闇の感覚(マイケル)
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暗雲が立ち込めつつあるキャンプの様子に、団欒としたテントの中から外を伺っていたネアは眉を潜める。
ねっとりと肌に絡みつくような気味の悪い空気と、何処からか感じる背筋が震えるような視線を確かに感じる。
経験と勘で、何か良からぬものがこのキャンプにやってくるであろうことは間違いない、とネアはそっとため息をついた。
「ネムリ、早く準備しな」
「え?急にどうしたの?ネア?」
ネムリは首を傾げる。
ワイワイと楽しく話していたメグとフェンミンも、不思議そうにネアを見た。
ローリーだけが、真剣な面持ちでネアに頷き掛ける。
「あんた、シェイプに何も言わずにキャンプに来たんだろ?監禁までするような奴だ。あんたが居ないってなったらどうなる?」
「ええっと…探しにくる?」
「勿論来るわ。そして、貴方を連れ去った私達に報復の限りを尽くすでしょうね。兄さんなら」
ローリーの真剣な面持ちに、ネムリの顔がサッと蒼ざめた。
「っ!!大変!!な、なんとか説明しないと」
「やめときな。話が通じる相手じゃないだろ」
「兄さんを説得できるなら、ハロウィンの悲劇は起こってなかったでしょうね」
矢継ぎ早に否定され、ネムリはその場で慌て出す。
「どど、どうしよう!?」
「どうするもこうするも、このテントからいるもんだけ持ってってとっととお家に帰りな」
あたしらはゲート前で準備しとくからさ、といって、ネアとローリーがテントから出て行く。
二人に連れられるように未だ状況が読めていないであろうメグとフェンミンもテントを後にした。
一人残されたテントで、ネムリはぐるりとテント内を見渡した。
儀式に必要な道具以外、ほとんど何もない殺風景なテント。
その中でも、唯一大事に持っていた一冊の本。
なんてことはない、よくあるファンタジー小説だ。
この世界に唯一持ってこられた、思い出の品。
落ち込んだ時もこの本を読んで、よく気を紛らわせていた。
「ちょうど、退屈しのぎの本欲しかったし、これ持って行こう」
本を手に取り、ネムリもテントを出ようとした。
出る前に一度だけ後ろを振り返る。
過去に共に暮らしてきた道具たちが、静かにそこに佇んでいた。
「…さよなら。」
ネムリはそっとテントから外へと歩き出した。
いつも儀式のたびに開く大きなゲートの前に、ネア、ローリー、メグ、フェンミンが立っていた。
「来たね。準備はいいかい?」
「…うん。ありがとう。」
「あれ?ネムリ、持ち物ってその本だけ?」
メグがネムリの手にある本を指差す。
「うん。これで十分」
「えーっ!!少なすぎっしょ!これもあげる!」
そう言ってフェンミンは手に持っていたウサギのストラップをネムリに押し付けるように渡す。
「えぇ!?い、いいよ別に」
「だめ!もらって!!お守りみたいなもんなんだから。…また、会えるよね?」
いままで見たことがない、泣きそうな顔をして、フェンミンは言った。
その時やっとネムリは気づいた。
そうだ、これは、お別れなんだ。
みんなとの、フェンミンとの。
じわりと熱が目元にこみ上げてくる。
「…うん。会えるよ。わがままなことして、ごめんね」
「…ばかっ。絶対だからね!」
くるりと後ろを向いたフェンミンの顔はわからなかったが、その声は微かに震えていた。
「私からも、これ」
メグがネムリに手渡したのは白い粉のポーチだった。
「わっ。いいの?」
「うん。いい事ありますようにって。あと、ミンと一緒。また会えますように」
両手でポーチを差し出すメグの手ごと、ネムリはギュッと握りしめてから、ポーチを受け取った。
