🏫きんぎょ注意報!🕶🎀(7作)※大工事中




「cider × cider」




円形の駅前広場には、若い欅の木がぐるりと等間隔に植わっている。ベンチ後方の欅から蝉が一匹飛び立った。
ジリリと不気味な飛翔音に体がゾクリと震えるが、その程度でこのまとわりつくような暑さが引くことはない。

「あっちい」
ベンチの右隣、だるそうに腰掛けた彼の口からその言葉が発せられたのはもう何度目か。
たしかに、暑い。
日差しは強く、日陰にいても目がヒリヒリと眩しい。彼が装着しているサングラスが少しうらやましくなる。

「ねえ、それ貸してよ」

どうせ貸してくれるわけがない、そんな感情を隠しもせずに千歳が言うと、葵は片手でサングラスを外しそして粗雑な手つきで、けれど両手で、千歳の目元にそれをグイとかけた。

「嘘!?」
葵の意外な行動に、千歳は間の抜けた叫び声をあげた。
サングラスの奥で、大きな瞳が何度も瞬く。
「嘘なら返せ」
「いやよ。ね! これ、いいわね。目が守られてる感じがするわ」
似合う似合う?  とはしゃぐ千歳を横目に見、そんなに気に入ったなら、と葵は口を開いた。
「お前も買えば? 今年は相当暑くなるらしーぜ」
千歳はうーんと小さくうなり、足をパタパタと揺らして思考を巡らせる。
「やめとくわ。サングラスの男女が二人並んでウロウロしたらなんだかスパイみたいで変でしょ」
「いや、一人の時に使えばいいだろ」

たしかに。おっしゃるとおりだ。

なぜ葵と二人揃っている前提で話をしたのか。
千歳は、自分がとてつもなく恥ずかしいことを口走った気がして、口をつぐんだ。

「……私、今何か変なこと言った?」
「いつものことだろ」
「忘れて」

「あっちい」
葵が、また、呟いた。



肩にかけた小さなショルダーバッグから空色のハンカチを取り出す。額をちょんちょんと拭く。ハンカチをしまい、今度は薄紅色の和扇子を取り出してケースを外す。この一連の作業ももう何度目になるかわからない。パタパタと顔を扇げど、熱風が顔の周りをそよぐだけで、お世辞にも涼しいとは言えない。いや、扇子にお世辞をいうつもりもないけれど。汗の揮発を促せるだけまだ良し、と言ったところだ。

「それ貸してくんね?」
右隣が、ふてぶてしく言った。
「嫌よ。あんた絶対乱暴にして壊すもの」
「はー? グラサン貸してやっただろ!?」
「だーめ! これはね、そこらで売ってる安物じゃないの」
千歳が、ツンと言った。
「ケチくさ」
「あんたに言われたくない」

言葉とは反対に、千歳は葵の頬をそよそよと扇いだ。
他意はない。サングラスのお礼、ということで。
とにかく暑くて、頭が回らないのだ。

「おー涼しい」
葵が愉快そうに言った。

なぜだろう。千歳は、にわかに思い出す。
エアコンが設備されていなかったあの教室。下敷きをペコペコと鳴らして扇ぎあうクラスメイトたち。『自分で扇ぐよりも涼しい気がする!』と言ってピンク色の髪をそよがせていた。
わぴこが一声かければ、クラスメイトたちは教室にいっぱいに大きな輪を作り、リレーのようにぐるりと互いを扇ぎあっていた。無駄に連携されたその遊戯のような作業が、バカバカしくもどこか可笑しかった。


「なんだよニヤけて。気持ちわりぃ」
葵の声が、千歳を現実へ引き戻す。
「失礼ね! でも、ちょっと……思い出し笑い」
なんだ? と視線で伺う葵に「なんでもない」と千歳は返した。
扇子が揺れれば、金色の髪の毛がそよぐ。
青い瞳が、真夏のキラキラとした空気を反射していた。

(顔だけは無駄に良いのよね。ほんと、無駄)

扇ぎながら横顔をぼんやり眺めていると「左うちわってやつだな」と葵が笑った。
「意味が違うわよ」
千歳にも、笑みが浮かぶ。

すると、葵がポケットからスマートフォンを取り出した。
「お、電車動いたってよ」
秀一とわぴこから『遅れる』と連絡が入ったのが10分前。空調の効いた商業施設に逃げ込むにも微妙な距離と時間で、結局葵と千歳は駅前広場のベンチで日を避けることになった。それが今の状況だ。

