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第5章 青嵐吹く夏

ふぅ、と一息ついて香緒里はノートを閉じた。今日やる予定だった夏休みの宿題や夏期講習の課題などは一通り終えた。
夏休みに限らず長期休暇の時は入ってすぐ、休み中の勉強の計画を立てるようにしている。宿題は早めに終わらせ、後は苦手科目等の参考書や問題集を使っての自主勉強、それらを毎日どれくらいずつやるか、スケジュールに落とし込んでいく。用事等で出来ない日はその前後に多めにやるようにする。この勉強の仕方は小学生の頃から続けている。

真面目、と昔からよく言われる。コツコツと毎日少しずつ。いつからなのか、なぜそうするようになったのか。そう沙世達に聞かれた時に、うーん、と小学校の頃を思い出した。
確か、元々は母に褒められたくて始めた事だった。勉強をしていい成績を取れれば少しだけでも自分を見てくれるのではないか、そう思ったからだ。
その事を伝えると、先日のテスト返却日同様、なんて健気な……!!と5人に涙ぐまれた、なんてこともあった。


ともかく、そんなコツコツ型の勉強をすることによって毎度テストでいい成績を修められている。

沙世は早い段階から飽きていたが、奈津や由美も既に勉強を終えて話しに花が咲いていた。亮は未だパソコンと向かい合っている。
香緒里も、勉強道具を片付けて話しに加わろう、と思っていたところでスマホがバイブ音で揺れた。

「……悠?珍しい…」

電話を知らせる画面の表示には鮎川悠の名前。
メッセージアプリでもさほどやり取りすることもない彼から電話。
首を傾げながらも電話を取った。

「はい、もしもし?どうしたの?」
「吉崎か!?大変なんだ!秀人が………秀人が通り魔に刺された……!!!」
「え………??」

電話からは焦った悠の声。その言葉を聞いてスマホを落としそうになる。
震える両手でスマホを支えながら、次の言葉を待った。

「腹、刺されて……ヤバい!救急車で今病院に向かってる!市内の市民病院!お前らも早く来い!」
「え、あっ、ちょっと…悠!」

口早にそう言って直ぐに悠は電話を切ってしまった。
秀人が、刺された……?嘘でしょ……??
頭の中が真っ白になりそうになる。
呆然とスマホを握る香緒里の手に沙世は触れ、顔を覗き込んだ。

「香緒里?何かあったの?」
「秀人が、通り魔に刺されて、病院に運ばれた……って……」
「は!?」

沙世も奈津も由美も固まり、顔を青くする。
キーボードを打つ手を止めた亮だけは冷静に、どこの病院?と聞いてきた。
答えると、

「市民病院……あそこか。ちょっと待ってろ。」

顔色を変えずにスマホを取り出して電話をかける。

「あぁ、俺だ。今学校の近くにいるか?………なら、車でこっちに来てくれ。それで市民病院まで行って欲しい、理由は着いてから話す。急ぎだ。頼むぞ。」

手短に誰かに電話をし終えると、今度は香緒里達を見回す。

「車は回すから病院へ行く。奈津と須賀は翔太と安西を呼んで校門へ、谷中は沢田に電話して病院行くように言え。吉崎は一足先に俺と校門に行くぞ。」
「わ、わかった。じゃあ由美ちゃん行こう!」
「う、うん。」
「あ、もしもし真!?大変なの!」

奈津と由美は走り出し、沙世は急いで真に電話を掛けている。
まだ上手く頭が回らない。
1人動けなくなっている香緒里の背中を亮は優しくポンと叩いた。

「ほら、行くぞ。」

足が一歩前に出たことにより我に返った。
そうだ、急がないと、急いで行かないと。
先を行く亮の背中を追い掛けて香緒里も走り出す。



香緒里と亮が校門の前に着くと直ぐに1台の白い車が目の前に止まった。
車種にあまり詳しくない香緒里でも知っている高級車。その中から背の高い生真面目そうな男性が降りてきた。

「亮様、お待たせ致しました。」
「ご苦労、井口。」
「いえ。急用との事ですがどうなさいましたか?こちらの方は……?」
「友人が事件に巻き込まれて緊急搬送されたらしい。それでこいつ……吉崎とあと何人かを乗せて市民病院まで行って欲しい。」
「畏まりました。亮様自身は如何なさいますか?ご友人なのでしょう?」
「車は5人乗りだろ?俺はとりあえずいい。こいつら優先だ。」

亮とその男性が話している間に沙世達も駆け付けてきた。
事情を既に聞いているようで雪音と翔太の顔も強ばっている。

「よし、揃ったな。吉崎、翔太、谷中、安西。急いでこのうちの秘書の車で病院に行け。」
「え、でもいいの……?」
「遠慮してる暇はないだろう、さっさと行ってこい。俺らのことは気にするな、後で連絡をくれればいい。」

