【クレ海】全年齢


導師様は大人げない!




「いかにも、ね」
と、海は呟いた。

デートコースにこんな所を選ばれては、大抵の女性はげんなりとするだろう。あるいは、いくら想いを寄せている相手と連れ立って歩いたとしても、心ときめくことはない。
鬱蒼とした森には、湿った空気と共に怪しげな夜鳥たちの声が響いていた。

海が心を弾ませないのは、この森の陰鬱さによるところだけではなかった。想い人が「暇ならついて来るか」と誘ったこの森は、城よりしばらく行った場所、むしろ村へのほうが近い距離にあり、彼が時折見回りをしている場所の一つだった。

「見回りなんて、最高位の導師様がすることなの?」
数歩前を歩くクレフの背に投げたその問いかけは、具体的な返答を求めるものではなく、ただ、夜鳥の声と二人の足音以外にも、何かもう少し音声があってもいいのでは、との思惑から発せられたものであった。

立場も外聞もなく、ただセフィーロのため民のために成すべきことをする。それが彼なのだと海は理解していたし、そんな彼だからこそ、想いを寄せる所以にもなった。
そして、気まぐれと偶然とはいえ、共に連れ立つこととなったこの'見回り'において、恋心を持ち出してときめいたり心弾ませたりするのは、海としてはなにか違うように思えた。

先の問いに、まあな、と曖昧に返したクレフに海は再び言葉をかけた。
「いつも一人で回ってるの?」
「ランティスたちと連れ立って行くほどのことでもない」
「危なくない?」
「腕には少し覚えがあってな」
最高位の立場にありながら、傲慢とも謙遜とも違う、有り体に言えば'冗談'を口にしたクレフに、海の頬は自然と緩んだ。
「心配くらい、させてよね」
「お前の心配は少々過度だからな。怪我などして帰れんので、常々気をつけてはいる」
「そう、なんだ……」
その言葉をどう受け止めれば良いかわからず、ときめきそうになる胸をぐっと抑え、海は、あえて意識を不気味な夜鳥の声のほうへと持っていった。

「まあ、ここ最近はこの森で魔物を見たことはない。今夜は月明かりもあるし、ほとんど散歩のようなものだからそう気を張らずともよい」
そこ、足元に気をつけろ、とまるで後頭部に目でも付いているかのようにクレフが言った。クレフの言う通り、張り出した木の根を避けて歩く。落ち枝のパキパキと小気味のいい音を立てながら進む。二人分の足音がしばらく続いた。

散歩のようなものだと言われ、少し気が緩めばどうしたって意識してしまう。目の前を歩く広い背中、杖を持つ細い指先。薄紫の美しい髪は、少し目線を下ろした位置で、柔らかく風になびいている。それは、月明かりに反射し、紫色と銀色に輝いていた。つい見とれていると、足元がふらつきかけた。クレフは大丈夫か、と振り返り、歩く速度を少し落とした。
手を取るような関係ではない。

けれど、こんな月明かりの美しい夜なら、一つくらいのわがままは許されるのではないか、と海は考えた。なにせこれは'散歩'なのだから。また転びそうだから、とか、怖くなっちゃった、とか、理由はなんだっていいはずだ。

「ね、クレ…、」
海の声は「静かに」と言うクレフによって遮られた。
口の前に人差し指を立てる子供のような仕草に相反して、その瞳には、切迫感が宿っている。
どうしたの? と視線で問うと、クレフは手の平を広げ、垂直にくうを扇いだ。地に伏せろということだろうか、海はクレフに倣い、ゆっくりとかがむ。

《魔物がいる》

脳内に響いた声に、海は目を見開いた。
《そのしげみの奥だ。かなり小さい。少々やっかいだ》

クレフの目線を辿り、数メートル先にあるしげみに目をこらすが、見つけることができない。
それほど小さいということだろうか。体躯が小さいということは、同時に的が小さいということでもある。討伐にかかる難易度は、意外にも高くなることをクレフはもちろん、海も理解していた。
クレフほど夜目が効かず、発見に難儀した海は、早口に声を投げた。
《クレフ、ごめんなさい。見つけられないわ》
クレフは、ほんの一瞬海に視線を向けると、地についた海の指にそっと触れた。
触れた個所から、電気が通ったような軽い痺れが走り、そして、視界がジャックされたような感覚に陥る。すると、しげみの奥、今まで見えていなかった魔物の耳が覗いた。まるで擬態するかのように、その姿はしげみに溶けこんでいる。クレフの視界を借りなければまず見つけることはできなかっただろう。その体躯は中型の成犬ほどか、たしかに小さい。

海が小さく頷くのを見て、クレフは重ねた手をそっと離した。そして、その手を海のほうへかざすと、海の体をおおうように、音もなく防除殼を生成した。海がわずかに身じろぎすれば、シャボン玉のようなそれは海の動きにふわりと追随した。

