悪いヒト
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「どうしようもないくらい、成歩堂さんが好きなんです」
たまに、いや二週間に一度くらいの頻度でボルハチに来店する彼女……奈真恵ちゃんは会う度にそう言った。
なんでも、ぼくがまだ弁護士だった頃からの熱心なファンだそうだ。
あの頃のぼくはもういないって伝えても全く理解しようとしない。
歳は真宵ちゃんと同じか少し下くらいだろうか、若い。
この店にはとても似つかわしくない普通の女性だ。
「だから? ぼくと付き合いたいって? 何回も言わせないでくれるかな、第一お互いのことなんにも知らないだろ」
ぼくはいっきに大好きなぶどうジュースを飲み干す。
彼女はう、と呻くと俯いて押し黙った。
奈真恵ちゃんは、ぼくのタイプとは少し違うけど素直でいい反応をする。
傷ついた顔がちょっとカワイイ。
だから、突き放したくなる。
「これから知っていきたいです、貴方のこと」
奈真恵ちゃんもぶどうジュースを飲み干して、ぼくを真っ直ぐ見据える。
あれ、前はフルーツ苦手だって言ってなかったっけ?
ぼくがぶどうジュースやりんごが好きだから克服してくれたの?
まあいいけどね、どうでも。
ポケットに手を突っ込んで黙って彼女を観察していたら、次第に不安そうな顔になってきた。
「あの……聞いてますか?話」
「ん?聞いてるよ」
奈真恵ちゃんは安心したような、しかし不安そうな複雑な顔を浮かべて膝の上で拳を握りしめている。
いかにも、キンチョウしてますって感じ。
きみ、通い始めて何回目だっけ?
それでも、黙って見ていたら彼女が口を開いた。
「もし私が勝ったら、成歩堂さんになんでも言うことをひとつ聞いてもらいます」
顔を伏せたまま目線だけこちらを向けて、まるで、睨みつけるような表情で。
唐突で、脈絡がなくて少し面食らってしまった。
奈真恵ちゃんは真面目な顔をしてるつもりなんだろうけど、威嚇しているライオンの赤ちゃんか、意地を張っている小さな少女みたいでぼくは肩を震わせてしまった。
「勝つ?」
「決まってるじゃないですか、ポーカーです」
「へえ、それ、ぼくが七年間無敗なのを知ってて言ってるんだよね?」
「もちろんです」
ゆっくりと頷く彼女の目にはメラメラと闘志が燃えたぎっているけれど、どうにもこういうのに強そうには見えないんだよな。
「それで、ぼくのメリットは?」
彼女はぽかんとした顔をした。
そして考える仕草をし始めたけれど、きみにしかメリットのないことをぼくがすると思っていたのだろうか。
ぼくはディーラーに声をかけて、トランプを配らせる。
青のトランプ。
「じゃあ、ぼくが勝ったらぼくの言うことをなんでもひとつ聞いてよ」
奈真恵ちゃんは顔が強ばらせてぼくを見た。
何をお願いしようかな。
ディーラーが手際良くトランプを配る。
ぼくの手札は良くも悪くもない。
フラッシュは狙えそうだけど、どうだろうか。
彼女の手札もどうやらぱっとしないようだ。
ぼくは自信満々に、どっさりとチップをベットした。
「ふぉ、フォールド……」
弱々しい声が響く。
奈真恵ちゃんは想像以上の相当な初心者のようだ。
こんな簡単なブラフにも引っかかるなんて。
ぼくはブラフ、ハッタリなら負ける気がしないんだよね。
ましてや初心者のこんな素直な子が相手なんて、赤子の手をひねるように容易い。
ぼくが持ってるの、1のワンペアなんだけどなあ。
*
予想通りぼくは着々と勝ち続けた。
彼女の持っているチップと反比例してぼくのチップが増えていく。
ぼくに勝つために一生懸命にポーカーに興じている奈真恵ちゃんを追い詰めるのはゾクゾクした。
「はい、ストレート。ぼくの勝ちだね」
ショーダウン。
ポーカーフェイスのポの字も知らなさそうな分かりやすい動揺ぶりだったね。
ぼくがハンドを公開すると奈真恵ちゃんは唇を噛んだ。
「くっ……。やっぱり七年間無敗の名は伊達じゃないですね」