付き合いが長いお前らを優先するのは当然だろう、と有無を言わさぬ亮の雰囲気に押されて4人は車に乗り込んだ。
扉を閉め、不安そうな表情の奈津と由美に見送られながら車は猛スピードで出発した。

車内で誰も言葉を発しなかった。後部座席には香緒里を挟むように雪音と沙世が座り、その手をしっかり握っていた。
香緒里の手も震えていたが二人の手も同じ様に震えていた。

刺された、やばい、救急車で病院。
悠の言葉一つ一つが頭の中でぐるぐる回っている。
救急車で運ばれたということはひどい怪我なのだろうか、大丈夫なのだろうか。
もし、もし、死んでしまったら………
そこまで考えて、首を振った。
そんなことはない、そんなはずはない。
秀人に限って、そんなことは……

香緒里以外の3人も、「大丈夫、秀人なら大丈夫」とそれぞれ心の中で自分に言い聞かせていた。
そうではないと恐怖と不安でどうにかなってしまいそうだった。



病院に着くと香緒里達は走った。集中治療室に入っていると先程悠からメッセージアプリで連絡が来ていたためそこに向かった。
看護師や周りの患者から非難がましい目で見られていることには気付いていたが今そんなことを気にしている余裕はなかった。
看護師に場所を聞きつつ集中治療室の前のフロアに辿り着くと既に男子バスケ部の部員と真、そして真と出掛けていた秀人とも仲の良い野球部員何人かがいた。

香緒里達に気付くと真と悠が近付いてきた。

「何があったんだ?」
「えーと……学園に戻ってくる途中の横断歩道で向かいから刃物を持った男が俺らより前にいた部員に襲いかかってきて、それを庇おうとしたのか秀人が前に出て………刺された……。」
「その後、周囲の人を何人か刺して逃走したらしい。刺されたうちの1人は、刺し所が悪かったのか、亡くなった……って。」

翔太が聞くと悠は俯きつつ話し、その後を真が引き継ぐ。
亡くなった人がいるという事実を知り、香緒里達は息を飲み、最悪の事態を考える。

「あー……で、秀人は脇腹の当たりを刺された、らしい。それなりに、深く………手術はしてるんだけど出血がひどいらしい。」
「そんなに……」
「俺らも詳しいことはわかんねぇ。バスケ部の顧問と部長は今警察と別室で話してる。秀人の両親はまだ来てない。」

落ち着いたように話している真もその顔は眉間に皺が寄っている。
部員達も俯く者、座り込む者、膝を抱えている者など様々だが皆一様に心もとない顔をしている。
香緒里達も押し黙り、手術中と書かれた赤いランプを見つめた。

それから少しして、廊下の端から複数の足音が聞こえてきた。
そちらの方に目を向けると以前にも何度か会ったことのある秀人の両親と弟がいた。看護師も一人、一緒にいた。
その看護師が集中治療室に入ると直ぐに中から一緒に医師が出てきて秀人の父、忍と小声で話し出す。
その声は少し離れた所にいる香緒里達には聞こえなかった。

「久しぶりね、香緒里ちゃん達。事情は大方、下にいた刑事さんに聞いたんだけれど………秀人は、どうかしら……?」

母の美鈴と弟の秋人は香緒里達の方に近付いて声を掛けた。先程と同様の話を真が伝えると、美鈴は「そう」と声を落とす。

「美鈴さん………」
「大丈夫よ、香緒里ちゃん。秀人はちょっとやそっとの事じゃやられたりしないわ。」

香緒里は病院に着いてから初めて掠れながらも声を発した。
その香緒里を抱き寄せながら美鈴は力強く言った。

「そうだよ。兄貴はそんなにやわじゃないし、何より香緒里ちゃんを泣かせるようなことはしないよ。」

だから大丈夫、と秋人も香緒里に声を掛ける。
秀人によく似たその顔を見て、少し涙が出そうになるがグッと堪え、「そうだね」と返した。

だってあの秀人だ。ケロッとしていてもおかしくは無い。
そう、なるべく思い込もうとする。


出会った時、秀人は誰ともつるまず群れず、一人でいた。
誰よりも運動が出来、勉強も出来た。それ故に周りから天才扱いされ、妬まれ、そうしているうちに一人でいるようになったのだろう。
近寄り難い、と香緒里は思ったことはない。周りの友人達がカッコイイと騒いでいるのも聞いていたがそれに同調したことはなかった。
出会ってみて実際に話してみると、周りが騒ぐようなクールで近寄り難いなんてことは全くなく、他の同級生と同じの普通の男子だった。
確かに勉強も出来て運動も出来る。だけれどそれ以上によく周りを見ているし、人の気持ちにも敏感で、親しい友人には特別に優しく、頼りになる。
それが前に出てきて明るく振る舞うようになったのはいつからだろうか。
いつしか孤高の存在のようであった彼は変わり、友人もたくさん増えていた。

いつだって冷静で、いつだって頼りになる。
そんな秀人がこんなところで居なくなるはずがない。
だから、どうか。
彼を助けて。
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