Believe in Magic

穏やかな顔をして、突拍子もないことを言い出す。

イーグル・ビジョンを知る者なら、彼に対する人物評価はほぼ一致する。
セフィーロでの長い長い療養 スリープを終え、診療台の上で上半身を起こし、発声を用いた意思疎通が取れるようになったその日。言い出したのは、最高司令官の職をジェオ・メトロに移譲する、という旨だった。

「完全に回復するまでには、今までの倍以上はかかりそうなので」とか「オートザムも変わらないといけませんからね」とイーグルは言った。久しぶりに震わせる声帯に戸惑い、つかえながらも、ゆっくりと、しかしはっきりと、彼は言った。通信 脳内音声で伝えなかったのは、彼なりの矜恃のようにも思えた。

あの日は、見舞いやリハビリ補助のために幾数人がイーグルの休養室に在室していたが、セフィーロの面々のうち、先んじて知らせていたというフェリオとクレフを除いた全員が、驚きのあまり椅子から崩れ落ちそうになった。ジェオも、申し訳なさそうに苦笑いをしていた。

(まあ、さすがにあの時ほどの衝撃はないけどね)

どっぷりと過去に浸りかけた頭を、このアップルパイが現実へ繋ぎ止める。ジェオの作ったアップルパイは今日も良い出来だ。日照時間はさすがに足りないらしく、リンゴの酸味はかなり強い。まだ単体で食べられるような品質ではない。けれど、ジェオにかかればなんのそのだ。クリームのまろやかさと、今回はしっとりめに仕上げられたパイ生地が、リンゴの酸味と調和し、全体の味を支えている。

話をどこか上の空で聞いていたことがばれたのか、イーグルが「どうですか?」と再び問いかけてきた。


唐突すぎる依頼ではあった。けれど、昔のように、なによそれ!と、ぎゃあぎゃあ慌てふためくような歳でもない。かわりに、と言ってはなんだけれど、カルディナのほうがよほど盛り上がっていて、まるで自分のことのように興奮している。

「ウミ!ウミウミ!こんな機会、一生に一回あるかないかの名誉なことやで!絶~~っ対!出とき!」
「そこまで言っていただけると光栄です」
長い休養とリハビリを以てしても、彼の知性と人間性が失われることはなかった。すっかり自立歩行ができるようになった今も尚、渉外の面では未だ前線。逃げ道はありませんよ、と言わんばかりに虎視眈々と狙いを定めるイーグルに、盛り上がるカルディナが援護射撃をする格好となり、私はある意味、包囲されていた。ジェオやザズたちは援護しないかわりに口も出さない。つまり、助ける気もないのだろう。
ティーパーティ包囲網だ。


オートザムで開催されるショーに、衣装を見せるためのブースがあるというのはなかなかに意外だった。カルディナいわく『さいばぁ&えれくとりっくな、かっちょええショー』とのことだ。それに出ろ、と言う。意味がわからない。

そのショーはと言えば、カルディナの先のような反応を引き出すほどに盛大で伝統的なものらしい。ひと昔前までは、-イーグルは『大昔』と言っていた-、そのショーではホバーなどの搭乗品や軍事品を展示し、国力を誇示するのが主な目的だったとのことだ。出演者も男性ばかりだったそう。しかし、凝り固まった「国力の誇示」は、時に押し付けがましさとして、嫌煙されがちだ。そうなる前に、この「誇示」にエンタメ色を乗せたのが、いまのオートザムのショーだと言う。

聞けば、最近では服飾類や重金属類を加工する技術、それに派生してオートメーション化可能なあらゆる技術を売り出し、また国内競争をも発展させる目的も含まれるようになってきているらしい。軍事品の展開に頼るのみでは危ういと、ご尊父が踏んだのかもしれないが、イーグルはそこまでは語らなかった。

そんなオートザムのショーに、異世界の民である私が出る意味。イーグルの依頼を飲めば、それはきっとオートザムやセフィーロの人たちのためになるだろうということは理解出来た。それにしても、荷が重すぎるし自信もない。私がうーん、とうなると、カルディナが更に援護の駒を進めた。

「ウチかて、初めてバックダンサー ちょい役で出れた時はたいそう浮かれたもんや」
うんうんとうなずきながら、昔を懐かしみ目を輝かせている。
「まあ、ウミはそんなに気負わずに。誤解を恐れず言うと、異世界の方に出ていただけるということだけでも、十分に意味のあることなんですよ」
「色物枠ってことね」

