三月三日の鏡像

𓂅𓂅︎︎︎
隕石と宝くじ
「クレフとイーグルが怪しいのよ」
「怪しい? というと?」
「ココ最近、イーグルがこっちに来たと思ったら二人で部屋にこもっちゃって、何話してたの?って聞くとイーグルってばやけにニヤニヤしてるし、クレフなんてあからさまに慌ててごまかすのよ。怪しいと思わない? 浮気だったりして」
光がこの国の柱制度をなくしてから数年。不思議と日本と暦と季節を同じくしたセフィーロの一室、壁にかけられた暦表をちらりと見て、風は「ああ」と、察したように小さくつぶやいた。
「海さんが心配するようなことではないと思いますが」
一応、男の人同士ですし。そう付け加え、風はにこりと微笑む。
海は、風の返答に戸惑いつつも彼女の微笑みを見て無条件に心が少し和らぐのを感じた。
「ね、たとえばよ。仮の話。風はもしフェリオが浮気してたとしたらどうする?」
「フェリオはそんなことしませんわ」
「あら、ごちそうさま。でも例えばの話よ。宝くじが当たったらどうする?とか、明日隕石が降ってくるとしたら何をする?とか、そういうレベルの雑談と思って」
風は、うーんと考え、それから「海さんはどうします?」と尋ね返した。
「私? 私は、そうね……まずは、こう…ぺちーんとひっぱたいて、それからしばらく口をきかない。風には絶対に会わせないし、ていうかしばらく風をセフィーロには行かせないかも。まあでも、大丈夫よ。フェリオは地球が割れたって絶対に浮気なんてしないから」
風が首をかしげる。
「え?」海も、風と鏡合わせの方向に首をかしげた。
「いえ、フェリオではなくクレフさんが仮に浮気なさったら、という意味だったんですが。もちろん隕石レベルの雑談ですが」
「あ、ああ。そういうことね。ごめんなさい、勝手に人様の彼氏を想像でひっぱたいちゃったわ。クレフ……クレフね、クレフが浮気していたとしたら……」
海は、うーんと考えこみ、それから「風だったらどうする?」と尋ね返し返し返した。
ラリーの応酬に風は苦笑いを浮かべる。
「海さんに同じく、ですわ」
風が言うと、海も「ふふ」と笑った。
それから、もしセフィーロに隕石が落ちてくるとしたらどんな魔法が有効か、という縁起でもない話に花を咲かせ、二人のティータイムは朗らかにお開きとなった。
𓅫
鷲の恩返し
返しきれないほどの恩義がある。
国再興の手助け、それから自分の体の面倒を長く診てもらったのだから。出来る限り恩を返していきたいし、役に立ちたいとも思う。
なので、セフィーロを訪れるたびに掴まってはこっそりと私室に呼ばれ、(広間では誰に何を聞かれるかわからないから、とのこと)翌月に迫る可愛い可愛い恋人の誕生日に何をどうしたらよいかという相談に長々と付き合わされるここ最近の「お約束」も、イーグルにはなんの苦もなかった。
一個人の誕生日にここまで時間と神経を割ける平和の有様に感謝をしつつ。
けれど、それにしても、どんな提案をしてもこの御仁にはあまりに響かないので、イーグル・ビジョンはさすがに困り始めていた。
「身に着けるものはどうですか」と言えば「好みが難しい」と返すし、「実用品は?」と言えば「味気ない」と返す。「お花とか」と言えば「普段から渡している」と返してきたのには笑った。
イーグルは、少なくはない女性経験を脳の奥から引っ張り出し、そういえば、自分の周りでは物品を渡すよりも、食事やデートといった類をもちかけるほうが喜ぶ女性が多いことを思い出した。
過去の女性たちと海を一緒くたにするようで申し訳ない気もしたが、「ちょっと良い食事にでも誘って一日デートしたら喜んでくれそうですけどね」
海ならきっと。目の前の男を見て、善良な本心でイーグルはそう言った。
「一応その予定ではいるが、かといって何も渡さないわけにはいかんだろう」
「そんなに悩むなら、何が欲しいか本人に聞けばいいじゃないですか」
クレフが唸る。これもだめらしい。
「お前ならどうする」
クレフは悩ましげに額を手で押さえながらイーグルに尋ねた。
「ウミとのデートを想像しちゃってもいいんですか?」
「やむを得ん」
クレフの顔には「渋々」という文字が張り付いている。
嫉妬の装いを隠せないクレフの、それでも助言を求めるその必死さが可笑しく、にやけそうになりながらどうにか微笑み程度の笑顔でイーグルは答えた。
「ケーキを作ってもらいたいです。いつか彼女のケーキをワンホール食べるのが夢なんですよ」
「祝われる本人に作らせるのか?」
クレフは少しあきれたような口調で言った。
