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第5章 青嵐吹く夏

秀人の元へ悠たちが行っている頃。
香緒里は自主練をする前に、真を空手部の道場に呼び出していた。
1メートル程間を空け、お互い正座をして向かい合う。

「沙世と別れたって、本当?」

単刀直入に香緒里は聞く。
二人が最近話していないのは気付いていた。喧嘩したのかな、と初めは思っていたがそれにしては少し長い。
モヤモヤしているうちに、「別れた」という噂が入ってきた。真偽を確かめる為に雪音に聞くと肯定の返事。
恐らく雪音は香緒里には言いづらかったのだろう。その原因が原因なだけに。

「あぁ、別れた。」
「私が原因?」
「原因じゃない……とは言い切れない。けど、香緒里が何かしたわけじゃないし、香緒里が悪いんじゃない。」

そうは言っても、香緒里自身も流石にわかっている。自分が沙世に与えている影響くらい。
黙ってジッとこちらを見つめる香緒里に、真は少し息を吐く。

「………沙世には、俺はまだ香緒里のこと好きなんじゃないか、って言われた。だけど、俺にはよくわからねぇ。香緒里の力にはなりたいとは思うし、大事ではあるけど。」
「そう………。」

しばらく何も言わずに、下を向く真を見ながら考える。
そして、また口を開く。

「真が私のことを恋愛対象としてまだ好きだとは、私は思えない。私の感情論ではなくね。私は真に対して、なんて言うんだろう、こう、シンパシーというか近いものを感じて、どちらかと言うと兄弟……のように大事、っていう感覚に近いと思ってる。真もそういうふうに思ってるように、私は感じる。」
「兄弟、なぁ。」
「だって、私と秀人が仲良くしていても何も思わないでしょう??」
「そりゃあ、まぁ。二人が幸せな方がいいに決まってる。」
「じゃあ、沙世は?もし沙世の隣に別の男子がいて、楽しそうに仲睦まじそうに一緒にいたら?真は平気なの?」
「それは…………」

香緒里にそう言われ、真は黙り込む。
そんなこと、考えたこともなかった。

「私のことや、私と秀人のことを心配してくれるのは嬉しい。でもね、私には雪音や翔太だっているんだよ。だけど、沙世にとって大好きで大事な男の子は真しかいないんだよ。」

沙世がどんなに真のことを好きなのか、香緒里はよく知っている。それこそ、嫉妬で苦しんで、こういう状況になってしまうくらい、好きだということを。
だから、沙世には幸せになって欲しい。自分自身のエゴのためではなく、沙世の友人としてそう思う。
真も大事な友人で、ずっと近くにいて見ていたからこそ、以前自分のことを思ってくれていたからこそ、その目線が本当はどこにあるのかがわかる。

「真は、本当にこれでいいの?」
「よくはない、だけど………」

尚も言い淀む真を見て、香緒里は少し溜息をつく。

「まだ整理がつかないのは仕方ないと思うけど、もう一度考えてみて。私は、大丈夫だから。頑張って解決するから、心配しないで、ね?」

『じゃあ、自主練するから』と香緒里が言うと、真はそのままフラリと道場から出て行った。

あぁ、チグハグになってしまったなぁ。私のせいで、どんどんややこしくなってしまっている。
真に対しても、結局上手く伝えたい事を伝えられなかったような気がする。
申し訳なさと、虚しさ、情けなさがまた込み上げてくる。
だけれど、踏ん張らないといけない、私も頑張らないといけない。
そうもう一度思い、香緒里は着ていた道着の帯を引き締めた。





『自分が本当はどうしたいのか、人のためじゃなくて自分のためをちゃんと考えなよ』
一昨日、璃子に言われた言葉を沙世はあれからずっと頭の中で考えている。
本当は…………本当は、真と一緒にいたい。自分の方を見て欲しい。ずっと昔から好きなのだ、そんなことは当たり前だ。
でも、真の心の中に別の人がいるならば、それを応援して自分は身を引いた方が正しいのでは、真の幸せのためにいいのでは、とどうしても思ってしまうのだ。



「あ、谷中!」

お盆前の部活も昨日で終わり、いつもよりずっとゆっくり起きて、少し遅めのブランチを学食で一人取ったあと、さて今日はどうしようかと寮に向かって歩いていると、後ろから前野に声を掛けられた。