紅茶をすすりながら言うと、カルディナが私の背をバシバシと叩いた。
「色物でもなんでもええ!こんな機会二度とないで!絶対に!出とき!」

すると、イーグルが、円卓の上のカップ類をおもむろに一つ二つ掴んで場所をずらした。そして、空いたスペースに手のひらサイズの何かを置いた。ファミレスの呼び出しボタンみたい、と思う。もちろんそれは呼び出しボタンなどではない。イーグルがそれを操作すると、テーブルの上にパソコンモニターほどのサイズのスクリーンが投影された。透けたスクリーンごしに、向かいのイーグルがにこにことほほ笑んでいる。
「百聞は一見にしかず、です」
と、イーグルが我が国の故事成語を口にした。

スクリーンに映し出された映像は、たしかに心躍るものだった。オートザムっぽくない、とも言えるし、オートザムっぽい、とも言える。このようなポップなニュアンスの催しは、どちらかと言うとチゼータの十八番にも思えた。しかし、ステージとランウェイを彩る数々の衣装やモデルたち、それに、彼女たちを彩る演出も相まって、それはカルディナの言う通り『サイバーでエレクトリックなショー』だ。『かわいい』というより『かっこいい』が近い。ごく小音量で再生しているものの、時折音楽に混じって、沸くような歓声や拍手が聞こえる。私も、もし自分が客席にいたら、きゃあきゃあとはしゃぎかねないと思った。

自分で言うようなことではないけれど、異世界の人間を出すというなら、光より、風より、私を選ぶのも理解できた。なんというか、このショーに出るには二人とも、かわいすぎる。というか、毒気がなさすぎる。

映像がとまる。イーグルが円卓の上での手を組み「どうでしょう」と言った。


私は結局、イーグルの依頼を飲むことにした。カルディナの後押しがあったからでも、映像を見て何かしらの感情が湧いたからでもない。イーグルは本当に口がうまいと思う。それに、人心掌握に長けている。

「成功すれば、ウミも今より自由にオートザムで動けるでしょうね。導師の公務負担を少しは軽減できるかも、ですよ。こちらとしても書簡の受け渡しのたびに導師に御足労いただくのは恐縮だと思っていたところなんです」
ここまで言うと、イーグルは口を閉ざした。出演交渉の切り札は、やはり最高司令官に譲ることにしたのだろうか。かわりに、今まですっかり黙っていたジェオが口を開いた。

「オートザム本部棟の入場パス」


クレフの恋人としてもう少し自立した女性になりたい、そう考えていた私には、うってつけの殺し文句だった。


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リハーサル初日、本番用かとも思うほどの広いリハーサル会場には、オートザムのモデルたちがずらりと並んでいた。彼女たちが着ていたのは、白地の、シンプルすぎるボディスーツのような衣服だった。フェンシングのウェアに近い。全員がまるで制服のように同じものを着ているので驚いた。聞けば、彼女たちは、’投影された服’を着るという。
「投影?」
尋ねると、スタッフが「一度見てみる?」と言うので、ぜひ、とお願いした。モデルのうち一人が、リハーサル用のランウェイを歩く。すると、白地のボディスーツは、あっという間に、いや、まるで最初からそうだったかのように、エキセントリックな黄緑と黒色のツートンカラーのスーツに変化した。
リハーサルなので音響や照明といった派手な演出はないものの、彼女の立居振舞は優雅としか言いようがなかった。思わず「かっこいい」と声が漏れる。モデルやスタッフたちが、してやったりとばかりにフフと笑った。地球のプロジェクションマッピングなど到底及ばない。なんど瞬きをしても、目をこすっても、ボディスーツの跡形もない。素材感や温度感までもが見事に表現されていた。

一方、地球人である私は、このボディスーツは着ない。
プロデューサーいわく、「せっかく地球人ちゃんに出演してもらうんだから、オートザムの皆と同じことをやってもね~」とのことだ。
こういう言い方をしてはくれたけれど、本音3割、気遣い7割だろう。と言うのも、衣装を投影されながら歩くのは、難易度が高すぎた。

彼女たちは、投影される服の種類に応じて、重そうだったり軽そうだったり、素材の質感を生かすためのウォークをしなければならない。着てもいない服のイメージをしながら歩くモデルたちは、本当にプロそのものだった。

プロデューサーが「ちゃんウミも試しにやってみる?」と言うので、一度着させてもらった。表現とか美しさとか、そんな次元ではない。まず、投影に合わせて歩くのが難しい。まともに投影されている時間よりも、投影がスーツからはみ出ている時間のほうが長かった。投影機を操作していた男性スタッフが「実用化への道はまだまだ長い」言った。「それでも一歩」と別のスタッフが彼の肩をポンと叩いた。