「ありがとう」
ぼくは優しいから、きみが弱すぎるだけだよ、とは言わないでおいた。
「それで……」
「ああ、お願い、か。うーん、どうしようかな。なんでも聞いてくれるんだよね」
ぼくはしばらく考えて、いい事を思いついた。
席を立ち上がって奈真恵ちゃんの座っている席の前に移動する。
彼女はキィ、と回転イスを回してこちらを向いた。
片手を机の上に置き、その手に体重を乗せ、ぐっと奈真恵ちゃんと物理的に距離を縮める。
「な、な、なんですか」
視界一面に奈真恵ちゃんの顔。
やっぱり若いらしい、手入れの行き届いたきめ細やかな白い肌。
どうしたの、可愛い声が震えてるよ。
声だけじゃない、瞳も、まつ毛も、身体も。
案の定、カワイイ反応が返ってきて満足した。
唇が触れるか触れないかの瀬戸際でぼくは微笑んでみせた。
「奢ってよ、ボルシチ」
「な……!」
彼女は座ったまま仰け反り、顔を真っ赤にして震えている。
椅子ごとひっくり返ってしまいそうだ。
「な! なんで、そんな顔を近づける必要があったんですか!」
「どうして? なにか期待してたの?」
「そ、それは……。し、質問に答えてください」
もう奈真恵ちゃんはしどろもどろでグチャグチャになっている。
恋愛経験がないわけではないだろうに。
顔を近づけただけでここまで動揺されるとは思わなかった。
「ぼくが近づきたいと思ったから、かな」
からかいたいと思ったからでもある。
半分正解、半分嘘だ。
「……成歩堂さんはずるいです」
奈真恵ちゃんはすくっと立ち上がると、おもむろにぼくの両手を強く握った。
「いてて」
ひんやりと冷えた手だった。
店内、冷えるもんね、そんな薄着じゃ寒いんじゃない?
「奈真恵ちゃん、何のつもり? ぼくは手を繋いでもいいなんて言ってないよ」
「私が手を繋ぎたいと思ったから、ですよ」
キンキンに冷えた室内の温度が二人の熱を必死に冷まそうとしている。
そんなの全くの無意味なんだけれど。
ヤケになったような奈真恵ちゃんはいつもより大胆だ。
「私はずっとあなたに憧れていたんです」
奈真恵ちゃんの手が離れていくのと同時に視線も下に落ちていった。
俯いた顔からは表情を読み取れない。
「憧れ?」
「そうです。一人の人間として」
「ふうん、そう」
ぼくはテーブルの上に置いてあった自分のトランプケースを手に取り、シャッフルを始めた。
「私、あなたのことが好きです」
「へえ、そう」
「だから……」
「でもさあ、それ、ぼくのことが好きなんじゃなくて、ぼくの肩書きが好きなだけじゃないの?」
ぼくは持っていたトランプを机の上にばら、と投げ捨てる。
彼女はトランプを目で追ったあと、またぼくを見つめた。
「……違います。本当に好き、なんです」
「奈真恵ちゃんはさ、誰よりもぼくのことを知っていると豪語するわりに、ぼくのことを何も分かっていないよね」
「どういう意味ですか」
「だったら、どうしてぼくが好きでもないはずのきみを帰したくないって思ってしまってるのか、きみには説明できるのかな」
「それは……、」
奈真恵ちゃんは凄く驚いた顔をして言葉を失った。
ほらね、結局分かってないんだよ。
ぼくも奈真恵ちゃんも、お互いの気持ちを推し量れていないんだ。
ぼくにすら、自分の気持ちが分からないんだからね。
「何でも一つ聞いてもらえるとかいう『おねがい』を使って、きみの事を好きにしてあげてもいいのに、そんな事はできないって思うのは何でだろう。ね」
「…………」
ぼくが捲し立てるとあっという間に縮こまって何も話さなくなった。
奈真恵ちゃんは押しに弱いのかな。
「あ、ちなみにぼくに勝っていたらどうするつもりなのかな? ぼくに何をさせるつもりだったの?」
「それは、その……別に、なんでもありませんよ」
「ふうん、言えないようなことをさせる気だったんだ」
「ち、違っ」
慌てる奈真恵ちゃんを見て、思わず口元が緩む。
