このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第5章 青嵐吹く夏

わからない………全然わからない………。
広げた教科書、プリント、参考書を見て悠は頭を抱えた。
もうすぐお盆に入ろうとする頃。
悠は補習で出された課題(夏休みの宿題とは別)をお盆前に提出しなければならず、図書館で課題と睨めっこをしていた。
勉強は好きではない。亮の兄弟と考えると本来は頭が良くないわけではないはずなのだが、何分バスケ以外で頭を使う事が好きではない。
そのため、勉強もせず、わからないところが増えていき、成績が下がる。
頼みの綱の秀人は入院中だし、亮と圭には教わりたくない。
そんなわけで問題は解決しないまま、刻々と時間は過ぎていく。

「あーーくそー!なんで亮も圭も頭いいのに俺だけこんななんだよー!」

少し大きめの声でボヤき項垂れる。
周りからは少し冷ややかな目線が送られた。

「完璧じゃない方が美しい。」

ふと聞こえた声に視線を上げるといつの間にか香緒里が隣に立っていた。
周りを見回してから声のトーンを下げる。

「吉崎………。なんでここにいるんだよ?」
「何って、悠と一緒だよ。勉強しに来たの。たまには場所変えようと思って。」
「ふーん。ところで、なんだよ今の?格言?」
「あぁ、今のね。美愛がそんなこと言ってたなと思って。」

そう言って、空いていた悠の隣の席に座った。
手に持っていたバッグから筆箱や参考書などを出しながら話を続ける。

「全て完璧だとつまらないし、ダメなとこがある方が人間味があって好き、なんだって。」
「へぇ、渡辺がなぁ………。」
「でも私もそれには同感かなぁ。全部が全部完璧だと一緒にいて疲れちゃうでしょ?」
「でも、秀人は完璧じゃね?」

そう言ってから、やべぇ、と悠は口をキュッとすぼめた。
気にしないでいいよ、と香緒里は少し寂しげに笑った。

「そんなことないんだよ?秀人にも苦手なことある。」
「え、そうなのか?あの秀人にも?」
「うん。絵はすごい下手だねぇ……幼稚園児レベルというか……俗に言う、画伯?あと、片付けが出来ない。」

美術の授業では頑なに描いた絵を見せてくれず、たまたま見てしまったそれは、お世辞にも上手いとは言えないレベルのものであった。
鞄の中は特別汚いというわけではないのだが、秀人の弟の秋人曰く、部屋は引く程汚いらしい。ホコリが積もっていたりゴミが転がったりというわけではない、ゴミはゴミ箱に入れている。ただ、出した物は出しっぱなし。収納がとにかく苦手らしい。

「あー部屋汚いのは聞いたことある。真が、秀人は全然片付けをしない、って嘆いてたな。」
「そうみたいねぇ…………。」
「なるほどなー秀人にも出来ないことあるんだ。」
「そうよ。誰だって出来ないこと、苦手なとこがあるものよ。」
「………うちの兄弟、亮も圭も運動神経いいし頭もいいだろ??俺、真ん中だからさ、母親のお腹の中に学力置いてきたんじゃねーかってずっと思ってた。」

そう言って、悠はちょっと笑った。
冗談のようにも聞こえるし、本気で悩んでいるようにも聞こえた。

「勉強は特別出来なくてもいいんじゃない?そりゃあ、赤点取って留年になるっていうのなら話は別だけど。悠は悠のいいところ、たくさんあると思うもん。亮とも圭とも違うところ。」

だからそれでいいと思うよ、と香緒里が言うと、悠はじーっと香緒里の顔を見た。

「な、なに……?」
「いや、秀人は吉崎のそーいうとこが好きなんだろうなぁと思って。」
「そーいうとこ………??」
「なんていうか、自分がしんどい時でも人の事を気遣えるところ??」
「そう、かなぁ………。」
「さっき俺に言ったことそのまま返すけどさ、吉崎にもいいとこたくさんあると思うぞ。大体、あの秀人が好きになった女だろ??もっと自信持っていいだろ?」