そんなわけで、私は普通のドレスを着ることとなったわけだけれど、これがまた普通ではないらしい。「後でドレスの色を変えることになると思います」と、あるスタッフが言うので、「投影服はまるでダメだったのよ私!」と言うと、違う違う、と笑って返された。ドレスの色は、当日プロデューサーが決めるとのことだ。わけがわからない。

とにもかくにも、私はこの「普通の」ドレスと数ヶ月付き合うことになる。マーメイドラインの濃紺色のドレスは、仮縫製の時点で、すでに美しかった。サイズを合わせ、本縫製を終えたところで、いよいよ私も本格的にレッスンを始めることとなった。レッスンの日々は中々にハードで「気負わずに」と言ったイーグルを、最初こそ恨んだ。

ポージングの基本や手足を長く見せる立ち方の類は、そこそこに習得できた。バレエを習わせてくれていた両親にこれほど感謝したことはない。しかし問題はウォーキングで、着慣れないドレスを着て足元を見ずに15センチヒールで歩くのは中々に骨が折れた。

しかも、これ以上の表現をしたいのならば、考えなくても最低限これくらいはできないとお話にならない。ウォークに、演出の解釈に、表情作りに、手を取って並んで歩くバディとの連携。覚えること、やることは山のようだった。

毎週末、東京タワーからセフィーロへ飛び、城へ着くやいなや挨拶もそこそこにオートザムへ向かい、セフィーロには寝に帰るだけになるような日々すらあった。夜中、クレフの部屋に寄っても、ヘトヘトに疲れて泥のように眠るだけなので、申し訳なくてそのうちに立ち寄ることも少なくなっていった。

トータルプロデューサーのローザ・ヴォルツは、最初こそ私をゲスト扱いして懇切に気を使っていてくれたものの、レッスンの日々を重ね、お互いに人となりがわかってきた頃には、徐々に突っ込んだ指導をしてくるようになった。

「あなたの魅力はね、色々あるけれど、まずは顔!顔!顔!とにかく顔よ!この勝気な青い瞳!親しみやすさも共感もいらないわ。『こうなりたい!』っていう女の子の憧れを、このちいちゃな顔面いっぱいに浴びるつもりで歩きなさい」

パパとママと、それからクレフ以外の人に、見た目をこんなにも熱烈に褒められたことはなかったので、叱られても、嫌な気はしなかった。
とはいえ、レッスンも終盤になると、一日に叱られる回数を数えるには両手足の指の本数では済まなくなり、目を腫らしてセフィーロ城へ帰る日も少なくはなかった。

モチベーションは、もはやオートザムのためとかセフィーロのためとか、そしてクレフのためでもなく、自分自身の意地だった。半端なものにはしたくない。

けれど、深夜、レッスンを終えて城の自室へ戻ると、『疲労に効くから、飲んでから眠るといい』というメモと共に、すっかり冷たくなった薬湯が置いてあったのにはさすがに泣けた。



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ショー当日の朝、「白で行きましょ」とローザが言った。「オートザムは晴天!今日は白!」だそうだ。

私は、一人のスタッフの顔を覗き見た。レッスン初日に「後でドレスの色を変えることになると思います」と言っていたスタッフだ。目が合うと、彼女の口が「ね?」という形に動いた。

何十ものスタッフたちは「白かあ」と青ざめ、ものものしい装置に向かって慌ただしく手を動かし始めた。モニターには、例の黄緑と黒のツートンスーツも写っていた。それが徐々に、淡く白色がかったパステル調に色を変えていく。どうやら投影プログラムを「白調」に書き換えているらしかった。残り数十着、全て調整するのだろうか。

ほかのモデルたちは「白かあ」と苦笑いをするも、途端、真剣な面持ちになると、ローザからウォーキングの補正指導を受け始めた。相変わらず、美しいウォークだ。白調に合わせ、以前よりも足取りが軽やかになっている。その足取りはまるで快晴の空を跳ねる鳥たちのようだった。彼女たちは、ローザの助言を一言二言聞いただけで、うんうん、と頷き、なんなく対応をしていた。先ほどの苦笑いといい、よくあることなのだろう。