《お前はここにいろ》
海は「私も」とは言わなかった。数年前であれば、助太刀上等とばかりに、確実に言っていただろう。しかし、海とて歳と共に経験を重ねてきた。こういう場面では、クレフの言うことは常に正しい。好いた想い以上に、この人のことを導師として信頼している。そんな彼が「ここにいろ」と言えば、海はいくらでもそうした。
海の思いを汲んでか、安心させるためか、あるいはその両方か、クレフは口角を少しだけ上げ、頷いた。

その時、「ひっ」という小さな悲鳴によって、状況は一転した。しげみよりさらに数メートル奥、子供が立ちすくんでいる。七、八歳くらいか、真っ青な顔でガタガタと震えている。魔物の耳がピンと立ち、グルルとおぞましく喉の鳴る音が響いた。

「こっちだ!」
クレフが飛び出し、駆けた。
クレフの声に反応した狼型の魔物が、ぐるりと体をひねり、反射的にクレフを追う。海もまた、駆けた。子供の元へたどり着くと防除殼の中へ子供を取り入れ「こっちは大丈夫よ!」と叫んだ。

その声を待っていたかのように、クレフの詠唱が森に響く。鋭い雷鳴と共に、狼型の魔物は消失した。

「怪我はないか?」
海たちの元へ歩いてきたクレフが言った。魔法の余韻か、杖に飾られた宝玉がパチパチと電気の弾けるような音を立てている。

「ありがとう。大丈夫よ」
「いや、こちらこそ、だ。おかげで加減なしに魔法を発動することができた」
と、今度はクレフが海に礼を言った。
「そんな…」
頬を赤くする海の言葉をはじいたのは、子供の声だった。
「か、……っこいー!」
突如、少年が嬉々として叫んだ。両の拳を握りしめ、輝く瞳でクレフを見つめている。クレフは眉間に軽くしわを寄せた。
「少年、一人か?なぜこんな時間にこんな場所にいる」
クレフの厳しい声に、少年だけでなくなぜだか海まで背筋が伸びた。少年は握った拳をほどき、クレフの視線から逃げるようにして、自身の人差し指同士を絡め、言った。
「家出したんだ。母さんと、喧嘩して。それで歩き回ってたら迷子になって……」
少年は気まずそうに口ごもった。海が膝をつき、少年と目線の合う位置まで腰を落とした。
「ね、家まで送ってあげる。お母さん、きっと心配してるわ」
「心配なんてしてないよ。母さん、僕のことなんて知らないって言ったんだ」
クレフと海は顔を見合わせ、そして小さく肩をすくめた。その時、クレフがぴくりと目を瞬かせた。
「どしたの?」
「フェリオからだ」
通信だろうか、クレフは少年に名を聞くと「間違いない」とか「無事だ」と、ひとりごとのように言った。声を発さずともフェリオに伝わるはずの言葉をあえて口にしたのは、海たちにも状況を共有するためだろう。


「わかった、城へ戻る」
通信を終えたのか、クレフが少年と海を見て言った。
「母親が城にいる。捜索を依頼しに来たとのことだ」
「母さんが?」
海は、ほらね、と少年に笑いかけた。
「母さん、許してくれるかな。バカって言っちゃったんだ」
クレフは少年の頭へポンと手を乗せ、「帰ろう」と言った。


道すがら、少年の輝く瞳はクレフへと注がれ続けた。
「僕も魔法を練習したら導師様みたいになれるかな!?」
いつの間に拾ったのか、少年は手頃な棒切れを手に、クレフの詠唱を模倣している。

「セフィーロは意思の世界。なれるかなれないかは、お前次第だ」
否定することはもちろん、きっとなれるさと無根拠に断言することもないクレフの言葉は、彼の誠実さを示していた。そして、導師たる品格と威厳を含んだその瞳に、少年は、幼いながらにも思うところがあったのか、棒を振り回す手を止め、神妙な面持ちでこくりと頷いた。海もまた、密かに頬を染めた。

「その前に、母様にしっかりと謝ること。それに、もう夜に森に出てはいけない。わかったな?」
瞳に穏やかさを戻したクレフに、はーい、と少年は返事をし、そして今度は海へと顔を向けた。
「ねえ、ウミおねえちゃんは導師様の恋人なの?」
「は!?」
海は足をぴたりと止め、両手を顔の前でパタパタと振って慌てふためいた。歳を重ねても、色恋事への免疫は未だ、ゼロに等しかった。
「な、な、な、何言ってるの!?そんなわけないでしょ!」
「なーんだ、違うんだ。じゃあさ、僕が導師様くらい強くなったら、僕と’けっこん’してくれる?」
ませた発言をしたかと思えば、一転、子供らしい発想に海はふふと笑い声を零した。
「それは難しいな」
少年の問いに返答したのは、クレフだった。
「なんで?」
「彼女の国では'結婚'は一人としかできないからだ」
「だから僕とけっこんするんだよね」
さも当然、とばかりに少年が言った。
「先約がいる」
「せんやくって何?」
海が聞こうとした言葉を、少年がかわりに聞いた。
「他の女の子を探したほうが良い、ということだ。悪いことは言わないからやめておきなさい」