葵が「サンキュ」と言って、和扇子の風をやんわりと手のひらで遮った。そしておもむろに立ち上がり千歳の正面に立つと、両手を千歳の耳元へそっと寄せた。
「葵…!?」
突然こめかみに触れた葵の手と、耳をくすぐるつるの感触。世界が急速に明るくなる。思わず目を閉じ、そっと開ける。持ち主の元へと戻ったサングラスが、自分の赤い顔を写していた。

背を向ける葵に、どこに行くの? と聞く間もなかった。
ベンチから数歩離れ、灼熱の日向をくぐりまっすぐと改札のほうへと向かった先。用向きがあるとすればあれしかない。
たしかに、喉が乾いた。見れば、葵は何台か並んだ自動販売機のうち一つ、深い青色一面の筐体にコインを投入している。

「自分の分しか買ってこない、に1ミーコ」
一人、ふざけた賭けをし、顔を伏せた先には蟻が数匹地を歩いていた。

(葵が戻ってきたら、私も買いに行こ)

獲物を見つけた蟻達が、群がって解体と運搬を始める。見ていられず、顔をあげた。

「え?」
葵がいない。自動販売機まではほんの十数メートル。見失うような距離でも広さでもないのに。
辺りを見回してもあの金髪が見当たらない。

「嘘、迷子?」
「なわけねーだろ」

突然、鋭い感触が頬を襲い、思わず悲鳴があがる。
その感触の正体が『冷たさ』だと気づくまでにコンマ1秒。
声の主が葵だと気づくのにコンマ1秒。
目を離した隙に葵がわざわざ迂回をして自分の後ろに回って来たのだと気づくのにコンマ5秒。
『冷たさ』の正体がペットボトルだと気づくのにコンマ2秒。
合計1秒ほど、千歳の脳では高速に情報処理が行われ、そして千歳はもう一度悲鳴をあげた。

「な、なにするのよ!」
「やるよ。一本当たった」

今どき当たりとかあるんだな。言いながら、葵は千歳の額にペットボトルをぐいと押し付けた。逆の手ではオレンジ色のボトルを掴んでいる。

葵は再び千歳の右隣に座ると、オレンジ色を数口、口にし「この絶妙な薄さがたまんね」と言った。
この味作った奴は天才だな、と呟く葵は、ボトルにイラストされているオレンジを擬人化したキャラクターに負けず劣らずの満面の笑みを浮かべている。

その横顔をぼんやりと見ながら千歳は「にゃーん」と言った。
棒読みにも近い口調。猫の鳴き真似だ。
「ついにおかしくなったか」と、葵が同情の目で千歳を見る。
「まあね」
『1ミーコ』の精算を終え、次に意識を自分の手元に注いだ。
経緯はどうあれありがたい。手に触れるこの冷たさはうだった体を冷やすご褒美だ。

「うげ」
ところが、手元のラベルを見、千歳の口からかわいげのない声が漏れた。

「なんだよ変な声出して」
「ねえ、私炭酸飲めないんだけど」
葵が手渡してきたのは、日本で最も有名なサイダーだった。透明のボトル、緑の流線に赤い矢じり。『みっつやさい』が入ってるんだよ、とダジャレ好きのあのピンク色なら言うだろう。

「まじかよ。俺もさすがに二本は飲めねえぞ」
「なんであんたが両方飲む前提なのよ。こういう時はスマートに『交換しようか?』でしょ。ほんと!わかってない。こんな時北田君だったら…、」
「でもなー、」
千歳の言葉を遮り、葵が気怠そうに言った。
「これ、もう口つけちまったし」
葵は、オレンジ色のボトルをチャプチャプと面白そうに揺らしている。

「こういう時、『北田君』ならどうするかねえ」
葵のニヤニヤとした笑みに千歳の汗が促される。
発汗と共に、くらくらと頭が揺れた。

「いいからこっち飲めって。別に回し飲みくらいどうってことねえだろ」
「いやよ! 恋人同士でもないのにそんなこと!」

蝉の声がやんだ気がした。一瞬、二人の間の空気が固まったような錯覚すら覚え、千歳の額からは温度の異なる汗が流れた。

「あの、あの…違、その…」
葵は「はあ」とわざとらしくため息をつき、そして、千歳の手元から透明色のペットボトルを奪い取った。そのまま、ボトルを小さく揺らすので、千歳は慌てて葵の手を抑えた。

