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第5章 青嵐吹く夏

夏休みが始まった。夏休みとはいえ、授業がないだけで生活リズムはそう変わらない。
いつもの時間に起きて、食堂で朝ご飯を食べ、授業の代わりに部活に行き、お昼をまた食堂などで食べ、午後も部活。
活動の頻度はそれぞれの部活によって異なり、毎日あるところもあれば空手部のように週に一度休みのところもある。文化部は元々活動量の少ない所は週に一度か二度程度のため、早々と自宅に帰省する者もいる。
また、赤点を取った人が参加する補講以外に、7月後半と8月後半の1週間ずつ、午前中だけ夏期講習も希望者で開催されている。香緒里や雪音、翔太、奈津、圭、由美などはそちらに参加している。参加の必要のなさそうな秀人や亮はもちろん、勉強嫌いの何名かは参加していない。
夏休みは勉強しないんだ!バスケをしまくるんだ!と悠は豪語していたが、宿題は大丈夫なんだろうか。

そんな夏休み最初の日曜日。部活が休みの空手部3人と、同じくたまたま休みの由美、沙世は寮の談話室にいた。

「そういえばさー、空手部ってインターハイ予選どうだったの?テスト勉強に追われててすっかり忘れてたけど。」

スマホから顔を上げて沙世は3人を見た。
夏休みの宿題である数学のワークを解いていた香緒里は問題を解きながら、えーっと、と答える。

「私は準決勝で負けちゃったんだよねー。」
「まぁでもあれは優勝候補の3年生だったし、仕方ないんじゃない?」
「うーん、でもまぁ悔しいよね。」
「私は予選敗退。亮もいいとこまで行ったんだけどねー。」
「え!準決勝!?あとちょっとインハイじゃん!!」
「香緒里ちゃん、やっぱり強いのねぇ。」

小学校時代は1つの流派といえど全日本大会で一位を取っている。しかし、香緒里がやっていた流派はフルコンタクト(要は思いっきり蹴り合う)であるのに対し、高校のインターハイで行われる空手は伝統空手であるため、寸止めが基本である。3年間のブランクかつ今までと少し違う組手、ということで慣れるのに時間がかかった。だからこその敗退だろう、と亮は解説していた。フルコンタクトの空手ならば今でも日本トップを狙えるのではないか、と。
そこまでの実力かは分からないけれど、来年はもっと上を狙いたい、とは香緒里は思っている。

「緑ヶ丘は今年もインハイ出場どこもなしかー。」
「どこも悪い成績では全然ないんだけどね。」

初戦敗退、というところはあまりないが決勝まで行ける部活はなく、良くて準決勝止まり、というところがほとんど。スポーツ推薦枠などのない普通の学校であるため、当然といえば当然、むしろ良い方である。

それぞれの部活の成績を指折り数える奈津の手元を見ながら、学校の敷地内にあるコンビニで買った、少し温くなったカフェオレをストローで掻き回していた沙世は、ふと亮の方に視線を移した。

「いっつも思ってたんだけど、亮はいつもパソコンで何してるの?」

確かに談話室でみんなといる時はパソコンを弄っていることが多いし、以前翔太に用があり、E組に行った時はiPadで何かしていた。
香緒里もキーボードを叩いている亮の方に注目する。

「あー……仕事。」
「え?仕事?」

少し視線を上げ、短く答える。

「もー亮ってば説明するの面倒くさがってー。」
「……うちの会社の仕事。」
「は?」

呆れた表情をする幼馴染みの言葉に付け加えてまた言うが、更にわからなくなった。

会社?仕事??と疑問符いっぱいの香緒里達に奈津が代わりに答え出す。

「えーと、鮎川グループって知ってる?」
「あゆかわって、鮎川商事の?」
「確か、商社の他にもホテル経営とか、飲食とか、色々系列会社あるんだよね……?」

沙世はポカンとしていたが、香緒里と由美は思い当たったようで、それぞれ口にする。

「その鮎川グループの跡継ぎなんだよね、亮。つまり亮達のお父さんが鮎川商事の代表取締役。」
「え………ええぇ………!!!???」

由美も言っていたが、鮎川といえば日本の商社の中でもトップを争う会社で、ホテル、旅行代理店、飲食店チェーン、IT(アイティー)、等など多岐に渡る経営をしている日本一流の企業。

鮎川グループと鮎川三兄弟、同じ苗字ではあるし、どちらかと言えば珍しい部類の苗字ではあるが、結び付くはずもなく。まさか大企業の御曹司が普通の私立高校にいるとは思うはずもなく。
香緒里達はただただポカンと口を開けていた。

「あ、それでね、亮は既にいくつか子会社を任されてて、勉強とかの合間にこうやって仕事をしているわけなの。」
「俺が運営方針とか経営に関わってるのは確かだが、実際に動いてるのは俺の秘書だ。」
「ひしょ………」

高校生で会社任されているとか大企業の跡取りってそんなものなのだろうか……??高校生とか大学生で会社立ち上げた、みたいな話は確かに聞いたことはあるけれど。

「ここ最近で一番の衝撃……」
「私まだ全然頭回ってないわ……おバカな頭が情報処理しきれてない……」
「す、すごいんだねぇ……」


とりあえず落ち着こう、と香緒里は再びペンを取りテキストに目を向け、沙世は『この驚きを真に伝えなければ……!』と思い、興奮冷めやらぬままスマホを握った。
由美も落ち着くために、ペットボトルのキャップを開け、お茶を飲んだ。そして一息着き、話題を変えた。

