(長編)インカレ!


chap3. Inokashira First Dating



待ち合わせは、十一時。私鉄のほうの、公園口改札前。
万が一、いやクレフなら百が一くらいか、待ち合わせ場所が人だかりと化す可能性も否定できないので、少し早めの電車に乗った。
十時四十四分着。ホームの隅、手鏡でメイクの最終チェックをして、改札を抜ける。改札を出て左手、駅ナカのビルへ向かう連絡通路の最手前に、クレフはいた。

クレフは、私にとっては芸能人の部類なのだけれど、一般の方々にとってはそうでもないらしい。想像したような人だかりはできていなかった。ほっとするのと同時に、そのサングラス姿の衝撃に心臓を貫かれる。

(あんなの! やっぱり完全に芸能人じゃない! ていうか、来るの早くない? あんなにシンプルなロンTとジーンズだけでここまでかっこよくなる人がいる!?)

処理するべき情報が多すぎる。

すると、こちらに気づいたクレフが、サングラスを外し私に向かって小さく手を振った。早くも死ぬかと思った。死なないように、大きく深呼吸をしてからクレフの元へ向かう。
せっかく息を整えたのに、つい走ってしまうのは癖だ。

白昼光が明るすぎる駅構内。バーベキューの日の夜とも、通話で見た姿とも違う。紙面で散々見た顔が、今は直視できない。

堪らず足元へ視線を落とす。偶然にもクレフは私と同じメーカーのモデル違いを履いていた。本当はヒールを履いて来たかったけれど、少し歩くかもしれないと事前に話していたし、ここで待ち合わせということは、多分あの公園に行くだろうから、家にあるスニーカーのうち、一番かわいいものを履いてきた。

私は、クレフの足元、オールドスクールの一本線を凝視したまま、どうにか言った。
「こ…こんにちは」

返事がない。
恐る恐るクレフの顔を見上げてみる。
ゆっくりと視線をあげ、そして目が合う。
「こんにちは」
クレフが冗談めいて言った。





きっとデートなんて死ぬほどしてるんだろうな、と思う。
お店選びも会話の流れも、なにもかもがスマートで、かと言えばガッチリとデートプランを組んでいるわけでもなく、ふらふらと気の赴くままに歩いたりお店を見たり混んでいればやめたり、そんなゆったりとしたデートだった。

私の緊張が早めに溶けたのは、クレフが私のことをあれこれと聞いてくれたからだった。駅をまたぐほどの大きな池を囲む公園のベンチで、これまたクレフがワゴンカーで買ってきてくれたソフトドリンクを飲みながら足を休めている頃には、私もすっかり饒舌になっていた。

クレフが聞き上手なのがいけない。私がクレフにプライベートのことをあれこれと聞いてみても、なぜだか会話がするりと展開し、気付けばまた私がしゃべり倒すことになってしまう。
今だって、たしか私がクレフに「何か運動とかしてますか?」などと聞いていたはずなのに、気付けばフェンシングの話をぺらぺらと話しているのは私のほうだった。時折試合にも出ていると話せば、クレフの返答は意外なものだった。

「知っている。一度試合を見た」
「うそ! いつですか?」
「忘れもしない八月十二日。×県でS大との親善だった。サーブルというのか? 空を切るような動きがこう、ダイナミックで、その……」
クレフが、突然言い淀んだ。

「男かと思いました?」
「いや、そうではなく」
「いいんです、褒め言葉だと思ってるから。八月かあ。結構最近ですね。でもよく日付まで覚えてますね」
「まあ、それはもちろん」
やっぱり偏差値が高いと記憶力も良いんだな、と安易なことを思う。

それからまた公園をしばらく歩いた後、ガレットがおいしいと評判のカフェに私たちは入った。ランチを控えめにしておいて良かった。
ナイフでカットを入れた時点で、これはもう正解だとわかった。サクサクしたガレット生地とフルーツの酸味、甘さを控えたクリームのバランスが絶妙すぎた。ガレット生地のお砂糖と小麦粉の甘さは、ママが作ってくれるホットケーキと同じくらい優しかった。


「海は、」
クレフが、フォークとナイフを皿の上に揃えて置き、言った。
「どんな男がタイプなんだ?」
私は口の中にガレットが入ったまま、思わずむせそうになる。四分の三と四分の一に取り分けたので、クレフはとっくにガレットを食べ終えていた。