「おはよー?ではないか、もうお昼だもんね。野球部ももう練習ないんでしょ?」
「あぁ、俺らも昨日で終わり。谷中は明日実家帰るんだっけ?」
「そうそう。だから今日だけは学校でゆっくり~」
「そっか………」

いつものように話していると、突然前野が黙った。

「前野?」
「あの、さ。ちょっと二人きりで話さねぇか??」
「いいけど……どうしたの?改まって。」
「まぁ、ちょっとな。アイス奢るからさ。」
「よし行こう早く行こう。」

暑いし、ちょうど食後のデザートが欲しかったんだ、とウキウキしだす沙世を見て、前野は笑った。

「お前、ほんと甘いもの好きだな。」
「甘いものも好きだけどしょっぱいものも好きだよ!さて、ゆっくり話したいなら教室とかのがいいかな?今日まで確か空いてるよね。」
「あーそうだったな。売店寄って行くか。」
「賛成!」

あの日、真と別れた日に号泣したのを見られて以降、前野と話す機会が増えた。
一人だと、陰鬱とした気分になってしまうから、時々こうやって話に付き合ってくれる前野の存在はありがたかった。
話すのは大抵なんてことのない話。今流行りの話、部活の話。真や香緒里たちの話は意識的に前野も避けてくれているようだった。

何のアイスにしようかな、なんて話しながら沙世は前野と売店に向かった。





階段を昇る自分の足跡が妙に響く。
夏休み中で殆ど人のいない校舎はいつもと違い、静かだった。遠くから吹奏楽部の吹く、トランペットやサックスの音が聴こえてくる以外は、静寂。

「何でプリントをちょっとだけ置き忘れるかな俺……」

翔太はそう呟きながら、自分の教室へと足を進める。
お盆以外の夏休み中は教室は開放されており、講習期間以外でも、自主勉強をする人が使用したりしている。
ただ、お盆を明日に控えた今日はそのような人達もいないようだ。
翔太も明日、自宅の方へ帰る予定のため荷造りをしていたのだが、宿題のプリントの一部を教室の机の中に置き忘れに気が付いた。そのため、教室へと行く羽目になってしまったのだ。

教室に着き、自分の机を覗き込むと予想通り、プリントが入っていた。それを手に取ると足早に帰ろうとする。
エアコンの入っていない教室は蒸し風呂のようでとても暑いのだ。

廊下へ出た翔太は、自分のクラスの隣の隣の教室、つまりC組から声がしたような気がして立ち止まった。
しかも、聞き覚えのある声。
こんな時期にも人がいるのかと思いながらも少し気になり、そっとC組の教室のドアから中を覗いた。

「え、沙世と前野?」

思わず漏れそうになった言葉を手で塞ぎ、何となくバツが悪く見えないようにしゃがみ込んだ。
教室には二人がいて、向かい合って話していた。

最近仲が良く、一緒にいる姿を見かけることも確かに多かったが………

「何でこんなところに……」

小さく呟いていると、中の声が聞こえてきた。

「だから、その………真のことがまだ好きでもいい。その穴埋めでもいい。俺と付き合ってくれないか………???」
「……私、香緒里や雪音みたいに可愛くないし、性格も結構自己中だよ?」
「俺は、そうは思ってない。」

聞こえてきた会話に、翔太は固まる。

え、いや、おいおいおい……余計に事態をややこしくしないでくれよ!
確かに、もしかしたらそうなのかもしれないと思ったこともあったけど!!!

足音をなるべく立てないようにその場をあとにし、階段へと辿り着くと一気に1階まで駆け下りる。
1階へ着き、周囲に誰もいないことを確認すると、スマホを取り出し、耳に当てる。

『……もしもし?』

2コールした後に出た相手に、いつもの穏やかな雰囲気とは異なり、真剣な表情で話し出す。

「おい真、沙世が前野に告られてたぞ。」
『え……?健が、沙世にか……?』
「いいのかよ、このままだとあの二人、付き合うかもしれないぞ。」
『………別れた後の俺に、どうこう言う資格はねぇよ…』
「本当にそれでお前はいいのかよ……?」
『健なら、沙世を傷付けたり、泣かせたりしないだろ。』