彼女たちに比べれば、私はまあ気楽なものだった。
「ちゃんウミはそのまま!」と言われたからだ。ウォーキングもポージングも変えずに行くという。素人の私の場合は、下手に衣装の色に合わせるよりも、身体に馴染んだもののほうが良いと踏んだのだろう。元々そのつもりのレッスンメニューだったそうだ。

私のドレスが普通でない、という意味はこの時に分かった。リハーサル室の隅の一角。スタッフたちが、なにかレーザー銃のようなもので、私が着る濃紺色のドレスを照射している。その様子が、別のスタッフたちによって物々しく撮影されている。オートザムの技術、その宣伝も兼ねているというのは、きっとこのことなのだろう。「舞台裏」までもが、ショーの商品だった。なんだがとてつもなく重い看板を背負わされているような気がして、心臓がバクバクとおびえ始めた。

それから数十分ほど、私の衣装は、ものの見事に真っ白になった。とはいえ、無理やりに上書きしたような粗雑さはない。まるで最初から白色を基調として縫製されたかと思うほどに見事な白地のドレスへと変わった。
「完璧」と誰かが言った。着色の完了したドレスを前に、照射を終えたスタッフはほっと一息ついた。かわりに、今度は私が真っ青になる。ローザやスタッフたちは、私の小さな震えを緊張と捉えたのか、「大丈夫よ」と次々に声をかけてきた。

リハーサル室から、私個人の控室へ移る。最終確認をしていたスタイリストが、指輪はそのままでいいんですよね、とローザに向けて言った。願いの石の指輪のことだ。ローザが「これほど彼女に馴染む指輪はオートザムには存在しないわ」と言った。続けて、「 ヘッドもこのままね」と早口に言うと、次の合わせのためか、控室を慌ただしく去っていった。ほどなくして、「何かあったらお呼びください」と言ってスタイリストも退室して行った。
控室に一人ぽつんと取り残され、私は、鏡の前に立つ。シルバーの冠には、私の好きな色の宝石たちがキラキラと輝いている。プロによる、最高の仕立てだ。衣服も装飾品も、完璧に仕上がっている。鏡には、私の浮かない表情だけが、不釣り合いに写っている。私は、目の前の鏡が全て曇るのではないかと思うほどの大きなため息をついた。

イメージイラスト


-ウェディングドレスは、とっておきたかったな

のろのろと椅子に座り込み、頭を垂れれば、大きなイヤリングがシャランと金属音を立てた。

「でもひきうけた以上は、しっかりやらないとね!」

自分を鼓舞するため、無理に声を出して言ったのがいけなかった。「減るもんじゃなし!」自分の声につられて、余計に涙が出そうになる。
私は、無意識に指輪をなぞり、そして恋人の名を呟いていた。


「こういった催事のことには詳しくないが」

突然部屋に響いた声に、思わず立ち上がる。椅子がガタンと倒れた。

「本番前にそんなに沈んだ顔ではまずいのではないか?」

バッと部屋を見回すと、バルコニーの外、部屋まで伸びる樹木の枝葉がガサリと揺れるのが見えた。

「クレフ!」
すると、つい今しがた名前を呟いたばかりのその人が、木伝いにバルコニーへと飛び込んできた。

「浮かない顔だ。どうした?」

どうしてここに? と問う余地も与えず、クレフはこちらへ早足に歩み寄った。倒れた椅子を起こし、その正面に、別の椅子を一脚運び、そこへ座った。
私は、クレフの正面に座り、そして、たどたどしくも経緯を話した。私にとってのウェディングドレスの重みが、この人にどれほど伝わるかはわからない。けれど、とりとめもなく、私は胸の内すべてを話した。

「それで……、あの、私、どうしたらいいかわからなくなっちゃって。いきなりこんな、ウェディングドレスだなんて……」

一通りを話し終え、俯いていた視線を上げクレフを見ると、貫くような視線が私を刺した。

「ウミ」

厳しい声。
導師の、クレフだ。

「……はい」
思わず体がこわばる。

「わかっているな? この件を依頼したのはオートザムだが、引き受けると決めたのは、」

「私よ」
思わず、クレフの言葉を遮って答えた。

「そうだ。お前が決めた。ウミ、お前がしていることは、れっきとした職務であり国交だ。遊びではない」
「……そっ、そんなのわかってるわよ!」

十分にわかっている。
今日ここに来るまでに、どれほどの人が尽力してきたか。衣装一つとっても、デザインから型紙取り、縫製に手直し、めまいのするような時間と労力がかかっている。
今朝の色の変更だって、かかった時間にすれば数十分でも、それを叶えるための技術開発に費やした時間はその何千倍にも何万倍にもなるだろう。衣装だけではない。舞台に、演出、広報に会場の安全管理や他国との交渉に交通整備も。目に見えるもの見えないもの。多大な尽力の上にこのショーは成り立つ。
今日だって、目の下にクマを作ったスタッフと何人もすれ違った。それを私一人のわがままで台無しにするわけにはいかない。