こんな風に困らせているのはぼくなのに、それが嬉しいと思ってしまう。
ぼくはもうとっくに手遅れなところまで来てしまっているのかもしれない。
「ねえ、教えてよ。お願い」
彼女の耳元で囁くと、彼女はビクッと肩を震わせた。
それから、蚊の鳴くような声で「キスしてほしいな、って」と言った。
ぼくはその答えを聞いて、笑ってしまった。
「きみは付き合ってもいない男の人とそういうコトがしたいの?」
そう言うと彼女は泣きそうな顔をした。
ああ、その顔、そそるなぁ。
もっと泣かせてみたい、だけど我慢。
嫌われちゃしょうがないからね。
「そ、そんなわけないじゃないですか。私は成歩堂さんだから……」
「そんなに好きなんだ、ぼくのこと」
「もう!」
「ははは、ごめんごめん。からかい過ぎたね。……奈真恵ちゃん、そろそろ、お家に帰ったら?」
ぼくは善意で言ったんだけど、奈真恵ちゃんは唇を震わせて今にも泣きそうな顔をした。
泣かせたいって意思があって泣かせたならともかく、予想外だったから、さすがに焦ってしまった。
「ごめんなさい、変なことを言ってしまって」
そのとき、ぼくはああ、と理解した。
とんでもない誤解をされていたみたいだ。
「あーちがうよ。別にきみのおねがいのことで言ってるんじゃない。ここ寒いだろ? カゼ引いちゃうかなって思ってさ。それだけ」
ぶどうジュースを、グラスに注いでまた飲んだ。
芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
ぼくはそれをゆっくりと反芻する。
室内の温度で冷やされたグラスで飲むとまた格別だ。
「あれ、待ってください。まだ私、ボルシチを注文していないですよ」
「ああ、『おねがい』のこと? ボルシチはもういいや」
「では何を?」
「ぼくのおねがい……。そうだなあ、またここに来てよ、奈真恵ちゃん」
「……え? それだけですか?」
「……それだけって。はあ、奈真恵ちゃん期待しすぎだよ」
本心というのは口に出すと案外恥ずかしいものだ。
照れているのを悟られたくなくて、顔を背ける。
奈真恵ちゃんのくすくすと笑う声が聞こえる。
ぼくとしてはなんだか面白くない。
「また来ますよ、モチロン。次はポーカー負けませんから。では」
「じゃあね、今日は楽しかったよ」
会計を済ませると、彼女は凛とした顔で笑って店を後にした。
ぼくはその後もただ何となく彼女がいた席を見つめる。
これは決して恋じゃない。
ただ奈真恵ちゃんを困らせたいだけ、のはずだ。
たまに、いや二週間に一度くらいの頻度でボルハチに来店する彼女……奈真恵ちゃんは会う度にそう言った。
なんでも、ぼくがまだ弁護士だった頃からの熱心なファンだそうだ。
あの頃のぼくはもういないって伝えても全く理解しようとしない。
歳は真宵ちゃんと同じか少し下くらいだろうか、若い。
この店にはとても似つかわしくない普通の女性だ。
「だから? ぼくと付き合いたいって? 何回も言わせないでくれるかな、第一お互いのことなんにも知らないだろ」
ぼくはいっきに大好きなぶどうジュースを飲み干す。
彼女はう、と呻くと俯いて押し黙った。
奈真恵ちゃんは、ぼくのタイプとは少し違うけど素直でいい反応をする。
傷ついた顔がちょっとカワイイ。
だから、突き放したくなる。
「これから知っていきたいです、貴方のこと」
奈真恵ちゃんもぶどうジュースを飲み干して、ぼくを真っ直ぐ見据える。
あれ、前はフルーツ苦手だって言ってなかったっけ?
ぼくがぶどうジュースやりんごが好きだから克服してくれたの?
まあいいけどね、どうでも。
ポケットに手を突っ込んで黙って彼女を観察していたら、次第に不安そうな顔になってきた。
「あの……聞いてますか?話」
「ん?聞いてるよ」
奈真恵ちゃんは安心したような、しかし不安そうな複雑な顔を浮かべて膝の上で拳を握りしめている。
いかにも、キンチョウしてますって感じ。
きみ、通い始めて何回目だっけ?