尚もそう言う真に、プツンと何かがキレた翔太は珍しく怒鳴る。

「傷付くのも!泣いてしまうのも!全部お前の事が本当に好きだからだろ!それがわかんねぇのかよ!!」
『それは……』
「もう一度、沙世のことどう思ってるのかきちんと考えろよ!考えることから逃げるなよ!!!」

余計なお節介なのかもしれない。でも、これでいいはずがない。嫌いだから別れたのではない、お互いを思って別れただけなのだから。

昂った心を落ち着かせるため、翔太は大きく深呼吸をした。

「手遅れに、ならないうちに。ちゃんと答え出せよ。」
『あぁ……。』

曖昧な返事の後、通話が切れた。
今度は大きな溜息をつき、その場に座り込む。

「あのバカ……しっかりしろよな……」






翔太との通話を終えた後、部屋にいた真はベッドに横になった。
香緒里と話し終え、特に何をする気にもならなかった為、売店で適当にお昼ご飯を見繕い、部屋に帰ってきた。
それらを食べ終えた後、ぼんやりとしていたら翔太から電話が来たのだ。

「健が沙世に………」

ポツリと呟く。
先程、香緒里に言われた『沙世の隣に別の男子がいたら?』という言葉が思い起こされる。
俺は、沙世のことをどう思っているんだ……??

付き合い出したのは、半ば沙世に押し切られたところにある。
けれど、嫌いだったわけではないし、大事な幼馴染だ。一緒にいて心地よいし、長年自分のことを思っていてくれたのは素直に嬉しかった。
だから、その思いに応えたかったという気持ちもある。

寝転がりながら、そんなことを考えていると満腹感による眠気に襲われ、そのまま眠りについてしまった。



懐かしい夢を見た。
これは、真の父の葬式の時のことだ。

「気の毒にね……ひどい事故だったらしいわよ」
「可哀想に………子供もまだあんなに小さいのに………」

そんなことを葬式に来ていた人々は言ってたような気がする。当時は意味も分からず聞いていたが。

「なんでお父さんのこと、燃やしちゃうの………??」

まだ4歳の真には死という概念はよく分からず、親戚の誰かにこれから父を火葬する、つまり火で燃やしてしまうということだけを聞いて首を傾げていた。
ただ、母はずっと泣いており、何か大変なことが起きているのだということは理解していた。

「真ちゃんのパパはね、お空に行かなくちゃいけないんだって、だから燃やすんだって。でもね、お空から真ちゃんや真ちゃんのママを見守るんだって、うちのママが言ってたよ。」

火葬場でぼんやり呟く真の隣に沙世が来て、その手を握った。

「お空で??」
「うん、だからね、大丈夫だよ。それに、寂しかったら沙世が一緒にいてあげるよ!」
「そっか………じゃあ、寂しくないね!」



急に場面が切り替わる。
今度は、5年前の母の葬式だ。

「お母さんも亡くなってしまうなんて……これからどうするのかしら。」
「ほら、でも義理だけれどお父さんもいるもの。」
「それもそうね。それなら心配ないわね。」

心配ない???見舞いすらろくに来ないで他の女のところに行くような父親がか??
ふざけるな。あいつは俺の父親でもなんでもない。

母がいなくなった悲しみと、義理の父親への怒りで心の中がごちゃごちゃだった。

そんな時でも、沙世は隣にいた。

「大丈夫、私が…………私も、私のお父さんお母さんもいるよ。絶対、真の味方だからね。」
「あぁ…………ありがとう。」

そうだ、どんな時でも、俺の隣に沙世はいてくれた。俺がやけになって翔太たちに嫌がらせをしていた時も------




ハッ、と目が覚めて起き上がった。
今更、気が付いてしまった。
自分にとってどれだけ沙世の存在が大きかったのか。
沙世の隣に別の男………前野がいて、沙世と仲良く笑って、親密そうにしている様子を思い浮かべただけで、心がざわついた。
この気持ちが何なのかなんて…………本当は、心の底では気付いていたのかもしれない。

今更遅いか??いや、今からでも、伝えなくてはならない。例え、嫌な男になってもいい。
それでも、沙世の隣には自分がいたい。


スマホを手に取り、急いで電話を掛ける。

『もしもし?』
「沙世、今どこにいる?」
『えぇ………??校舎の下駄箱の…昇降口のところだけど………』
「話が、したいんだ。そこで待っててくれるか?」
『………わかった。』