それに-

「わかってるわ……」

それに、私だって伊達に足に豆を作り続けたわけではない。夢に見るほど脳内でランウェイを歩いた。ランウェイで転んで、ヒールを折ってしまったことを、涙を流しながら謝ったのが、夢なのか現実なのかわからない日すらあった。オートザム語の BGMだって、反復しすぎて今では暗唱できるほどだ。

睡眠時間は減らすな、とローザに言われた。だったら、他の時間を回すしかなかった。セフィーロでの時間も、地球での時間も。犠牲とは呼びたくないけれど、そう呼ばざるを得ないくらいには費やした。
これほど何かに集中したのは、生まれて初めてだった。


「ごめんなさい。わかってる……わかってるの。私が大人げなかったわ」

まるで、心を、導かれたようだった。
クレフの厳しさは、今私が一番欲しいものだった。

結局は、厳しさをもって甘やかされてしまった。
私は、情けないやら恥ずかしいやらで、しかも、ついさっきまであんなに厳しい顔をしていたクレフが、今度は本当に、本当に優しく微笑むので、涙は決壊寸前だった。

「私も、厳しいことを言ってすまなかった」
そして、クレフはそっと手を握ってくれた。クレフがなぞった指輪が、キラリと光った気がした。

その時、クレフの手のひらにじんわりと赤いものがにじんでいるのに気付いた。

「クレフ!けがしてる!」
「ん?…ああ、そこの枝をつかんだ時にでも引っ掛けたか」
と言いながらクレフは目線をバルコニーのほうへやった。
「たいしたことはない」
クレフが言った。

とっさに、壁掛け時計を見る。
「オートザム時間」を頭の中で変換するのも、ずいぶん早くなってきた。

大丈夫。まだ、時間は十分にある。

「……治すわ」

指先をクレフの手のひらに当て、
そして、胸の中の言葉を温める。

慢心、驕り、弱さ。

善悪賢愚、人の感情すべてが魔法につながるとクレフは言った。だから、私はシンプルに、一つの感情だけを指先にこめる。

心の泉の水面は、少しだけ波立っている。でも、大丈夫。クレフに教わった通り、乱れた心でも見つけられる場所。水面から、鏡のような水球が弾け、それは霧となって心を満たした。そして、私は胸から湧いてくる言葉を静かに唱えた。







目を開けば視界に入ったのは、穏やかな瞳を携えたクレフだった。手のひらの傷は消えている。
「洗練を、怠らなかったな」
「一応、あなたの教え子ですから」
「頼もしいことだ」

クレフも私も、笑った。

「あの茶会で、お前がイーグルたちの依頼を受けたと聞いた時、セフィーロやオートザムの民のことを想うお前の心が嬉しかった」
すっかり傷の消えた手のひらに視線を落とし、クレフが言った。

「そんな…違うの、…そんなに高尚な動機じゃないわ。私、もっとわがままで、」
「私のためでもあるのだろう」
「嘘っ!知ってたの!?」
「本当に、かわいい奴だ。いや……違うな」
そう言って、クレフは私の頬をそっと撫でた。

「綺麗だ」

クレフは、男の人の瞳をしていた。一瞬で、心臓がドキリと飛び跳ねる。今もう一度回復魔法を、と言われれば成功する自信が少し、ない。

「こんなに美しく仕立てられてしまって。オートザムの男共全員が、私の敵になるな」
クレフがあんまりに真剣な顔で言うのが可笑しくて、私は、恥ずかしいのもそこそこに、小さく吹き出した。
「ふふ、男の人 バディと、腕を組んだり見つめあったりするのよ」
「それは妬けるな」
そう言って、泣き笑いの涙をそっとぬぐってくれた。メイクを乱さないようにするためか、いつもよりもずっと優しい手つきだ。そのまま、指が顎に触れ、正面を向かせられる。メイクチェックさながらにじっと注がれるクレフの視線が気恥ずかしい。
「あの…クレフ…?」
「ただし、ここには決して触れさせるな」
「……っ!」
突然のクレフの所業に、一瞬息が止まりそうになった。
というか止まった。