それでも、黙って見ていたら彼女が口を開いた。
「もし私が勝ったら、成歩堂さんになんでも言うことをひとつ聞いてもらいます」
顔を伏せたまま目線だけこちらを向けて、まるで、睨みつけるような表情で。
唐突で、脈絡がなくて少し面食らってしまった。
奈真恵ちゃんは真面目な顔をしてるつもりなんだろうけど、威嚇しているライオンの赤ちゃんか、意地を張っている小さな少女みたいでぼくは肩を震わせてしまった。
「勝つ?」
「決まってるじゃないですか、ポーカーです」
「へえ、それ、ぼくが七年間無敗なのを知ってて言ってるんだよね?」
「もちろんです」
ゆっくりと頷く彼女の目にはメラメラと闘志が燃えたぎっているけれど、どうにもこういうのに強そうには見えないんだよな。
「それで、ぼくのメリットは?」
彼女はぽかんとした顔をした。
そして考える仕草をし始めたけれど、きみにしかメリットのないことをぼくがすると思っていたのだろうか。
ぼくはディーラーに声をかけて、トランプを配らせる。
青のトランプ。
「じゃあ、ぼくが勝ったらぼくの言うことをなんでもひとつ聞いてよ」
奈真恵ちゃんは顔が強ばらせてぼくを見た。
何をお願いしようかな。
ディーラーが手際良くトランプを配る。
ぼくの手札は良くも悪くもない。
フラッシュは狙えそうだけど、どうだろうか。
彼女の手札もどうやらぱっとしないようだ。
ぼくは自信満々に、どっさりとチップをベットした。
「ふぉ、フォールド……」
弱々しい声が響く。
奈真恵ちゃんは想像以上の相当な初心者のようだ。
こんな簡単なブラフにも引っかかるなんて。
ぼくはブラフ、ハッタリなら負ける気がしないんだよね。
ましてや初心者のこんな素直な子が相手なんて、赤子の手をひねるように容易い。
ぼくが持ってるの、1のワンペアなんだけどなあ。
*
予想通りぼくは着々と勝ち続けた。
彼女の持っているチップと反比例してぼくのチップが増えていく。
ぼくに勝つために一生懸命にポーカーに興じている奈真恵ちゃんを追い詰めるのはゾクゾクした。
「はい、ストレート。ぼくの勝ちだね」
ショーダウン。
ポーカーフェイスのポの字も知らなさそうな分かりやすい動揺ぶりだったね。
ぼくがハンドを公開すると奈真恵ちゃんは唇を噛んだ。
「くっ……。やっぱり七年間無敗の名は伊達じゃないですね」
「ありがとう」
ぼくは優しいから、きみが弱すぎるだけだよ、とは言わないでおいた。
「それで……」
「ああ、お願い、か。うーん、どうしようかな。なんでも聞いてくれるんだよね」
ぼくはしばらく考えて、いい事を思いついた。
席を立ち上がって奈真恵ちゃんの座っている席の前に移動する。
彼女はキィ、と回転イスを回してこちらを向いた。
片手を机の上に置き、その手に体重を乗せ、ぐっと奈真恵ちゃんと物理的に距離を縮める。
「な、な、なんですか」
視界一面に奈真恵ちゃんの顔。
やっぱり若いらしい、手入れの行き届いたきめ細やかな白い肌。
どうしたの、可愛い声が震えてるよ。
声だけじゃない、瞳も、まつ毛も、身体も。
案の定、カワイイ反応が返ってきて満足した。
唇が触れるか触れないかの瀬戸際でぼくは微笑んでみせた。
「奢ってよ、ボルシチ」
「な……!」
彼女は座ったまま仰け反り、顔を真っ赤にして震えている。
椅子ごとひっくり返ってしまいそうだ。
「な! なんで、そんな顔を近づける必要があったんですか!」
「どうして? なにか期待してたの?」
「そ、それは……。し、質問に答えてください」
もう奈真恵ちゃんはしどろもどろでグチャグチャになっている。
恋愛経験がないわけではないだろうに。
顔を近づけただけでここまで動揺されるとは思わなかった。
「ぼくが近づきたいと思ったから、かな」
からかいたいと思ったからでもある。
半分正解、半分嘘だ。
「……成歩堂さんはずるいです」
奈真恵ちゃんはすくっと立ち上がると、おもむろにぼくの両手を強く握った。
「いてて」
ひんやりと冷えた手だった。
店内、冷えるもんね、そんな薄着じゃ寒いんじゃない?