先程の導師然とした態度とは打って変わって、ほとんど頭ごなしに否定の言葉を繰り返すクレフの姿に、少年だけでなく海までもが憮然とした。「セフィーロは意思の世界なんでしょ!」と食い下がる少年に「無理なものは無理だ」と、のべつ幕なしに答える彼の態度は、もはや大人げないとしか言いようがなかった。

当の本人である海の姿など見えていないかのように、七歳児と七百四十余歳児の喧騒が続く中、「あ!」と声を上げたのは七歳児のほうだった。視線の先、城の虎口に見知らぬ女性の姿が見えた。隣にはフェリオと風の姿もある。

「母さん!」
少年が駆けて行った。遠目に、少年と母親が抱き合う姿が見えた。そして少年が母親に頭を下げ、そして頭に一発もらい、それから再び抱き合った。

クレフと海も追いつくと、母親は平謝りで皆に礼を言った。少年は母親や風たちに、クレフの魔法について身振り手振りで熱く語った。あまりに熱狂的に同じことを繰り返す息子を見かねた母親が、そろそろお暇しましょう、と言うまでそれは続いた。親子は、フェリオと風がデートと称して村まで送ることとなった。

「ウミおねえちゃん!」
別れ際、少年が耳打ちをしようと、来い来いと手で招き、海にかがむようにうながした。なあに?と両の手を膝につき、顔の位置を下げると、少年は海の頬に小さくキスをした。
「あら」
困ったように笑う海に手を振り、親子とフェリオたちは去って行った。


親子たちの背中を見送ったクレフと海は、城の回廊を歩む。
「ずいぶんと気に入られたな」
「なにムっとしてるのよ」
「お前の危機管理能力の無さに呆れているだけだ」
「ほっぺにチューなんて挨拶みたいなものじゃない!もしかして、クレフ、あんな小さい子にやきもちやいたとか?」
クスクスと笑い声の混ざった戯言は「そんなわけないだろう」と返ってくることを予想して放たれたものであったが、それは外れた。
「年の差を考えれば現実的だろう」
「え?」
にわかには理解しがたい、ぼやけた言葉の咀嚼に脳を占領され、海はぴたりと足を止めた。
クレフの言わんとする意味を導き出すには、もう一つの疑問を解消することが必須だと海は考えた。

「ねえ……先約、って、なんのこと?」
海の声色から笑みが消えた。うぬぼれを抑えこむように自身の手をぎゅうと握りしめる。
クレフは大袈裟にため息をひとつ落としてから口を開いた。
「あの少年のためだ。口うるさくやかましい、笑ったかと思えば怒ったり泣いたりと感情の起伏が激しい、幾分は大人になったもののそんな娘の相手をするのはそれなりの精神力を使うからな」
「は?」
海のうぬぼれは霧散し、握りしめた手の力は徒労に終わった。クレフの言葉は、いつも通りと言えばいつも通りの戯言であったが、海を怒り心頭にさせるには十分なものであった。
「ずいぶんと言ってくれるじゃない。私の相手をするのがそんなに苦痛だったなんて知らなかったわ」
「苦痛だとは言っていない」
「精神力を使うってことはそういうことでしよ」
「あいにく、力はもてあましているのでな。相手にするならお前くらいの女でないと少々退屈だ」
「えっ?」
またしても漠然としたクレフの言葉を処理するため、海の頭は高速に回転し、その熱で顔はどんどんと赤くなった。回廊の灯りの元では、この赤い顔ははっきりと見えてしまうだろう。クレフが、不自然なほどにこちらをちらりとも見ずにいたのは海にとってはある種、幸運であった。
「なんでもない、忘れろ」
おやすみ、と無愛想に言い残しその背中は去って行った。取り残された海はしばらく唖然とし口をパクパクと開閉した後、きゅっと口を結び、そして駆けた。
「クレフ!」

振り返ったクレフの顔色もまた、'その直後'、にわかに血色を変えた。

「挨拶みたいなものだから!おやすみなさい!」
言いながら、かがんだ体を起こすと、海は逃げるように走り去った。その姿が回廊の向こうへ見えなくなるまで、クレフはしばし呆然とした。

無意識か意図的か、いずれにせよ末恐ろしい。挨拶だかなんだか知らないが、こんなことをよその男にされてはたまったものではない。

そろそろ二人の関係に答えを出すべき時が来たのか。クレフは自分の頬に手を当て、そんなことを考えた。







『導師様は大人げない!』
end






海ちゃんのことを「女」っていうクレフが書きたかったのじゃ。
視界ジャックは「サイ/レン」てゲームの中の機能です。



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