長編
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病院の個室で横たわる祖父から「お前には逞しくなって欲しい」と告げられたのは夢野葵が中学3年の夏だった。
保護者である祖父が入院中だという事を知っている担任から進路については早めにキチンと話した方がいいと告げられ、病院からなるべく近くの高校に進学しようと思っていると告げれば、そんな、理由では駄目だと首を横に振ったのだ。
「それなりにテコンドーで鍛えられたとは思うけど」
「それは身体の話だろう」
心配してくれるのは嬉しい夢野だったが、小学1年生の時に引き取られてから共に暮らしてきた祖父が唯一の家族であり、そんな事よりも自身の心配をして欲しいと心の中で溜息をついた。
「でも、今だってひとり暮らししてるみたいなもんだし」
「それに関しては悪いとは思っている」
「……別に責めたくて言ったんじゃないよ」
「解っている。だが、このままでは保護者として何もしてやれん」
――充分して貰ってるのに。
どうにも伝わらないもどかしさに夢野は口を尖らせた。
「だから、学校は良い所を探してやる」
「何それ。別に近いからだけで選んだ訳じゃないよ? 友達だって行くからそこが良いし」
「……病院を移るとしてもか?」
「え!? どこの病院? そしたら、別の学校にする!!」
「やっぱりか」
あっさりと思惑がバレてしまった夢野は項垂れると、ぽんっと頭を撫でられる。しかし、それぐらいでは譲れなかった。
離れた所に進学するくらいなら、高校などどっちでも良いと思っているからだ。
「病院を移るのは嘘じゃない」
「そうなの?」
「東京に良い先生が居るらしくてな。お前さえ良ければ、知り合いが校長をやってる所に――」
「行くよ!!そこに!!」
思わず大きい声が出てしまい、慌てて口を塞ぎ後ろを振り向く。看護士が睨みに来る事はなく、ほっと安心すると祖父の方へ向き直る。
「で、どこ」
「まぁ、待て。連絡を取ってからだ」
「そっか」
「それに友達にだって話さないといかんだろう?」
「あ、うん……。 そうだよね」
東京となると間違いなく離れ離れになる。
連絡は取り合えても、気軽に遊べる事は出来なくなるだろう。
「さ、今日はもう帰れ。知り合いと話がついたら、この話の続きをしよう」
「解った。また明日ね!」
いつもより早い帰宅だが、東京に行くとなれば友人には最初に伝えておかねばと夢野は病院を後にした。
病院から出て、自転車を10分ほど漕いで辿り着いたのは友人である六花の家だ。
チャイムを鳴らし、名前を告げればニコニコと六花が出てきた。
「もしかして、病院帰り? どーしたの?」
「ちょっと話したくて」
「解った! 待ってて!! ……お母さん、ちょっと出てくる」
サンダルを履いて、少しだけ歩く。
何かを察してくれているのか六花はただ、黙ってついてくる。そんな友人の気遣いに嬉しくなりながら、夢野は意を決して口を開いた。
「あのね、ジィちゃんが病院移るんだって」
「……そんなに悪くなっちゃったの?」
病院を移るという言葉に不安そうな顔を六花が浮かべた。
「ごめん! 心配させるような事を言っちゃったけど、東京に良い先生が居るから移るんだって」
「東京? もしかして葵も、その……東京に?」
「解かんない。ジィちゃんはきっと残っても良いって言うと思う。……六花?」
隣を歩いていたはずの六花が居らず、振り向くと、いつの間に立ち止まっていたのか、数歩後ろに居た。
「行くんでしょ?」
「それはまだ」
「行くんでしょ! 行きなよ!!」
「り、六花?」
飛び付いてきた六花に夢野は困惑した。
涙を浮かべながら笑っていたからだ。
「良いの?だって、同じ高校に行って部活も一緒にって話したじゃん」
「そりゃ寂しいよ。でも、行きたいなら止める訳ないじゃん」
「ごめんね」
ポロリと涙が溢れる。寂しいという気持ちは夢野も同じだからだ。
自転車を支えていた手を放すと、ガチャンと大きな音を立てて倒れてしまったが、そんな事を気にする事もなく両手で六花を抱き締めた。
「電話する」
「うん」
「夏休みとか帰る」
「私だってそっちに行くよ。ついでに、東京のイケメンも紹介してよ」
「そ、それは出来るかな?」
「ふふっ!兎に角、離れたからって親友だからね!」
「うん!」
お互いに涙を拭うと、夢野は自転車を起こした。念の為、確認したがどこも壊れてはなさそうだ。
「自転車、大丈夫? ごめんね」
「六花のせいじゃないし!ほら、六花んち戻ろう」
「で、いつ行っちゃうの?高校なんてとこ?」
「ん〜?なんか、ジィちゃんの知り合いの学校らしいんだけど、まだ連絡取ってないから解かんない」
「え?」
再び六花が立ち止まる。
「決まったんじゃないってこと?」
「あ、うん。取り敢えず、行くかもって話しておきたいから話しに来たの」
「はぁ!? 泣いて損したじゃん!! 恥ずかしい!!
