医でなくとも、純粋に生き物が好きなだけではやっていけない職務だから」

歩きながら、クレフは苦々しげに言った。クレフは、聞けばなんでも教えてくれるけれど、自分の研究室の話はあまり聞かせてくれない。つまり、そういうことなのかもしれない。少し空気が重くなりかけたところで、タイミングよくというか、ゆったりと泳ぐマンボウが私たちを癒した。
足を止め、大きな水槽を覗く。マグロの回遊を見た後だと余計ゆっくりに見える。

マンボウってガラスにぶつかると死んじゃうって本当? と聞くと、あんなのはデマだ、と教えてくれた。それもそうか。

「実験に使えなかった魚を研究室で飼っている。普通、個体に名はつけないがその子だけは名前がついていてな」
クレフが言った。研究室の話は珍しい。ついさっきの自分の考え事を見透かされたようで少しどぎまぎした。クレフと話していると時々こういうことがある。
「少し似ているな。のんびり屋で、小魚のわりにこんなふうにゆったりと泳ぐんだ」

フューラという。そう言って、クレフはスマートフォンでその魚の画像を見せてくれた。目の前のマンボウとは、大きさや見た目は全然違うけれど、不思議と雰囲気が似ている。瞳と背びれの大きな、かわいらしい魚だった。

「まあ、私は院に進むからモラトリアム期間はあと二年ある。進むべき道については、そのうちに考えるさ」
と、クレフは笑った。

水族園を出て、観覧車に向かう。どちらも何も言っていないのに、なぜだか観覧車に乗ることは最初から決まっていたかのように、私たちはまっすぐに遊歩道を歩いた。夕闇の中、イルミネーションと相まって観覧車の明かりはとても幻想的だ。やっぱり、止まっているように見える。

「海は、卒業したら就職か」
歩きながら、クレフが唐突に尋ねてきた。
「まあ、雇ってくれるところがあればね」
来年に迫る就職活動を思うと気が重い。なにもこんな時に思い出させてくれなくてもいいのに。
「つまり、海のほうが先に社会に出るのだな」
考えてもいなかった。クレフの大学では院に進む人がほとんどで、クレフだって先の話の通り例外ではない。

「じゃあ私、社会人の先輩ね!」
私が言うと、クレフは困ったようにはにかんだ。
「なんとも複雑な気分だ。社会に出ると、途端に学生が子供に見えるというから」
「クレフが? 子供に?」
そんなわけないじゃない、と笑うとクレフは苦笑いをした。

そんなに先の「二人」のことを考えていたなんて。もう告白なんてする必要もないのではとも思えてくる。けれど今日の告白は、風にも言った通り私にとって礼儀のようなものだ。今までの感謝とけじめと、その……愛情的なものをきちんと言葉で伝えたい。


近づくとわかった。観覧車はしっかり動いている。近くで見ると思ったよりも速度が速い。これで一周十七分かかるというのだから、よほど直径が長いのだろう。

観覧車のふもとまでたどり着くと、既に数十名のカップルたちが列を作っていた。長蛇の列は次々とゴンドラの中へ吸い込まれていく。
「回転が早いからすぐね」
うまい冗談を言ったつもりが、クレフにさらりと流された。私がどれだけ緊張してるかなんて知らないくせに。恨みがましく横顔をにらむ。クレフは、どこか心ここにあらずといった様子で、ぼんやりと前方を見ていた。

私たちの順番が回ってきた。いざ乗り込めば、その非日常的な空間と絶景に、否応なしに心が弾む。大半をアクリルで囲われたゴンドラ内は、景色が見えすぎるほどに見えすぎて、怖いくらいだ。

告白は降りてからにしようかしら、と及び腰にもなる。ただでさえ緊張する密室でさらに緊張するような話をなにも今しなくてもいいではないか。
ところが、ガラスドームが斜め下に見えたあたりで、クレフが突然、「話がある」と言った。

心の中で叫ばずにはいられなかった。

(うそうそ、どうしよう)

心拍数が一気に上がる。荒くなりそうな息をごまかすため、小さく口を開いて密かに深呼吸をした。クレフから告白される想定も全くしていないわけではなかった。本当は私から伝えたかったけれど、クレフが言い出すのならそれはそれだ。感謝と共に甘んじて受け入れよう。

愚かなり。私はもう、礼儀もけじめも吹き飛んで、これからクレフがどれほどロマンチックに告白してくれるのかを待ち焦がれる気持ちにすっかりシフトしきっていた。

「はい」と返した声は、緊張でかすれている。小さく咳払いをする自分の声すら、この密室にさらなる緊張感をはらませた。
クレフは、私よりもずっと緊張した面持ちで、こう言った。