「…な、っ!ショーで、そんなことするわけないでしょ!」
「それは良かった。もしもそのようなことがあれば、外交問題に発展しかねない」

悪戯っぽく笑ったかと思うと、クレフは控室の出入口をチラと見てから、早口に言った。
「予行演習だと思って行ってくると良い」
言い終えるやいなや、クレフはあっという間にバルコニーの外へと飛ぶように消えて行った。

顔を赤くする間もなく、クレフが去ったのとほぼ同時に、ノックの音が聞こえたので応答する。ローザとメイク師が慌ただしく入室してきた。

「ウミ!ドレスの色を変えるわよ!ごめんなさいね…!私の勉強不足だったわ!」
ローザが慌てふためいている。目をパチクリさせ、どういうことかと尋ねると、ローザは言った。

「聞いたわよ! あなたの国では白い婚礼衣装には特別な意味があるんでしょう!そんな大切な色を着させるわけにいかないわ!」
私は時間差で、ローザの気遣いの意図を理解した。
「ローザ、ありがとう。大丈夫よ。私この衣装で出るわ」
「でも!」
「『オートザムは快晴!今日は白!』なんでしょう? ね、ローザ。オートザムもあれから少しずつ晴れるようになった。まだまだ酸っぱいけど、ジェオのりんごも育った。本当に酸っぱいけど。だけど、私、オートザムがこんな真っ青な晴天になるなんて、知らなかったわ。セフィーロとも、地球とも違う空の色。そんな日にプロデューサー あなたが白と決めたら白なのよ」
「ウミ……」
「なんてね。ほんとはね、私さっきまで少し戸惑っていたの。花嫁さんって、ずっと小さい頃からの夢だったから。でもね、もう大丈夫。ほんとにほんとよ!」
私は胸に手を当て、ニコと微笑んだ。強がりでも虚勢でもない、本物の笑顔だ。

魔法 勇気をもらったから」

二人とも、虚をつかれたような表情をしている。堪らずメイク師が口をはさんだ。
「あの、どなたかいらしてたんですか?」
「さあ」
私が言うと、薄らと涙を浮かべたローザが、私の顔をじいと見た。そして、可笑しそうにニと笑うと、メイク師に言った。

「あなた、ウミのリップを直してあげて!」



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「すっごくよかったわよ~!」
全ての出演を終え、舞台袖へ戻ると、ローザがハグと共に迎えてくれた。
「今までで一番堂々としてたわ!本番に強いのね」
「そんなこと、」
「すごく評判でね!女の子も男の子もきゃあきゃあ言ってたわよ!」
「あ、ありがとう…」
「イーちゃん達があなたを推薦したのも納得ね!ウミとショーができて、本当~~~~に、良かったわ!また出てね!ありがとう!」
と言って手を差し出してきた。握手を返すと、ローザは私の手を握ったままぶんぶんと振って言った。
「ワタシね、ちゃんウミのこと、気が強そうに見えて実は繊細な子だと思ってたの。けど、あなたやっぱり性根がきちんと強いのね。そうじゃなきゃあの表情とウォークはできないわ」
褒められているのか何なのかわからない賛辞を受け、思わず苦笑いが零れた。

「特に、あの第一部のウォーク!あんな表情できるなら最初からしなさいよね~!ね、ね、どんなこと考えながら歩いたの?参考にするわ!教えてちょうだい!」
ローザは教えて教えてと瞳を輝かせている。
「誰にも内緒よ?」
ローザは、うんうん、とうなずき顔の前で両手を握った。
「ローザ、言ってたでしょ? 本番で使う使わないにかかわらず、いろんな表情を覚えておくのがいいって」
「そうよ。女の子はみんな女優だもの。ショーにかかわらず、絶対に為になるわよ」
「だからね、いろいろ想像したの。自信満々になれる自分を」
「すっごく堂々としてたわ!」
ローザが、初めに使った言葉でもう一度私を褒めた。
「いっつも、振り回されっぱなしだから。それに頼り切りだし、今日だって…、どうしたって勝てないのよ。私は」
「何の話?」
「だから、私も、虚勢でもなんでもとにかく強くならなきゃって思って。ドレスのことは逆手に取ろうと思ったの」
ローザはいよいよ首をかしげてから、『話についていけない』という意味合いのオートザム特有のジェスチャーをした。
「だからね、『早くもらってくれなきゃ他の人のお嫁に行っちゃうわよ』っていう気持ちで歩いたわ」
符号が一致したのか、ローザは「あらまあ!」と大きな声で笑った。なるほどなるほど、と顎に手を当ててニヤニヤと笑っている。