「あたしからも。これを持っていきな」
ネアが渡してくれたのは救急箱だった。
蓋を開けてみると儀式の時とは違い、さまざまな効能の書かれた薬が沢山入っていた。
「どうせあのキラーのこった。ロクなもん持ってないんだろ?いざって時に手遅れってならないように持っていきな。」
「ありがとう。ネア」
また涙腺が緩みそうになるネムリの頭を、めそめそすんじゃないよと、苦笑しながらネアが叩いた。
「私からはもちろん、コレね」
最後にそう言ってローリーが差し出したのは、鍵だった。
「ストロード不動産」と書かれたダンボールのタグがついており、下の方に手書き文字で「ランプキン・レーン」と書かれている。
ネムリは目を見開いた。
「これっ…」
「そう。兄さんと…私の生家のカギよ。最もよく出来た模造品みたいなものだし、今は兄さんだけが住んでるけどね。」
ローリーが鍵をくるりと回した拍子にチャリっと音がなった。
「この世界では、儀式のステージや別の空間に移動する際に、それぞれの場所に因縁深いものを持っていると辿り着きやすいみたいね。貴方を助けに行ったときも使ったし」
「そうだったんだ…」
ネムリの掌の上にローリーが鍵を載せる。
ちいさな鍵だが、今のネムリにとっては、マイケルの元へ帰るための確かな道標だ。
宝物を持つように、ネムリは鍵を大事そうにギュッと抱きしめた。
「…ありがとう。ローリー。」
「フフッ。どういたしまして。鍵はまだいくつか持っているから、また会いに行くわね。義理姉さん」
「っもう!ローリーったら…」
最後にまた、みんなで少しおはなしして、笑って。
別れに寂しい思いを感じながらも、ネムリは笑顔でゲートを潜り抜けていった。
ネムリがゲートを抜けた、その数分後、暗い闇そのもののような深い霧がキャンプ全体に立ち込めてきた。
「こりゃ儀式だね…」
ネアの顔が険しく歪む。
「ええ。誰がくるかは…言うまでもないわね」
そっとローリーはポケットの中に仕込んだ鋭いガラスの破片を確かめる。
フェンミンもメグも不安そうな面持ちながらも、周囲を警戒しながらローリーとネアに歩み寄る。
霧がすっかりキャンプを包み込んだ頃に、儀式の始まりを告げるような悲痛な叫び声が響き渡った。
僕はそっと鏡を覗く。
この鏡を覗くと、不思議と獲物の位置が鮮明に脳裏に思い浮かぶ。
焚火のそばに2人。
キャンプ外れの森の近くに1人。
ゲート前に4人。
……いない。
僕は少し肩を落とした。
僕のネムリの姿が見えない。
あいつらに連れ去られた彼女は、いったいどこに消えたんだろうか。
あいつらにどこかへ監禁されてしまったのだろうか。
普段は獲物をなんの感慨も無く消していくだけだが、今日だけは、獲物に対して初めて「消してやりたい」と強く思った。
僕だけの宝物に馴れ馴れしく触れるものなんて、全て消してやりたい。
愛用の包丁が月明かりを受けて蒼白く輝く。
早く、早くこの包丁で奴らを抉ってやりたい。
薄汚い血を全て地面に垂れ流させて、じわじわと命の火を消していって欲しい。
1分1秒を、恐怖と痛みを鮮明に感じながら、ネムリをさらった事を悔いながら、苦しんで死に絶えて欲しい。
自分の吐息が煩く響く。
闇が具現化したような重たい霧に紛れて、僕はじわりじわりとキャンプ外れに佇む獲物へと距離を詰めていった。
キャンプ外れで寛いでいたデイビッドの後ろに音もなく巨大な影が忍びよる。
月光を受けて怪しく光る刃がゆっくりと、頭上高くに振りかぶられる。
背後の気配に気づくこともなく、デイビッドは夜風を心地よく感じながら、木々の隙間から刺す柔らかい月の光に目を細める。