「今日は沢田君は?野球部、お休みって言ってなかったっけ。」
「なんか今日は野球部の人たちと遊びに行くんだってぇ。私だって真とデートしたかったのに……。」
「沙世は本当に沢田が好きねぇ。男子バスケ部は練習試合でしょ?朝から悠のテンション高かったよね。」
「そうみたい。どことだったかなー……。」

試合だ試合だ!と悠は朝から張り切っており、いつもより多く朝ご飯を食べ、いつもよりテンションを上げ、美愛にうるさいと怒鳴られていた。秀人も心無しかいつもよりご機嫌だったような気がする。

件のことがあってから対外試合はもちろん禁止されていたし、その前もまだ練習試合はしていなかったはずなので、今日が高校に入って初めての試合だ。
楽しんでやっているのだろうか?やっているんだろうなぁ、とぼんやり香緒里は窓の外を見た。




「いやー快勝快勝!」

練習試合を終えた男子バスケ部は相手の学校を出て、最寄りの駅に向かって歩いていた。
何校かとの合同練習試合だったが、緑ヶ丘は調子良く全試合勝利した。悠はもちろん、部員皆ややテンションが上がっている。

「あのパス、良かったな!」
「お前のあのシュートもすごかったよなー。」
「いやそれより秀人だよ、後ろに目がついてるのかっていうくらいのいいパス!」

秀人と悠はスタメンとして入れてもらい、大いにその役割を果たした。練習や部内のゲームをしてても思っていたが、改めて悠の実力は高い、と秀人は思った。背こそないが、その俊敏性とジャンプ力はそれを補うくらいのものはある。

「ところで、お前らは向こうに加わらなくてもいいのか?」

熱心に試合について話していると、一緒にいた小倉が問いかける。

向こう、というのはマネージャーの山瀬とその周りにいる部員達の事であるが、入部当初と変わらずにひっきりなしに山瀬に話し掛けている。山瀬狙い、という訳では無いのだろうが、かわいい女の子がいれば仲良くなりたいと思うじゃないか!と部員の誰かが言っていた。

「いや、俺は興味ないっす。」
「んーー俺も別に特に加わらなくてもいいかなぁ。」

悠と秀人の後ろを歩く、同じく1年の小野一輝と田村浩が答える。
二人とも翔太や亮と同じE組で、今日は交代要員としてベンチに入り、何度か試合に加わっていた。

「小野はそういうの興味なさそうだもんなー田村は山瀬のことかわいいって言ってなかったか?」
「かわいいとは思うけど、俺他に狙ってる子いるんで!」

キリッとキメ顔なのかドヤ顔なのかわからない顔を田村はする。

「お、どこの子?」
「クラスの女バレの子なんすけど、かわいいんですよー。そういう小倉先輩は山瀬に興味ないんですか?」
「あぁ、俺は彼女いるから別に興味ないかな。」
「え!彼女いるんすか!?」

聞いてない!ずるい!と田村は小倉の腕を掴み揺すった。

「ちぇーっ、秀人と悠に加えて小倉先輩まで相手いるのかよー。」
「は?俺?いねーぞ??」
「あれ?渡辺美愛と付き合ってんじゃねーの?仲良いじゃん。」
「仲良くねーよ!!なんだそれ!」

心底不思議そうな顔をしている田村に悠は後ろを振り返り噛みつかんばかりに反論した。まぁ普段の様子を痴話喧嘩のように捉えられてしまうのも仕方が無いとも言えるので秀人は笑いながら追い打ちをかける。

「でも、好きは好きだろ?」
「好きじゃねーよ!なんだよ秀人まで!」

顔を赤くする悠を見て、秀人達はニヤニヤする。香緒里が見ていたら、秀人ってばやっぱりドS……と言っていたであろう。

「まぁでも、渡辺は気が強いけどかわいいよなー。」
「そーっすよねースタイルもいいし。こう、出るとこ出てるみたいな……って、おい悠も一輝もなんだよその視線は!」
「変態、と思っただけだ。」
「男子高校生なら普通の話だろ!?」

和気あいあいとそうして話していたが、急にヒヤッとした視線を感じ、秀人は周りに視線を走らせた。
似た感覚を味わったことがある。中学の頃、サイコパスな教師と相対した時だ。殺意のような、強い視線。嫌な予感がする。
どこからだ。

駅近くの大通り、都内でないとはいえ休日のため人通りは多く賑わっている。そのため行き交う人々全てに目を向けることは出来ず、それでも周囲に注意を向け続ける。

ちょうど信号に差し掛かり、赤のためその場で待っていると向かいの歩道に、明らかに怪しい身なりをした男らしき人物がいるのが見えた。晴れているのにレインコートを着、フードも被り、フードの下にはキャップ、そしてサングラス。

恐らくあいつだろうと秀人が思った時、信号が青に変わった。その瞬間、その怪しい男は横断歩道を走って渡りだし、一直線に反対側の歩道、つまりこちらに向かってきた。
異様な雰囲気の男に周囲の人間も思わず目を向ける。
男がレインコートの下から刃物を出すのが見えた。その直線上には山瀬舞や部員達。
反射的にその前に出たのと、男が前に刃物を突き出しのはほんの僅かな差。正面向き合って見た顔のサングラスの奥の目は、血走っていた。

あぁ、嫌な予感は当たってしまった。腹部に鋭い痛みを感じながら、秀人は頭の中で呟いた。

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