ここに亮達がいたら逆にツッコミを入れたくなるだろうまともな励まし。
香緒里もまさか悠からそんなことを言われるとは思ってもおらず、思わずクスッと笑ってしまった。

「なんだよ笑うなよー。」
「ごめんごめん。ありがとね、悠。」
「それじゃあそのお礼ついでに、勉強教えてくれねぇ……??」
「 ふふふ、そのくらいならお安い御用!」

俯いてばかりではなく、悠みたいに明るく前を向かないといけないのかもしれない。
そう思いながら香緒里は悠の悩んでいたプリントを手に取った。







「沙世、たまには一緒に帰らない?」

片付けが終わって着替えていると璃子にそう言われた。
お盆に入ると部活は休みになり、ほとんどの生徒が帰省する。そのお盆まであと2日だ。つまり部活もお盆前では明日が最後。
やや部活がめんどくさいなぁと思う事もある沙世だが、あと残り少しで休み、と考えるといつもより頑張れる気がした。
部活で身体を動かしていると何も考えなくていいから、今の沙世にとっても都合はよかった。
女子テニス部では未だやはり香緒里への風当たりが強い。
香緒里が悪いわけではないのは沙世にはもちろん分かっているし、沙世のために怒っているというよりは香緒里への嫉妬で当たっている人もいるような気がするのでちょっと居心地が悪い。
とはいえ、皆沙世を心配している気持ちがあるのは感じているのでそれを止めることも出来ずにいた。

璃子はその中でも中立………というよりもその輪に入っていかないため、沙世としては一緒にいて楽ではあった。
なので一つ返事で「いいよ」と返した。

部室を出て、ゆっくりと二人で寮へと向かう。
夏至はとうに過ぎているけれどまだまだ日は長く、暑さは強まっている。
せっかく着替えの時に拭いた汗も外に出るとまたじんわりと出てきてしまう。

「沙世、大丈夫?」
「うーん、まぁ、なんとか?」

その言葉の意味が分かった沙世は曖昧に濁す。
だが璃子はそれで終わらさず、更に言葉を重ねる。

「香緒里と新谷、沙世と沢田が別れて、香緒里は沢田と、新谷は山瀬と、沙世は前野と付き合ってる、なんて噂まで流れ出してるけど。」
「香緒里達は私もわからないけど………前野とは、付き合ってないよ。ただの友達。確かに最近よく話すけどさ。」
「沢田とは?大丈夫なの?」

言ってしまおうか、迷った。
部員には誰にも言っていない。言ってしまえばまたヒートアップしてしまうのは目に見えているから。
ただ、璃子になら言えるかもしれない。
前野には話している。でも、誰か同性の友人にも話を聞いてもらいたかった。

「別れたよ。」
「………そっか。沙世は、それでよかったの?」
「そりゃ、よくはないけど………。でも、一緒にいるのが、傍で見てるのが辛くなっちゃったから……。」

言葉を一度切り、立ち止まった。
その沙世の手を取り、璃子は黙って木陰にあるベンチまで引いていき、座らせた。
自身も隣に座り、沙世の顔を見た。
話したい気持ちを見抜かれたようで沙世は少し笑った。

「真はさ、中学の頃、香緒里のこと好きだったんだ。でも、香緒里は秀人のことを好きになって、付き合った。多分ね、しばらく真は香緒里のこと引きずってたと思う。でもね、私は諦めきれなくてアタックし続けて………結局、私のわがままな賭けで付き合ってくれることになったの。」
「そっか。」
「香緒里と秀人、真の今回の事は………雪音達からある程度聞いてる?」
「うん、まぁなんとなくね。」
「………今の香緒里の近くにいたい真の気持ちはわかる。わかるんだけどさ、でもその気持ちは友情じゃなくて恋なんじゃないの、まだ好きなんじゃないの、て思っちゃって。そう思ったら、もう一緒にいるがしんどかった。だから、別れて、て言ったんだ。」