そんなデイビッドの目に、キラリと鈍色の光が刺す。
疑問に思う暇もなく、その光は重力に従って、吸い込まれるようにデイビッドの目へと近づいてくる。
見開いた目が最後に見たものは、じっとこちらを覗き込む白いブギーマンのマスクだった。
引き抜いた包丁が真新しい赤で染まる。
地面に倒れた哀れな獲物が言葉にならない呻き声を上げながらのたうち回っている。
動くたびに湧き水のように溢れ出てくる鮮血が、のたうち回る男の手や顔を染め上げていく。
耳障りで仕方ない。
今度は無防備に晒した喉元へ切っ先を突き立てる。
今度は声ではなく、泡立った血の塊がごぽりと喉の真ん中から溢れ出る。
目を、喉を抑える男の頭の上に、ハロウィンの殺人鬼の足が影を落とす。
ぐちゃり
と言う音と共に、脳漿を溢した哀れな男は物言わぬ肉塊へと変わり果ててしまった。
地面に足を擦り付けてから、ハロウィンの殺人鬼はゆっくりと次の獲物のいる方へ歩き出した。
ローリーは考える。
最初の悲鳴は、おそらくデイビッドだろう。
デイビッドの悲鳴を、皮切りに次々と悲鳴が上がっては消えていく。
悲鳴は次第にキャンプの奥、ゲートのすぐそばまで迫って来ていた。
儀式は基本的に4人の生存者と1人のキラーで行われる。
今回も例外はなかったらしい。
自分も残ると言い張る彼女たちの背中を、ローリーは何も言わずに押し出した。
ゲートの向こう側へと、何か言いたげな顔の3人が煙にかき消されるように消えていく。
フゥ…フゥ……フゥ…
背後から荒い呼吸音が聞こえてくる。
奴が来た。
ローリーは片手をポケットに入れて、ゆっくりと振り返る。
キャンプファイヤーの炎に照らされた蒼白いマスクの殺人鬼がこちらをじっと見つめている。
逆手に持った包丁が、炎で揺らめく赤黒い不気味な輝きを放っている。
包丁から液体が滴り落ちている様子から、仲間たちがやられてからそう時間は経っていないようだ。
「…随分とご機嫌斜めみたいね?シェイプ・ザ・キラー?」
殺人鬼は何も答えない。ただ、荒い呼吸のままでこちらににじり寄ってくる。
「貴方がどんなに執着しようと、閉じ込めようと、彼女の心だけは、彼女以外にはどうにも出来ないわ」
ほんの一瞬、時間にして数秒の間、シェイプの動きが止まる。
わずかに揺れた包丁の先がローリーを指す。
暗く窪んだマスクの目元から、ローリーと同じ色をした目が静かな怒りに燃えていた。
「事実でしょ?だから貴方は私をいつまで経っても手に入れられない。違う?兄さん」
ローリーはどこまでも冷静に、冷ややかな目で目の前の殺人鬼を見据える。
シェイプはゆっくりと、確実に距離を詰めてくる。
その歩幅は心なしか、大股で荒々しく踏み出しているように見える。
ローリーは怯えも震えもせず、シェイプが寄ってこようとも目線を逸らさない。
ついに目と鼻の先、シェイプが手を下ろすだけでローリーを簡単に刺し殺すことが出来る距離まで近づいて来た。
同じ蒼色の目が互いを睨みつける。
先に動いたのはローリーだった。
シェイプの妹が、兄の耳元に囁く。
「貴方を選ぶかどうか、最後に決めるのはネムリ自身よ」
次の瞬間、シェイプはくぐもった呻き声を上げ慄いた。
彼の首元には深々とガラス片が突き刺さっている。
ローリーは悶える兄に見向きもせず、軽やかに駆けていく。
轟々と音を立てる脱出ハッチの前で一度だけ振り返ると、彼女は言った。
「貴方を受け入れる人間がいることを、居もしない神に祈ってあげるわ。さよなら兄さん。」
そのままローリーはポッカリと、黒い口を開けたハッチの中へと、吸い込まれるように消えていった。
1人その場に取り残されたマイケルは、首元のガラス片を引き抜くと、その場にじっと佇んでいた。