けれどそれでイーグルは気を悪くすることはなく、むしろ一層可笑しそうに「ウミ、オートザムの厨房施設に興味がありそうでしたから。もちろん材料はこちらでもちますよ。ケーキのお礼にオートザムの宝飾品と、最新の調理器具でもプレゼントしましょうか」
身に着けるものと実用品。
「それからお花を渡しますね。僕なら」
と言った。
からかわれたことに気づく。
クレフはぱちんと瞬きをして、それから少し遅れて相好を崩した。
「参考になった。礼を言う」
「何よりです」
イーグルも、微笑む。
✿
三月三日 クレフ
いつもの時間になっても海が現れないので、クレフは私室の中をうろうろと落ち着きなく歩き回っていた。真白の長いローブが床をピカピカに掃除してしまいそうなほどに。なのに不思議と布地にはほこり一つ付かない。
ただ待っているだけでは不毛かと思い、執務室に移って盲に判を押しながら数分に一回は場内の気配を探ってみたり、精獣を呼び出し手入れをしてやるつもりで撫でてやっては、ため息の多さにこちらが心配されたりと、何もしていないよりも余計不毛に時が過ぎ、気づけば夕刻も間近となっていた。
きちんと約束をしていなかったのはクレフの落ち度だった。
海のことだからどんなに遅くとも昼過ぎには来るだろうという慢心。それに、食事の予約をしているので空けておいてくれ、とわざわざ伝えるのも照れくさかった。
私室の隅に隠すように積んだ贈り物の山が、暮れ始めの夕日を虚しく浴びている。じりじりとした焦りが各種内臓から込み上げる。
店に断りの連絡を入れるべきだろうか、そんなことを考え始めた時、待ちに待った気配をクレフは察知した。
駆け出したくなるのをこらえて、贈り物の山に魔法をかける。箱や包みがすっかり見えなくなったのを確認すると、クレフは競歩寸前の早歩きで私室を飛び出した。
ꕤ
三月三日 海
駆け寄り向かい合わせになった城の回廊で、自分より遥か年上の男の人が、子供の瞳で、それも親をみつけた迷子のように心底ほっとした表情で自分を見つめるので、海は罪悪感に潰されそうになりながら口を開いた。
「遅れてごめんなさい」
待ち合わせをしていたわけではないけれど、そう言わずにはいられなかった。
「あのね、大学の友達の家に呼び出されて、少し立ち寄るだけのつもりだったんだけど。家に着いた瞬間クラッカーでお出迎えされて」海は手を動かしクラッカーを鳴らすジェスチャーをした。
「あ、えっとね、つまりサプライズパーティの準備をしてくれてたのよ。友達みんな集まってくれていて、用事があるからって言える空気じゃなくて、一応私が主役だから全っ然抜け出せなくて、どうにもこうにもいかなくて思い切って『彼が待ってるかもしれないから』って言ったら『それをなんで早く言わないんだ』って蹴って追い出されたのよ? ああ……、まあそれはいいんだけど。それから、パパとママにお願いごとがあったから一旦家に帰ってから出かけたらこんな時間に……ってクレフ? 聞いてる?」
クレフがぼうっと呆けたような顔をしている。
話が長かったか、それとも特有の横文字が難解だったか。もう一度海が謝ると、クレフは「謝らなくていい」と言って、首を横に振って微笑んだ。
そしてクレフは杖を握り、小さく魔法を唱えた。
等身を伸ばした大人の姿。
目線の高さがほとんど同じになる。海は思わず身構えた。
クレフがこの姿になる時は大抵――
「ま、待って! ここ廊下だし、人が来たら…!」
「かまわん」
抗う余地もなく。手を引かれ、抱き寄せられた。
何度されても慣れない。この姿で施される抱擁は海の心臓を極限まで跳ね上げさせる。
「会いたかった」
クレフの囁く声が、耳に触れる。
海はクレフの胸元で「きゅう」と声にならない悲鳴を漏らした。
荒くなった息がクレフにかからないよう顔を横にそむけ、口と鼻を駆使して酸素をとりこむ。小屋の隅角に追い詰められたモルモットのように必死に呼吸をしながら「いきなり抱きしめないでって、いつも言ってるじゃない」と、海は批難の口調で言った。
クレフは腕の力をさほど変えず「抱きしめてもいいか?」と囁いた。海の体温が余計にあがる。
「後から聞いたって遅いのよ。ていうか、恥ずかしいからそんなこと聞かないで!」
身勝手だなあ、言いながらクレフはクスクスと笑い「部屋に行こうか」と、海を誘った。
🪞
裏表のリビドー
真新しいカクテルドレスに袖を通し、どうかしら、と海はクレフの前に立った。
「よく似合っている」「綺麗だ」「地上の女神かと思った」「そんなに美しくて大丈夫か?」そんな言葉が頭にいくつも浮かんだが、最初の一つだけを海に伝える。
予約した店の名前を教えると、海は驚きながらも瞳を輝かせた。
