(長編)インカレ!

chap.1 hai-jima Introduction
乗り換えに戸惑い、乗るはずだったバスをすんでのところで逃した。結果的にバス停の先頭に並ぶこととなった私たちは、次のバスが到着すれば、最後部の座席へとまっすぐに向かった。
窓側から、光、海、風だ。取り決めたわけでもないのに、三人で横並びになる時はバスでも電車でも、講義でも飲み会でも、なぜかこの並びになる。
バスの車内は、スクールバスかと勘違いするほどに見知った面々が乗車している。皆、目的地を同じとするサークル仲間だ。仲間と言っても、左右隣に座る親友ほど仲のいい人はいない。お友達と呼べる人から、顔と名前がどうにか一致するくらいの人まで、まあ色々だ。
「海ちゃん、大丈夫?」と、光が言った。
私はといえば、うなだれ、髪を垂らす。かと思えば宙をあおぎ不自然に深呼吸を繰り返す。
「先月の海さんの落ち込み様も心配でしたけど、今の海さんも心配ですわ」
と言って、風がハンカチを差し出してきた。
「ありがとう二人とも。大丈夫よ、緊張でどうにかなりそうなだけ」
先月、推しが引退した。
五年間追っていた。彼が初めて雑誌に載ったのは七年前。私が彼を知ったのはその二年後。歳は私のひとつ上で、同じ高校生なのにこんなにも大人っぽい男の子がいるなんて、と目を奪われた。
彼を初めて見た時の衝撃は今でも忘れない。
彼の引退は、私にとっては「超電撃引退」だったのだけれど、世間や業界からしたら、多分、まあなんてことはなかったのだろう。テレビで取り沙汰されることも、SNSのトレンドにあがることもなく、雑誌の小さな(けれど編集者の愛を感じた)卒業企画と共に、
先月の私は、控えめに言って死んでいた。
「でもまさか、あの人がこんなインカレ飲みに来るなんてびっくりだよね」
光の言葉に、心臓がドクンと脈打つ。
本当の本当に「何故?」 だ。
公式情報ならなんでも知っている。けれど、彼がこんな(と言ってはなんだけれど)インカレサークルに入る理由は、全くもってわからない。しかも、四年生のこの時期に。
おっとりしたサークルだと思う。兼部はオッケーだし、飲み会も出たり出なかったり適当で許される。中でも、男女比率が9対1のT大と、0対10つまり女子大のわが校は相性が良く(利害が一致すると言っている人たちもいる)、二大合同のイベントは頻繁に開かれていた。
飲みに行ったり、キャンプに行ったり、トランプを十組買って徹夜で神経衰弱をしたり。このゆるい雰囲気のサークル活動が成り立っているのは、T大の部長とこっちの部長の人望と仕切りによるものだと、誰もが思っている。
今日も今日とて、秋のバーベキュー大会と称しての集まりだ。八十人超えは初めてだと、前に
「やはりクレフさん効果でしょうか……」と、風も言った。
たしかに、今回の参加人数の増え様は、「名前も知らない幽霊部員が急に湧いて出た」そう表現するのが適切だった。
けれど残念、幽霊部員(女子)たちよ。クレフとお近づきになるためにこの会に参加するというのなら、それは見当はずれだ。
クレフは、公式情報では彼女はいないことになってる。けれど、部長ズたちからの情報によると、同じくT大のプレセアさんと「いい感じ」なんだそうだ。たしかに、ものすごくお似合いだと思う。美男美女の並びは、想像しただけでもうっとりしてしまう。
とはいえ、私もこのドキドキは到底ごまかせない。お近づきに……なんて大仰なことは願わない。けれど、ちょっとくらい話せたら。五年もファンをやっていたんだもの。それくらい期待したっていいじゃない。
いや、生で彼を見たら、私は今度こそ死んでしまうかもしれないけれど。
「でも、ファンが増えると海さんも穏やかではないのでは?」
風が言った。
私はうなだれていた顔をあげ、風のほうを向いた。
「まあ、色んな気持ちはあるけど、クレフを好きな人が増えるっていうのは、やっぱり嬉しいわ」
「まあ、健気ですのね」
「全然! 私、引退が決まった時、ひどいこと言っちゃったから」
「ひどいこと?」
「クレフの引退の理由は話したじゃない?」
「『探してた人を見つけたから』だったっけ?」
「そ。それで私は雑誌に向かって『かっこつけすぎじゃない?』なんて言っちゃったのよ」
「雑誌に向かって……」風が言った。
「今考えたら良くないファンだったわ。でも、あの時は引退が寂しくて寂しくて仕方なかったのよ。だから、あんな暴言を…」
「暴言……」光が言った。
「だから、お詫びってわけじゃないけど最後の掲載は紙媒体と電子版と合わせて二冊買ったの」
言いながら、スマートフォンを操作する。書籍アプリを立ち上げたところで、二人が画面を覗き込む。風が口に手を当て、「まあ」と小さな声を上げた。

「マイベストクレフよ」
マイの使い方が間違っているのは認める。所有はしてない。でもこのスマートフォンの中では、彼はマイクレフなのだ。
肌を見せる写真も衝撃だったし、女性とのペア写真も私の知る限りでは初めてだった。引退は夢か嘘なのでと思うほどに、この写真の威力はすさまじかった。
一房の長い髪に口付ける彼の慈愛に満ちた美しさに、涙すら出そうだった。