幾人を簡単に死地に送り込んでいたその背中は、少しだけ心細そうに炎の影で揺らめいていた。
ねっとりと肌に絡みつくような気味の悪い空気と、何処からか感じる背筋が震えるような視線を確かに感じる。
経験と勘で、何か良からぬものがこのキャンプにやってくるであろうことは間違いない、とネアはそっとため息をついた。
「ネムリ、早く準備しな」
「え?急にどうしたの?ネア?」
ネムリは首を傾げる。
ワイワイと楽しく話していたメグとフェンミンも、不思議そうにネアを見た。
ローリーだけが、真剣な面持ちでネアに頷き掛ける。
「あんた、シェイプに何も言わずにキャンプに来たんだろ?監禁までするような奴だ。あんたが居ないってなったらどうなる?」
「ええっと…探しにくる?」
「勿論来るわ。そして、貴方を連れ去った私達に報復の限りを尽くすでしょうね。兄さんなら」
ローリーの真剣な面持ちに、ネムリの顔がサッと蒼ざめた。
「っ!!大変!!な、なんとか説明しないと」
「やめときな。話が通じる相手じゃないだろ」
「兄さんを説得できるなら、ハロウィンの悲劇は起こってなかったでしょうね」
矢継ぎ早に否定され、ネムリはその場で慌て出す。
「どど、どうしよう!?」
「どうするもこうするも、このテントからいるもんだけ持ってってとっととお家に帰りな」
あたしらはゲート前で準備しとくからさ、といって、ネアとローリーがテントから出て行く。
二人に連れられるように未だ状況が読めていないであろうメグとフェンミンもテントを後にした。
一人残されたテントで、ネムリはぐるりとテント内を見渡した。
儀式に必要な道具以外、ほとんど何もない殺風景なテント。
その中でも、唯一大事に持っていた一冊の本。
なんてことはない、よくあるファンタジー小説だ。
この世界に唯一持ってこられた、思い出の品。
落ち込んだ時もこの本を読んで、よく気を紛らわせていた。
「ちょうど、退屈しのぎの本欲しかったし、これ持って行こう」
本を手に取り、ネムリもテントを出ようとした。
出る前に一度だけ後ろを振り返る。
過去に共に暮らしてきた道具たちが、静かにそこに佇んでいた。
「…さよなら。」
ネムリはそっとテントから外へと歩き出した。
いつも儀式のたびに開く大きなゲートの前に、ネア、ローリー、メグ、フェンミンが立っていた。
「来たね。準備はいいかい?」
「…うん。ありがとう。」
「あれ?ネムリ、持ち物ってその本だけ?」
メグがネムリの手にある本を指差す。
「うん。これで十分」
「えーっ!!少なすぎっしょ!これもあげる!」
そう言ってフェンミンは手に持っていたウサギのストラップをネムリに押し付けるように渡す。
「えぇ!?い、いいよ別に」
「だめ!もらって!!お守りみたいなもんなんだから。…また、会えるよね?」
いままで見たことがない、泣きそうな顔をして、フェンミンは言った。
その時やっとネムリは気づいた。
そうだ、これは、お別れなんだ。
みんなとの、フェンミンとの。
じわりと熱が目元にこみ上げてくる。
「…うん。会えるよ。わがままなことして、ごめんね」
「…ばかっ。絶対だからね!」
くるりと後ろを向いたフェンミンの顔はわからなかったが、その声は微かに震えていた。
「私からも、これ」
メグがネムリに手渡したのは白い粉のポーチだった。
「わっ。いいの?」
「うん。いい事ありますようにって。あと、ミンと一緒。また会えますように」
両手でポーチを差し出すメグの手ごと、ネムリはギュッと握りしめてから、ポーチを受け取った。
「あたしからも。これを持っていきな」
ネアが渡してくれたのは救急箱だった。