「そういえば、会場に見えたわよ。一人で壁にもたれて腕組みなんかしてたから目についたわ。ムスっとしてたけど、あなたの出番が終わったら途端にほっとした顔してた人」

間違いない……と思う。

「でも、」

「本番前にリップを崩すのはいただけないわね」
と言って、ローザは私のおでこをピンとつついた。

それから、もう一度「本当にありがとう」と言うので
私も、少し泣けた。











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「なあ、やっぱりウミは来たらまずいんじゃないか」
「そうは言っても、主役さんを誘わないわけには」
「でもなあ」
「大丈夫ですわ。海さんとクレフさんのことですもの」

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ショーを終え、オートザムでの打ち上げに二次会まで参加してから、私はセフィーロ城へと帰った。

イーグルとジェオは、約束通りオートザム本部棟パスを用意してくれた。これで、オートザム関連の雑務なら、私一人でも出来る。それでクレフの公務負担をどれほど減らせるかはわからないけれど、それでも大きな一歩だ。


セフィーロ城の回廊を早足に進んでいると、大講堂と呼ばれる広間が、やいのやいのと盛り上がっているのが数十メートル手前からでもわかった。
思わず駆け出し、チラと中を覗けば、見知った面々がそろっているので頬が緩む。「やっと終わった」という開放感と、身内しかいないこの気楽な空間へ今から飛び込めることが、何よりのご褒美のように感じられた。

しかし一同は、講堂に足を踏み入れた私に気づくと少しだけギクリとした様子を見せた。

「え?なに?どうしたの?」
すると、一同がものすごい勢いでこちらへ駆け寄ってきて、私はあっという間に囲まれた。

「海さん、とてもすばらしかったですわ」
「オートザムの客席もきゃあきゃあ言っとったで!」
「え?あ、ええ、?ありがとう」

聞けば、ランティスやラファーガまでもが私の名前が入った応援用うちわを持たされたという。ランウェイからは見ることができなかったのが悔やまれる。なにせ目線も指導されていたのだ。申し訳ないやら嬉しいやらおかしいやら、どういう気持ちになったら良いかわからなかった。

それにしても、いくらなんでも構われすぎる。異様なほどに褒めちぎられ、悪い気はしなかったけれど、皆の様子がどこかおかしい。それに……。

「ねえ、クレフは?」
私は、恋人の行方を尋ねた。

風が、奥の席にチラと視線をやる。
遠目に、椅子の背もたれから覗く薄紫色を見つけた。

「なんだ、いるんじゃない!」
一同のぎこちなさが増した気がした。私がクレフのほうへと駆け寄れば、なぜだか風とフェリオが心配そうに私の後をついて来た。

「クレフ!」

「ウミ、おかえり」
一番褒めてもらいたかった人。その笑顔に、胸が高鳴る。今すぐクレフの膝の上に飛び乗って、抱きつきたいくらいだった。

「……?」
ふと見ると、クレフの隣には、見知らぬ女性が座っている。大人っぽい人だ。座っていても、私よりクレフより背が高いことがわかる。上品なレモンイエローのワンピースからは、すらりとした長い脚が伸びていた。カルディナから愛想を抜いて、タトラの色気を足したような女性だ。綺麗な人だな、とポーっと眺めていると、クレフが紹介役を買って出てくれた。

「バネット、こちらがウミだ、リュウザキ・ウミ。
 ウミ、彼女はバネット。所用でこちらに来てもらっていて、実は―」

クレフの言葉を遮り、バネットが足を組んだままこちらへ右手を差し出してきた。それがなぜか不遜に思えなかったのは、彼女からクレフに似たなにか不思議な力のようなものを感じたからだ。床に届きそうなほどの長い髪がはらりと垂れ、バネットはにこりと微笑んだ。

「今日の主役さんね。ショーすごく良かったわよ」
「え?あ、見ててくださってたんですか?」
彼女のオーラが、自然と私に敬語を使わせた。戸惑いと驚きが混ぜこぜになったまま、わけも分からず握手を返す。

「ええ。今日ね、ほんとは彼、私と会う約束だったのよ。なのにそれを蹴ってオートザムに視察に行くなんていうから、どんなものかと思って私も見に行ったわけ」
「約束?」
「私たちは10年に一度必ず会うの。とってもとっても大事な約束よ」
「バネット」
クレフの声に苛立ちが見える。他国の人たちがいないのが幸いだった。私も、遠慮なく声に棘を混ぜて返した。
「随分と仲が良いんですね」
「古い付き合いだもの。彼のことは、よーく知っているわ。こーんなちっちゃい頃、劇場のステージにあげられそうになって泣きべそかいてたことも、腰に一つほくろが、」
「バネット、よせ」

なによそれ。そんな話、聞いたことがない。
…幼馴染?元恋人ってこと…?