「なんですか急に」
凛とした苦味のあるアイスコーヒーを一口飲み、姿勢を整える。クレフはこともなげに質問を続けた。
「別に急ではない。基本的なことを聞いていなかったから」
「タイプって言われても……」

見た目で言えば、圧倒的に目の前の人物なのだけれど、いざタイプと聞かれるとどう形容したらいいのかまるでわからない。「あなたがタイプです」などと気の狂ったようなことを言えるわけもなく、「まだわかりません」と答えた。

「クレフ……さんは?」
クレフは、私が取って付けた敬称に苦笑いをした。呼び捨てでいいのに、と言うので、そのうち、と返した。

あんなお仕事をしていたなら、モデル仲間や芸能人だって実物を何人も見ているだろうし理想はとても高そうだ。そう考えると、なぜ私のような一般市民をデートになど誘ったのか、あらためて意味がわからなくなってきた。

クレフのタイプの女性――。

聞きたいような聞きたくないような、そんな思いで食べかけのガレットに視線を落とす。すると、クレフがふいにスマートフォンを取りだした。まさか、写真でもあるのだろうか。芸能人やモデルならまだいい。例の「探していた人」の写真でも見せられたら、私はもう、この胸の痛みをごまかすことはできないだろうと、自覚してしまっていた。

スマートフォンを手渡されたので、受け取り、覗く。
手渡す時に画面に触れてしまったのか、インカメラが起動していて、覗き込む自分の姿が映った。画面の端には、そういえばさっきクレフが撮っていた野鳥の写真が、小さな四角の中に収まっている。

「あの、カメラが起動しちゃってますけど」
クレフは、慌てるどころか頬杖をついてニヤニヤとしている。
「まさか…」

スマートフォンを指差し「タイプだとでも?」と聞くと、クレフは嬉しそうに頷いた。

「……手口がチャラいです…」
「手口とは人聞きの悪い」
「だって、手馴れてる感じがすごいんですもの。よくやってるんでしょう、こんなこと」
「心外だな。今、海にしたのが初めてだ」
「嘘。こんなこと普段からやってなきゃできないですよ」
「そんなことはない。君がどんな顔をするかとか、何をしたら笑ってくれるだろうかとか、少し考えればたやすいことだ。その間抜け面が見られるのなら、こんな下らない冗談はいくらでも思いつく」
「…!? 間抜け……!」
「冗談だ。まるで信頼されていなくて悲しくなったので仕返しをしたまで」
クレフは、大げさに悲しそうな顔をすると、テーブルの上に紙袋をトン、と置いた。

「今日はありがとう。約束の品だ」
写真で見るよりもずっとまぶしいオレンジ色。茶色のリボンは、ガレットで満腹になったというのに私の食欲をくすぐった。

これを買うのは、本当に大変らしい。あとで調べたら、最長で四時間並んだ人もいるのだとか。あの日の夜、勢いとはいえこんな無理難題を押し付けたことが今更ながら申し訳なく思えてきた。更に申し訳ないことに、デートの途中から、正直、オランジェットのことは少し忘れてた。

「あの…」
こんなことが、お礼になるのかはわからない。けれど、こんなに苦労して手に入れてくれたのだから、私もなにか誠意を見せたかった。
いや、それは半分あっていて、たぶん半分は違う。

「よかったら、これ一緒に食べませんか?」
「ん?」
「今日はもうおなかいっぱいだから、今度、あ…でも、賞味期限…あるから、近いうちに…、来週とか…授業のあとにでも……」

盛大に噛みまくり、言いよどむ。意図は伝わったかとクレフを見れば、彼は俯き、テーブルに肘をついた片手で自分の目元をおさえていた。
「クレフ……さん?」
断られて恥をかいても全然よかった。「調子に乗るな」と笑われるかも。それでもよかった。四時間並ぶことに比べたら、なんてことはない。

「すまない。こんな顔は到底見せられない」
クレフは、さっきまでの余裕綽綽の声質とはまるで逆の、なんだか締りのない声で言った。

クレフの顔を覗き込む。
彼の、こんなに緩んだ顔は初めて見た。

こっちまで、顔が赤くなる。
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