「龍咲海」

突然フルネームで名前を呼ばれ、ほうけてしまう。クレフは小さく姿勢を正し、言った。
「この名前をフェンシングの試合名簿で見つけた時は、本当に、胸が震えた」
「え……?」
「忘れもしない。八月の十二日。私は君を見つけた」
「どういうこと……?」
「ずっと、探していたと言ったろう」
「何を……言っているの…?」
クレフは、私の問いに答えるかわりに言葉を続けた。
「それから、君の大学へ行って。身辺をもう少し調べて。君は知らないだろう。あの日、初めて話しかけた夜。私がどれほど緊張していたか」
「嘘よ…そんな…」
「私は君に一つの嘘も言っていない。そして、これからの話も嘘などではない」

クレフは、言葉を切ると大きく息を吸って、吐いた。膝の上に置かれた彼の手の指は、祈りを捧げるでもなしに、互い互いに軽く組まれていた。

「私には、前世の記憶がある」
「前…世……?」
「ああ、信じてくれとは言わない。けれど君に知っていてほしい。ふざけた冗談はよせと言うのならこの話はここでやめる。海、君が決めてくれ」

冗談でしょ、と笑う気にはなれない。クレフは、今までで一番真剣な眼差しで私を見ていた。頷くほかなかった。クレフは小さな声で「ありがとう」と言って、そして、ポツリポツリと自信なげに語りはじめた。

― 私たちが出会ったのは、異世界セフィーロ。私は、かの国の魔導師で、君は東京の中学生だった。悲しい戦いを乗り越えて二つの世界は繋がり続けた。年の差は七百以上。成人した君に求婚をして、婚姻を結び子を成し、曾孫の顔まで見ることができた。およそ八十年、私と君は穏やかに、幸せに暮らし、そして最期の日まで添い遂げた ―

そんなような話を、クレフはゆっくりと、昔語りのように話した。話を終えると、クレフはなぜだか「すまない」と言った。

私の瞳からは、涙が静かに流れた。
涙の理由は一つだった。

前世からの結びつきに歓喜したわけでも、私を探し続けてくれたクレフへの感謝でもない。これは、利己的でエゴイスティックで、到底クレフに伝えていいような想いではなかった。けれど、悲しみにも怒りにも似たこの感情を、私は吐き出さずにはいられなかった。

「あなた時々、寂しそうに笑うから…」

「…遠くを見てるなあって、思うこともあったの」

自分の口の端が上がっていることに気づいた。人は、あまりに悲しみが過ぎると笑ってしまうのだと初めて知った。

「クレフは、私のことが好きなんじゃなかったのね」
「何?」クレフが、眉根を寄せた。

「あなたの話が嘘でも冗談でもないことはわかるわ。だけど……私は、前世なんて知らない。たとえ『その人』が私だったとしても、『私』はその人じゃない。私は今のあなたのことが好きになった。だけど、あなたは私のことなんてちっとも見ていなかったのね」
「違う! そんなことは!」
クレフが立ち上がった勢いでゴンドラが大きく揺れ、思わず悲鳴が漏れた。クレフは「すまない」と呟き、ゆっくりと座った。

心が、氷みたいに冷たくなる。

「違わないわよ。あなたは前世の ウミを私の中に探していただけでしょう。顔と名前が同じなだけ。『龍咲海』ならなんでもよかったのよ」

私は、自分を一番傷つける言葉を自分で口にした。
クレフは、否定も肯定もしなかった。ただ二人ともが、決して視線が交わらないようそれぞれに窓の外を見た。

地獄のような時間だった。地上を待ちわび、一刻も早くこの場を立ち去りたい想いで観覧車を降りる。
さっきはあんなに浮かれていた遊歩道が、今はとてつもなく長く感じる。やっぱり、別々に帰るべきだった。けれど、クレフが今にも倒れこみそうにふらふらと歩く様を見れば、放っておくわけにもいかなかった。

「すまない。やはり、話すべきではなかった」
数歩後ろを歩くクレフが、消え入りそうな声でそう言った。振り返りクレフを見ると、彼は逃げるように私から視線を外した。その瞬間、私の中で何かが弾けた。
怒りが悲しみを凌駕したのが、自分でもわかった。