「ええ!?」
「これでやっぱり行きませんとかなったら、意味解かんないじゃん!!」
「……それもそうか」
バシンっと遠慮なく叩かれた背中を丸めて唸っていると顔を真っ赤にした六花が、ズンズンと先を行く。
慌てて追い掛ければ「おばか」ともう一度背中を叩かれた。
「ちょ、痛いよ!」
「テコンドーで鍛えた体が何、言ってんの」
「痛いものは痛いし」
「これで東京行かなかったら何か奢ってよね。てか、暗くなるから送らなくて良いし」
「え〜危ないよ。女の子がさ」
「あんたもでしょ! はい、また明日!!」
六花に手を振って追い返された夢野は仕方なく、自転車に跨ると暗くなりかけた道を駆け抜けたのだった。
東京の病院へと転院するという話をしてから、暫く経ったある日、いつものように見舞いに行くと祖父が話がまとまったと椅子に座らせた。
「やっぱり病院は移す。そんで、東京の学校には何とか話はつけた」
「解った。担任には私から話すね」
「それなんだが、その話は俺から話さなきゃなんねぇから待ってろ」
「いや、でも……」
「良いから」
話を遮るように手の平を突き出され、夢野は不思議に思いながらも口を噤んだ。
話をするなら夢野がした方が早いからである。
「で、どんな学校?」
「……ここなんだが」
渡されたのは紙には手書きで学校名が書かれていた。
他にもよく解らない誓約などが書かれていたが、それよりも学校名が引っかかっていた。
「ねぇ」
「なんだ」
「鈴蘭男子高校って書いてあるけど」
「そうだな」
「共学になったとか?」
「男子校のままだ」
夢野の頭上には沢山の?マークが浮かんでいた。
「ジィちゃん。女子は男子校には入学出来ないよ」
「知り合いが理事長でな! 何とかしてもらった。男装の徹底は言われたがな」
――そんな漫画じゃないんだから。
理解が追い付かない頭で、もう一度紙を見る。
難しい所は解らないが、確かに入学の手続きを可能とさせたらしい。
するな、そんなものとツッコミを入れながら、顔を上げると祖父の顔付きから本気が伺えた。
「ここは昔っから不良ばっかしらしくてな。鍛えるにはもってこいだろ」
鍛え方が獅子の子落とし過ぎるだろうと夢野は初めて祖父の事が心の底から理解出来ないと頭を抱えた。
「ジィちゃんは可愛い孫が不良に殴られてもいいの」
「お前にはテコンドーもあるし、逞しくなって欲しいつったろう?」
「もうテコンドー辞めて半月過ぎたよ」
「まだ忘れた訳じゃねぇだろ」
「でも、不良校なんて……」
不安しかなかった。知り合いも居ない上に、女である事を隠しての入学なんて、あまりにも現実離れした話だからだ。
喧嘩と試合も勝手が違う。きっと、常識外れなやり口をされたら対応出来る自信もなかった。
「……普通の学校じゃ駄目なの?」
「それじゃあ、逞しくなれねぇ」
「鈴蘭? へそんなに行って欲しいんだね」
夢野はぐっと拳を固めた。
祖父がそれで少しでも安心して治療に専念するというなら、行くしかない。
「解った。行くよ」
「本当か!?」
「その代わり100歳以上は生きてよね」
「おう。葵の花嫁姿から孫を見るまでは死なねぇよ」
わしわしと頭を撫でられ、夢野は涙ぐむ。
情けない姿はもう見せないと決意を込めて、涙を拭うと立ち上がった。
「よし! 今からやる事はやっておく! だから、今日はもう帰るね!!」
手を振りながら駆けていく夢野を見送ると、祖父は微笑みながら小さく咳き込むのだった。
鈴蘭高校への入学を決意してからはあっという間だった。
まずは荷物だった。東京での新居は知り合いの理事長経由で探してもらったらしいが、基本的にはひとり暮らしとなる。
持っていく物と買わなければならない物もある。
それから男装するとなれば私服も持っていく物は限られるので仕分けが大変だった。
今まで男っぽいかで判断した事なかったからである。
この事は六花にも話していない。黙っているのは心苦しかったが、男子校に通うだなんて口が裂けても言えなかった。
中学校の方にも、どう説明したのかは知らないが担任も東京の方に進学するんだなとしか言われなかったのだ。
となれば、相談出来る相手も居らず一人で黙々と作業をこなすしかなかった。
しかし、幸いな事に勉強の方はそれ程しなくても問題ない事が発覚した。
不良校ともなれば、そこまで偏差値が高くないらしく今のまま勉強していけば余裕らしい。
「まぁ、基本は制服だもんね!!」
服を選別するのを諦めた夢野は、ジャージへと着替えて外へと出た。これから走り込みをするのだ。
兎にも角にも勉強よりも体力が必要でテコンドーの練習も再開した。
入学までに出来る事はしよう。
そう決意を込めて夢野葵は靴紐を結び直し、走り出した――。