蓋を開けてみると儀式の時とは違い、さまざまな効能の書かれた薬が沢山入っていた。
「どうせあのキラーのこった。ロクなもん持ってないんだろ?いざって時に手遅れってならないように持っていきな。」
「ありがとう。ネア」
また涙腺が緩みそうになるネムリの頭を、めそめそすんじゃないよと、苦笑しながらネアが叩いた。
「私からはもちろん、コレね」
最後にそう言ってローリーが差し出したのは、鍵だった。
「ストロード不動産」と書かれたダンボールのタグがついており、下の方に手書き文字で「ランプキン・レーン」と書かれている。
ネムリは目を見開いた。
「これっ…」
「そう。兄さんと…私の生家のカギよ。最もよく出来た模造品みたいなものだし、今は兄さんだけが住んでるけどね。」
ローリーが鍵をくるりと回した拍子にチャリっと音がなった。
「この世界では、儀式のステージや別の空間に移動する際に、それぞれの場所に因縁深いものを持っていると辿り着きやすいみたいね。貴方を助けに行ったときも使ったし」
「そうだったんだ…」
ネムリの掌の上にローリーが鍵を載せる。
ちいさな鍵だが、今のネムリにとっては、マイケルの元へ帰るための確かな道標だ。
宝物を持つように、ネムリは鍵を大事そうにギュッと抱きしめた。
「…ありがとう。ローリー。」
「フフッ。どういたしまして。鍵はまだいくつか持っているから、また会いに行くわね。義理姉さん」
「っもう!ローリーったら…」
最後にまた、みんなで少しおはなしして、笑って。
別れに寂しい思いを感じながらも、ネムリは笑顔でゲートを潜り抜けていった。
ネムリがゲートを抜けた、その数分後、暗い闇そのもののような深い霧がキャンプ全体に立ち込めてきた。
「こりゃ儀式だね…」
ネアの顔が険しく歪む。
「ええ。誰がくるかは…言うまでもないわね」
そっとローリーはポケットの中に仕込んだ鋭いガラスの破片を確かめる。
フェンミンもメグも不安そうな面持ちながらも、周囲を警戒しながらローリーとネアに歩み寄る。
霧がすっかりキャンプを包み込んだ頃に、儀式の始まりを告げるような悲痛な叫び声が響き渡った。
僕はそっと鏡を覗く。
この鏡を覗くと、不思議と獲物の位置が鮮明に脳裏に思い浮かぶ。
焚火のそばに2人。
キャンプ外れの森の近くに1人。
ゲート前に4人。
……いない。
僕は少し肩を落とした。
僕のネムリの姿が見えない。
あいつらに連れ去られた彼女は、いったいどこに消えたんだろうか。
あいつらにどこかへ監禁されてしまったのだろうか。
普段は獲物をなんの感慨も無く消していくだけだが、今日だけは、獲物に対して初めて「消してやりたい」と強く思った。
僕だけの宝物に馴れ馴れしく触れるものなんて、全て消してやりたい。
愛用の包丁が月明かりを受けて蒼白く輝く。
早く、早くこの包丁で奴らを抉ってやりたい。
薄汚い血を全て地面に垂れ流させて、じわじわと命の火を消していって欲しい。
1分1秒を、恐怖と痛みを鮮明に感じながら、ネムリをさらった事を悔いながら、苦しんで死に絶えて欲しい。
自分の吐息が煩く響く。
闇が具現化したような重たい霧に紛れて、僕はじわりじわりとキャンプ外れに佇む獲物へと距離を詰めていった。
キャンプ外れで寛いでいたデイビッドの後ろに音もなく巨大な影が忍びよる。
月光を受けて怪しく光る刃がゆっくりと、頭上高くに振りかぶられる。
背後の気配に気づくこともなく、デイビッドは夜風を心地よく感じながら、木々の隙間から刺す柔らかい月の光に目を細める。
そんなデイビッドの目に、キラリと鈍色の光が刺す。
疑問に思う暇もなく、その光は重力に従って、吸い込まれるようにデイビッドの目へと近づいてくる。