「なんなのよ! 一度否定されたくらいでそんなにしょげちゃって! 私が悪いの? ねえ、私何か間違ったことを言ったかしら?」
怒っているはずなのに、私の瞳からはまた涙が勝手にボロボロとあふれ出た。言葉が涙をうながし、涙が言葉をうながす。私には、そのどちらを止めることもできなかった。
昨日、通話中に考えていたことがまた頭をよぎる。今日のデートで、私はクレフの『探していた人』に勝てたような気でいた。クレフがその人よりも私を選んでくれるのではないかと浅はかな期待をしていた。

他に好きな人がいると言われたほうがまだマシだった。自分自身に、一体どうやって勝てって言うのよ。

クレフとの多くはない思い出が走馬灯のように頭の中を巡る。クレフはいつだって自信たっぷりで、まるで私がクレフのことを好きになることが最初からわかっているみたいだった。それに比べて、目の前のこの男の人はなんて情けない顔をしているのだろう。


ねえ、このまま私を諦めるの? 諦められるの?

それが、どうしても許せなかった。風のありがたいお言葉が頭をよぎる。ごめんね、風。でも、言わずにはいられないの。

「ここで引いたらあなた、結局は顔がいいだけのただのいくじなしじゃない! サークルの男子だってもっと根性があったわ! 私のこと、ずっと探してたんでしょう!? それともあなたの気持ちって、そんな程度だったの?」

自分の口から勝手にこぼれ出る言葉は、我ながらひどいものだった。涙は止まらない。クレフが、あっけに取られたような表情で私を見ている。

「だって……ひどいじゃない……私に、あなたのこと、こんなに好きにならせておいて……」

泣きわめく私を、道行く人が見た。けれど、ちっとも気にならない。
クレフは何度か大きな瞬きをした後、きつく口を結び、そして私のほうへ数歩歩み寄った。逃げるように目をそらしたのは、今度は私だった。

「ごめんなさい」
そんな陳腐な言葉が自分の口から零れる。もう、クレフの顔を見ることができなかった。

「……最近」
クレフが、静かに言った。

「最近、少しずつ記憶が薄れてきているんだ」
興奮しきった私をなだめるような、穏やかな口調だった。深い声が私の心を内側から優しく撫でる。私は一度深呼吸をして、涙をぬぐい、クレフのほうへゆっくりと視線を戻した。

「前世の…記憶?」
「そう。だから、覚えているうちに海にも伝えたかった。私はたしかに幸せだったと。そして、かけた願いは叶っている、と」
「願い?」
「生まれ変わっても、君に巡り会いたいと願ったんだ」
と言うと、クレフはまた少し寂しそうに微笑んだ。けれどそれは、今までの遠くを見るような儚げな笑みではなかった。クレフがまっすぐに私を見ている。なにか覚悟を決めたような、そう、まるで決別を決めたような。そんな笑顔だった。

「きっと、記憶が薄れているのは願いが叶っている証だ。もう、お別れなのかもしれない、前世のウミとは」
「お別れ……?」
ああ、とクレフは言った。

「すまない。君の中に『ウミ』を見ていたことは否定できない。君が怒るのも悲しむのも無理はない。たしかに、私はウミ 前世の面影を探していた」
クレフの力強い眼差しが私をさした。もう、目をそらすことなど不可能だった。

「だが、海。君は一つだけ間違っている」

クレフが、一層真剣な声色でそう言った。
「私が君を見ていないなどということは決してない。短い間だったけれど、ずっと君を見ていた。ずっと君に惹かれていた。笑顔も、怒った顔も。私を見つければすぐ駆け寄ってくるところも、食事の時の所作も、長電話の時の眠たそうな声も、全て……」

言いかけて、クレフは口をつぐんだ。真剣な表情の中に、どこかはにかむような、少年のような瞳の輝きが覗いた。そしてもう一歩、二歩進み、彼は私のすぐ目の前に立った。

「たしかに、海の言う通りだな。ひどい男だ、私は…一番大切なことを伝えていなかった」
クレフが私の手をそっと取り、飾り気のない薬指をそっと撫でた。

「この通り、私はお世辞にも器用と呼べた人間ではないから、また君を泣かせたり怒らせたりしてしまうかもしれない。君も、繊細だけれど自分を強く持っている女性 ひとだから、ぶつかることもきっとあるだろう。もう泣かせないとは言えない。幸せにするとも言えない。けれど、君を失うことは絶対にできない。喜びも悲しみも、分かち合うなら君とがいい。海と、ずっと、ずっと共にいたい。そう願い続けてしまう私を、どうか許してほしい」

ゆっくりと、柔らかく。
私が押し返せばすぐにほどけそうなほどの優しさで、クレフは私を抱きしめた。

「海、好きだ。世界で一番、君が好きだ」

観覧車の灯りがにじむ。
すれ違う人達がこちらを見ている。
二つの鼓動が、体の間で痛いくらいに響く。
気付けば、もうほどけないくらいに強く強く抱きしめられていた。いつの間にか私も、クレフの背中に腕を回していた。