短く電話を済ませると、真は部屋を飛び出した。
脇目も振らずに全速力で、校舎の方へ。
昇降口へ飛び込むと、下駄箱に背を預け、ぼんやりと宙を見ている沙世がいた。
声を掛けると驚いたようにこちらを見た。

「どうしたの??何かあったの??」
「沙世………健に、告白されたって、本当か???」

開口一番にそう言うと更に驚いた顔になる。

「え、どっから聞いたの???情報早くない!!??」
「いや、たまたま………翔太が見ちゃったらしくて……」
「そっか、翔太か………」

苦笑いのような照れた笑いをした。
答えは、告白の答えは………どうしたんだろうか。
聞きたいのに、急いで来たせいの息切れと、喉の詰まりで次の言葉が発せない。

「人生で初めて告白されたよ。びっくりもしたけど、嬉しかった。」
「…………じゃあ…」
「でもね、断ったんだ。真の代わりでもいい、って言ってくれたけど、でも誰も真の代わりになんかなれないよ。私にとって、一番大好きな人だもん。多分、これからもずっと………真が、振り向いてくれなくてもいい。片想いだっていい、ずっと想わせて-----」
「沙世」

沙世の言葉を遮る。
少し俯きがちだった沙世は再度真を見た。

「俺は、沙世が好きだ。ごめん、今更かもしれないけど……」
「それ、は………幼馴染として?友達として?」
「違う、一人の女の子として。」

そう言うと、沙世は瞳を潤ませて真の胸に飛び込んだ。

「ほんとに??本当に??」
「沙世は、俺のことをずっと支えてくれてた。いつの間にか、なくてはならない存在になってたのに、俺は隣にいてくれることが当たり前すぎて、全然気付いていなかった。バカだよな………」

その腕を沙世の背中に回し、抱き締める。

「沙世が健に告られたって聞いて………すげぇモヤモヤした。沙世の隣には、俺がいたいって思った。気付くの遅くて、ごめんな。」
「ううん、いいの……いいの。すごく、嬉しい。夢じゃないよね??ほんとに私のこと好きなんだよね??」
「あぁ、好きだ。」

そう再度言うと、沙世も強く真に抱きつき、その後離れて真を見上げた。
涙でぐちゃぐちゃになったその顔で、にっこり笑った。

「私も、真のこと大好き!!」

クスッと真も笑い、指で沙世の頬の涙を拭う。

「すげー顔。」
「何よう、台無し!」

そう言いつつも笑顔を崩さなかった。
二人はまだ蒸し暑い昇降口の階段に腰掛け、揃って空を仰いだ。

「ねぇ、真。」
「ん??」
「ほんとに香緒里じゃなくていいの?」
「………香緒里とは、確かにお互い家庭が複雑だから、こう、通じ合う部分はある。でも、香緒里は『兄弟みたい』って言ってたんだけど、そう言われるとなんかしっくり感じる気がした。」
「兄弟………」
「まぁ、前は確かに好きではあった。でもそれは前の話だ。やっぱりさ、似てるだけじゃダメなんだよ。俺には………沙世が必要なんだよ。」
「そっかぁ…………へへ、なんか嬉しいね。」

でもね、と沙世は続ける。

「真と私、似てるとこは一つだけあるよ。」
「どこ?」
「勉強出来ないとこ!」
「はははっ、沙世のそういうとこ、すげー好きだわ。」

吹き出し、笑う。
居心地のいい、この空間。
なんでこれが当たり前だと思っていたのだろうか。
ずっと二人でなんて、幼馴染の関係だけではありえない。
離れてみて、ようやく気付いた。

「ねぇ、真。明日から家帰るんだけどさ、一緒に行こうよ、それで、うちに泊まらない?」
「そりゃ、嬉しいけど………いいのか?」
「もちろん!お母さんもお父さんも喜ぶよ!でね、真のお父さんとお母さんのお墓参りにも行こうよ。お盆だし。」
「そうだな………ありがとう。」

また、沙世の顔に笑顔が咲く。
晴れやかで、嬉しそうで。
ずっとこの笑顔の傍にいられますように、なんて柄にもなく願ってしまった。


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