沙世が話し終えると、璃子は考える様に視線を上に向けた。
そして少しすると、沙世の方をまた見た。

「私はそんなに恋愛に詳しいわけじゃないけどね。でも、沙世はもっとわがままになってもいいんじゃない?」
「充分わがままなつもりではいるんだけど。」
「そう?嫌だ、私と一緒にいて、香緒里なんて気にしないで、て言うことだって出来たでしょ?」
「そんな嫌な女にはなれないよ………。」
「ほら、遠慮してる。なんだかんだ優しいんだよ、沙世は。香緒里のこと、沢田のことを思って身を引いてる。辛くなっただけが本音じゃないでしょ?」

そう言われ、沙世は黙った。
辛いのは事実。でも、香緒里には、秀人がいない今の香緒里には、真が必要だと思ったのだ。

「香緒里には新谷の方が合うと思うけどね。大体、沙世達が別れたからって、香緒里が沢田を好きになるとは限らないでしょ。」
「それは………。」
「まして、沙世は沢田のこと嫌いになった?嫌になった?」
「そんなことない!今だって……ずっと、ずっと好きだよ。」
「でしょ??なのに何で自分の気持ちを我慢するわけ?沢田がそれを望んだの?違うでしょ?」

璃子が少しキツい口調で言えば、沙世はグッと押し黙った。
少し嘆息して続ける。

「まぁ、沙世がどうしたって私は沙世の味方でいるけどさ。でも、出来たら笑ってて欲しいと思ってるよ。自分が本当はどうしたいのか、人のためじゃなくて自分のためをちゃんと考えなよ。」
「うん…………ありがとう。」

優しく頭を撫でてくれる璃子に沙世は目を細めた。
こうやって話をちゃんと聞いてくれる友人が、私には何人もいる。
それだけでも幸せだ。それだけでも頑張れる。
どうしたいか…………か。
もう一度自分の頭の中を整理してみようと思った。







いい加減に見飽きた、窓から見える夏の空に今日も目をやる。
窓の外からは近くの木に止まったセミ達がこれでもかと夏の盛りを大合唱している。
入院して数週間、早く外に出たい物だと秀人は溜息をついた。
痛み止めを飲んでいるものの、まだ動くと傷は痛む。治りは悪くないらしいが、まだ少し安静にしていないといけないらしい。

溜息をついた、もう1つの理由については、あまり考えないようにはしているがやはり頭にはこびりついている。
あの2日間以降、香緒里はもちろん、沙世も真も来ていない。雪音と翔太は時折来るが、いずれも山瀬やバスケ部の面々、クラスメイトなどがいる時でゆっくり話せてはいない。

少し陰鬱とした気分になりかけた時、廊下から聞き覚えのある賑やかな声が聞こえてきた。

「おーっす秀人ー!」
「だーからあんたは声が大きいんやって、ここ病院やで?」
「そう言う美愛ちゃんも割りと大きいと思うけど…」

扉を開けて入ってきたのは鮎川三兄弟と奈津、そして珍しく美愛。
聞こえてきていた声は悠と美愛のものだった。相変わらず仲がいい。

「ごめんねー大勢で。明後日、お盆に実家に帰る前に会っておこうと思って……。」
「悪いな、気を使わせて。」
「気にしないでいい。しばらく来てなかったしな。」

未だきゃんきゃん騒ぐ3人を他所に、奈津と亮がそう言ってくる。

「ところで、珍しいな。このメンツに渡辺が加わるなんて。遂に悠と付き合いだしたか?」
「「そんなわけあるか!」」
「うちがこいつと付き合うとかありへんわ。」
「そりゃこっちのセリフだ!!」

綺麗にハモリ、お互いを睨み合う。
そういうところが似た者同士というか勘違いをされる部分ではある。喧嘩するほど、というやつだ。
本人達に自覚はないのかもしれないが。
亮と奈津は部屋の隅に立て掛けてあるパイプ椅子を人数分広げ、そこに座った。