心臓が痛くて、うまく息ができない。なんだかすごくいい匂いがする。
どうにか吸い込んで、それがやっと呼吸になる。何か言うためには、もう一度吸わないと。

「……一つ、言ってもいい?」
「ん?」
「ちょっと、かっこつけすぎじゃない?」

クレフが、私の耳元でフフと笑った。
「一生分の勇気を、今使い果たした」
「そんなの…もう、プロポーズなのよ」
「そう捉えてもらっても構わない」
そう言って、クレフは私に頬擦りをした。

いよいよ人目が気になり、私たちは逃げるように元来た道を戻った。今日はよく逆走をする。あわよくば観覧車をやりなおそうと思っての行動だったのだけれど、残念ながらもう列の成形は終わっていて、長い行列はそれ以上伸びることはなく、ただ短くなっていくだけだった。

人もまばらとなった観覧車前、すこし行った所にベンチがあったので、そこへ横並びに座った。観覧車の灯りが地表の影を彩っている。頬に触れる冷たい海風が今はちょうど良い。クレフが上着を貸してくれようとしたけれど、むしろ暑いくらいだったので丁重に断った。

「ね、前世の私って、どんなだった?」
私が尋ねると、クレフは言いにくそうに口をつぐんだ。
「教えてよ。もう自分自身にやきもち焼いたりしないわ。それに、クレフがその記憶を持っていてくれたから、私たちこうして出会えたんでしょう? だから教えてほしいのよ。クレフが覚えていること、全部」

クレフは、また「ありがとう」と言った。そしてこう教えてくれた。

「そうだな……君と、まるで変わらない。勝ち気で、騒がしくて、自分のことよりも人のことを優先して、仲間思いで自分を大切にしない者には厳しかった。それでいて泣き虫なくせに強がりな女性だ。違う点と言えば、甘いものが苦手だった。それに、私の容姿をそこまで褒め称えることもなかった」

私が、「う」と声を詰まらせると、クレフは続けた。

「それに、魔法を……」
「魔法? 私も魔法使いだったの!?」
にわかには信じられない。たしかに、クレフは魔法使いみたいなことをする時が少なからずあった。前世が〝魔導師〟だと突飛なことを言われても、なぜだかそこに違和感は覚えなかった。けれど、私が魔法使いだったなんて。なんだか変な感じだ。

クレフはそっと笑って言った。
「〝魔法使い〟と言われると少し違和感はあるが、たしかに良い教え子だった。『彼女 ウミ』は、とても美しい魔法を使う人だったんだ」

クレフの口調が、どこか他人を語るような言い方に変わった。

「その魔法は―」

言いかけて、彼の瞳から光が消えたように見えた。

 ―はたから見てもわかった。

「その魔法が……思い出せない」

 ―たった今、この瞬間に、前世の記憶が消失したのだということが。


「ウミ……」


クレフが、最後に、そう呼んだ。


クレフの瞳に、輝きが戻る。急速に瞳を輝かせるその潤いの正体がわかった瞬間、私は立ち上がり、彼を抱きしめていた。腕の中でわずかに震える体がとても小さく感じられる。
私まで、泣きそうになった。

「お別れ……したのね…?」
私が言うと、クレフは腕の中で顔を伏せた。
「すまない……。情けないな。大の男が過去を想って涙するなど」
「だって、それほど大切な記憶だったんでしょう?」
「……ああ」
もう少しだけ。そう言って、クレフは私の背に腕を回した。


観覧車が消灯すると、もうこの場所には私たちしかいなくなっていた。クレフが「ありがとう」と言って私の腕の中から抜け出した。

「まさか海の腕の中で泣く日が来るとは思ってもみなかった。本当に、君といると未知の感情を呼び起こされるというか、飽きないというか」

横顔が、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「あら、それはこっちのセリフよ」
「これでは、人生が何回あっても足りないな」
「あなたのいる人生なら、何周だって付き合うわ」
私の言葉に、クレフははじかれたように大きく瞬きをした。
それからそっと手を伸ばし、私の頬に触れた。

「冷えている」

クレフの声は掠れていて、彼の緊張が遠慮なしに伝わってくる。
「ね、待って、人が見てるわ」
「構わない」
私の嘘も容易く見破って、クレフは触れた手で私の顔をゆっくりと引き寄せた。

二つの蒼い宝石は、私だけを映している。
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