ドレスコードにかなう盛装。海はこれが誕生日プレゼントだと勘違いをしたようだった。いや、たしかにプレゼントには違いないのだが、部屋の隅に隠されている大量の贈り物のことを海はまだ知らない。
クレフは海の手を取り、鏡台の前のスツールに座らせた。
鏡台の引き出しが勝手にスッと開き、中からブラシや髪飾り、化粧道具が飛び出した。
クレフは海の後ろに立って毛先に触れた。
触れた手から髪へ、丁寧に魔法を流し込む。間もなく海の髪は淡く白い光につつまれ、クレフの魔法の思うままとなり、彼が指先を少し動かすだけで髪束は器用に編まれていった。
「あのね、クレフ。今日ね」
しばらく海の髪を結っていると、海がか細い声で言った。
大きな鏡に、海の伏し目がちな顔が映っている。
「あの……門限のことなんだけど……」
クレフは、髪を結ってやっていた魔法の手を止めた。
まるで「今夜は帰さない」とでも言いだしそうな獣の瞳をしていただろうか。鏡の中の自分の顔を見る。
大丈夫。
本心はうまく隠せていた。
龍咲家の門限を破ったことは一度もない。
今日という特別な日であっても、破るつもりは毛頭なかった。
きちんと余裕をもって定刻に帰すつもりだ。
「心配せずとも大丈夫だ」
クレフは髪を結う魔法を再開させ、なんでもないふうに言った。
しなやかな薄水色の毛束が宙にふわりとうねり上がり、ほかの毛束と混ざっては編みこまれていく。
「ええ、そうなんだけど」
鏡に映った海の顔は少し赤かった。まだ頬紅は塗っていない。
「さっき、家に帰ってお願いをしてきたって言ったじゃない? それね……パパとママに、今日はいつもより少し遅くなってもいい? ってお願いしてきたの。こっちに来るのが遅くなっちゃったし、そうじゃなくても、今日はクレフと…もっと一緒にいたいと思って。そしたらね、その……あの……」
頬の赤みが増した。
悪い返事を得たような口ぶりではない。
必然的に期待がよぎる。
食事を終えたらそのまますぐに帰すつもりだったが、その〝すぐに〟が〝すぐに〟ではなくなるかもしれない。
門限の延長時間がどの程度のものなのか、クレフは海の言葉をじっと待った。
「海ももうハタチだから、って」
ハタチ。海の国では節目となる年齢だ。以前聞いた法のこと思い出す。
一つ年を取った途端に万事が許される風習を不思議に思ったことを覚えている。
「だから……今日、泊まっていっちゃだめかしら?」
空中で編みこまれていた髪が、はらりとほどけた。
真っ赤な顔を伏せた海と、ポカンと口をあけたクレフの姿が鏡に映る。
クレフは魔法の手を完全に止め、くるりと海に背を向けた。
「クレフ……?」
心配そうにこちらをうかがう海の様子が気配で見て取れるが、振り返ることはできない。
「ご両親はなんと」両の掌で目元を抑え、尋ねる。
「え、だから、私ももうハタチになるし」海が説明を足した。
前からママとパパで話していたんですって。彼が出来たのはなんとなくわかっていたけど、幸せそうだし楽しそうだから何も言わなかったって。素行が悪くなるようなこともないし、毎週おめかしして出かけるわりに門限の前にはしっかり帰ってくるから心配ないんじゃないかって。
海が言い終えると、クレフは「そうか」と呟いた。
クレフの反応が思いのほか薄いというか、重いことに海はたじろいだ。
流石に諸手をあげて喜ぶことようなことはしなくとも、もう少しこう、男らしい反応があるのではないかと海は少なからず想像していた。
途中まで半端に編まれた髪の毛を指先でいじくり、クレフの返事を待つ。
クレフはあちらを向いたまま腕を組み、少し背中を丸めて立っている。
それもそのはず。
クレフはとても忙しかった。
心の中で、グッと握った拳を何度も振り上げては降ろす。いわゆるガッツポーズを、人知れず脳内で何度も繰り返していた。
龍咲家の門限をけなげに守り続けてきた。
守りたかったし、そうするべきだと思っていた。
何度か、危うい日もあった。
潤んだ目で「帰りたくないの」と言われた日。
あわや口づけというところで部屋の時計が無情に鳴った日。
涙を飲んで海を見送り続けてきた。
それもすべては今日この日のため、と言っては語弊があるが、それもすべては今日この日のためだった。
深呼吸。にやける頬を手で押し戻す。
出来るだけ凛々しい表情を作り、背筋を伸ばし、杖をしっかりと握ってクレフは振り返った。
「わかった。では、泊まっていくといい」
下心を隠そうとしたあまり、発した声は思い切り裏返った。
end
海ちゃんおめでとうー!!!!
2025.3.6公開(遅刻🙇♀️ ̖́-)
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