バスの窓の外は、すっかり暗くなっていた。車内が少しざわつき始める。皆が降りる支度をしだしたので、次が目的の停留場なのだと気付く。スマートフォンをカバンにしまい、光ごしに窓ガラスを覗けば、少々気合を入れた自分の姿が映った。
「ね、カチューシャ曲がってない? 変じゃない?」
屋外バーベキューとあって、自分の中ではかなりカジュアル路線の服を選んだつもりだった。けれど会場が近づくにつれ、今更ながら自分のコーディネートが不安になってくる。
「黄色はちょっと冒険しすぎたかしら」
光も風もニコニコと頷いて「海ちゃん、なんでも似合うから」と言ってくれた。二人を小さくハグしていると、バスはゆっくりと速度を落とした。乗客の降車が始まる。
その時、私は目を見張った。
「……クレフ……?」
見間違うはずはない。けれど疑いたくもなる。降車していく乗客の中に一人、異様なほどの輝きを放っている男性がいる。その輝きは私にしか見えないのか、いや、多分彼が座っていた座席はちょうど誰からも見えなかったのかもしれない。他の乗客たちは、どよめくことも彼の後を追うこともなく、ガヤガヤと降車を続けていた。
一方、光も風も目を丸くしている。
「今、いたね……」
「同じバスだったんですね……」
私はコクコクと頷きながら、窓の外を凝視する。歩道をゆったりと歩いて行くクレフの後ろ姿を、見えなくなるまで目で追った。
「話、聞かれてないわよね……」
ファン丸出しの自分のミーハー発言を思い返し、私は急に恥ずかしくなった。
「小声でしたし、混んでいたので人が吸音材になって聞こえてないはずですわ」
「吸音材って……」
風の言葉が、光と私の苦笑いを誘った。
結局、私たちは最後にバスを降りた。サークルのメンバーが全員降りた車内は、五、六人ほどの乗客を残しがらんとしたものだった。
バス停から更に十分ほど歩いて会場へ向かう。まごうことなき郊外だ。高い建物はないし、星がよく見える。
たしかに良い会場だ。カルディナが浮かれるのも無理はない。テニスコート八面分ほどの屋外スペースには、炭焼き台がゆったりとセンス良く配置されている。貸し切り下限人数は七十人と聞いた。
『映え』だなんだと会場の写真を撮りまくっている女子たちもいた。もちろん、私を含め。
今回初めて貸し切り利用することができると、ラファーガも喜んでいたらしい。以前カルディナとデートに来た時に「サークルの皆で来られたらいいな」と二人声を合わせて言ったんだとか。ラファカルペアのそういうところが、皆大好きなのだ。
会場を背景に三人で自撮りの写真を散々撮った後、光たちと連れ立ち、見知ったメンバーが着席していた炭焼き台へ向かう。とりあえず定住の場所が決まった。
向こうのほうの炭焼き台に目をやると、案の定、人だかりができ始めていた。あの人だかりの中心に我が推しがいるはずだ。人の山で、お姿はよく見えない。残念な反面、「さすが我が推し」とどこか誇らしい気持ちも湧いてくる。
これでまた雑誌に戻ってきてくれたりしないかしら、なんて都合のいいことも考える。
食事もお酒も進んだ頃、私は三杯目のおかわりを受け取りに、会場内のワゴンカーへと向かった。簡素なプラカップにチャイナブルーが並々と注がれる。ハタチになって初めて飲んだお酒がこれだ。
最初は完全に色で選んだ。ところが味も甘さもすごく舌に合って、それ以来飲み会では大抵これ。ライチリキュールの味がちゃんと濃い。良い会場だと改めて思う。
テーブルへ戻る途中、二人の男子たちに声をかけられた。初めて見る顔だ。幽霊部員だろうか。しつこいナンパがないのがこのサークルの良いところなのだけれど、こうして参加者が増えたり入れ替わったりすると、たまにこういう面倒が起こる場合もある。
無視しても冷たくあしらっても、男子たちはついて来る。イライラしながらも、根性があるなあと少し感心もする。けれどこのまま彼らを光や風のいるテーブルに導くわけにはいかない。
私は、元のテーブルへは戻らず、ラファーガ達の元へ向かうことにした。男子たちもついて来たけれど、進む先、ラファーガの姿を見ると、彼らの姿はいつの間にか消えていた。本当に幽霊だったりして。
足早に元のテーブルへ戻り、風に「ちょっとサボるわ」と耳打ちをして、それから私は忍ぶように会場を抜け出した。
歩きしなチラと見ると、人だかりは少し薄れていたものの、我が推しはまだ囲まれている様子だった。最初は女子だけだった人だかりも、いつの間にか男子も少なからず混じっていた。
(男の人にもモテるのね)
そんなことを考えて、自分が少し酔い始めていることに気付いた。
会場を出て少し行った所に手ごろなベンチがあったので、迷いなく腰かける。あちらからは見えないし、おサボりスポットとしてはちょうど良い。一応、今いる居場所を光たちに送信して、それからさっき開いたままの電子書籍アプリをタップした。
「ほんとに、きれい……」
画面の中のマイベストを見ながらしばらくうっとりしていると、ふいに、後ろから名前を呼ばれた気がした。その深い声に、思わず振り返る。
足音もなく、その人は、私の座るベンチのすぐ後ろまで来ていた。
見間違えるはずもない
画面の中の人物が。