「奈真恵ちゃん、何のつもり? ぼくは手を繋いでもいいなんて言ってないよ」
「私が手を繋ぎたいと思ったから、ですよ」
キンキンに冷えた室内の温度が二人の熱を必死に冷まそうとしている。
そんなの全くの無意味なんだけれど。
ヤケになったような奈真恵ちゃんはいつもより大胆だ。
「私はずっとあなたに憧れていたんです」
奈真恵ちゃんの手が離れていくのと同時に視線も下に落ちていった。
俯いた顔からは表情を読み取れない。
「憧れ?」
「そうです。一人の人間として」
「ふうん、そう」
ぼくはテーブルの上に置いてあった自分のトランプケースを手に取り、シャッフルを始めた。
「私、あなたのことが好きです」
「へえ、そう」
「だから……」
「でもさあ、それ、ぼくのことが好きなんじゃなくて、ぼくの肩書きが好きなだけじゃないの?」
ぼくは持っていたトランプを机の上にばら、と投げ捨てる。
彼女はトランプを目で追ったあと、またぼくを見つめた。
「……違います。本当に好き、なんです」
「奈真恵ちゃんはさ、誰よりもぼくのことを知っていると豪語するわりに、ぼくのことを何も分かっていないよね」
「どういう意味ですか」
「だったら、どうしてぼくが好きでもないはずのきみを帰したくないって思ってしまってるのか、きみには説明できるのかな」
「それは……、」
奈真恵ちゃんは凄く驚いた顔をして言葉を失った。
ほらね、結局分かってないんだよ。
ぼくも奈真恵ちゃんも、お互いの気持ちを推し量れていないんだ。
ぼくにすら、自分の気持ちが分からないんだからね。
「何でも一つ聞いてもらえるとかいう『おねがい』を使って、きみの事を好きにしてあげてもいいのに、そんな事はできないって思うのは何でだろう。ね」
「…………」
ぼくが捲し立てるとあっという間に縮こまって何も話さなくなった。
奈真恵ちゃんは押しに弱いのかな。
「あ、ちなみにぼくに勝っていたらどうするつもりなのかな? ぼくに何をさせるつもりだったの?」
「それは、その……別に、なんでもありませんよ」
「ふうん、言えないようなことをさせる気だったんだ」
「ち、違っ」
慌てる奈真恵ちゃんを見て、思わず口元が緩む。
こんな風に困らせているのはぼくなのに、それが嬉しいと思ってしまう。
ぼくはもうとっくに手遅れなところまで来てしまっているのかもしれない。
「ねえ、教えてよ。お願い」
彼女の耳元で囁くと、彼女はビクッと肩を震わせた。
それから、蚊の鳴くような声で「キスしてほしいな、って」と言った。
ぼくはその答えを聞いて、笑ってしまった。
「きみは付き合ってもいない男の人とそういうコトがしたいの?」
そう言うと彼女は泣きそうな顔をした。
ああ、その顔、そそるなぁ。
もっと泣かせてみたい、だけど我慢。
嫌われちゃしょうがないからね。
「そ、そんなわけないじゃないですか。私は成歩堂さんだから……」
「そんなに好きなんだ、ぼくのこと」
「もう!」
「ははは、ごめんごめん。からかい過ぎたね。……奈真恵ちゃん、そろそろ、お家に帰ったら?」
ぼくは善意で言ったんだけど、奈真恵ちゃんは唇を震わせて今にも泣きそうな顔をした。
泣かせたいって意思があって泣かせたならともかく、予想外だったから、さすがに焦ってしまった。
「ごめんなさい、変なことを言ってしまって」
そのとき、ぼくはああ、と理解した。
とんでもない誤解をされていたみたいだ。
「あーちがうよ。別にきみのおねがいのことで言ってるんじゃない。ここ寒いだろ? カゼ引いちゃうかなって思ってさ。それだけ」
ぶどうジュースを、グラスに注いでまた飲んだ。
芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
ぼくはそれをゆっくりと反芻する。
室内の温度で冷やされたグラスで飲むとまた格別だ。
「あれ、待ってください。まだ私、ボルシチを注文していないですよ」
「ああ、『おねがい』のこと? ボルシチはもういいや」
「では何を?」
「ぼくのおねがい……。そうだなあ、またここに来てよ、奈真恵ちゃん」
「……え? それだけですか?」
「……それだけって。はあ、奈真恵ちゃん期待しすぎだよ」
本心というのは口に出すと案外恥ずかしいものだ。
照れているのを悟られたくなくて、顔を背ける。
奈真恵ちゃんのくすくすと笑う声が聞こえる。
ぼくとしてはなんだか面白くない。
「また来ますよ、モチロン。次はポーカー負けませんから。では」
「じゃあね、今日は楽しかったよ」
会計を済ませると、彼女は凛とした顔で笑って店を後にした。
ぼくはその後もただ何となく彼女がいた席を見つめる。
これは決して恋じゃない。
ただ奈真恵ちゃんを困らせたいだけ、のはずだ。
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