見開いた目が最後に見たものは、じっとこちらを覗き込む白いブギーマンのマスクだった。
引き抜いた包丁が真新しい赤で染まる。
地面に倒れた哀れな獲物が言葉にならない呻き声を上げながらのたうち回っている。
動くたびに湧き水のように溢れ出てくる鮮血が、のたうち回る男の手や顔を染め上げていく。
耳障りで仕方ない。
今度は無防備に晒した喉元へ切っ先を突き立てる。
今度は声ではなく、泡立った血の塊がごぽりと喉の真ん中から溢れ出る。
目を、喉を抑える男の頭の上に、ハロウィンの殺人鬼の足が影を落とす。
ぐちゃり
と言う音と共に、脳漿を溢した哀れな男は物言わぬ肉塊へと変わり果ててしまった。
地面に足を擦り付けてから、ハロウィンの殺人鬼はゆっくりと次の獲物のいる方へ歩き出した。
ローリーは考える。
最初の悲鳴は、おそらくデイビッドだろう。
デイビッドの悲鳴を、皮切りに次々と悲鳴が上がっては消えていく。
悲鳴は次第にキャンプの奥、ゲートのすぐそばまで迫って来ていた。
儀式は基本的に4人の生存者と1人のキラーで行われる。
今回も例外はなかったらしい。
自分も残ると言い張る彼女たちの背中を、ローリーは何も言わずに押し出した。
ゲートの向こう側へと、何か言いたげな顔の3人が煙にかき消されるように消えていく。
フゥ…フゥ……フゥ…
背後から荒い呼吸音が聞こえてくる。
奴が来た。
ローリーは片手をポケットに入れて、ゆっくりと振り返る。
キャンプファイヤーの炎に照らされた蒼白いマスクの殺人鬼がこちらをじっと見つめている。
逆手に持った包丁が、炎で揺らめく赤黒い不気味な輝きを放っている。
包丁から液体が滴り落ちている様子から、仲間たちがやられてからそう時間は経っていないようだ。
「…随分とご機嫌斜めみたいね?シェイプ・ザ・キラー?」
殺人鬼は何も答えない。ただ、荒い呼吸のままでこちらににじり寄ってくる。
「貴方がどんなに執着しようと、閉じ込めようと、彼女の心だけは、彼女以外にはどうにも出来ないわ」
ほんの一瞬、時間にして数秒の間、シェイプの動きが止まる。
わずかに揺れた包丁の先がローリーを指す。
暗く窪んだマスクの目元から、ローリーと同じ色をした目が静かな怒りに燃えていた。
「事実でしょ?だから貴方は私をいつまで経っても手に入れられない。違う?兄さん」
ローリーはどこまでも冷静に、冷ややかな目で目の前の殺人鬼を見据える。
シェイプはゆっくりと、確実に距離を詰めてくる。
その歩幅は心なしか、大股で荒々しく踏み出しているように見える。
ローリーは怯えも震えもせず、シェイプが寄ってこようとも目線を逸らさない。
ついに目と鼻の先、シェイプが手を下ろすだけでローリーを簡単に刺し殺すことが出来る距離まで近づいて来た。
同じ蒼色の目が互いを睨みつける。
先に動いたのはローリーだった。
シェイプの妹が、兄の耳元に囁く。
「貴方を選ぶかどうか、最後に決めるのはネムリ自身よ」
次の瞬間、シェイプはくぐもった呻き声を上げ慄いた。
彼の首元には深々とガラス片が突き刺さっている。
ローリーは悶える兄に見向きもせず、軽やかに駆けていく。
轟々と音を立てる脱出ハッチの前で一度だけ振り返ると、彼女は言った。
「貴方を受け入れる人間がいることを、居もしない神に祈ってあげるわ。さよなら兄さん。」
そのままローリーはポッカリと、黒い口を開けたハッチの中へと、吸い込まれるように消えていった。
1人その場に取り残されたマイケルは、首元のガラス片を引き抜くと、その場にじっと佇んでいた。
幾人を簡単に死地に送り込んでいたその背中は、少しだけ心細そうに炎の影で揺らめいていた。