「ちょっと! 炭酸の飲み物にそんなことしたら!」
慌てふためく千歳にお構いなしに、葵がペットボトルのキャップを静かに開ける。目をつぶり耳をふさいでいた千歳がおそるおそる目を開き、葵の手元を覗いた。
ぷしゅ、と気の抜けるような音が立つ。しかし、千歳の想定していたような事態は起こらない。

先程と同じように、ゆらりとボトルを揺らし、そっとキャップを開ける。それを何度か繰り返すと、葵は千歳に赤い矢じりのボトルを手渡した。
「ほれ」
千歳も、見よう見まねでボトルを小さく揺らし、キャップを開けてみる。ぷしゅ、と言う音は最初よりもだいぶ小さくなっているものの、未だ小さく泡を立てる透明の液体を、千歳はおそるおそる口にした。

「……飲め…る……」

世話のやけるこった。葵が呟く。

「でも、甘…」
と、千歳が口元を押さえて言った。
「そりゃそうだろ。炭酸が抜けたサイダーなんてただの砂糖水だもんな」
製造者も泣いてるぞ、と葵が言った。


「まあ、我慢して飲めよ。俺の飲みかけよりはマシだろ。お前よっぽど嫌そうだったしな、俺の-」
「違う!!」
千歳の叫ぶような言葉に、葵の言葉はピタと止まった。
そしてサングラスの奥の瞳が、何度も瞬いている。
「千、歳…?」

「違うわよ…」
呟くと、千歳は葵に透明のボトルを押し付け、代わりに葵の手元からオレンジ色のボトルを奪い取った。キャップを開け、なにか覚悟を決めるかのように二、三回小さく深呼吸をする。
「おい…!」
千歳の行動に、葵は思わず声を上げた。



「私、別に葵が嫌だなんて言ってない…」
言いながら、ハンカチも使わずに口元を手の甲で拭う仕草は、あまり彼女らしくない。

また、蝉の声が聞こえなくなる。

「ちと…」




「ちーちゃん! 葵ちゃーん!」
「おまたせ! ごめん、二人とも」

蝉の声が耳に戻り、空気が再び溶け出す。
この暑さをもってしても、異様なほどの二人の顔の赤さに、秀一は待たせすぎたと謝罪の言葉を重ねた。

「ちーちゃんオレンジジュース飲んでる!」
ちょうだいちょうだい、とわぴこが千歳の周りを跳ねた。

「だめ!」
「一口ぃ! おねがーい!」
「これはだめなの! 飲みたいなら北田君が買ってあげるから!」

千歳の耳には、不平を傳える秀一の声など耳に入っていない。わぴこと騒ぎ合うその姿は、四人集まった際の風物詩とも言えた。

(久しぶりに見たな、千歳さんのあの頭身…)
秀一は心内に呟き、それからベンチに腰掛けた友人に目をやった。

「どういう状況?」
微笑みと共に問う。

「知らね」
葵が、ぶっきらぼうに返した。



「わかった! わかったわよ! 飲みたいならあっちを飲みなさい! ソーダ好きでしょわぴこ!」
千歳が葵の手元を指さした。
わぴこの瞳がキラリと輝き、視線は葵の手元に向けられる。

すると葵は、唐突にペットボトルのキャップを開けた。
残り少ない炭酸の断末魔が、プシュと葵の手元で弾ける。そしてボトルを傾けた葵の喉が、コクリと数回鳴った。

「わり、わぴこ。もう口つけちまったからやれねーわ」

駅前広場に、わぴこのブーイングと千歳の声にならない悲鳴が響く。



「あっま…」
すっかり気の抜けたソーダをあおり、葵が呟いた。




end


ご閲覧ありがとうございます。

葵ちゃが買った飲み物は、As〇hiのバヤリ〇スと、三ツ矢サ〇ダーです🥤バヤ〇ースうまいよね。

お嬢様は炭酸とか飲まないというド偏見。


微妙に続きます。
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