「調子は大丈夫?」
「あぁ、順調らしい。夏休み中には退院出来ると思う。まぁただ生死をさまよったから無理はしない方がいいだろうけどな。でも早くバスケしてーなー。」
「意外と余裕ありそうだな。」
「新谷らしいねー。」
「早く戻って来いよ、俺も秀人とバスケしてーもん!」

香緒里達の事には敢えて触れず、和やかに話をする。
本当は突っ込んで話したい。でも自分達は当事者でもないし、雪音や翔太のように付き合いが長いわけでもない。だから、こうして様子を見に来たり、黙って見守っているしかない。
もどかしいけれど、どうしようもないのだ。

「そうだよ、秀人が早く戻って来ないと困るんだよ!」

急にそう言い出した圭に、もしかしてあの話に触れてしまうのではないかと奈津と亮はバッとそちらを見た。
その視線には特に気を止めず、圭は拳を握りしめた。

「秀人が戻って来ないと、女の子達の視線を俺が独り占めしちゃうじゃないか!!!」
「は………?」
「いや、俺がモテるのは構わないんだ、嬉しいんだよ??でもやっぱり秀人がいないと張り合いがないんだよ!!」

なんだいつもの話かと安堵した二人は、溜息をつきつつツッコミを入れることにした。

「独り占め、てことは全然ないと思うけど。ファンクラブもあるくらい人気の璃子ちゃんがいるし。」
「相変わらず色ボケしてるなお前は。」
「二人ともちょっと冷たくない!!??」

秀人にも、「いや俺は興味ねーし。」と突き放され、圭はおいおいと泣く真似をする。
どこまで本気で言っているのかやっているのかいまいち掴めない。
取り立てて周りに反応して貰えない事がわかったからか、圭は一つ咳払いをして姿勢を正した。

「まぁ、冗談は置いておいて。あんまり女の子を泣かせて放っておいちゃ、ダメだからね?」
「……………わかってる。」

いつもとは打って変わって真面目な顔をしてそう言った圭に対して、秀人は少し目線を逸らしながらそう言った。
その意味深な言葉の意味は、鈍い悠ですらも気が付いた。

もう少し自分が素直になれば早く事がつくことは秀人も理解している。本来の秀人ならばそう出来るはずだし、考え込みやすい香緒里が思い悩んでいることも容易に想像出来る。
だがしかし、今回はそう思うように気持ちがコントロール出来ないでいた。

「一度や二度の揉め事なんて、しちてんばっとうだぞ秀人!!」
「せや!たまにはいい事言うな鮎川悠!しちてんばっとうや!」

少し微妙になった空気を和らげようとしているのか、悠は力強く言い、美愛も珍しくそれに同調する。

「悠……?美愛……?『七転八倒』って漢字書ける……??」
「えーと、七に転ぶに…?」
「八………とう……??」
「七回転んで八度倒れる、で七転八倒だ。苦しくて転げ回る様を表した四字熟語だぞ。」
「この場合なら、七転八起、七転び八起きが正しいねぇ………。」

奈津と亮は今度は二人に溜息をついてそう教えた。
言われた秀人も苦笑いをしている。
言いたいことはまぁ伝わってはいるんだけれど。

「あんたのせいで恥かいたやないか!」
「なんだよお前だって納得してたじゃねーか!!」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて?ちなみに俺のモットーは明鏡止水だよ!」
「いや知らんわ!!」
「なんだよそのファンタジーゲームのリミット技みたいなやつ!」

確かに某ファイナルなファンタジーのゲームのキャラでそういう技使うやついたなと秀人は思う。

「アホだなぁ、こいつら。」
「そうねぇ…………。」
「3バカだ。」

煩いのは悠と美愛だけかと思いきや、圭も存外悪ノリをする。意外………ではないが。

さて、尚も騒ぎ続ける3人の元に看護師が飛んできて注意するまで、あと少し………
13/16ページ
スキ