頭がグラグラと揺れて、自分でもどうなってしまうかわからなかった。いくら身内とはいえ、風たちもいる。ここは撤退が最善手だと、わずかな理性が教えた。叫びそうになる衝動をどうにか抑え、大袈裟に深呼吸をしてから私はようやく口を開いた。

「……では、積もる話もあるでしょうから、私は失礼します。どうぞごゆっくり」
「待て、ウミ!」
「あら、あなたはまだだめよ」
バネットが、立ち上がりかけたクレフのローブをつかんだ。振り解けるような人じゃないことはよくわかっている。おそらく、バネットもそれをわかってやっている。


-なんなのよ、その女

「クレフ」

笑顔の作り方なら、いやというほど特訓した。

『女の子はみんな女優だもの。ショーにかかわらず、絶対に為になるわよ』

ポケットの中の、本部棟パスをスカートの上からぎゅ、と掴む。ローザの教えを、こんなに早く実践することになるなんて思わなかった。

-見下ろす角度にいる異性にはちょうどいいわよ。撃ち抜いちゃいなさい。

とローザは言った。

猛特訓した笑顔の内の一つ。
小首を傾げて流し目気味に目を細め、口角は上げすぎず微笑みと笑顔の中間くらい。


「先に寝室 へやで待ってるわ」


決して小さくはない声で言い放つと、クレフは目を丸くした。数秒遅れて彼の顔がほんのすこし紅潮したので、秘伝の微笑みは上手くいったのだと確信する。けれど、それ以上に私が顔を赤くしては格好がつかないので、大袈裟に髪をはらって背を向けた。

去り際、フェリオがからかうように短く口笛を吹いた。




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「遅い……」

前言通り、私はクレフの寝室にいる。ベッドの上でごろごろと転がっているのにも飽きた。気が高ぶって、眠れる気もしなかった。クレフが戻ってくる様子は、いっこうにない。

「もう!なんで戻ってこないのよ!」

寝室から私室へ、そして回廊へ出、コソコソとまるで泥棒のように進む。それはもう、コソコソと。さっきまで堂々とランウェイを歩いていたとは思えないほど滑稽な姿だ。こんな情けない姿をローザが見たら卒倒するだろう。

打ち上げはすでに終わったようで、大講堂は空いたテーブルとイスだけを残し、がらんとしていた。
大講堂にはいない。私室にも戻っていない。ということは……。

執務室へ向かって歩みを進める。しばらく歩いていると、背中に急になにかが触れ、思わず「ひゃあ」と悲鳴を上げた。
「モコナ!」
振り返れば、そこには、セフィーロで最も弾む素材でできている精獣が楽しそうに跳ねていた。

なにかジェスチャーをしているがさっぱりわからない。とにかくだっこをせがんでいるようなので、モコナを抱え回廊を進む。


(いるかしら)

執務室まで数メートルというところで、及び腰になってしまった。大人げなく、あんなマウントまがいの啖呵を切ったばかりだ。「あなたのお戻りが待ちきれませんでした」と、すごすご入室するのは、なんとなく恥ずかしかった。

(私もまだまだ子供ね)
心の中で一人ごち、やっぱり寝室へ戻ろう、と踵を返した時だった。突然、腕の中からモコナが飛び出した。するりと私の腕を抜け、そして執務室へと一目散に飛び跳ねていく。

「モコナ!だめ!」
回廊を飛び跳ねるモコナに反応し、執務室の扉が、まるで自動ドアのようにすうと開いた。慌ててモコナを抱えた時には、扉は完全に開いていた。
思わず室内を覗いてしまったのが良くなかった。

応接ソファに座る男女。

一人はバネット。
こちらに気付き、「あら」と口角をあげている。



血が凍った。



バネットの向かい側、白い背中。

最愛の人が、その肌を晒していた。








『晴天の霹と靂』
end




※補足
ローザの性別は決めていません。また、ローザ氏はファッションの世界でしか生きていないので、セフィーロの最高魔導師の顔は知らなかった、ということにしました…笑。
(現実だったら各業界にコネクション張りまくるはずなので、知らないなんてことは絶対ないんでしょうけどね笑)


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